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    itono_pi1ka1

    @itono_pi1ka1
    だいたい🕊️師弟の話。ここは捏造CP二次創作(リバテバリバ)も含むので閲覧注意。

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    itono_pi1ka1

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    pixivより引っ越し&加筆。飛ぶ鳥尽きて、良弓蔵めらる。鳥は今や籠のうち。
    テバサキ夫婦とリト親友。対メドー戦後のテバさん負傷撤退から、勇者の神獣解放完了までの間の話。※捏造200%

    #ゼルダの伝説
    theLegendOfZelda
    #テバサキ夫婦
    mr.AndMrs.Tebasaki

    飛ぶ鳥尽きて、「──それは聞けない相談だ。俺はリトの誇りにかけて、俺の望むすべてを抱えきれるまで、この翼を拡げると決めたからな」

     戦士の男は怪我の痛みも忘れたような真剣な顔をして言い切った。
     サキの言うことは一つも聞き入れないで、そのくせに自分の我儘は全て叶える、業突く張り。
     それでいて彼の選択はいつも正しい。憎たらしいほどに。
     彼の不偏な正しさは、たとえば、業突く張りの我儘が通った先ではいつも不思議とサキの願いも叶っている、という具合だ。サキの言ったことはすっかり無視されているのに、何故かサキの願いは叶えられて、望んだ幸せが待っている。真摯な業突く張りだ。
     まるきり矛盾しているようだが、サキが嘘をついているわけでも、戦士が心を読む妙技を持っているわけでもない。
     彼は業突く張りのせいで、近くにあるものには余計に気が利かない人だから。

     本当に、馬鹿な人。それは誰の事なのか。サキは自分の問いに蓋をして、業突く張りの男にそれはそれは美しい笑みを向けた。

    「あなた、本当に、そういうところですからね」

     包帯を巻き終えたサキは、最後にぺしんと戦士の脚をはたきつける。
     戦士はやはり、くぐもった悲鳴を上げ、苦悶の表情を浮かべた顔を片手で覆った。

    「──だから私は、籠から出て行かれないのに」





    ※捏造200%
    ※対メドー戦後のテバさん負傷撤退から、勇者の神獣解放完了までの間の話。テバサキ夫婦とリト親友。







     某日、暁の頃。リトの村上空で爆発音たなびき。戦士が一人、地に降りた。
     リトの誰もが首を伸ばして空を見上げ、爆煙の向こうに居るバケモノの姿を探していた。
     ある者はバケモノが倒される期待を持って、ある者はバケモノがさらなる暴虐を始めることへの恐怖を持って、白くけぶる空を固唾を飲んで見守る。
     サキもまた、朝方の洗濯に訪れた村の水場で、まだ乾ききっていない布を胸にぐしゃぐしゃに抱いて、けたたましく爆発音の鳴る空を見上げていた。
     洗濯仕事の途中で雷に打たれたように突っ立って空を見るサキの姿は、その爆発の轟音に怯え竦んでいるようにも見えたかもしれない。
     けれどサキには、期待でも恐怖でもなく、やっぱり、という確信だけが胸にあった。

     ──あの人がやったんだわ。あの人が、とうとう空のバケモノに弓を向けてしまった。

     サキは口元を手で覆って、ともすれば叫び出しそうな自分を抑え込んだ。あの人が──リトの“戦士”であるサキの夫が、弓を引いたなら、それはバケモノか戦士か、どちらかが、あるいはどちらもが傷ついたということだから。
     ……数週間前、サキたちリト族の住む村は、バケモノに襲われた。
     何もない空に、ぱっと赤い光を纏って現れたバケモノは、大きな鳥のような姿をしていた。その大きさは桁外れで、広げた翼のせいで、バケモノの浮かぶ大地はそこだけ夜が来てしまったように真っ暗になるほどだった。
     そしてバケモノは、空を飛ぶリト族を無差別に、一人たりとて例外なく熱い光線で焼いた。空に浮かぶ影がバケモノ以外に無くなるまで、執拗に攻撃を続けた。
     あわてて逃げたリト族を、地上まで追ってはこなかったが、それ以来翼の民リト族は空を飛ぶ事ができなくなったのだ。

     ──あれが、だなんて、私にはとても信じられなかった。

     サキは遠く睨んだバケモノの姿を思い出して、身震いした。
     血のごとく赤く輝く線を縦横に走らせた身体、空の上からじいっと此方を見張るような生気の無い虚ろな目、一度ひとたびと羽ばたくも羽を休めることも無く天高く浮かび続ける姿は、神と言うよりは、まるで死なずの幽鬼のようなモノだった。
     こんなことを思っていると、リトの伝説に陶酔しているサキの夫が知ったら、また厳しい顔をするに違いないと自嘲の笑みがこぼれる。

