二人だけの桃源郷人生はどうなるかわからない、とはよく言ったものの、ここまでとは思わなかった。
というか誰がこの未来を想像するというのだ。
まさか年老いた花魁のために国崩しをすることになるとは。過去に形だけ攘夷志士となってはいたが、本当にお上に盾突くことになるなんて。
傍から見ればめでたしめでたしで終わった今回の騒動だが、その裏にはあまりにも不可解な点が多々あった。
その最たる例が、前将軍の急死である。病死と発表されてはいるが、明らかにタイミングがおかしい。
『……今更俺が何考えても無駄か…』
そして今、その騒動の中心人物だった男は、珍しく物思いに耽っていた。
彼ーー銀時は、先の件で大変な深手を負い、自宅で療養していた。いや、監禁されているといっても過言ではないと本人は思っているようだが。
『ったく…厠までついてくんなっての…』
絶対安静と子ども達にきつく言われ、少しでも移動しようものなら誰かしらが付いてくる。痛みに呻こうものなら全力で薬を飲まされ寝かされる。ここ一週間ほどはずっとそんな生活だった。
『…まあ、心配してくれてんのはわかってんだけどなぁ…』
心配されるという行為にいまだなれない銀時にとっては、嬉しくもあるが、むず痒くもあった。どう行動すればいいのか。何と返事をしたらいいのか。それがよくわからなくなっていた。まさか自分がこんな悩みを持つことになろうとは、昔の自分が見たらさぞ驚くことだろう。
『でもなあ、もうそろそろいいよなぁ。結構治ったし、散歩でもすっかな』
さすがにもう一週間経っている。まだ傷は痛むが、ゆっくりとなら普通に行動できるようになっていた。
何より、ずっと閉じこもりっきりで少し気が滅入っていた。
『…神楽が起きませんようにっ、と』
時刻は深夜を少し過ぎた頃。同居人を起こさないようにゆっくりと身支度を整え、なるべく音をたてないように家を出る。
「…っ、」
きちんと処置をしているとはいえ、久しぶりに外気にさらされた傷が少し痛む。貧血気味のせいか若干肌寒く感じたが、流石に羽織はいらないだろうとそのまま下へ降りる。
不思議と、いつもと同じ景色のはずなのに、少しばかり色がくすんで見えた。
ふらふらと当てもなく歩く。今は騒がしい場所に行けるような気分でもなかったので、繁華街を外れたところを目指して歩く。
しかし不幸なことに、いけ好かない黒服たちが眼に入ってしまった。ついこの間、不本意ながら手を貸してもらったばかりだというのに。
なるべく関わりたくないので踵を返そうとしたが、目が合ってしまった。真っ直ぐこちらに向かって歩いてくる姿を見て、銀時は諦めて溜息をついた。
「旦那。こんなところで何してるんでぃ?あんな傷じゃあ、まだ治ってねぇでしょう」
「別に多少痛むくれぇで、ゆっくり動きゃあ問題ねえよ。っつーか何?お前ら何してんの。暇なの?」
「アホか。どう見ても職質かけてんに決まってんだろうが」
「は?じゃあ何、俺怪しいやつ判定?」
「まあ、ついこの間国崩しをした人が、普通の顔して歩いてるってぇのは結構怪しいですぜ」
「天下の往来でそんなこと言う?沖田君」
「天下取った人が何言ってんでぃ」
「総悟。誰もうまいこと言えだなんて言ってねえ」
面倒くさいと思いながらも、一応は会話をする。
こいつらがいなかったら死んでいたかもしれないなんてことは、口が裂けても言うつもりはないが。
「ってかなんで今更職質?もう終わったろ、あの一件」
「いやぁそれがですね。旦那だからお教えしやすけど、下手人が見つかってねえんでさぁ」
「おい、総悟!」
「いいでしょ土方さん。どうせ旦那だって気づいてんでしょう?あんな不自然な発表じゃあ」
「…まあな。普通に考えてありえねえだろあんな話」
一応周りに人がいることに配慮して、具体的なことは言わずに会話を進める。
つまり、定定暗殺の下手人を探すために、夜な夜な街を徘徊しているわけだ。
「…チッ、まあそういうことだ。お前、心当たりとかねえのか」
