日下部さんに起こしてもらう話 肩を強く揺すられ何度も名前を呼ばれている気配に意識が浮上し始める。徐々に意識と身体感覚が結びつき、目をうっすらと開けると意外な人物が私を覗き込んでいた。
「――やっと起きたか」
「日下部、さん……?」
身を起こすと日下部さんに抱きかかえられていたようで、私は状況が分からず混乱する。
「怪我はないか?」
問われるままに自分の身体を見回した。怪我はない。更に辺りに視線を漂わせた。ガランとした空間だ。断熱材や配線が剥き出しの内壁に、部屋の片隅には手付かずの資材が積み上げられている。そうだ、私は。
「任務が終わってから寝ちゃったんだ」
寝ぼけた頭が徐々に動き出し、意識が途切れる直前の記憶を取り戻す。建築途中のビル内に発生した呪霊の祓除任務にあたっていたのだった。
「現場で寝こけるなよ、危ねえな」
呆れた様子の日下部さんの言葉に返す言葉もない。気まずさから私は話題を変える。
「ところで日下部さんはどうしてこちらに?」
私と日下部さんとあまり接点がなかったが、それでも日下部さんが任務に出たがらないということは知っている。だからこそ高専の教師をやっているのだろうし。待機の術師なら他にもいたはずだから、わざわざ日下部さんがこちらに出張ってくる理由が解らなかった。
「お前んとこの補助官から連絡があったんだよ」
何でも、祓除完了の報告を受けてる最中に通話が途切れたため、慌てふためいた補助監督官が高専に連絡してしまったらしい。その際に何か有事があっては困ると私より等級が上の一級術師にお呼びがかかったが、幸か不幸か待機している術師の中には一級がおらず、教壇に立っていた日下部さんにお鉢が回ってしまったというのだ。
「そんで呼び出されて来てみりゃ、お前が寝てるだけだったと」
「す、すみません……」
私は身を縮めた。申し訳なさで消えてなくなりたいくらいだ。
「別に怒っちゃいねえ。で、寝ちまったのは呪霊の影響か?」
「いえ、私の術式の縛りでして」
私の術式は貯金するように常日頃から呪力を蓄えておけるというものだ。戦闘時は貯めた呪力で身体を強化して戦うスタイルだが、呪力消費が激しすぎるとろくに強化ができなくなる。そうなると祓除に支障が出るので、その場合は未来の自分から呪力を前借りできるように縛りを課している。未来の自分の活動時間を呪力に変換するということだ。つまり限界を超えると問答無用で意識を失ってしまうのだ。
今回は立て続けに任務にあたっていたのと、この建物に発生した呪霊が厄介なものだったため前借りをせずにはいられなかった。何とか祓うことは出来たものの報告すらこなすことなく限界を迎えてしまったようだ。
事情を説明すると、日下部さんは「……まあ怪我がないのは良かったが」と歯切れ悪そうに口にした。
準一級術師が任務中に通信途絶との通報で駆けつけてみれば、当の本人は現場で居眠りしていただけなのだから口にはせずとも言いたいこともあるだろう。お叱りの言葉を覚悟していた私だが、続いたのは別の言葉だった。
「詰め込みすぎなんじゃねーの、任務」
「え」
「いくら人手不足つったって、ぶっ倒れるまで任務こなすこたねえだろ。それとも断れなかったのか?」
呪術界の繁忙期は術師の不足も相まって、目の回るような忙しさだ。確かに断りづらいところはある。とはいえ今回は、そういった事情は関係ない。
「……お恥ずかしい話、単純に自分の実力を過信しまして……」
呪霊の等級、件数を勘案して呪力のペース配分に気を使っていたつもりだったが、見誤っていたらしい。情けない話だ。
「過信、ねえ」
日下部さんは何か引っかかるのか首を捻っていたが、まあいいや、と溢すなり私の背中と膝下に手を差し込むと突然持ち上げた。
「ちょちょ、ちょっと何してるんですか!?」
「何もなにも帰るんでしょうが。それともここに泊まりたいのか?」
「いや自分で歩けますから降ろしてください!」
「つっても、まだ本調子じゃねえだろ? 俺が休憩中に途中で起こしちまったんだから」
「歩けるくらいには回復してますから……!」
「このやりとりが面倒くせえ。このまま行くぞ」
「ええ……」
私の意見を一切無視した日下部さんが、私を抱えたまま建物の玄関に向かう。その際、日下部さんの靴が何かを蹴り転がして、ころころと転がっていった。
それは日下部さんがいつも舐めている棒付きキャンディーで、私には何故そんなものが転がっているのか解らなかった。
ただキャンディーの鮮やかな色味だけが視界にこびり付いて、なかなか離れなかった。