     ──あの人は村の誰よりも、神さえも従えたという伝説のリトの英雄を信じている人だから。

     突如として空に現れてから、同じ空に飛び立とうとするリト族を襲ったバケモノは、その名を神獣ヴァ・メドーというらしい。人々の何百倍以上もの大きさの巨体で悠々と空に浮かぶ神獣ヴァ・メドーは、かつては一族に伝わる英雄と共にリトの村を護るために戦った、守り神だったという。
     その英雄は名をリーバルと言った。射る矢は細を穿ち、天翔ける姿は疾風の如しと謳われるリトの英雄リーバルは、今からきっかり100年前のこの世ハイラル起こった大厄災なる戦事において名を残す戦士だ。うたい文句の通りにリトで最も上手く弓を当て、最も美しく空を飛んだその戦士は、その実力を以て戦の中核たる王家の将に見初められて、空を支配する神なる獣、すなわち神獣を操る任を賜ったのだという。
     彼の他に三人と三柱の神獣がいて、彼らは英傑と呼ばれた。リトの英傑リーバルというのが、サキたちの知るただ一人の一族の英雄の名前である。
     村を治める最高齢の族長が語る御伽噺ではそのように語られている。聞いた他のリト族も初めは夢に想い馳せていたものだ。
     メドーの姿を指して、「あの見事な嘴と蹴爪、それに翼といったらご覧。俺たちの姿にそっくりで、しかし俺たちの誰よりも立派でたくましい。まさしくリトの神様だ」と両の翼を叩いて褒めそやす男たち。
     メドーの鳴声を聞いて、「聞いたかい今の高らかな声を。カナリヤよりも透き通り、コンドルよりも鋭い不思議なお声を。間違いない、あれは歌に秀でるリトの神様よ」と嘴をケンケン突き合わせて歌う女たち。
     ……鳥のように自由に空を飛び、けれども鳥よりも強く雄大……
     ……鳥のように美しくさえずり、けれども鳥よりも賢く優美……
     ……我らリトの民は空を翔る男は弓引く戦士、木立を旋律で揺らす女は詩人……
     ……我らが神様その名をメドー、広げた翼は万里を翔けて、とどろく鳴声は千里を響かすものさ……
     男は弓に秀で、女は歌に秀でる翼の民と誇るリト族と、空に現れたメドーは、本当に久方ぶりに会った仲間のように懐かしさを覚えるほど似ていた。 
     しかし、ただ偵察に近付いただけの仲間が明らかに命を狙った攻撃を浴びて以来、リトの民の認識は一変した。
     ただ空を飛ぶだけで、命を奪われる。
     それも空中戦慣れした戦士たちでさえやっと避けられるかどうかの正鵠無慈悲な攻撃で。
     身体中に血のごとく赤く輝く線を走らせているバケモノは、けれど行動は血が通っていないかのように残虐だった。
     人型の鳥のようなリト族にとって空を飛ぶことは、息をし歩くことと等しく行えて当然のこと。
     この世界ハイラルにおいて、リト族ほど空を自由に行動できる種族は他に類を見ない。故にこそリト族は空を翔る自身らの翼を誇りに思い、空の支配者と名乗るのだ。
     そんなリト族を空で狙い撃つ神獣の脅威は、命の危機だけでなく、翼を持つ一族に共有されるプライドを追い詰めた。 

    『どうして神様が我々を傷つけるようなことをする?』
    『私たちは何か、神様を怒らせてしまうことをやっちまったんじゃないかしら?』
    100で、ご遺体すら見つからず一人死んでいったという英傑様の無念が、メドーを怒らせているんじゃあるまいか?』

     この説は、村の半分の人々には尤もらしく受け入れられた。伝説のリトの英傑とその身にを裂いた悲劇は、リト族にとって忘れられようもない話だったからだ。
     100年前の大厄災という凶事は、ハイラル全土が阿鼻叫喚の戦場となった。それを収めるために女神の血を引く姫巫女と、それを護る退魔の剣の騎士と、超兵器・神獣を操る四人の戦士が立ちあがり──彼らは、みな揃って戦いの中で命を落とした。
     ハイリア人もシーカー族も、ゲルドもゴロンもゾーラも、そしてリトも、今このハイラルに生きている者たちは皆、かの英雄たちの犠牲の上に細々とした安寧を暮らしているのである。
     自身の命をも投げ打って一族と世界を護るため戦ったという英傑伝説が、100年もの間、風化することなく語り継がれることの重みを知らないリトはいないということだ。
     もう半分の人々は、「偉大な我らの英傑様が、その供をしたというメドーが、そんな誇りの無いことを為されるものか」と言って大いに反発した。リトの男の誰もが憧れる、旋風の戦士であったリトの英傑の雄姿をまだその目に夢見ているような男たちが、こぞってそう言った。
     二分しかけた村を、争っていても仕方ない、と宥めたのは旅籠屋の女将だった。

