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    itono_pi1ka1

    @itono_pi1ka1
    だいたい🕊️師弟の話。ここは捏造CP二次創作(リバテバリバ)も含むので閲覧注意。

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    itono_pi1ka1

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    やくもくエンディング後の世界で族長になった老リーバルがテバを思い出してわりと元気にやってる話。
    ※捏造200%
    ※モブキャラがたくさん喋る。

    ##リト師弟
    ##リ
    #ゼルダの伝説
    theLegendOfZelda

    揺り椅子のぐぜり唄「俺にとって、やはりあなたは遠い遠い空をく人なのです」

     そう言って微笑む男に、僕はポカンと嘴を開けてその顔を見つめ返してしまった。その男とはもうずいぶん前に別れたっきりで、もう会うこともない筈だったからだ。思い出すのも久しぶりだ。死人というわけではない。もしかしたら死んでいるかもしれないが、そうだとして、僕にはその死んだか生きているかという事実を知る術さえもがまったくない、そういう境遇にある存在だった。
     もう一度その男は僕の方を向いて言った。

    「俺にとって、やはりあなたは遠い遠い空をく人なのです」

     台本通りの舞台劇、あるいは詩歌のレコードを再生するように、男は同じ言葉を繰り返した。
     男の白い冠羽が風にぷわりと揺れる。そのなびき方に僕はひどく見覚えがある。
     僕たちの世界が決してたどり着けない遠くみらいへとかけていってしまうのは君の方じゃないかと文句を言いたくっても、その遠さがあるからこそ僕はこの男がひどく優しく笑っている顔を見ることができていて、喉は詰まったふりを続けている。びゅうびゅう風に翡翠が揺れるだけ。

     そこで僕は理解した──これは“夢”なのだ。

     そうと思い出すと急に辺りの景色が鮮明になる。火がある。ぱちぱちと音を立て夜闇に憩いの空間を作っている。弓がある。ここは戦士のねぐらで、傍らには仲間の血をぬぐってやった布と煤に塗れた皮鎧の切れ端がある。外にはいつでも吹雪と気流が荒ぶ谷があって、その晩は特に、風が強く吹き込む日だった。
     大きな戦いがあった、巣に戻れぬ鳥がいた、敵を打ち砕くもその羽根だけを持って帰った戦士が今ここに二人いた。朝日のように白い羽根のリトの男と、僕だ。彼は世にある奇跡か不思議か女神の啓示かで、僕の生きる今より100年先の時代から、この世界ハイラル未曾有の危機──魔族を率いる厄災の王ガノンの復活を阻止するために、時を羽ばたき翔け戻って現れた勇敢なる使者だった。厄災の手勢と戦っていた僕は、彼の名も知らぬままに彼に助けられて大厄災復活の窮地を生き延び、また彼を伴ってその大いなる戦いの決着をつけるために翔け回っていた。
     あの男が未来で戦士として名を馳せているらしい僕に向ける眼差しは、憧憬と克己心、それから少しの大人ぶった引け目で決まっていて。戦友、恩人、後輩。あのどこを取っても型破りの男との関係性の名前が、どれが正しかったのかは結局分からなかった。
     これは、そんな異邦人が僕の隣にいた最後の記憶の夢だ。

     ──唄をうたっている。下手くそな唄だ。それが自分の喉から出ている音だというのが嫌になるくらいに下手くそだ。

    「どうかリーバル様も、長生きしてくださいね。それできっと、俺みたいな奴にあんたの物語を聞かせてやってください」

     びゅうびゅう風に吹かれた僕の髪留めがからころ鳴ると、男の白い冠羽がぷわりぷわりと揺れるのだ。風はいつもそうやって、かつての僕達の時間を彩っていた。今じゃもう翡翠の鳴る音は聞こえない。風は止んでしまった。いや、吹いているかもしれないが、今は僕の方がそれに乗れなくなってしまった。
     だから、夢だ。翡翠が鳴るのも、ぷわぷわ白い羽根が揺らぐのも。僕はこの男が後に続ける言葉を知っている。
    「いつか俺がいなくなっても、俺のことを覚えていて貰えたらそれほど光栄なことはありません」
     なあんて言いやがるこの男は、それがどんなに寂しい重みを抱えることかも知っていて、
    「もちろん、忘れてくださっても構いませんよ」
     と賢そうに続けるに決まっているのだから──だから、続きを聞かない為に僕はがらがら声で下手くそな唄をうたってやったのだ。
     何もかも同じだ。別れる前の最後の晩、ハイラルを救う決戦が始まる前の最後の夜に交わした会話がそっくりそのまま繰り返されている。嗄声で聞こえづらい僕の下手くそな唄までもが全部同じ。

     ──どうして今になってこんな夢を見る。

     上手なうたい方も、綺麗な唄も幾つも知っていた。けれども下手くそにうたってやろうとしたのはこれが初めてのことだったから、下手な唄のレパートリーはそのときの一つきりで、いつまでも上達しない鼻唄がしみついてしまった。
     本当に唄が下手なのか、本当は唄が上手なのか、知る奴もいなくなるくらいに。

     ──君のせいだぞ。

     そう詰ってやりたくても喉からは下手くそな唄しかでてこない。あの時の僕はそれ以上に伝える言葉を持たなかった。記憶通りの夢、ままならないままの夢だ。唄っている限りはきっとあの白い姿が見える。だが歌を止めてしまえば、このまやかしは掻き消える。
     だから。だから僕は──……。
     
    「──リーバル様」
     
     はっと目をあけた。ぱちぱちと瞬きを繰り返して、リーバルは自分が眠っていたことを自覚した。ここはどこだ。窓の向こうの青白い空はヘブラの澄んだ晴れ空、耳をくすぐる風は故郷のリトの村のもの。慣れ親しんだ風景に対して、今居るのは籠のように開放的なリトの家屋よりも、ハイリア人の作る家屋のように箱の形をした部屋だ。少し気が詰まる。
     息を吸って身動ぎした拍子に、長年書類仕事に愛用してきた羽ペンが床に転がり落ちる。手を伸ばそうとして、ぎいと座っていた椅子が軋んだ音をたてて揺れたのに驚いて一瞬手を引っ込めた。すると他所から別の手がそのペンに向かって伸びてきた。

    「おや、起こしてしまいましたか」

     声につられて顔を上げると、すみませんと頭を下げた壮年のリトの男が、そのまま足元の羽ペンを拾い上げてリーバルの横のデスクに置いた。リトの文様があしらわれた広いデスク上にはペン立てと書類箱、子供たちが置いていった千日紅の花冠ドライフラワー、そして背後の壁に飾られたオオワシの弓がよく磨かれた机の天板に映り込んでいる。
     ここは自分の執務室だ。立っているどころか揺り椅子に揺られている。半開きになっていた嘴は夢の中の若々しい自分と違って黄みが薄くなった色をしている。

     ──じゃあ、名前を呼んだのは誰だ。

     まだ頭がぼんやりしている。自分のことと今居る場所の判別はついたが、そこから先がちっとも靄が晴れない。ぼうっと瞬く視線の先で、さっきのリトの男がまた嘴を開く。

    「“族長様”、今日はご体調がよろしいようですね」
    「ん、あ……何、なんだって?」

     すっと通る声に呼ばれて気を取り戻す。誰のことだ、とまでは嘴に出さずに何とかこらえた。もごもごと嘴の中には言葉を閉じ込めている間に意識がはっきりしてくる。
    「“族長様”の、ご体調が、よろしいようで、何よりです、と申し上げました」
     もう一度、壮年のリトの男が同じ言葉を今度はゆっくり一言ずつ区切って言った。それでリーバルはようやくこの男のことを思い出した。──彼は僕が選んだ側近だ。の仕事を補佐してもらうための。

    「お目覚めですか?」

     気遣わしげに顔を覗き込まれて、これにはリーバルもすっかりと自分の過失を白状せざるを得なかった。だがまさか側近の顔を忘れていたなんて方を言うわけにはいかない。

    「今、ちゃんと起きた……」

     なんとかそれだけ渋面を作って言うと、側近はほっと息をついてから「別に責めるつもりじゃありませんよ」とくすくす笑った。

    「揺り椅子でうたた寝をするほど、今日の族長様はリラックスしておいでだ。いつもそのくらい気を抜いていただける方が、私たちは安心しますよ」
    「……悪い、寝るつもりじゃなかったんだけどな」
    「急ぎの仕事は無い筈です。そのままお休みになられてもらっても構いませんが」
    「いや、流石に起きるよ……まだ昼間だろう、やれることは沢山ある」

     かぶりを振って眠気を払う。側近からは物言いたげなじっとりとした視線が向けられたが、無視して伸びをすると諦めたようなため息が聞こえてきた。
     かつて英傑と呼ばれて厄災との戦いに参じていたリーバルは今や、リト族達を取りまとめる族長をしている。日々は村の内側でリトの民たちの相談事が書きならべられた書類や役人たちと顔つき合わせて過ごし、戦場に生きる戦士の仕事をしなくなってからもう長い。今のリーバルが弓を握り空を羽ばたく戦士らしいことをするのは、訓練場で技能向上に励む後進の戦士達の指導をするときくらいのものだ。怪我や病に取り付かれたことは幸いにも無いが、同胞たちに前線に出るのを止められるほどには身体はずいぶんと衰えた。

    「族長様は、お一人で仕事を抱え過ぎなのですよ。休んでくださいと申し上げてもいつもいつも仕事をして……お仕えしている私どもの立場がありません、聞いておられますか族長様……リーバル様!」
    「聞いてる聞いてる」
    「またそうやってはぐらかして……」

     ケンケンと名前を呼ぶ側近はリーバルの側で仕事を始めてもう七年になる男だ。側仕えとしては今までで一番長く働いているので、世界を救った英傑でリトの族長であるリーバルに対しても物怖じしない嘴をきくのが、リーバルは気に入っている。何せいつもリーバルの側仕えになるリトというリトは、一、二年で“卒業”していくことが多い。リーバルの暇に飽かせた“指導”によって、事務仕事よりも戦士としての実力の方が抜きんでてしまうせいだ。
     族長の仕事を引き継いでから嘴々くちぐちに誰か一人くらいは常に側仕えに置いてくださいと言われるものだから、しぶしぶあの頃に出会った誰にも似ていないヤツを選んでいったら、いつも自分に似て皮肉っぽい男が残ってしまうのだ。そしてリーバルに似ている男というのは大抵が向上心にあふれすぎた戦士であることが多いので、“卒業”のサイクルも早くなる。毎度弓の腕だの翼の腕だのくちを出してしまうリーバルもリーバルだが、そんな戦士を側近にあてがう方も方だ。何人かは戦士として育てるためにわざと寄越してきていた気配もあった。
     今の側近は、珍しく戦士でもないのにリーバルの側仕えを希望した者だ。既に妻子のも独り立ちをした年頃の男で、元々の職も事務方だったので仕事を覚えるのも早かった。それでリーバルもお節介を言う必要がなく、長く側仕えの仕事が続いている。
     ──ちゃんと、覚えてる。まだ耄碌はしてないぞ。
     リーバル様、なんて仰々しい呼ばれ方をされるにも何十年と続いて慣れた。リーバルにとって同胞からその呼ばれ方をするのは、たった一人を指す符号ではなくなったのだ。それは少なくとも自分の心に安寧をもたらしている。

    「ところで……仕事はどうなってる?さっきまで見てた筈の書類が見当たらないんだけど……」

     尋ねると側近は「せっかくリーバル様がお休みになってくださっていましたから、今日の分はとっとと締め切ってしまいました」と澄ました顔で言った。

    「何だって?」

     リーバルはデスクの引き出しを漁ろうとしていた手を止めて、側近の方を振り向いた。

    「たしか、僕が居眠りする前には三つくらい会議の必要な案件書類があった気がしたんだけど」
    「あれくらいの案件なら、他の者でも判断がつきます。形式として“族長様”の認印が要るってだけです、ハンコを押すだけなら私でも十分でしょう。どうせ誰も気付きゃしませんよ」

     側近の言葉にリーバルは深々とため息をついた。

    「君は普段は真面目なのに、時々そういう仕事をするよねえ……」 
    「効率的で機転が利くと仰ってください」

     悪びれない側近に、はいはいとリーバルは呆れて空になった書類箱の蓋を閉じた。自信家で理屈っぽくよく回る嘴は、やはり若い頃の自分に似ている。そのせいかこの側近は度々リーバルの考えていることを先回りして手を出してくる。実際にそれで助かった仕事も多いので、一概に悪いとも言えない。

