伊さんの誕生日をお祝いする話伊地知さんの誕生日
4月は我らが伊地知くんの誕生月である……のだが、素直にお祝い出来るかといえばそうは問屋が卸さない。
多忙極まる新年度。
息つく暇もなく舞い込む書類や各所への根回し、現場への移動でおおわらわだ。
そのうえ、新任の補助監督の面倒もみなくてはならず、伊地知くん自身の業務は後回しになりがちだ。
それを処理するためには残業、休日出勤当たり前。
とてもじゃないが気軽に飲みに行こうと誘えたものではない。
同じく年度を新しくしたとはいえ、呪術師の繁忙期は少しズレる。
さらに多くの術師は学生時代から任務にあたるため、新人の教育を行うのは一年担当の教師だ。
なので私は割と身軽なのだが、恋人とろくに会話も交わせない日々が続いている。
不満がないとは言えない。
伊地知くんが女性の新人さんに親身になって丁寧に指導する姿を見て、思うところがないわけでもない。
でもそれは結局、将来的に伊地知くんの負担を軽減させるための先行投資だとちゃんと理解している。
人員が育てば、伊地知くんの業務を分担させられるようになるわけだから。
その結果、伊地知くんが新人さんの心を射止めてしまっては困るが、無理な勤務を続けて身体を壊されるほうが遥かに困る。
それに、なり手の少なく、離脱者が後をたたない呪術界では人材は貴重だ。
最近の伊地知くん、私より新人さんと一緒にいる時間のほうが長いよなあ、なんて後ろ向きな思考は見ないふりをしなくてはならない。
ここは北風と太陽よろしく、大らかな心を持たなければ。
これでもし私が新人さんに冷たくあたろうものなら、新人さんが伊地知くんに相談することになり2人の仲を縮めてしまう。
反対に新人さんと積極的にコミュニケーションをとり、相談できる人間は伊地知くん以外にもいるのだと気付かせられれば、過度に2人の距離を縮めさせずにすむのだ。
ささやかな抵抗だが、円滑な人間関係を築いておいて損はない。
それはきっと新人さんの成長にも繋がり、間接的に私も伊地知くんのお手伝いをしていることになるんじゃないだろうか。
プライベートを除けば、私が伊地知くんにしてあげられることは少ない。
術師は補助監督にサポートしてもらうことはあっても逆にサポートすることは出来ない。
いや中には出来るものもいるかもしれない。
けれど私はデスクワークはさっぱりの門外漢だ。
足を引っ張ってしまう。
ともあれ、そろそろ誕生日だ。
プレゼントを渡すのはもちろんのこと、少しでも心安らかにすごしてほしい。
そのために私が出来ることはないだろうか。
私が思案していると、ふと視線の先に五条にウザ絡みされている伊地知くんを発見した。
執拗にまとわりつかれて実に迷惑そうだ。
私が伊地知くんに出来ることを見つけた気がした。
「五条、これあげる」
そう言いながら私が差し出したのは季節限定の地方銘菓である。
「え、何これ。どういう風の吹き回し?」
春めいた桜風味の和菓子を受け取った五条はきょとんとしている。
「好きでしょ、それ」
「まあ好きだし、そろそろ食べたいなとは思ってたけど」
「出張先でたまたま見つけて食べたくなったからさ、ついでに」
たまたま、ではない。
ついででもない。
任務後にわざわざ店舗に出向き購入したものだ。
そんなことは気にも留めなかったらしい五条は「あ、そう。ま、貰えるなら貰うけどね」と機嫌良く去っていった。
私は内心でガッツポーズを決めた。
これが私なりに考えた〝こっそり伊地知くんを手伝おう作戦〟である。
補助監督の通常業務を手伝うのは私には難しい。
ならば、伊地知くん個人が担っている特別な業務を肩代わりし、その負担を減らすことなら私にも出来るんじゃないかと考えたのだ。
まあ平たく言ってしまえば、五条のお守りである。
暇を持て余せば伊地知くんにウザ絡みし、口が寂しくなれば甘味を要求する。
五条にしてみれば些細な行動も、激務の伊地知くんにしてみれば負担以外のなにものでもない。
学生時代からの付き合いだからか、なぜか五条担当扱いされている伊地知くんだが、付き合いの長さだけで言うなら私だってそう違わない。