    『しかしね、どういうワケだとしたって、あのメドーの機嫌が悪いなら、いつか他所に飛んでいっちまうだけさね。があるのだもの、居心地の悪い場所にいつまでもいる筈があるかしら?』

     自由、という言葉にリト族たちは耳をそばだてた。
     翼、と続いた言葉にリト族たちは安堵を求めた。
     同じ翼あるものとして、自分達に理解できる存在として、あのバケモノのことを信じ込もうという誘いは、とびつくほどに簡単だったからだ。
     
    『そうだね、そうだろうとも。翼の民は。翼ある者は自由を知る者だ』
    『自由を知る者は、互いの自由がぶつからないように飛んでいくと決まっている……』
    『そうだ、そうだ………』

     けれども言い聞かせるのも空しく、そんな会話を広げていられたのも数日の内だけだった。
     メドーの放った一撃は、人々の肉体よりも、その心に大きな傷跡を残したのだ。とりわけ、一族のプライドにできた消えないひび割れは、じわじわと日常を蝕んでいった。
     今や守り神メドーへの懐古は、暮らしを脅かす空のバケモノへの怯えと憎々しさで凝り固まり、村全体がずっとピリピリとした不安に覆われている。誇りを持って翼を拡げる筈の戦士たちは、空を奪われたことに鬱憤を抱えて、些細な軽口にも敏感に激怒し、小競り合いが絶えない。外敵に抗う術を持たない女子供は家に籠る他無く、気を塞ぎがちだ。
     特に子供は、バケモノそのもの以上に緊張に張り詰める村の空気に怯えて過ごしている。
     子を持つ母であるサキは、少し前までころころ跳ねるように元気良く足元を駆けていた村の子供たちが、バケモノ騒ぎが始まって以来暗く沈んだ表情でとぼとぼと道の隅を歩いている様子を見るのが、よけいに辛かった。面倒見の良い商店の女将たちが甘い菓子を用意してやったり、古いおもちゃを譲ってやったり、気を配ってはいるが、怯える子供たちの泣き声と癇癪は日々少しずつ多くなっていた。
     けれど、サキには村の子供のその悲壮な声よりももっと胸を痛めることがあった。

    「母ちゃん! 」

     弾んだ呼び声に、サキは、はっと振り返る。
     声の主は、ぷわぷわ丸い毛玉のように羽毛をふくらませて此方に走ってくるリトの子供だ。夫譲りの白地に黒の模様が入った羽毛は、間違いなくサキの息子のチューリだった。
     サキは少し迷って、洗濯物を、洗い途中で水にさらしていたものも握りしめていたものも、すべてまとめて別の籠に片付けてしまって、チューリと向き合うことにした。そうしておかなければ、後で持ち帰ることすら忘れてしまいそうだったからだ。
     一方のチューリは村中サキの姿を探して走り回ったのか、息があがっている。しかしそんなことは気にならないといった興奮した様子で、あのねあのね、と嘴を開こうとする。

    「母ちゃん、今の、聞いた? あれって父ちゃんの“お仕事”の音じゃない?! 」
    「そうね、……そうだと思うわ」
    「やっぱりそうだよね! 父ちゃん、あのバケモノやっつけたのかなあ」
    「どうかしら……」 
     
     そんな筈はない、と思う一方で、父親への期待を裏切らせてしまうことも酷で、サキは言葉を濁した。

    「それより、お洗濯のお手伝いをしてくれる? こっちの小さい籠のを家まで運んで、衣装箪笥に詰めてちょうだい。お母さんはこっちを持って行くから。」
     
     サキがそう言って脇に避けておいた籠を指さすと、チューリは素直に頷いて籠を持ち、先の隣に並んで歩きだした。
     そうしている間に、村の門番をしている衛兵がバタバタと横を駆け抜けていった。家屋が手で数えるほどしかない小さな村では、少し首を伸ばすだけで人の移動が見渡せてしまう。衛兵は、村を突っ切って最奥の族長の元まで駆けていき、何くれと話した後、神妙な顔をしながら持ち場へと戻っていく。
     その動きを見守って、同じように首を伸ばしていた村のリトたちが、次第にひそひそと噂をし始めた。
     まだメドーが飛んでいるだとか、あのハイリア人は戻ってきてないだとか、忙しく囁き合っている。
     そこに夫の話題が無いか、それがチューリの耳に入ってしまわないか、サキも息を殺して耳を傾けていた。
     チューリは彼の頭の上を飛び交う言葉が聞こえているのかいないのか、慌ただしい大人たちをきょろきょろと見回して、ふと思いついたように弾んだ声を上げた。