    「仕事が無いならどうしようか……村の様子でも見て来るかな」

     揺り椅子の背から身を起こして、後ろ髪を掬いあげながら寝癖の有無を確認する。髪束を四つも細く編むのは指先が上手く動かなくなってから止めてしまった、もう十年は昔だ。今は頭の後ろに一つだけ翡翠の髪留めが揺れている。
     最後に部屋置きの姿鏡の前に立って、身だしなみをチェックする。執務室をハイリア式の箱部屋にした一番の理由が、この鏡だ。いつでも風が吹き通るリトの家屋では、物がぶつかったり鏡そのものが倒れたりして、鏡面が破損してしまう危険が高い。そのためリト族達が自分の身なりを確かめる時は、湖の岸辺で水面に自分を映すか、近しい同居人に見てもらうかの二つになる。
     だが、リーバルが思うに身だしなみというのは、他人に見られる前に整えたいものなのだ。
     風と共に生きるリトの家屋の良さを否定するわけではないが、鏡の無い生活──毎朝、湖まで出かけたり他人の目を借りたりしなければならないのは不便窮まる。
     この姿鏡はリーバルが強く要望を出して執務室に確保したものである。居眠り明けの本日も、鏡に映る自分は問題なく恰好いい。よし、と頷いてリーバルは元の椅子に腰を下ろした。
     そんなリーバルを見守っていた側近が、そうだ、と何か思い付いたように嘴を開いた。

    「お時間があるなら、歌劇でも観に行かれてはいかがですか?」
    「……どうしたの、急に?」
    「いや何、先ほどのうたた寝中に、何やら詩を嘴ずさんでいらしたようでしたので」

     思わずリーバルは嘴元くちもとに手をやった。湿った感触は無いことにほっと息をついて、さっき鏡で確認した筈なのに真っ先にそんな心配をする自分に老いを感じ、がっくりと肩を落とす。

    「僕もくちがゆるくなったなあ……」
    「涎は垂れてませんでしたから、ご安心を」
    「そこまでのない老人になっちゃあ、族長の仕事なんて放りだしてとっとと人目に付かないように隠居するよ」
    「私どもとしましては、最後までお傍でお世話をさせて頂ける方が嬉しいのですがね」
    「冗談。……僕は歌劇の類は苦手なんだ、空想よりももっと凄い体験をしたからね」

     本当は歌劇が苦手なのではなく、昨今歌劇や小説の題目として当然のようにどこへ行っても耳にする伝説の物語を聞くことが億劫でならないのだが、リーバルはあえて言わなかった。

     ──あの戦いの物語には必ず……あの男が出て来るから。

     そんなリーバルの心情を知らぬまま、側近はがっかりとしたように肩を竦めて言う。

    「それは残念です。とはいえ、歌劇をおすすめしたのはそれだけが理由ではないんですがね」
    「なんだい、何かあるの?」
    「実は、私の甥は役者の端くれでして、その甥が今度、城下町の中央劇場で取り行う公演で大きな役を貰ったそうなんですよ。それで、ぜひとも宣伝してくれと言われてましてね」
    「そりゃ凄い。めでたいことじゃないか。城下町の看板公演と言ったら、王家のお抱えの劇団だろう?いっつも満員御礼で、貴族だってなかなか良い席が取れないって噂じゃないか」
    「ええ。それも、厄災伝説の劇でリトの戦士の役をするそうなんです」
    「ああ……僕らの戦いの話ね……」

     ますますリーバルは億劫になった。世間でもてはやされる伝説の物語、ハイラル王家と厄災ガノンの衝突の歴史のなかでも最も新しい大厄災の戦いをベースにしたフィクション。数十年も昔に起こった奇跡まみれの戦争は、今や大衆の娯楽の物語へと変わったのだ。
     そしてそれこそは、リーバルが世の劇や小説を倦むようになった原因そのものでもある。

     ──とはいえ、別にそうと公言してるわけじゃないからなあ。

     善意で誘ってくれた側近に落ち度はない。だが何とはなしに悪い予感がするだけだ。
     気を取り直して、リーバルは努めて表情を取り繕って話のつづきを促した。

    「何、その甥っ子とやらが僕の役でもするって?」
    「いえ、そんな滅相も無い。甥はの役をするそうですよ。珍しいを見込まれてスカウトされたようです。白い羽根は、ちょっとやそっとの化粧では再現できませんし、テバ様の伝説には朝日か白雲のように白い羽根が欠かせませんからね」
    「……テバ」

     呟いてリーバルは沈黙した。ちょうど頭から追い払おうとしていた考えが先回りして目の前に現れた。悪い予感がすぐに追いついてきたみたいだ。夢が現実を予知したのか、現実が夢を呼び寄せたのか。

    「ご興味が湧きましたか?」
    「……何も、言ってないだろう。そもそもそんな人気の劇じゃ、今から席を取ろうったって無理だよ」 
    「チケットならここにありますよ?」

     ひらりと側近が手を振り上げる。見れば、その手には『中央劇場』の文字が印刷された歌劇のチケットらしき紙切れが確かに握られている。リーバルは一周まわって感嘆の息をついた。

    「なんでそんなタイミングよく持ってるんだ……」
    「貰い物ですよ」
    「貰い物?その甥っ子からかい?」
    「はい。甥もかつては英傑様方に憧れて戦士の訓練を受けた身でしたからねえ。私が今リーバル様のお側で仕事をしていると言ったら『ぜひとも英傑様ご本人に観ていただきたいからお誘いしてくれ』と、送り付けてきたんですよ」

     わざわざ自腹で、と側近は何故か声をひそめて言った。平穏が長く続いて人々の生活が豊かになったとはいえ、大きな劇場での舞台公演の観覧チケットは決して安いものではない。かなりの肝いりの話のようだ。若者への少しの同情心からリーバルはもう少し話を聞く気になった。

    「それ、いつやるの?」
    「なんと午後公演で、今時分から村を出ればちょうど開演に間に合います」
    「はあ?今から?」

     思わず顔をあげると、側近はしたり笑みを浮かべて「今日はちょうどがあるようですし、これも女神様の思し召しかもしれませんよ?」などと言っている。

    「……君、僕が居眠りをしなくっても、始めから僕にその舞台を観に行かせるつもりで仕事を無くしたろ?」
    「はは、伝説の生き証人にして偉大な族長様のリーバル様が観劇に来るとあれば、あのボンクラの甥の身にも活が入るかと思いまして」
    「まったく食えない奴だな君は……」
    「とはいえ私も、まさか族長様との仕事中にこんなお話をする機会にめぐり合うとは思ってもみませんでしたから、これでも驚いているんですよ。誘ってくれと頼まれた時も、期待はするなと言っておいたものですから。族長様の歌う声を聞いて、女神様の思し召しかもしれないと思ったのは本当です」
    「……まあ君が公私を混同しない奴だっていうのは、僕も知ってるけど」
    「それで、いかがです?」

     笑みを深めて側近が問いかける。いったいどこまで知っているのやら。やれやれと肩の力を抜いたリーバルは目を伏せてしばらく考え込んだ。
     自分たちが経験した戦いが物語になること自体は、本当はそれほど嫌な気はしない。むしろ、かつて自分たちがどれほど栄誉あることを成し遂げたのかという誇りにさえなる。語り継がれる物語は人々の英傑を、姫巫女や退魔の剣の勇者を慕う心あってのものだから。
     リーバルがそれらを見聞きするのが苦手なのは、単にその物語の中に一つ、直視したくない記憶が焼き付いているからだ。
     思い出したくないわけではない。忘れることさえ難しいほどその記憶は鮮烈だ。
     忘れたいわけではない。もう記憶にしか頼るよすがが無いほどその記憶は遠く儚いものだからだ。
     ただその記憶はリーバルにとってひどく眩しい。歳を追うごとにその眩しさは増していった。今や夢に見てさえも目を瞑ってしまうほどに。それでも、いつかは向き合わなくてはいけないと──向き合いたいのだと、どこか心の奥底では分かっていた。

     ──偏執を振り払う、良い機会かもしれない。

     ふう、と息をついてリーバルは目を開けた。
    「──いいよ。観に行ってあげようじゃないか。僕は本物を見てきてるからな、採点は厳しいぞ?」
    「それはいい、ぜひともガツンと言ってやってください」

     役者の甥を応援しているんだか、試練を与えてるんだか、ニコニコとした人好きのする笑顔で側近は言う。やっぱり食えない男だなあ、と思いながらリーバルは久しぶりの遠出に重い腰を上げた。



     側近のリトに貰ったチケットを持って、村近くの馬宿に停留している馬車を捕まえる。タバンタの近辺ならともかく城下町まで飛んでいくとなると、風の英傑と名を馳せたリーバルとはいえ流石に老体に堪える。歩いていくのはもっとだめだ。有事があれば、老体に鞭打ち弓を手に取り先陣を切るのもやぶさかではないが、ただ歌劇を観に行くために息をきらしてへとへとになりたくはない。
     幸いにもすぐに空いている馬車が見つかった。四頭立てで箱型の頑丈そうな客車を持った馬車だ。馬たちは皆ヘブラの大地を走りぬくどっしりとした貫禄に満ちており、客車は一見して黒とも見える深い緑の外塗りに、長年走ってきた歳月を思わせるくすんだ朱染めの車輪がよく映えている。内部には数人が腰かけられそうな広いシートがあり、これもまた深い緑をしている。また客車の外側の後部にも人の乗り込めそうなスペースと手すりがあるようだが、これらは白い幌で覆われている。しばらく使っていないのだろう。平たい天板の上には既に幾らか荷物が乗っていて、運搬の仕事もしているようだ。
     人と荷と両方を運ぶ、古風な乗り合い馬車といったところだろう。
     そして御者は黒い山高帽から尖り耳がのぞいている、色白のハイリア人の男。
     他にも古代技術のエンジンを使った高そうな車や馬数の違う便はあったが、その乗り合い馬車がリーバルの目を引いたのは、客車のボディにあしらわれた鈍い金属のエンブレムが弓と矢を持つ鷲を象っていたことだった。

    「ねえ、そこの鷲の馬車、乗せてもらえるかい?」

     リーバルがその馬車に近づくと、ハイリア人の御者は少し瞬きをしてリーバルの顔と見合った後で、帽子を取って会釈した。一般的に、翼の民であるリトは馬車なんて使わないものだから、珍しい客に驚いたのだろう。

    「どちらへ?」御者が聞く。
    「中央劇場まで頼む」と答えてチケットを見せると「ならロームの大駅舎に行って、そこからはワープ車の便に乗り換えですね。送迎席付きのプレミアチケットだ」とチケットの端を指で示された。

     よく見ると、ただの観劇用のチケットではなく行き帰りの送迎列車の席を同時に予約してある高価なチケットだったようだ。
     ワープ車というのは、古代シーカー族の技術を用いて開発された長距離転送装置のことだ。厄災戦争の頃にはリーバルたち連合軍の兵士たちを輸送することだけに使われていたが、戦争が終わってからは民間の移動手段としても使えるように改良が進んだ。今では地方をまたぐような長い距離の移動には専ら各地のワープ車が使われている。

    「そうか。じゃ、それでよろしく」
    「承りました。……準備はもうお済みですか?」
    「ああ、大丈夫……何か別の仕事があるなら、出立の時間は君の仕事の都合に合わせてくれていい」
    「では、出発いたしますのでご乗車を」

     客車のドアを開けてリーバルが乗り込むのを見届けると、それきり御者は黙って馬を走らせた。
     寡黙な男だ、とリーバルは車内で白い襟巻を外しながら思う。馬車を利用するリトなんていう珍しい客にも、瞬き一つで何を聞く事も無く動じなかった。
     ワープ車の普及からこうした馬車便の仕事は以前よりもめっきり減った。ガタガタと道なりに荷を揺らして気温差のあるハイラルの大地を行き来する馬車で運ぶよりも、古代技術による一括転送で送りだす方が人も物も快適なのだ。
     今でもヘブラのような閑散とした田舎の土地では馬車が求められることもあるが、それでも馬車業を続けている人というのは何かしらその仕事に誇りと愛着を持っているごく少数限りとなった。この男もきっとそんな口の者なのだろう。立派な乗合馬車に、客を一人だけを乗せて走るくらいだ。