伊地知くんのような細やかな気配りは出来ずとも、多少は五条の好みや性格も把握している。
私にも任務があるため、ずっと五条に張り付いてるわけにはいかないが、新人さんが仕事を覚え独り立ちするまでの間くらいは気を逸らしておけるはずだ。
そうして私は、任務のたびに五条好みの甘味を収集し、五条が暇してそうなら話しかけにいった。
その甲斐あってか、伊地知くんの仕事ぶりは例年よりも落ち着いているように見えた。
ほら、今だって正面から歩いてくる伊地知くんはタブレットを操作しているわけでも、誰かと連絡を取り合っているわけではない。
移動時間にまでタスクをこなさなければならないほどの業務を抱えていないということだ。
この時間にそれだけの余裕があるのならば、このあと飲みに誘えるかもしれない。
けどその割には顔色の悪さが気にかかった。
「伊地知くん!」
私が声をかけると伊地知くんはこちらに気づいて駆け寄ってきた。
「ちょうど良かった! あの、今お時間大丈夫ですか……?」
深刻な口ぶりだった。
意表をつかれた私は、追加の任務が重めな内容なのだろうかとあたりをつけながら伊地知くんに促されて空き教室に入った。
久々の会話が陰鬱なものでも、会話は会話である。
内心で浮き足立ちながら、表に出ないように抑えて伊地知くんの話を待った。
「……あの、これは言い訳になってしまうかもしれないんですが……」
おや? と思った。
話の切り出し方が予想していたものと違う。
「その、……忙しさを理由にあまり会えてませんし、あなたの優しさに甘えて寂しい思いをさせてしまっているなと思ってます」
待って待って何の話?
項垂れる伊地知くんに私は混乱した。
「わ、私が悪いのは解ってるんです。ろくに満足させられていないんですから。でもっ、……五条さんに、近づくのは、やめてもらえません、か……?」
それならいっそ別れてもらったほうが気が楽です、とまで言われて私はようやく気づいた。
伊地知くんが大変な誤解をしていて、今まさに別れ話が切り出されているということに。
どうやら伊地知くんの負担を減らそうと五条をブロックしようとしていたのが、側から見たらアプローチをかけているように見えたらしい。
これはとんでもない誤算である。
私は伊地知くんを少しでも楽させてあげたかっただけなのに。
伊地知くんに捨てられた子犬みたいな表情をさせたかったわけじゃないのに。
「伊地知くん。傷つけちゃったのならごめん。でも私は五条をつかって当てつけようとか、五条に乗り換えようとか思ってたわけじゃなくてね……?」
私は伊地知くんの両手を握って、出来る限り誠実に私の行動を説明した。
伊地知くんの負担を減らしたかったこと。
そのために五条を引き受けようと思ったこと。
全ては伊地知くんが大切だからこそ行ったことだ。
これで誤解が解けなかったら2人の関係はここで終わってしまう。
そんな間抜けな結末だけは絶対に嫌だ。
私の熱意が伝わったのか伊地知くんの表情から力が抜けた。
「……わ、私のため、だったんですか……?」
「これ以上ない名案だと思ったんだよ。私にも出来ることがあったんだって」
「疑ってしまって、すみません……」
「あー、謝らなくていいから! 紛らわしいことした私も悪いから! だから別れたほうが楽なんて言わないで?」
後半は涙声になってしまって慌てて伊地知くんに抱きついた。
伊地知くんの手も背中に回った。
「はい……! 別れたくありません!」
私は伊地知くんの耳に口元を寄せた。
「誕生日おめでと」
「ありがとうございます……!」
私たちはしばらくそうして抱き合っていた。
ちなみに、こちらも誤解されてたら堪らないと五条に弁解しに行ったところ。
五条は私の思惑を察知していたらしい。
にも関わらず気付いてないふりをしていたのは、私が五条と接するたびに遠巻きに眺めていた伊地知くんが悲しげで面白かったからだと白状した。
全て理解していて、意図的に伊地知くんには黙っていたというのだ。
急募、無下限の解き方。
いつか殴る。絶対に。