「んな奴の心当たりなんざあるわけねえだろ。一般市民に何てこと聞いてやがんだ」
「てめえの冗談は笑えねぇんだよ…とにかく、心当たりねえのか。
………例えば、過激派攘夷志士とかな。なあ、白夜叉殿?」
「うるせえな。ねえったらねえよ。はい解散。これ以上てめえらに付き合ってられねえっての」
「……ま、今はそういうことにしときやす。じゃあ旦那。取り敢えずお大事にしてくだせぇ」
「はぁ…なんかわかったら必ず真選組に教えろ。いいな」
「へいへい。じゃお疲れー」
訝しむような視線を受けながら別れる。以前元攘夷志士だということをバラしてからというもの、何かにつけて俺にカマをかけて来るようになってしまった。しょうがないとは思っているものの、かなりうっとおしい。
だがそんな事よりも、銀時は先ほどの土方の言葉の方が頭に残っていた。
『…過激派攘夷志士、ねぇ…』
銀時は、今やその代名詞となってしまった奴を二人ほど知っていた。だが、一人は既に穏健派へと変わっている。
となれば残るはもう一人。
『……どこで何してるかなんて、知りゃあしねえよ。俺も。』
あの隻眼の男は、今何処にいるのだろうかと、普段なら絶対に考えないだろうことを頭に浮かべながら、銀時はまた歩き出した。
行先もなく歩いていたが、途中でふと思いつき、ある場所へと足を向けた。
誘われるようにたどり着いたその場所は、夜更けらしい静けさを纏う神社だった。そこは少し小高い丘の上にあり、この体で階段を上るのには苦労した。
だがそれでも、ここに来たかった。
「……はぁ…」
感嘆の溜息しか出てこなかった。
境内にある数本の桜の木が、満開になって風に揺れている。
中でも一際目を引くのは、中央にある枝垂桜だった。大きさもさることながら、月明かりの力を借り、周囲まで桃色に染め上げるさまは、読んで字のごとく桃源郷だ。
銀時はゆっくりとその桜に近づき、枝の傘の中へ入っていく。
足元以外どこを見ても桃色の世界。たった一人で別世界へ迷い込んでしまったかのような恐怖まで感じてしまう。恐ろしいほど美しいとは言いえて妙だ。
『……そういやぁ、アイツも桜、好きだったけな…』
先ほどの真選組との会話で、暗に出てきた人物のことを思い出す。
彼は顔に似合わず風流や趣といったものを好む質で、季節の風物詩等も気に入っていた。
その一つが桜だ。子供の頃は毎年花見をしていたほどだった。
戦が始まってからも、彼は季節になると桜を見ていた。子供の頃のようにはしゃぐことは無くなり、ただ静かに見つめているだけになったが。
元服を迎えてからは、そこに酒を伴うようにもなった。
桜を見ているその時だけは、いつも険しそうにしている顔も穏やかになっていた。
『アイツもこの桜見たら落ち着く………訳ねえか』
もう彼は何があっても止まらないだろう。
いや、止まれないだろう。
銀時は、自分や周囲の人間を巻き込まないのであれば、どこで何をしていようが構わない、と考えている。
ただ生きてさえいるのであれば、それでいい、と。
「っ、…!」
不意に、風が強く吹いた。ざあっという音と共に花びらが舞う。まるで桜に飲み込まれるかのように、足元までもが薄紅へと移り変わっていく。
それ故か、ソイツが手だれだったからか。銀時は自分の真後ろに立つ人間に気づかなかった。
「…………!?くそっ、誰だ!やめ、いっ!う゛…外、せ…!」
急に視界が閉ざされる。背後から布か何かを巻かれたようだった。いつもなら振り払うが、傷が痛んでうまく対抗できない。
何より、相手も相当腕が立つようだ。銀時が暴れるのを物ともせずに、手を後ろ手に掴んで拘束する。
「おい!マジで、何なんだよ!何が目的だ…!」
「………」
ソイツはただ拘束するばかりで、言葉も発さなかった。
やがて痛みや疲労から、銀時の抵抗は弱まっていく。
「お、い、………?」
が、突如腕が離された。
急すぎる行動に理解が追い付かず、逃げることも忘れて、一瞬立ちすくむ。
「……っ!?」
真綿で包まれるように、後ろから抱き締められた。