     ──役目に忠実で、仕事に無駄口を叩かないにんげんは、嫌いじゃない。

     必要な事をきちんと喋るのなら、と同じように寡黙な知り合いの友人を思い出してリーバルは付け足した。
     その後、馬車はつつがなく街道を進み、リーバルをロームの駅舎へと届けてくれた。
     リトの村からロームの駅舎までの道はかつての厄災との戦いの時からよく整備されている。街道を南下してモーリ橋をわたり、へブラの大妖精の泉が望めるギシの丘を通り抜ける。最後に渓谷を渡したタバンタ大橋を抜けたら、ローム山の麓に作られた大駅舎に到着だ。
     ヘブラとハイラル中央平原を繋ぐ玄関口になっている大きな駅舎とその周辺は、数多の商業施設が連なって城下町にも次ぐ栄えた都市の様相となっている。ヘブラ地方では最も大きな街だ。相応に人通りや車の通りも多く、リーバルを乗せた馬車は器用にその波を避けていくのに揺れは少なかった。やがてにぎわう人だかりを横目に、馬車は駅入り口前の道端に停車した。

    「到着です。お代は500ルピー」
    「わかった、ありがとう」

     リーバルが支払ったルピーの過不足ないことを確かめると、御者はちょいと首を下げただけですぐに御者台に引っ込んだ。リーバルはその余計な口を利かない職人気質の御者が気に入った。馬車を降り、白い襟巻を身に付け直しながら声をかける。

    「ねえ、帰りの便を頼んでも?」
    「ええ、もちろん。お時間は?」

     今度の答えは少しもためらいのない返事だった。襟巻に嘴元を埋めて、ふっとリーバルは微笑む。

    「ワープ車の到着からすぐでいい」ひらりとチケットを振るとそれだけで御者は了解したようで「承りました」と簡潔に言って、帽子をちょいとあげてみせた。
       


     ローム大駅舎からワープ車での旅は一瞬だ。車と言っても、転送のために用意された場所に入れる人数を調整するためだけの空間があるだけで、馬車や牛車のように実際に走る車体や駕籠があるわけではない。
     駅舎で自分の身体が青い光にほどけていったかと思えば、次に目を開ければそこは城下町の中央劇場のエントランスホールに立っている。ワープの身体が浮き上がるような感覚も、意識がほどけてまた収束するような感覚も、大厄災の戦いの頃から先駆けてこのワープを利用していたリーバルからすればとうに慣れたものだが、ヘブラのような田舎の方の駅では未だにワープに馴染みない乗客がソワソワとしている様子もちらほら見えた。
     城下町の大劇場はまず一階に受付窓口とカフェやグッズショップが入っているエントランスホールがあり、その奥で舞台ホールにつながる複数の階段や通路に別れている。東西に一つずつ、計二つのホールと窓口があり、エントランスの掲示板を見るに東のホールは現在オーケストラコンサートが公演されているようだ。

    「受付は……あっちか」

     リーバルが貰い受けたチケットの公演は西のホールで行われる。西側窓口ではちょうど係員が入場受付を開始した旨のアナウンスをしているところだ。リーバルと同じ観劇のチケットを持っているとおぼしき客たちが

     ──あまり待たずに済みそうだ。

     人がまばらな内にとっとと席についてしまおうとリーバルも足早に受付へと向かう事にした。
     劇場の受付窓口でチケットを提示すると、係員はしばらくその紙切れとリーバルの顔とを確かめた後にチケットをもぎるでもなく窓口から出てきた。
     そして「少々こちらでお待ちください」と連れられ、バックヤードの控室のような部屋まで案内された。
     リーバルは少し面食らったが、このような対応には覚えがある。

     ──また“英傑様”扱いかな。

     大厄災の終息後、リーバルら英傑は“ハイラル未曽有の危機を退けた英雄たち”として、大いに顔と名を知られることになった。その功績を称え、王家から褒賞が出たことはもちろん、地方を問わず復興した街々に足を運べばいつでも感謝の歓待を受けることが常といった扱いだった。顔が広く知られた大きな要因にはシーカー族のウツシエ技術が新聞社や出版社に普及したという背景もある。

     ──厄災の片が付いてから皆が皆、あの男みたいになっちゃって。

     本当にあの男は“英傑リーバル”を知っていたんだと思い知らされたのだ。今回のも同じようなものだろう。
     平穏の世が長く続いた今では英傑を称える熱狂も沈静化していて、リーバルがこうして街を出歩いても一部の昔気質の人々が礼を尽くしてくれる程度になっていたため、油断していた。
     城下町の大劇場ホールとなれば、厄災以前から操業の続く立派な老舗だ。土地柄で王家との縁も深いだろう支配人が、客をリーバルその人と気づけば、相応のもてなしをするために動くことは想像に難くない。

     ──いっそ事前に断りの挨拶を入れるべきだったかな。

     そんな考えも今となってはもう遅い。さていったい今日は金が出るのか銀が出るのか、馳走か美女かいかめしい社長か。リーバルは息抜きに来たことを忘れて、“リトの英傑”であり“族長”である自分の立場を思って少し身構えた。
     そうして備品の椅子に座って待つこと数分、控えめなノックの音がして、きいと扉が開く。

    「──おまたせしました。お席に案内します、ゾクチョーさま!」

     そう言ってぴょこんとお辞儀をしたのは、はっきり少年と言って差し支えない小さなリトの少年だった。ぱりっとした仕立ての良い黒のベストに白い襟と赤いタイがよく映えた出で立ちは、さっき会った受付の係員が着ていた制服と同じものだ。
     どんな格式張った挨拶が飛んでくるかと構えていたリーバルは、あっけに取られてぽかりと嘴をあけた。

    「えっと……君は……ここの、従業員?」

     リーバルが目をぱちくりさせて尋ねると、小さなリトの少年は「はい!」と大きく首を縦に振った。

    「あ、でもホールのお手伝いをしてるのはで、いつもはみんなと一緒に舞台に出てるんです。今日は、ゾクチョーさまのご案内なんてすごいお仕事をさせてもらえて、とってもコウエイです!」
    「舞台に……ってことは、本業は劇団の子役なのかい?」
    「はい!」

     道理で発声のすばらしい、元気のよい返事だ。見かけの年のわりに折り目正しい態度も、普段から大人の役者たちに混じって仕事をしている賜物だろうか。たとえ演技だったとしても、これほどしっかりしていて愛嬌のある子どもに案内されたら、大抵の上客は気分が良くなるだろう。支配人だか誰だか知らないが、この子を案内に寄越す気持ちも分かる気がした。少なくとも息抜きに来たリーバルにとっては、堅苦しい貴族の挨拶をされるよりかはずっと好ましい対応だ。

    「案内なんてわざわざ畏まらなくっても、場所さえ教えてくれたら自分で行くのに」
    「そういうわけにはまいりません!ゾクチョーさまは、えら~い方ですから!」

     ふんふんと息巻く小さなリトの案内人に連れられたのは、ほとんど舞台の正面と言ってもいいボックス席だった。流石にワープ車の送迎便の指定まで付いた高いチケットだ。あるいはリーバルが英傑として名を知られているせいで誰かが余計に気を回したのかもしれない。同室内の他の席の観客も、リーバルの存在を認めて優雅に会釈をするだけで、おべっかを使うまでもなく慣れた様子だ。
     案内をしてくれた小さなリトにチップを渡して、リーバルも席に着く。
     大厄災との戦いの功績でリーバルもハイラル王家から名誉爵位を貰ったが、こうした貴賓扱いはいつまで経っても慣れない。知識としての所作は覚えても、生まれてからずっと人の上に立つ責務を負っている仲間の王族たちと比べると、自分のぎこちなさが嫌でもわかる。肩書や恰好の持つ力は、自分だけの振舞いでは制御が追い付かないのが居心地が悪い。

     ──今度は遊び方の嗜みとか、ウルボザにでも習ってみようかな。

     女王の位を後進に譲ってから、ずいぶん暇をしていると風の便りで聞いた。彼女のかわいがっているハイラルの姫は近く王位を継ぐために公務に忙しく、邪魔をするわけにもいかないから、日々紅茶と茶菓子の用意の腕が上がるばかりだと嘆いているらしい。男子禁制のゲルドの街でとはいかないから、またこの城下町にでも誘ってみようか。
     そんなことを考えていると、やがて劇場内の照明が暗くなってきた。開演の時間だ。
     ──歌劇は四幕構成。
     姫と退魔の剣の騎士、そして未来からやって来た白いガーディアン出会い、目覚めぬ力に悲嘆しながらも英傑たち信頼できる仲間を集める旅路の物語となっている。
     厄災が復活し、父王の犠牲の元に城から落ち延びた姫の失意の涙に呼応して力を発揮する白いガーディアン・テラコ──そして神獣に現れた、未来からの使者たちの助力を受けての撤退戦。
     最後に、救い出した王とかつては敵対していたイーガ団さえも味方に付けた姫巫女たちは厄災とその信奉者アストルとの決着をつける。

    『私こそが、厄災ガノンに選ばれし者!伝説に思い上がった王家の道化共が、厄災に抗うなど無意味だと教えてやろう。私が、貴様らの運命を絶ってくれる!』
    『女神よ、退魔の剣よ、どうか我らに正しき勝利をお導きください。我らに、この赤き闇を祓う光の力を!』
    『みな臆するな!我らには姫巫女様のご加護がある。魔に魅入られし者どもに、ハイラルに生きとし生ける者たちを脅かすその凶行もここまでと知らしめよ!』

     リーバルとメドーが活躍したハイラル大森林奪還戦の部分は省略されている。もちろんリーバルに限らず姫付きの騎士だった退魔の勇者とテラコを除いた英傑たちや他の仲間の活躍は、この劇が「ハイラルの姫巫女ゼルダの物語」である都合上、どれもコンパクトに収められているので仕方のないことだとも言える。
     我らが「ハイラル王家」の「姫巫女」が「未来からやってきた勇敢なる戦士たち」の手を借りて厄災を討ち果たし「世界を救った」というのが、目玉の物語なのだ。もう一つ言えば、平民上がりの「騎士」と王族の「姫」との身分差の「恋物語」が一つまみのスパイスとして書き加えられて創作されているのが、この舞台劇が大衆に人気を博している一番の理由だ。

     ──ま、僕らが戦っていた時には、あの姫も恋なんて気持ちの整理する余裕はなかったんだけれど。

     舞台の最後は、戦いを終えた未来からの使者たちが元の世界へと帰っていくところで終わる。
     平穏な時代を味わう暇もなく、誰もかれも戦場の土埃や血傷を抱えたまま、彼らは過去の世界に別れを告げるのだ。そして姫巫女が騎士と英傑たちとの手をとり、新たにハイラルの未来を明るいものへと導く決意をして物語は幕を閉じる。
     ただし、戦いが終わってすぐに別れを切り出す未来の使者たちの、あまりに急激な退場と取って付けたような感動を煽る別れの台詞には、評論家たちの間でも批判の声が少なくない。
     畳み方が急すぎて余韻がない、だとか。折角のキャラクターたちを持て余している、だとか。
     激動の戦いと勇者たちの誇り高さが陳腐な恋愛劇に変えられた物語に、リーバルも思うところが無いではない。

     ──でも、この別れの演出だけは、この舞台劇の中で一番僕達の体験した現実に添っている描き方とも言える。

     姫巫女の祈りを受けた勇者が退魔の剣の一太刀で厄災ガノンを切り伏せた後、皆が大小の傷を抱えたまま崩れかけの王城のバルコニーから、長く闇に覆われていたハイラルの夜明けを見た。空を赤く染める厄災の怨念は払われ、青く澄み渡る空と爽やかな風の吹き通る美しいハイラルを取り戻した実感に誰もが言葉なく。それから息をつく間もなく未来からの戦友たちにはその奇跡の“刻限”が訪れたのだ。

     ──戦いで壊れてしまっていたテラコの“力”が尽きたのか、神の思し召しとやらだったのか。

     今となっても真実は分からない。ただ急な別れだったという記憶だけが残っている。
     リーバルは意識を舞台の方に戻した。古代技術のワープの光にも似た青く光る粒子に身体を包まれながら、未来から来た小さなゲルドの女王が口火を切り、使者たちはそれぞれ祖先の英雄たちと別れの挨拶を交わす。
     舞台の上で生意気そうな顔をしてふんぞり返っている“リーバル”は、“テバ”の方へと近づいて、彼の方から口火を切った。

