距離は近いけど付き合ってない幼なじみの環壮「……ふふ、なつかしいな」
聞き慣れた声に、最初に耳が起きた。次に鼻。春の風とコーヒーの匂い。感覚をあっちこっちくすぐられて、俺はやっと目を覚ました。ぼんやりした視界で見慣れた背中が楽しそうに揺れてる。
また俺の部屋でコーヒー飲んでんな。勝手に窓開けてるし。
「……鼻むずむずする……」
「あ、おはよう」
「さみー……窓閉めて……」
「環くんもコーヒー飲む?」
噛み合わない会話は毎朝のこと。変わらない優しい笑顔も、いつものこと。
二度寝はあきらめて、くわあ、欠伸と背伸び。びょん、足が布団とベッドから飛び出した。ガキの頃から使ってるベッドはもう俺には小さい。昔はここでそーちゃんと二人で寝られたのに。
「なあ、ベッド座んのやめろって」
「どうして?」
「……どーしても。次やったら……」
「やったら?」
そんなきらっきらな目でこっち見んな。襲うぞ、ばか。
「なんでもない。つーか、いつ来てたん? 全然気づかなかった」
「よく寝てたもんね。また夜更かししたの?」
「オンライン対戦してた」
カップが机に置いてあるのが見えたから、俺はその腰に腕を回した。ぎゅって抱きついて、薄っぺらな脇腹に顔を埋める。そーちゃんの手が俺の頭を撫でた。
「寝ぼけてる?」
「んー」
目は覚めたけど、そーゆーことにしとく。そーちゃんは、ねぼすけで甘えんぼな俺が好きだって知ってるから。
「ねえ環くん、今日は学校いいの?」
「なんかの振り替えで休み。そーちゃんこそガッコ行かねーの」
「今日は午後から」
「あーあ、大学生は気楽でいいよな」
「君だって来年には大学生だろう。僕と同じところ受けるって言ってたじゃないか。受験勉強頑張ってる?」
「まーまー。ぼちぼち」
「環くんはやればできる子なんだからね。僕、信じて待ってるんだよ」
「……ぜってー行くから、待ってて」
「うん。大学のカフェのテラス席で、一緒にお昼ご飯食べようね」
「ん」
「にしても、環くんがもう大学生だなんて、なんだか感慨深いな。こんなに小さな頃から君を知ってるのに」
そーちゃんの視線が前を向く。そーいや何見て笑ってたんだろ。
少しだけ頭を上げると、テレビには昔の俺らが映ってた。また昔のビデオ見てたのか。
「そおちゃ、まって、っ……う、わぁぁぁん!」
「たまきくん、なかないで。いいこ、いいこ。ね、だいじょうぶだよ」
べたんって派手に転んだ俺。駆け寄ってくちっちゃいそーちゃん。げ、昔の俺、膝から血ぃ出てんじゃん。つーかこれ全然覚えてねー。
「いたそ……」
「ふふ。君はこの頃から血が苦手だったよね」
これは一生克服できる気がしない。する気もないけど。
「君が転んだ時はいつも僕が手当てしてあげてたっけ。ハンカチとティッシュと絆創膏、いつもポケットに入ってるよ。あの頃も、今も」
「……もう転ばねーし」
「この前バイクで転んだって言って帰ってきたじゃないか。全身血だらけで」
「ちょっと膝と腕擦りむいただけだって。それに、あんなケガならバンソーコーじゃどうにもなんねぇだろ」
バンソーコーだらけになった自分の腕を想像してふはって笑ったら、そーちゃんは真面目な顔して俺を見下ろした。
「心配してるんだよ。君を一生守るって、君のお母さんと約束したんだ」
そんな、ガキの時の約束。そーちゃんだって小学生になったばっかぐらいだったのに。俺だって覚えてないのに。
「……じゃあお嫁さんにして」
「お嫁さん?」
くすくす笑うけど、俺は本気だかんな。ずっとずっと、そーちゃんだけに本気だから。
「そーちゃんがお嫁さんに来てくれてもいーよ」
「え、ぼくが?」
「今度は俺がそーちゃんのこと守ってやる。俺だって、いつまでも守られてるだけのガキじゃねーから。転んだって一人で立ち上がれるし、そんぐらいで泣いたりしない」
「……血は怖いのにね」
そーちゃんは不器用だ。でも、俺は知ってる。目を逸らしてぼそって呟く時は、嬉しくて、ちょっと恥ずかしい時。
「朝ごはん一緒に食べよーよ、そーちゃん」
「うん」
「起こして」
「……もう……」
仕方ないなぁって伸ばされた手を掴んで、起き上がるフリして思いっきり引っ張る。油断してたのか、そーちゃんは俺の胸に顔から突っ込んできて、痛いじゃないかってプリプリ怒った。こんなイタズラしょっちゅうしてんのに、簡単に引っかかるとこも好き。内緒だけど。
並んで寝転んだベッドは、やっぱ狭かった。
「あー、二度寝したい」
「休みだからってダラダラしないの」
親代わりのつもりなのか、この人の口から出るのは小言ばっかだけど、それもあんま嫌いじゃない。
「ピザトースト作ってあげるから」
「やった。じゃあ俺たまごスープ作る」
「本当? 嬉しい。環くんのたまごスープ久しぶりだよね。ずっと食べたかったんだ」
「言えよ。そーちゃんにならいつでも作んのに」
「……うん」
起き上がって、照れたみたいに目を伏せる。くそ、抱きしめたい。
「じゃあ僕、先に下に行ってるね。もう寝たら駄目だよ」
「んー」
部屋のドアが開いて、窓から入ってきた風みたいにそーちゃんが足音もなく出てった。甘くて優しい残り香に、ぎゅって膝を抱える。
俺の初恋はあのひと。しかも、現在進行形。素直じゃねーのにわかりやすくて、かわいくてかっこいい、俺の大切な幼なじみ。