ふわりと漂ったあまりにも知りすぎた香りに、銀時は一切の抵抗をやめ、固まった。
「は……?た、かす、ぎ…?」
「………」
「なあ、…高杉、だろ?何で、ここに……」
「………」
「おい、何で、何も言わねんだよ…?何しに来たんだよ…なぁ、」
彼は無言のまま、先ほどの拘束とは打って変わって、優しく銀時を抱きしめ続けている。
体中傷だらけで風にあたることですら痛かったというのに、少しも痛みを感じない。
まるでどこに傷があるかを熟知しているかのようだった。
そして、痛みよ飛んで行けと言わんばかりに、銀時の体を擦る。
今度こそ銀時は言葉を失い、されるがままになっていた。
なぜこんな所にいるのか、何をしに来たのか。そんな思考は、彼の思いもしない行動で吹き飛んでいった。
「……た、か……んっ」
ゆっくりと振り向かされた直後、両の耳を塞がれ、唇に柔らかいものが押し当てられる。
先ほどよりもぐっと濃くなった香りに、今度こそ全身が包まれてしまいそうだった。
「ん……ん、ぅ……ふ、」
抱き締められた時点で分かっていたが、口を吸われた事で、銀時は余計に確信した。
こいつは高杉だと。
キスのやり方が全く変わっていない。
上顎をゆったりと舐めること。舌の絡め方。
何もかもが、あの時のままだった。
「んぁ、ぁ、…ふぅ、んんっ…」
耳が塞がれているせいで、音が直接頭に響く。脳の奥まで犯されているようだった。
離れたくないと言わんばかりに、殊更ゆっくりと唇が離れていく。銀時はまともに立っていることもできず、彼に寄り掛かるような姿勢になった。
「はぁ、…ぁ、ふぅ…たか、すぎ…?」
今度は正面から抱き締められる。先ほどよりも少し力強いそれに、銀時は少しの痛みを感じながら、彼がここへ来た理由、こんなことをする理由を考えていた。
だが、最初から結論はわかっていた。
『……もう、こうでもしねえと…会えねえってのか?』
何を今更と、銀時は自嘲気味に笑った。道を違えておきながら、普通に会い、会話をするなど出来るわけがない。その道を選んだのは俺たちだ。
それでも、現実ではない場所でなら。
この小さな小さな桃源郷の中でなら。
許してはもらえないだろうか。
そんな願いを込めながら、銀時は彼を抱きしめ返す。傷の痛みは、桜に攫われて消えていった。
外から見ればそれなりの時間抱き締めあっていた二人だが、当人たちにとっては一瞬だった。
現実と桃源郷では、時間の進みが違うらしい。
やがて、完全に体が離れた。
未だ視界が閉ざされている銀時は
もう、彼がどこにいるのかわからない。
「………たかす、ぎ……」
引き止めてはいけないとわかっていても、つい声を発してしまった。
姿を見ればいいものの、何故か視界を覆う布を外す、という思考には至らなかった。
「……………しんすけ……」
殆ど吐息のような音で、彼の名を読んだ。
昔のように。
それでも、返事はなかった。
もう彼は、現実へ戻ってしまったのかもしれない。
そう思った時だった。
「……っ、」
両の頬を柔らかなもので包まれ、額に固いものがコツンと当たった。
彼の吐息が、すぐ側で聞こえる。
「………ん。」
触れるだけの口づけ。先ほどの行為のせいか、少し温かい。
ややあって唇が離れ、名残惜しげに頬を撫でられた。
そして、何かが触れていた感触が全て消え去った時、今度こそ彼の気配は消えてしまった。
銀時は思い出したように、視界を元に戻そうと目元に手をやった。
覆っていた布を外して、久しぶりに世界を見る。
先ほどよりも少しだけ、世界がはっきり見えた気がした。
「…アイツ、これ置いていきやがった…」
手にしているのは、目を覆っていた布。真っ白い包帯のようだ。
そういえば今の彼は、いつも身に着けている。
そのせいだろう。彼の香りが、強く染み込んでいた。
「………帰るか」
銀時はその包帯を大事そうに懐へしまい、現実へ帰ろうと足を踏み出した。
彼らが次に会うときはいつだろう。
その頃には、香りが消えているのだろうか。
それとも。