    『テバ、未来のリトの戦士よ。僕は君の名を覚えておこう。そして君も覚えていてくれ、この戦いの日々のことを』
    『出会った事も話した事も記憶の全ては幻のように消えてしまうかもしれない。でも僕達が共に戦った事実は決して消えないんだ。君が血の滲む努力を重ねてその翼に身に付けた技術は君の心が忘れたって君の身体が覚えている。だから僕は、君に僕の伝えられる全てを教えてみせたつもりさ。』
    『テバ、未来に生きる戦士の同胞はらから。君がいつか僕の知らない未来で誇り高きリトの戦士として人々を護り新たな戦士を鍛えるその時、僕が教えたその技が、僕が伝えたかったこの意志が、 君を助け、君を護り、僕が愛し君が憧れたリトの誇りを繋いでいく縁となるように。それが僕からのはなむけだ』

     ──立派なを言うじゃないか。

     、と胸中に吐き捨てる。
     戦いが終わって市井の平穏が戻った頃、英傑たちのもとにはそれぞれ記者や文屋が押しかけて、当時の戦いの様子についてよく尋ねられた。その中には未来からの使者との別れについての質問もあったが、それに関してリーバルは誰に対しても沈黙を貫いていた。
     秘するつもりがあったわけではない。実際にそのときのリーバルは沈黙しか彼に返せなかったのだ。

     ──あの時の僕は、そんなに格好のついた台詞は言えなかった。

     言いたいこと、言ってやれる言葉はいくらでもあったはずだ。だがどれも喉につまって出ていかなかった。それでもあの男は何か分かった風に笑っていて、リーバルから言葉を引き出そうともしなかった。
     それで、リーバルはただ一方的にあの男から別れの挨拶を聞かされて、白く光る粒子に消えた姿を見送った。

     ──今なら、僕は何を言うだろうか。

     後悔はない。いつ死ぬかもしれない、明日を取り戻すための戦いの日々を共にした仲間に、伝えそびれた言葉なんてなかったのだ。
     ただ不思議だった。自分はどうしてあのとき、生意気そうに笑う男に何を言う事もできなかったのか。今でさえも、あのときに伝えたるはずだった言葉にひとかけらも心に浮かぶものが無いのか。

     ──意外と、僕も薄情な人間だったのかもしれない。

     そんなことを考えている内に劇はエンディングを迎えて、閉じた幕に向かって観客席から拍手が湧き上がる。リーバルも惜しみなく拍手を送った。カーテンコールのために出てきた楽士や役者、劇作家たちが緞帳の前に並んで一礼する。また歓声と拍手が飛ぶ。その熱気と興奮は、リーバルにかつての戦帰りの拠点の賑わいを思い出させた。感動は、記憶の中の喜びと同じ熱を振るい出させるものだという。彼にとって最も心を震わせる体験というのが、そうなのだ。
     役に入った演技をしながら長らく手を振っていたキャストたちがやがて舞台袖に引っ込み、客席からのコールも下火になって、じわじわと客席の照明が明るくなっていく──退出の時間だ。
     ぞろぞろと蝸牛のような歩みで舞台ホールの出口を目指す人並みに合わせて、リーバルも立ち上がった。客席のあるホールから出るのは簡単でも、そこから元のエントランスへ出るには、他の客たちの群れとも合流しなければならない。

     移動する中でふと「リーバル様」と自分を呼ぶ声を聞いた気がした。

     リーバルを“英傑様”と呼ばずに名前で呼ぶのは、大抵がリトの同胞だ。しかしこんな他所よそで声をかけてくることはめったにない。リーバル個人にも舞台仕事をする同胞に深い知り合いは居ない。
     聞き間違いだろうかと長い首を伸ばしてきょろきょろと辺りを見回すと、一つだけ目につくものがあった。外へ向かう人の波に逆らって、わざわざ此方に向かってくる灰色っぽい毛玉だ。

    「あ、あ、あの、リーバルさまっ!こち、こちらに……」

     やはり誰かがリーバルを呼んでいたらしい。人に押され揉まれてあっぷあっぷとしながら灰色毛玉が懸命に手を伸ばし、自身の存在を訴えかけるように振り示している。

    「あ、ああ、分かった。僕が行くから、君は落ち着いてくれ。人波に流されるぞ」
    「う、わわ……!」
    「言ったそばから……!」

     失礼、と言うだけ周りの客に断って、リーバルは人波をかきわけ小さな毛玉のところまで急ぐ。ひらひらと水底の藻ひれのように伸びあがっているその手を取ると、自分の身体を滑り込ませて作った空間を利用して、小さな体を脇の下から抱え上げる。

    「大丈夫かい?」
    「は、はい……すみません、助けて貰っちゃって……」
    「怪我が無くてよかったよ。それで僕は何処へ行けばいい?」

     小さな灰色毛玉はやはり藻ひれのように軽かった。肩車をしながら聞いてやると小さな毛玉──リトの子供は素直にリーバルの後ろ頭に体重をかけて「あちらです」とスタッフ用の移動通路を指さす。よくよくと裏方に連れ込まれる日だ。
     人込みから離れて通路内まで入ってから、リーバルはリトの子を肩から下ろした。リトの子は律儀に、ありがとうございましたとお辞儀をする。

    「それでこっちに何かあるのかい?見たところ舞台裏につながっているようだけど……」

     自分が入ってしまってもよかったのか、と視線をやると小さなリトは何かを探しているように首を振り振り辺りを見渡している。

    「はい、リーバルさまにぜひゴアイサツしたいからって案内をお願いされたので……」
    「ご挨拶?」 
     尋ね返したところで、それと同時に「族長様!」という低い声が別方向からとんできた。
    「いやあ、すごい、本当に来てくださるなんて」

     声の方を見れば、興奮した様子の若者が此方に駆けて来る。鍛えられた軽やかな身のこなしと、ただそこにいるだけで目を引く珍しいに覆われた体躯。見知らぬ筈のその姿に対して。リーバルはどこか見覚えがあった。

    「此方から伺うべきところを、お呼び立てするような真似をしてしまって、申し訳ありません!」
    「それはいいけど。もしかして君は、さっきの舞台に出てた……」
     深々と頭を下げる青年に顔を上げるように言って、気になっていたことを尋ねかける。
    「はい!不肖ながらテバ様の役として今回の公演に参加しております。……リーバル様には、叔父が世話になっております」

     やはり、とリーバルは思った。にこりと笑うと人好きのする顔をしているのが、あの側近と似ている。

    「じゃあチケットをくれたのも君か。ありがとう。おかげで良い息抜きになったよ」
    「そんな!私の方こそ、本当にこうしてリーバル様に観て頂けるなんて光栄の極みです!……それで、その……どうでしたでしょうか?」
    「どうって?良い舞台だったと思うけど……」
    「はい、あの、私の努めさせていた“役”の演技の方は……どうだったでしょうか?」

     そこまで言われてリーバルはここにきてようやく自分の本来の目的を思い出した。
     そういえばリーバルは、自分の側近の甥であるこの役者に何か一言伝えてやって欲しいと頼まれてこの劇場まで足を運んだのだった。大厄災の伝説、その当事者の視点から彼の──テバの役を務める役者の振舞いを評してやってくれ、と。

    「あー、うん、うん……そうだなあ……」

     若者の不安と期待の入り混じった視線を真正面から浴びながら、リーバルは言葉を濁して考える。
     観劇を楽しんだことは事実だが、自分のなかの記憶と感情の整理にかかりきりで、細かく演技がどうというところを見るまでには至っていない。そもリーバルは戦士であり、こうした舞台芸術の世界には詳しくないのだ。
     大厄災の激動の時代を乗り越えた世界では、身分差やら遠恋やら心中物やらの詩小説の流行が何度もあった。それらを横目にしながら、実際に“違う世界の人間たち”と過ごした経験者として思うのは、

     ──本当の“住む世界が違う”ってのは、死んで一緒になるとか来世とか意味がないんだよなあ……。

     やはり、そんなひねた感想しか浮かばない。これは彼の演技ではなく脚本への文句になってしまう。己の仕事に誇りを持って奮励している青年に対してそんな事は言えないので、リーバルはさらに思考をめぐらせた。

    「ええっと……僕はあまりこういう舞台に明るくないけど……殺陣と言うんだっけ?舞台の終盤に戦士達それぞれの戦いの様子を曲芸を交えて演じるシーンがあっただろう」
    「ああ、はい!大厄災は過酷な戦いの伝説でもありますから、その迫力が伝わるように演出やスタントに力を入れているんです」
    「うん、たしかに実際の戦いとは違うけど、あれはあれで凄まじさを感じる気迫のある良い動きだった。狭い舞台上でもそれを感じさせない優美な飛び方は見事なものだったよ。ただ、少し気になったのは……君は戦士の訓練を受けたことがあるのかい?」
    「飛行技術に関しては一度師について学びましたが、実は、武芸の方は弓の姿勢を習ったくらいで訓練を受けたわけではないんです。やはり手練れの戦士であられる英傑様から見て、戦士らしく見えませんでたか?」

     興味を示した様子の若者に、リーバルはこれだ、と直感した。
     ──これなら言えそうだ。戦士としての領分に関わることなら、僕は適切な評価ができる。
     会話の突破口を見つけて、リーバルは余裕を取り戻した。テバという人についてリーバルが自覚をもって知っていることは、他よりは多いとはいえ大して整った内容ではない。だが、いち戦士としてのテバの体技や物の考え方、それによって現れる言動については、正確に理解している。

    「だからだな。君の飛び方は、テバにしては“優美すぎる”んだ」
    「優美すぎる?」若者が不思議そうに首をかしげる。
    「テバは……未来からの救援者たちは、僕達とは“違う時代・違う世界”で生きて技を磨いた戦士だろう。だから当然、その技術や感覚は、個人の技量差という以上に、僕達が当たり前にしているものとは少し違っているんだ」

     テバで言うならば、前のめりで地上での戦いを軸にした飛び方や、といった特徴だろうか。見ず知らずの他人の技術をすっかり真似することは難しかろうが、“自分たちの常識と違う動きに見せる”という意識があるのとないのとでは、大きく変わって見えるだろう。

    「その“違っている”はず部分が、あの劇に登場する彼らからは感じられなかった。それは、小さくとも見過ごせない違和感じゃないかと僕は思ったよ。だから僕から言えるのは、君は、もう一人のリトの役者……“リトの英傑”の飛び方と“テバ”の飛び方が、決して同じに見えないように気を付けるべきだ、ってことかな」
    「違う時代から来たゆえのズレ、ですか。それはたしかにあまり意識できていなかったようにも思います。英傑様を慕う同族の仲間であれば、当たり前に自分達と同じようなものだとばかり思い込んでいました」

     若者が納得したように頷いている様を見て、リーバルは何とかそれらしい助言を伝えられたことにほっと胸をなでおろした。安心ついでに思い出したことがあって、ふっと笑みを深めて言い足す。

    「でも、君。曲芸飛行に自信があるのはいいが、他の役者に翼を掠めてしまうほどギリギリを攻めるクセは無くした方がいい。役者たちの演技に差し支えるし、君だって羽先を痛めるからね」
    「うぐっ……ご忠告、痛み入ります……」
    「ま、自覚があるんなら直していけばいいさ。テバは君より余程手の付けられない暴れた飛び方をして、最初の頃は戦の度に翼がボロボロになってた。君の動きの大振りさは舞台映えを意識しすぎてるせいだろう。これから大舞台の感覚に慣れていけば、無駄を減らしてもう少し余裕が出てくるはずさ。周りを心配させないように努めるのも良い戦士の嗜みだよ」
    「へえ……!」

     役者のリトは何かに驚いて目を丸くしている。僕はそんなにおかしなことを言ったろうか、とリーバルが嘴を開きかけたとき、役者のリトが破顔して言った。

    「──族長様が直々に厄災戦争の時のお話をされるのは、珍しいですね!」

     今度はリーバルの方が目を見開くことになった。しかしそれも一瞬で、リーバルはすぐさま表情を消して嘴をつぐんだ。その態度こそがかえって彼の動揺の深さを表しているものだったが、幸いにも若い役者はその様子を気に留めなかった。

    「いやあ貴重なお話が聞けました。今後の演技の参考にさせていただきます。……それでは、リーバル様。本日はご覧いただきありがとうございました。私はこのあとも仕事があるので、申し訳ありませんが失礼いたします。どうか、お帰りもお気をつけて」
    「……ああ、ありがとう」

     エントランスに戻るにはあちらの役員通路を使ってください、と言って若い役者はひらりと身軽に踵を返して行ってしまった。マイペースなところまであの側近とよく似ている。これも血筋だろうか。

     ──ともあれ、これで一つ義理は果たしたと言えるかな。

     甥っ子の頼みを聞いたらしい叔父からは「舞台を観てやってくれ」と言われただけなのだ、それをここまでリップサービスしてやったとなれば、文句もあるまい。
     さて目的も果たしたし帰ろうかと足を踏み出しかけた時、またリーバルを呼び止める声がした。

    「あのっ、……リーバルさま!」

     振り返ると、さっきもリーバルを案内してくれた小さなリトの子役者が何か意を決したような顔つきで此方を見ていた。

    「君は……席を案内してくれた子だね?さっきもこの袖口まで一緒に来てくれてたよな、ありがとう。それで、どうかしたのかい?」
    「は、はい!あの、リーバル様、ボクも、その……厄災戦争のときのお話を……」
    「話?」
     怪訝そうに片眉をあげたリーバルに、リトの子供は慌ててかぶりを振って懸命に言葉を紡ぐ。
    「ううん、ちがうな……えっと……ボクは“リトの英傑”の族長さまに、どうしても聞きたいことがあるんです。どうか、少しでも一緒にお話をしていただけませんか?」

     意外な申し出だった。リーバルは子供を厭う質ではないが、これと言って子供に好かれるわけでもない。教えられることは戦士としての生き方ばかりで、先ほどの役者の青年が言ったように、誰かに“昔話”をしてやることもほとんどないから、あえてリーバルに話を聞きたいと言う子供はそう多くないのだ。

    「だ、ダメでしょうか……」

     リトの子供が大きな青い目を不安そうに揺らして、しかししっかりとこちらを見上げている。どんな要件かは分からないが、彼が勇気を振り絞って自分を引き留めてきたのだろうことはリーバルにも分かった。

    「話か……」

     少し考えて、リーバルは懐中時計を取り出した。そしてチケットの半券に記された送迎便の発車時刻を確かめる──ワープ車の便までにはまだ時間がある。
     ぱちんと懐中時計の蓋を閉めて、リーバルは小さなリトに振り返った。

    「じゃあ、おすすめのお土産を紹介してくれる? お礼にホールのカフェで一杯お茶をご馳走するよ」



    「この劇場内カフェで出してるケーキセットは、季節ごとにお茶とケーキの組み合わせがかわるんです。どれも旬のものをつかっていて、とってもおいしいんで、ここのケーキセットを目当てに劇場にくるお客さんも多いんですよ。持ち帰り用の販売もしてますから、おみやげにもぴったりです」
    「へえ、そいつは楽しみだ」

     少年の薦めに従って、カフェで併売しているテイクアウトの焼き菓子を土産に確保してから、リーバルたちは件のカフェ自慢のケーキセットを注文した。
     今季のメニューはミントティーとタルトの組み合わせだ。タルトは、アーモンドクリームを主体としたタルト生地にスイートポテトとカスタードのペースト、リンゴの砂糖漬けが入った秋の甘味を味わうものだった。そののっぺりとした甘さが長時間の観劇であちこち凝った身体の疲労にはよく効くもので、すっきりとした飲み心地の紅茶と合わせてリーバルの舌を満足させた。
     ポットから紅茶のおかわりをとぽとぽとカップに注いで、リーバルは嘴を開く。

    「──それで、僕に聞きたいことって?」
    「その前に、少しだけボクの話をしてもいいですか?」

     リーバルは頷いた。少年はありがとうございますと言って、ぴょこんと頭を下げてから話し合始める。
    「ボクは、今お手伝いをしてる舞台でそのうち役を貰うことが決まってるんです。世代交代、ですね。さっき、ゾクチョー様にご挨拶してた人はちょうど、ボクの先輩……先代にあたるひとなんです」

     その言い方でリーバルは得心がいった。

    「ああ、なるほど……その羽根の色か。君も、厄災伝説の劇を続けるためにあらかじめ“スカウト”された人材ってわけだ」
    「はい!生え変わりの時期を過ぎてもこれだけ白ければ、きっとじゅうぶん役をつとめられるって……」

     ──あの男の白い羽根は、リトでは珍しかった。

     どこに居てもよく目立つ羽根色だ。同時にどこに居ても見つかりづらい羽根色でもあったのだが。あのテバの役をしていた青年はまだまだ若者だった、それなのに既に次代の当てをつけているとなると、あの劇を公演をしている劇団は相当長い視野を持って厄災伝説の利益を見込んでいるらしい。

    「それとはまた別のお話なんですけど。今やっている厄災伝説物語が大人気だったから……今度の公演では厄災物語のシリーズ作品で別のお話をやるんだそうです。今の作品ではユウシャさまとヒメミコさまが主役でしたけど、今度はエイケツさまと未来から来たシシャさまのそれぞれの物語として、連作の小劇をするんだ……ってききました」
    「へえ……流石にハイラルいちの劇場でやってるだけあって、稼いでるんだね」
    「それでボク、ちょっとだけ出番を早めて、テバ様の“息子役”でリトのエイケツ様のお話に出るんです」
    「……ええっ?」

     これにはリーバルも面食らった。

    「“息子役”って……まさか、僕の話では“迷子のチューリ”を探す劇をするのかい?」
    「そう、その“迷子のチューリ”くんのお話です」

     小さなリトは大真面目に頷いている。冗談を言っているのではない様子だ。

    「大して資料が無いだろうに、よくそんな話を拾ってきたもんだなあ……」

     リーバルは呆れ返るあまりに感慨深さまで覚えた。
     リトの少年チューリ。テバと同じく未来の世界からやって来た、彼の息子だ。チューリが彼にとっての過去の世界にいたのは、ほんのわずかな間だけだった。あちこちで戦いが続く過去の時代において、状況の理解も危ういだろうこんな小さな子供をこのままにしておくのは危険だ、とゼルダを始めとした仲間達で相談した結果、テラコの力を借りて一足早く未来の世界に帰すことが決まったのだ。そうした事情を含めて、連合軍に参加していた者でもチューリについて知っている者はごく少数だろう。
     そんな話まで仕入れてるとは、熱心と言うべきかなんと言うべきか、執念深い作家のようだ。

    「でも……テバさまやエイケツさまのお話は、いろんな本で勉強したんですけど、チューリくんのことについて書いてある本はなかなか無くって……ボク、いったいどんなふうに演技をしたらいいんだろうって今からもう心配なんです」
    「そりゃあ、そうだろうねえ……」

     リーバルは半ば同情するように同意した。テバと合わせてチューリの暮らしの面倒を見てやっていたリーバルでさえ、ほんの数日しか一緒にいなかったのだ。他の仲間達からしたら、リト族の拠点で何か騒ぎがあったくらいのことしか伝わっていないだろう。リト達だってろくに記録をしていないに違いない。そんな朧気な逸話を集めて劇に仕立て上げようと言うのはかなり根気のいることだ。

     ──他に何か面白い話がなかったんだろうか。

     リーバル自身も記憶をさらってみたが、大厄災の頃の自分の身の回りで起きたエピソードと言えば、訓練、訓練、戦闘任務に護衛任務、物資の確保にまた訓練場の改築……といったものばかりだ。
     たしかにこれではあまり舞台映えするシナリオは作れないのかもしれない。下手に正確な記録の残っている戦いなどをモチーフにするよりも、実在のあやふやな逸話をアレンジする方が大衆受けするものなのか。いくら考えても脚本や舞台劇について明るくないリーバルには理解の及ばないところだ。
     はあー、とリーバルが呆然と大きく息をつくと、リトの子はくすりと笑った。

    「ゾクチョーさまのお話ぶりだと、チューリくんって本当にいたんですね。ボク、また作家の人がアレンジした創作のキャラクターかもって、ちょっと思ってました」
    「“また”?」
    「だって、お話のリーバルさまとゾクチョーさまは、全然ちがいます」
    「ふうん……どう違う?」
    「ゾクチョーさまは、こうしてたくさんお話を聞いてくれるし……やさしい、じゃないですか。お話のリーバルさまはなんていうか……ちょっとだけ、コワイです」
    「こわい?」
    「あの、ユウシャ様とのお話の時とか……」
    「フッ……あッはッは!そう、そうだねえ……たしかに昔の僕は、喋るならもっと大きな嘴をきいてたな、お話の僕の謙虚さが可愛く見えるくらいにね」
    「そ、そうなんですか?」
    「そうだよ。ま、もう何十年と昔の話だ。君の羽根が全部大人の羽根に生え変わるくらいに長い時間が経つとね、人はいろいろと変わるものさ」
    「抜けてく羽根につられて性格も抜けてっちゃうんですか?」
    「くく、そうかもな」

     冗談を口にして気がほぐれたのか、リトの子はおずおずと「聞いてもいいですか」とリーバルの方を窺ってきた。

    「……チューリくんって、どんな子でしたか?」
    「ん?」
    「テバさまも、ゾクチョーさまをお助けして、いっしょに戦えるくらいすごい戦士さまだったんでしょう。そんな人がお父さんで、違う世界にやってきたり、ゾクチョーさま……エイケツさまと一緒にすごしたりして、チューリくんは……怖くなかったのかなあって」

     なるほど尤もな心配だ、とリーバルは少し面白くなった。当時のチューリ本人の純粋無垢な豪胆ぶりは、この聡く大人びた少年には想像もつかないものかもしれない。そんな少年が演じるだろうチューリの物語がどうなるか、それが今から自分がどんな説明をしてやるかにかかっているのだ。
     リーバルは少し考えて、慎重に言葉を選んだ。

    「物怖じしない子ども……だったかな。魔物がたくさんいる森に迷い込んでも、父親のテバとそれと……憧れているリトの英傑が目の前にいると知ったら、その喜びの方が勝って、魔物も怖ろしい事もちっとも無いと思っているような子だ」
    「チューリくんも、エイケツさまに憧れてたんですか?」
    「うん。そう言ってたよ。親子そろって『リーバル様のような戦士になるのが夢だ』ってね」

     父親の方は、自分を越えてみせるのだ、とまで豪語していたことは、今言わなくともこの勤勉な少年ならいずれ知ることになるだろう。

    「そっかあ、チューリくんもテバさまも、リーバルさまが大好きだったんですね」
    「……そうだね」

     リーバルは静かに肯定した。きらきらした目が暑っ苦しいくらい、未来からきた二人の白いリトは“リーバル”を慕っていた。目蓋を閉じたらその眩しいのが浮かんで来そうだ。リーバルは今でも、あのときの自分が果たして彼らの敬慕に相応しい振舞いをしていられたかどうか、考えてしまう。

    「じゃあやっぱり、いくら舞台のお話でも、あんなふうに急にお別れするのはさみしいでしょうね」
    「へえ……やっぱりそう思う?」

     興味ぶかそうにリーバルが少年の顔を覗き込む。

    「あっ、わわ、その、えーと……ボクだったらさみしいだろうなって思って、それで……」
    「いやね。別に間違ってるとかじゃないんだ。実際に僕たちと未来からの救援者たちの別れは急だった。それで、そう、本当の僕はあの劇の台本と違って、別れゆく彼らに何にも言ってやらなかったから」
    「え、なんにも?」リトの子は目を丸くして聞き返す。
    「そう、なーんにも」リーバルは頬杖をついて冗談のように言った。
    「……どうして、なんにも言ってあげなかったんですか?」 
    「どうしてだろうね。まあ、僕が思うのは、言葉が出ない時っていうのもあるんだよ。僕は君達みたいな役者じゃなくって、一人の戦士だったからね」 

     未熟者だったのだ、とまでは言うのをよした。この子もまた、英傑リーバルの伝説を知り、この“族長様”を慕ってくれるリトだからだ。

    「ま、だからさ……お芝居っていうのは何がなんでも“本物と同じように”なんてやる必要は無いんじゃないかな。観客は歴史を知るために来てるんじゃなくて、作られた物語を楽しむために舞台を観に来てるんだ。僕のことみたいに、本当の話じゃつまらないってこともある。君が君なりに舞台や役のことを考えて演技をすれば、それが正解なんだと思うよ。劇として何か問題があれば、それは周りの仲間が指摘してくれるだろ」
    「そう、ですか?」

     納得のいっていない様子でうつむくリトの子に、リーバルはこっそりと耳打ちするように加えて言った。

    「もし、どうしても君の演じた役に文句をいう奴が居たら『これはリトの英傑本人に話を聞いて演技の参考にしたんだ』とでも言ってしまえばいいよ」
    「ええっ、そんなこと言って……いいんですか?」
    「いい。埃をかぶるばっかりの肩書だっても、こういうところで使わなくっちゃね」

     ウインクのおまけをしてやると、大きな青い目がぱちぱちとまばたき、ようやく小さなリトの子が肩の力を抜いて笑った。リーバルもつられて笑みをこぼす。子供の相手もずいぶん上手くなった。これは間違いなくあの頃とは変わったことだ。 

    「族長さまって……けっこう、わるい人ですか?」
    「そうかもしれないねえ」

     わざと腕を組んでにっこりとあくどい笑みを浮かべてみせると、あはは、とリトの子がますます声を上げて笑い転げた。その笑いの波が収まるまで、リーバルは程よく冷めた紅茶のカップを傾けて待った。

    「さて、これで君の聞きたかったことには応えられたかな?僕にもこれ以上他に上手い言葉は出てこないんだけど」
    「はい。ありがとうございます。でも、じゃあ……あと、ひとつだけ」

     なんだい、と会計を済ませたリーバルが身なりを整えながら振り返ると、リトの子は居ずまいを正して真剣な顔で嘴を開く。

    「リーバルさま、……

     ──小さなリトの言ったその言葉は、彼の意図するよりも鋭い響きを持って、リーバルの記憶の扉を叩いた。

    「──え?」

     ──リーバル様も、長生きしてくださいね。

     ざざ、と思考にノイズが走るように、遠い記憶がちらつく。

    「それできっと、ボクの舞台を観に来てください!」 

     ──それできっと、俺みたいな奴にあんたの物語を聞かせてやってください。

    「……テ、バ」 

     リーバルは目を見開いて小さな白いリトの顔を凝視した。とうとう幻聴まで聞こえるようになったのか、と頭の中では自嘲する自分の声がするのに、視覚や聴覚はあの夢にまで現れた記憶をなぞっている。

     ──君が、君があんなことを言ったのは……。

     震える自分の喉、がらっぱちの詩、遠い風。
     今聞こえた言葉、その音の響き以外の何もかも記憶と違うのに、それこそがかえってリーバルの中にあの過去の瞬間を鮮明に描き出していた。リーバルは知っている、あの男はあのとき笑っていた。あのときのリーバルは冗談とからかわれてしまうのが嫌だった。だから俯いて、飛び跳ねる火の粉を見つめていた──けれど、じゃあ、あの痛みを堪えるように笑っていたのは、誰の顔だった?
     あの訓練場には鏡を置いていないから、自分の顔を見るには湖まで出かけなくてはいけないのだ。

     ──だから僕は、自分の部屋に鏡を置きたかったのに。

    「リーバルさま?」 

     呼ばれてハッと意識を戻すと、小さな白いリトが青い目を心配そうに瞬かせている。

    「あ、ああ……ごめんよ、少しぼうっとしてた」

     何とかそう言って返すと、ほっとしたように白い肩が下がり、今度はもじもじと言いづらそうに此方を窺ってくる。

    「それでっ……そのぅ、ダメ……ですか?」

     さきほどの話の返事が気になるのだろう。リトの子は白い手を固く握りしめている。

     ──長生きして、この子の晴れ舞台を観に行く、か。

     リーバルは少し嘴の端をゆがめた。そして次の瞬間には柔和な族長の顔を浮かべて、小さなリトの顔の前にかがんで向き直る。

    「いやね、皆によく言われるもんだから、僕も気をつけなきゃなあと思ってただけさ。うん……約束しよう。きっと元気に過ごして、いつか君が舞台に上がる日を楽しみに待ってるとするよ」
    「は、はい!がんばります!」

     こぼれんばかりに目を見開いて、小さな白いリトは笑顔で返事をする。その純粋さにリーバルは素直に微笑んで頭を撫でた。
     二人は劇場の玄関ホールにつながる役員通路で別れたが、小さな役者のたまごは駅舎直通のワープ車を利用するリーバルの姿が青い光の粒子になって見えなくなるまでずっと、その扉の前で見送っていた。


     
     ──“長生きしてください”、か。

     帰りの馬車に揺られながら、リーバルは小さな白いリトの少年に言われた言葉を胸に反芻していた。 

     ──あの男にも、同じことを言われたんだったな。

     本当の厄災戦争のとき。行方知れずのハイラル王と合流し、各地の復興も進んでいて決戦蜂起も間近の頃、テバがふっと「リーバル様も、長生きしてくださいね」と言った。あの夢の記憶の時のことだ。
     防衛戦が順調に維持できていて、連合軍のベースキャンプにも余裕が生まれていた頃だ。勝ち祝いの宴で戦士も町人も皆混ざってどんちゃん騒いでいた折にそんなことを言うものだから、リーバルも他のリトの戦士達も、何だいそのしめっぽいくちは? 明日世界が生きるか滅ぶかっていうのにとんだ驕った心配だなあ等と言って、笑い飛ばしていた。
     その言葉は、テバがいなくなって戦場の無い戦士が揺り椅子で死ぬ目が近づいてきてから、リーバルの胸にじわじわ爪を立ててきている。

     ──思い出すのは、あの頃のことばっかりだ。

     己は戦士なのだから戦場で後進を護って、あるいは先陣で敵と切り結んで、空に血しぶきを浴びせて死ぬが華だと、若いリーバルは自分の死にざまをぼんやりとそう思っていた。テバに「長生きしてくださいね」なんて、そう言われるまでは。
     あの運命の夜に、見知らぬ同胞のために命を預けて道を繋いでくれた戦士が「長生きしてくださいね」なんてへにょへにょした顔で笑ったのだ。
     そのせいでどれだけ年老いても、戦場はおろかもう訓練にだって顔を出せていないのに、リーバルは仕事中にうたた寝をして、翼を畳んで馬車なんか乗って、恋愛物語の歌劇を観て、人々に健康を心配されて、のらりくらりとどうしても生にしがみついている。英姿颯爽、孤高で偉大なリトの英傑を、こんな男に誰がした。決まっている、あの朝日のように白いリトの男だ。
     誰よりも苛烈に空の頂点をほしいままにしていたリトの戦士が、もう会うことのないだろう男の顔を思い出しては、少しでも長く健やかに生きあがかずにはいられないのだ。

     ──君のせいだぞ。

     責めるように胸中にごちてから、リーバルはその馬鹿らしさに自嘲した。あの男だってきっと、自分の言葉をこれほどリーバルが気に留めるなんて思っていなかったろうに。
     思えば、無鉄砲で、血の気が多くて、すぐ仲間のために単身戦場に突っ込んでは命の危険に直面していたあの男は、ずいぶんと若かった。彼の憧れだというリーバルがちょいと目をかけてやれば子供のように笑うし、大きな手柄を立てれば敵前でも調子づいて気を緩ませた。酒の飲み方は下手くそで酔うまで飲んで寝てしまうし、そのくせ朝目覚めるのは誰よりも早くしゃっきりとしていた。無骨で不器用で正直な意地っ張り。番と添うて子を為したと言っていたが、それでもまだ人の道を語るには経験の足りぬ若者だった。
     だからリーバルに「長生きしてくださいね」なんて言ってしまうのだ。向こうからすれば100年は先んじた先人だから。まだ短いその生において一番の比重をもってずっと憧れてきた偶像だから。
     リーバルの前ではそれを努めて隠そうとしていても、あのときだけ、うっかり零れて出てきてしまったのだろう。

     ──だが、僕も若かった。あの男よりもずっと、あのときの僕は若くて、未熟で。だから気が付かなかったんだ。

     長く生きてくれと言ったあの若者の我儘も。忘れてくれても構わないと言ったあの若者の強がりも。若いリーバルは気が付かなかった。
     だが今は違う。リーバルは老いた。あの時のあの戦いの中心にいた人に限って言えば、あの頃の誰よりも年上になった。戦場で血華と散るよりも、揺り椅子で眠るように魂を空へ手放す目の方がずっと近くなった。──だから。

    「……戦士の詩ですね」
    「え?」

     急に話しかけられて、リーバルは思わずがばりと身を起こした。辺りを見渡しても、目に映るのは深い緑のトーンで揃えられた馬車の内装。今の状況で話しかけてくる者は一人しかいない。座席を振り返り幌越しの御者の背中を注視する。
     沈黙を気取ってか「……鼻歌」とだけ微かに振り向いて言って、寡黙な御者はすぐに眼前の道に視線を戻した。それでリーバルは、自分がまた過去の記憶ゆめに引きずられて詩をくちずさんでしまっていたことに気が付いた。

    「ああ、またやっちゃったのか、僕……」

     呆れて手で嘴元を押さえてみたが、既に出ていった声は戻らない。今日はどうも嘴がゆるんでしまっていけない。もういっそ別のことを喋っている方が、余計な嘴を滑らさなくっていいのかもしれない。リーバルはそう考えなおして、御者台の方に顔を向けて声を張った。

    「こんな古めかしい詩のこと、よく知ってたね。リトでも無いし、君はまだ若そうだし……もう今の時代にこんなのを歌う奴はいないだろ」
    「若いとはとても言えない歳ですよ。もう五十だ」
    「僕からすれば十分若造だよ」

     リーバルが鼻で笑うと、御者は苦笑した。リーバルは今の自分がいくつになったか覚えていない。戦士として前線を退いてから、数える意味もないと止めてしまったのだ。

    「私の父も、かつてハイラルの行く末を決める古い戦いに参加したのです」
    「あの大厄災に?それは大変な暮らしをしただろうね」
    「武器を振るいはしませんでしたが、馬で荷車をひいていました。私はまだガキで、よくその荷台にくっついていた。ヘブラの戦士達はみな鷹揚で、手隙の時を見つけてはそんなガキを可愛がってくれました。それで時折、戦勝の宴に呼んでくれて、そのときに彼らの詩は耳にしみつくほど聞いたんです」
    「補給隊の方だったのか……なら、僕らも世話になったかもしれないな。もしかして、馬車の鷲のエンブレムは、ヘブラでリト達が防衛網をしいていたその当時の縁のものかい?」

     その通りです、と御者は肯定した。

    「その後、君の父君は健在だったかい?」
    「父は大厄災の被害が落ち着いてきた頃に、ちょいと雪原の輸送依頼を欲張ってそれきりになってしまいました。それからは私がこの馬車を預かっています」
    「そうか……どうして馬車業を続けているのかっていうのは、聞いても良いのかな」
    「それは……」と御者が何事かを答えようとした時、がさり、とリーバルの足元で何かがうごめく音がした。そして次の瞬間、

    「あのねっ!おとーさんはね~、トリさんを探してるんだよ!!」
    「うわっ!?」

     急に割って入った声にリーバルは驚いて声を上げた。そして次に自分の足元からにゅっと顔を出したハイリア人の幼子にまた驚いて身体をのけぞらせた。
     リーバルの声に驚いてか、馬車もがたんと大きく揺れて止まった。馬の高い嘶き声が聞こえる。
     そんなリーバルの様子を見てきゃらきゃら笑いながら、ハイリア人の幼子は足元から這い出してきた。どうやら座席下の収納スペースのような部分に隠れ込んでいたらしい。

    「き、君、ずっとこの座席の下にいたの?」
    「うん」
    「危なくないか?」
    「ん~、おとーさんは怒るけど、あたし怪我したこと無いよ?」
    「……そう」

     にこにこと無邪気な笑顔を浮かべる幼子に、リーバルもそれ以上何を言ったらいいのか分からず沈黙した。おとーさん、ということはこの御者の子供だなのだろうか。子供の相手に慣れたというのは傲りだったかもしれない。
     そんなことを考えていると、がたんと馬車のドアが開いた。おや、と振り向くとそこには仁王立ちした御者。彼は車内へと腕を伸ばし、むんずと幼子の首根っこを捕まえて引っ張り出す──「こら!勝手に乗り込むなと言ったろう!!」──御者の怒号が響き渡り、また馬がヒヒンと嘶いた。
     

      
    「……うちのガキがご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

     馬車の収納に忍び込んでいた幼子に、大きな“雷”が落ちた後、御者親子はそろってリーバルに深く頭を下げた。あまりにぺこぺこと謝るのでリーバルの方から「もう十分だから、早いとこ馬車を出してくれ」と頼んだ始末である。
     しばらくして馬車がゆっくりと走り出してなお、御者は低い声で謝罪する。

    「本当に、申し訳ありません」
    「いや、それはもういいって……ところで、“トリさん”って?」
    「トリさんはトリさんだよ!お客さんみたいな、トリのひと!」

     対して幼子の方と言えば、リーバルの隣に座ってにこにこと一緒に馬車に揺られている。叱られたことがまるで堪えていないかのように天真爛漫だ。

    「……むかしの恩人を探してるんです。その方がちょうどリト族の方だったので」御者が補足する。
    「へえ、リトなら僕は結構顔見知りが多いぞ、力になれるかもしれない」
    「わあっ、やったね、おとーさん!あたしのおかげだよ!」

     誇らしげにはしゃぐ子供の笑顔とは裏腹に、父親の深いため息が聞こえてくる。リーバルにはあの寡黙な御者が、マックスドリアンに鼻面を突っ込んだかのように渋い顔をしている様子が目に浮かぶようだった。

    「さっきのこと、そんなに申し訳なく思うんなら、その“恩人”についての話を聞かせてくれよ。中途半端に聞いたんじゃ気になって仕方がない。それで相子にしようじゃないか」

     リーバルがそう提案すると、ふーっと大きなため息が聞こえてきた後に、お客さんがそう仰るなら、と御者は恩人についての話を始めた。

    「……むかし、同じくらいの子供がいるのだと言って、ガキだった私の相手をよくしてくれたリトの御方がいましてね。連合軍の荷運びを手伝って馬車でヘブラであちこち荷を届けに行って、ベースキャンプなんかにその方がいると、よく軽食のあまりの乾燥果実やなんかを分けてくれました」

     先ほど聞いた、大厄災の頃に補給隊の支援をしていたという話だろう。自然環境の厳しいヘブラの土地に置いて、外部からの補給路を確保することは要と言っていい。リト族達の翼は戦闘や移動には向いているが、飛びながら沢山の荷を運ぶことはできないため、そういった物資の搬入には専らハイリア人の商人たちやシーカー族の転送技術を頼るしかなかった。緊迫した状況下でもそうして助け合うことで築かれた人間関係があることをリーバルも良く知っている。

    「その日も、リトの方たちから頼まれて補給物資を運んでいるところだったんですが……ちょうど、仕入れをしに入った街を魔物が襲ってきて、あっという間に辺りが大火事と戦場になっちまった」

     災禍に襲われた街を逃げ出そうと慌てて馬を走らせたが、魔物たちが持ち込んだ爆弾ダルによる爆発や、ウィズローブの放つ炎などで行く道を潰されてしまった。

    「荷台が壊されて、馬も逃げちまって。それでも幌を被ってじっとしてたら、煙の臭いのせいか魔物は私ども見失ったようで、なんとか命だけは助かりました。しかし辺りを見渡しても火と煙に瓦礫だらけで、どうやって抜け出したらいいものか分からない。そんな時に例のリトの御人が『まだ戻ってきていない補給部隊がいる』と気が付いて、私どもを探しに来てくださったんです」

     まさに天からの助けが来たのだ。翼による飛行能力があるリト族の戦士達は、大厄災の戦時下において、前線に出る任務よりも戦いの余波で街から焼け出された避難民を捜索・救助する仕事を請け負うことが多かった。
     魔物を相手取れないで武器が泣いていると嘆く血気盛んな者もいたが、リトの戦士というのはそもそもが山間の危険な地域に暮らす人々を庇護し、救助することが本懐である。強さを求めるのは何より自分の安全を確保し、一つでも多く他の命を助けられる余裕を作るためなのだ。
     この御者の父親を発見したリトの戦士も、おそらくはそうした仕事の一環で飛び回っていたのだろう。

    「リトの戦士たちが救助の仕事をしていることも、だけども人を乗せて飛ぶのは難しいんだってことも話には聞いていたんですがね。私の父も、いざ我が身という時になると気が動転して覚悟なんかすっ飛んじまって、『助けてもらえるかもしれない』と思ったら遮二無二『俺はいいから息子だけでもその背に乗せて逃がしてやってくれ』とすがり付いたんですよ」

     だが要救助者の捜索に来たリトの戦士も、彼一人では一度に二人のハイリア人を救うことはできない。要救助者の状態を確認したならば、より救助しやすい安全な場所に誘導して、その情報を本隊に報せに戻ることこそが彼の仕事なのだ。
     そうは言っても、今まさに戦火に我が身我が子を呑まれんとしていた父親の焦燥感には焼け石に水。
     戦士もしばらく困り果てた様子で宥めていたが、鬼気迫る顔で取り縋る父親は依然と聞く耳を持たない。

    「ガキの私でもこれじゃ三人焼け死ぬだけだと分かっては居ましたが、怖ろしい剣幕の親父と戦士の間にとても顔を出して割って入る勇気は出なかった」
    「それで、結局その戦士はどうしたんだい?」リーバルが尋ねる。
    「何とか親父の腕を振り払って、がっしり肩をつかんで言い諭していきましたよ」

     リトの戦士は恐慌状態のハイリア人を振り払うと、急に大きく飛び上がって距離を取ったと同時にアイスロッドを振りかざした。ロッドの氷で辺りを鎮火したと思ったら、ぽうっとあっけに取られているハイリア人の前に降り立ち、背に負っていた“弓”を外して突き出してきたのだという。

    「それで何を言い出すかと思えば、『この弓をしちとして預けるから、必ず戻ると信じてくれ』と言ったんです」
    「なんだって?リトの戦士が、自分の弓を他人に預けたのかい?!」

     リーバルは目を見張って大きな声で聞き返してしまった。それに目を白黒させたのは隣の幼子だ。 

    「そ、それってそんなにタイヘンなことなの?」
    「そりゃあそうだよ!リトの戦士にとって、弓と言うのはこの両の翼と同じくらいに大事なものだ。磨き上げた武芸を誇り、自らの気高き魂を示すものだから。それを同じリトでもないまったくの他人に預けるなんてのは、ボコブリンに家の留守番を頼むくらいに馬鹿げたことだ!初対面の相手に命を預けると決めるのと代わりがないと言ってもいい。とても重大なことなんだよ!」
    「えと、ほ、こり?」

     思わず早口にまくしたててしまったリーバルの様子に驚いて、幼子は首をかしげている。しまった、とリーバルは口許を押さえてから、少し考えてこう言った。

    「……リトの戦士が弓を無くすのはね、君のお父さんが、この馬車を引いている馬を無くしてしまうようなことだ。お仕事もできないし、いままでずっと一緒に仲良くやって来たひとりの仲間を失うような、ね」
    「じゃあ戦士のトリさんは、おとーさんたちに、とっても大事なものをかしてくれたってこと?」
    「そうだね。大事なものを相手に貸しておくことで、自分は必ず約束を守ります、って誓いを立てたんだ」

     それじゃあタイヘンだねえ、と幼子も目を真ん丸にして納得してくれたようだ。

    「ええ。当時の私どもにはその意味がすぐにはわかりませんでしたが……同じリト族の方なら、このことがどんなに驚くべきことかお判りでしょう」

     ──『俺の魂であるこの弓をあんたたちに預けていく。リトの戦士が己の弓を捨てることは伝統ある誇りにかけて絶対に無い。だから信じてくれ、俺は必ずあんたたちを助けに戻ってくると』

     そう言って戦士は丸腰で飛んでいったのだと言う。

    「無謀な説得をする戦士が居たもんだ……」
    「まったくです。いくらなんでも、戦場で遭難者のために自分が丸腰になることは無い」

     呆れたリーバルの呟きに、くすりと笑って御者が同意する。

    「私も親父も吃驚して、開いた口が塞がらなかった。慌てて止めようと手を伸ばしても飛び立つ鳥の素早さにはかなわないで、くうを掴むばかりでね。『あんな優しくて勇敢な戦士様が私どもの意気地がないために命を落としたんじゃあの世のおっ母に合わせる顔がねえ』ってんで、結局、二人で荷台に隠れてブルブル震えながら必死で女神様にあの戦士の無事をお祈りしてました」 
    「そりゃあ生きた心地がしなかったろうね」
    「はい。実際に戻ってきた時には、何か別の弓を背負っていましたから途中で拾うか借りるかはしたんでしょうし、腕っぷしには自信のある御人のようでしたから、要らぬ心配ではあったんですがね」
    「たまたま君たち親子が大人しくしてくれたから良いようなものの……要救助者の不安を煽るようなことをして、戦士として褒められたもんじゃない。どうも、悪かったね」

     リトの戦士みうちの不始末に、今度はリーバルの方が渋い顔をした。御者は「命を助けてもらった恩と感謝こそあれ、そのような謝罪を受け取ることは私どもにはできません」と申し訳なさそうに言って返す。

    「そうは言ってもねえ……」
    「では……代わりにと言っては何ですが、一つ、言伝をお願いできますか」
    「例の戦士にかい?何か身元の手掛かりがあればいいんだけど」
    「はい。名前も知らず、顔を見た記憶ももう朧気ですが……一つだけ、よく覚えている特徴がある」
    「……それは?」

     ついと御者がリーバルの方を振り返った。間には客車の壁板があるから、リーバルの方からは御者が身体をよじったのが御者台の隙間から見えただけだ。しかしその時のリーバルは御者が自分の方に振りむいたように感じた。ただ目を合わせるといったふうではなく、少しずれてリーバルの後ろの方を見ているかのような視線の振り方だった。何があっただろうとリーバルは少し考えた。翡翠の髪留め、馬車の幌と轍痕の残る道、ヘブラの道標に立つ風車に、赤々とした暮れの空と白い雪原。茜指す景色は、あのころの忌々しい赤い月夜にも、火に飲まれた街々にも少し似ている。

    「あの戦士は──暗闇でもよく目立つ、でした」

     御者はそう言って身体を前に戻す。白い糸が一つにつながった。まるで火事のなかを飛び回る白い影をその場で見たように、リーバルはすぐさま理解した。

    「ああ、……ああ、そうか……」

     ──が、いかにもやりそうなことだ。

     それきり御者は黙って馬を走らせた。隣に座っていた幼子は長い話に飽きてしまったのか、いつのまにかリーバルの膝に頭を預けて眠りこけていた。子供の頭の重みはひどくかるい。布団でもかぶせて重さを足してやらないと落ち着かないくらいだ。代わりに自分の翼をかけてやって、リーバルはぼうっと窓の外に視線をやった。
     馬車は轍と蹄の音以外、ごく静かに雪原を抜けた。その沈黙が遠き過去に思いを馳せるにはありがたかった。思い出した記憶が眩しすぎると、目を瞑ってしまいたくなるから。
     それから半刻ほどリーバルを乗せた馬車は駆けて、リトの村の前の馬宿で停まった。
     御者が降りてきて客車のドアを開けてくれる。リーバルはそうっと幼子の頭を椅子のクッションに寝かせて、自分も馬車から降りた。

    「もし彼の縁者に覚えがあれば、あなたに護られたガキが一人前になっていたとよろしくお伝えください……リトの英傑様」
    「ああ、……きっと、」

     きっと。その先の言葉に詰まる。リーバルは自分の嘴の端が歪んでいないかどうか気になった。嘘をつくことは、昔から苦手だ。
     それでふっと理解した。かつての別れのあの時に、自分が何も言えなかったのは──何を言っても、自分の嘴から出るそれが嘘になってしまうからだったのだ。 

    「今回のお代は、そちらで」

     馬車を降り、帽子をとって一礼した御者にリーバルはただ、深く頷いた。

     ◇
      
     馬宿を離れ村の最奥の自宅に向かって歩きながら、リーバルは考える。
     倦んでいた歌劇とその原因の記憶に向き合ってみる最初の一歩程度のつもりで出かけたが、蓋を開けてみれば、どこもかしこも過去が追いたててくるように一人の男を指し示してきた一日だった。
     見えないふりをしてきた理由に突き当たった。嘘をつくことはできない。

     ──あの頃の戦いの物語が嫌いだったのは、あの男の言ったままに、“似ている代わり彼のようなひと”を見つけてしまうのが嫌だったからだ。

     彼がどんな人かも言葉にできないのに、居る筈もない“彼のようなひと”を想像の中に作って、逃げ出していた。

     ──なんて、いまさら。

     微かに自嘲の笑みを浮かべて、リーバルはかぶりを振った。

    「──“長生き”、か」

     広場に出たリーバルはふと思い立って、風を起こして羽ばたいてみた。全身が風と一体となって上空に舞い上がり、広い空から小さな故郷の村を見下ろす。
     夜の風は冷たく、遠のく家々の明かりは鳥目ですぐにぼやけてしまったが、久しぶりの飛翔は気持ちが良かった。
     そのまま村の上空で円を描くように滑空しながら羽ばたいて高度をあげる。視線の先にあるのは、村の巨塔の頂上に居る“友人”だ。

    「やあ、メドー。お前とも久しぶりだな……」

     神獣ヴァ・メドー。かつてはリーバルを繰り手として戦場を薙ぎ払い、人々を魔物の軍勢からたすけた意志持つ古代兵器。
     厄災の脅威が去ったハイラルでは、兵器である神獣たちは、その稼働エネルギーの供給をごく細く絞られて“休眠状態”にある。
     メドーもまたその翼をリトの村の巨塔に休めて、村を見守る守護神のように鎮座しているのだ。
     リーバルが呼びかけても、かつての鋭い嘶きのような返事はない。代わりにぼうっとメドーの機械の目だけが青く光った。
     繰り手がそばにいても動くことは当然ままならないが、こうして反応を返すくらいのことはできるというわけだ。

    「ちょっと乗せてくれよ。あっためるのはいいや、それより、少し話に付き合ってくれ」

     近づいて、するりと幾何学模様のアイカメラの窪みに座り込む。昔なら嘴の先に座ればそれでも話が出来たが、今の“眠りかけ”のメドーは制御装置を通してか、センサーの近くでないと反応できないのだ。常人であれば脚を滑らす恐れで動けなくなるような危うい乗り方でも、リトの繰り手であるリーバルには何の問題も無い。
     半分だけメドーに身体を預けて腰かけると、それから長く、今日一日に起こったことの全部をメドーに話してしまった。

    「ん、ああ今日観てきた劇のこと?……僕らが戦った頃の話をモデルにしたやつだよ。お前の出番もあったな、役者の演じる役じゃなくって、背景の模型だったけどね。光ったり、鳴いたり、意外とよく出来てたよ」

     ちかりと青い光が瞬いて消え、一瞬だけ橙の光を灯した。不満らしい。リーバルはくすりと笑った。長く付き合ってきて、このメドーもまた自分に似てきたような気がする。

    「懐かしいなあ……お前と一緒にこの空を飛んでたのも、もうずいぶんと昔だ」

     厄災との戦いが終わって、魔物の群れを蹴散らす任務も少なくなっていった頃、戦後の神獣の扱いについてはよく王家と研究者たちの間で議論がなされていた。
     平穏な世にこのような兵器があるのは無用の争いの原因となるのではないか。
     またいつ厄災の手に落ちるか分からない兵器は危険なのではないか。
     限られた繰り手にしか使えないものなのだから平気だと擁護する声もあったが、厄災封印後の平穏が続けば続くほどその声は小さくなっていった。
     そして最終的に神獣や戦闘用のガーディアン達は、テラコという例外と一部の訓練施設の備品として稼働するものを除いてその機能を停止・制限されることに決定されたのだ。
     果たしてメドーは四つの神獣の中で、一番最後に機能制限を受けた。
     理由は、神獣唯一の飛行機能によってハイラルのどこの地方にも応援に駆けつけられるからだ。他の神獣を停止しても、メドー一基が残っていれば有事の際にも足りるだろうと判断された。
     現在のメドーが細々ながらもエネルギー供給を受けて準備状態を維持しているのも、同じ理由だ。万が一にも神獣の必要な規模の戦闘任務が発生した時、まずメドーで対処可能にしておくためである。

     ──でも、これも僕が生きてる間が限りだろう。僕が死んだら、メドーもきっと他の神獣と同じように、また長い眠りにつく。

     死を待たずとも、老いたリーバルが繰り手として役目を果たすことが難しくなればそこで、王家かあるいは古代技術の研究者たちから神獣ヴァ・メドーのエネルギー供給を切る判断が下されるだろう。
     今はまだリーバルは弓を持てる。このメドーの背まで羽ばたくこともできる。だがそれはもう、明日も同じくそうだとはリーバル自身ですら断言はできないものなのだ。
     一人の友と言える存在が、近く確実にその自由の翼を失うだろうことをリーバルも惜しく思う──だが、その愛惜によって彼らの判断を覆そうとは思わない。
     それほど、ハイラルは平和になった。
     それほど、あの戦いの日々から長い年月が経ったのだ。
     その日々を過ごしてきたリーバルはまだ、戦場の無い日々を上手く想像できない。弓を取り、強さを求めて羽ばたく戦士としての生き方以外が分からない。これからハイラルの未来を生きていく人々は、きっと長らく戦いの無い世を経験するのだろう。それがリーバルには少しだけ羨ましい。もしかしたらそれは、リーバルの知らない向こうの世界で生きている彼らの日々に近いのかもしれないから。

    「……メドー、お前はきっと僕よりも長く生きてきて、これから先も、長く生き続けるんだろうね」

     そこにどれだけメドーの意識が伴っているかは分からない。だが、有限の生身の体と違って、機械の体を持つメドーの生命というのは無限にも近いものの筈だ。

     ──そうして僕らは、また忘れてしまうのかな。

     一万年前に神獣を遺棄した古代人たちのように、また自分達は守り神と慕ったこの一基の仲間を忘れ去ってしまうのだろうか。

     ──逃げ出すみたいに。

     そんな繰り手の不安を気取ってか、メドーがふっと長く灯りを消した。

    「なあに?お前も──お前も、僕のことを忘れる心配かい?」

     からかうように訊けば、メドーはぽう、と淡い青光を灯した。それがまるで頷いて先を憂うような微かで弱弱しい光で、リーバルは急に寂しさを煽られ、夜風の冷たさを鋭く感じた。

    「あまりに眩しい過去は、きっと先が辛くなるだろうね……」

     ぽつり零れた言葉にリーバルは苦々しく眉を寄せた。辛いのは、自分だ。これは憐憫ではなく同情だ。

    「僕もさ……僕も怖かったよ。ううん、今も怖いな、あの頃の記憶が良いものばかりに変わってしまうのがさ。明日が来ないかもしれない日々が、平穏よりも良い筈がないのに。……戦いがあった、人が、生き物が大勢苦しんで、中には命を散らしたものだって。それなのに、記憶がまざりあって、薄れて、遠くなって……ほんの少しだけしかない、もう手の届かない綺麗な部分だけが浮かび上がって、きらきら揺れてる」

     リーバルの視線はぼうっと夜空を見ている。夜に弱いリトの鳥目には、夜の藍とぼやけて見分けのつかない星月の煌めきしか映らない。白い月の形を見覚えていた無邪気な昔はもう戻らない。

    「まるで過去ばかりが夢のように美しかったと錯覚してしまいそうなんだ……」

     それだから記憶から逃げていたのかもしれない。
     眩しいほど輝いている記憶かこを正面から見てしまったら、今の自分のことを二度と好きだと思えないのではないか。老い衰えたところばかりが目について、必死に生き抜いた筈の己を誇る気持ちを忘れてしまうのではないか。
     まるでどこか異世界の影法師に嫉妬するように、過去の己の巨影をとうとう打ち倒せない“もしも”を、リーバルはずっと恐れていた。

     ──あの人の代わりを見つけたくない。

     かつてのリーバルはたしかにそう思っていた。今でさえも、その幻に捨てられずにいることを否定できない。でも。

     ──青いなあ。

     リーバルは過去の自分が振りかざしていた“意地”に嘆息した。
     探したって見つからないのだ。たった一人しかいないその人の代わりになる存在なんて。
     世界が違う、時代が違う、それだって言い訳だ。
     きっと認めたくないだけなのだ、他に代えようのないとっておきの心の奥底のやわらかな部分を、もう二度と会わない相手に明け渡してしまったことを。
     気づいたら悔しい。知ったら悲しい。だが、忘れるのはもっと苦しい。

    「今日は……色んなやつに同じことを言われたよ。側近も、役者も御者もみんな、僕に“長生きしろ”って言うんだ。ヘブラの人間はお節介が多くて、少しうんざりするな」

     ちかちかと青い光が二つまたたいた。メドーも同意しているのかもしれない。この友達も、いつからか身体に悪い夜更かしには付き合ってくれなくなった。むう、とリーバルは眉をひそめる。

    「……あの人まで、わざわざ夢に立って言ってきたんだよ。わざとやったんだとしたら、相変わらず運命みたいにったらないよね。どうしていつも僕の格好がつかないときに来るんだか」

     嘴だけは何とか文句を言うフリをしたのに、声が笑ってしまっては形無しだ。あの戦士はいつでもそんな時ばかりに駆けつける。夢にもうつつにも、それは同じ。意地を張って、張って、張り続けたからとうとう必要がなくなって来なくなってしまったみたいに。 

    「でもさ……」

     リーバルは覚えている。雨。稲妻。ずぶぬれで風を掴むのを止めない、諦めの悪い男。
     仲間の危機と聞けば、天候も危険も顧みず一人で助けに飛び出そうとする無鉄砲な戦士。炎や雷で焼け焦げた翼をちらとも気に掛けないで獰猛に笑う顔。爆弾矢の爆風で煤塗れになった灰の翼。風の音がうるさいのだ、あの男がいる戦場は。
     長生きしてくださいね、なんて言ったのがあの男の嘴だなんて、リーバルは今でも信じがたい。だって──……

    「──君にだけは、言われたくないよなあ……」

     呟いてみて、歳を食ってもやはり自分は意地を張った台詞しか言えないのだと少しおかしくなった。新米の役者よりも下手くそな英雄のふり。あのとき彼の瞳に映る憧憬に約束した何者かになれていない自分はまだ、空の果てにあの下手くそな唄をうたってやるのは早いらしい。

     ──唄、か。

     ふと、リーバルは今日の自分が唄ばかり口ずさんでいたことを思い出した。過去ゆめにつられて口ずさんだ下手くそな唄。あの男のためだけに一度きり歌ってやったそれを、口ずさめるほどリーバルはまだ鮮明に思い出せる。

     ──あの唄は弔いの唄だった、遠く先に天へと飛び去って行く同胞に、いずれ追い付く再会を約束する唄だった。

    「目も指先も鈍ったものだけど……この美声は、まだ威厳があるかな?」

     広場では祭り囃子の歌を練習する子供たちが日々小さな嘴から声を張り上げている。村の最奥の自室からその歌声を耳にすると、リーバルはいつも胸の奥の方があたたかくなると同時にぎゅっと締め付けるような感覚を覚える。故郷の風景、未来の担い手、それを愛おしく思い、それらを守った自分たちの戦いを誇る気持ちが湧き上がるからだ。

     ──これは僕らが護ったものだから。あのとき戦場を共にした僕達が同じように愛した世界の姿の筈だから。

     苦く眩しい平穏の世界は、この空のどこにもつながっていないあの男を辿る、たった一つのよすがだ。

     ──

    「夜更かしは止めて──近所の子に混じって唄の練習でもしてみようか。どう思う、メドー?」

     ちかり、青の色がまたたいた。どうやら我らが神さまにもお墨付きを頂いたようだ。

     ──今度は上手な唄を。忘れることができないほど上手にうたってやって、あの男のむずむずするような仰々しい褒め言葉を聞いてやりたい。

     それでこう言って笑ってやるのだ──僕の知らないところで無茶をしたって聞いたぞ、と。
     ぐぜり鳴く若鳥のそれのように下手くそだったあの唄が、いつか美しく聞こえる頃には──あの真っちろい子に語った思い出も、あの鷲の馬車の御者にした約束も、本当のことになるかもしれない。
     今のリーバルは少しだけ、そんな御伽噺を信じてみたいのだ。

    了.
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