    「あ、でもメドーの飛んでる音するし……もしかしたら父ちゃん、メドーと仲良くなって背中に乗せてもらってるのかも! ねえっ、お手伝いが終わったら、僕も見に行っても良いでしょ? 」

     チューリの無邪気な声に、サキは冷や水を浴びせかけられたようにぞっとして、目を見開いて叫んだ。

    「──駄目よ……! 絶対に、駄目!! 」

     急に声をあらげたサキに、驚いたチューリが口をつぐんだ。怯えたような子供の様子にサキも慌てて言い繕おうとしたが、焦ってしまって言葉が出ない。
     少し沈黙があって、何とかぎこちない笑顔を浮かべて「そんな、……危ないことをしては、駄目よ」と言ったが、チューリは目をぱちくりさせて戸惑っているようだった。

    「あぶないの? どうして? 」
    「それは……メドーは、まだ目が覚めたばかりで、飛んでるように見えても、じつは寝ぼけているの。ほら、“ふらふら飛行”はヒトにぶつかって危ないってお父さんにも習ったでしょう」
    「でも、父ちゃんたちはメドーに会いに行ったんでしょ? 」
    「お父さんたちは……お父さんたちは飛ぶのが上手だから、飛びながらメドーを起こしに行ってあげてるのよ。」

     言いながら、サキは自分の言い繕いの杜撰さに顔を覆ってしまいたくなった。どうか幼い我が子が気を逸らして納得してれてくれるようにと祈り、「お父さんが飛ぶのが上手なのはチューリも知っているでしょ」と続けた。祈りが通じてか、チューリは「うん! 父ちゃんは村一番のセンシだもん」とぱっと笑顔になって頷いてくれた。

    「それに……まだお父さんが帰ってきてないでしょ。もしも今から出かけて行って、入れ違いになっちゃったら、あっという間に日が暮れてしまって一緒に遊びになんていけないでしょう? 」
    「あ、そっかあ。それじゃウチで待ってなきゃだね。よーしっ母ちゃん、ウチまで競争しよっ! 」

     そう言ってチューリは家へと駆けていく。丸い毛玉のような後ろ姿が階段の曲がり角の向こうに隠れるまで見送って、ようやくサキは息をついた。
     緊張が解けると、どっと疲れがやってくる──嘘をついたことと、見て見ぬふりをしていた不安が思い出されたことの重苦だ。
     息子のチューリは、村の他の子供たちと違い、幸か不幸か空のバケモノに怯える様子なくただ毎日楽しそうに父親の帰りを待っている。
     ──その父親が、村のために命がけでバケモノ退治に出て行ったのだということを知らないまま。
     父親が帰ってきたらいつものように遊んでもらうのだ、と無邪気に言うチューリの笑い声を聞くたびに、サキは息が詰まる思いをしていた。夫の出陣を最後まで泣いて止めたサキには、チューリほど無邪気に、無垢に、夫の帰りを信じることはできなかったからだ。
     チューリの父にしてサキの夫のテバは、戦士である。
     リトの戦士は、武器を手に取り、命をかけて村の安寧を護ることが第一の仕事だ。翼の民、と自らを謳うリトの一族の誇りを一身に背負う戦士は、華々しい憧れへの陶酔と引き換えに、誰よりも死に近い場所を飛び続ける。
     そしてテバの友人もまた、過去には戦士として夫と肩を並べていた腕利きの人だった。村で一番二番の実力を見込まれてテバと二人、族長から、姿を現したメドーの偵察の依頼を受けた。
     常ならば、リトの双璧とも言える彼らが出向くことには激励と歓声こそあれ、不安など一抹もない。
     だが、相手はバケモノだったのだ。
     そして、事態は偵察で収まらず。
     武器も向けていなかった、ただ飛んでいただけのリトの戦士めがけて放たれた熱光線によって、バケモノの犠牲者が出てしまった。
     神獣の帰還という吉報になる筈だった務めは、神獣の暴走という凶報に様変わりし、ヘブラを揺るがす大事件と相なった。
     
     ──それも、あの人が村を行ってしまったから余計に……。

    「……さん、……サキさん、サキさん!」
     
     は、と夢から覚めるように呼び声に意識を向ける。声の方に視線をやると、黒い翼と同じに黒い長髪を風に揺らして佇むリトの男が、険しい顔をして立っていた。

    「ハーツさん……」

     サキが震える声で名前を呼ぶと、ハーツはほっと息をついて表情をゆるめた。

    「ああ、よかった。意識ははっきりしてるみたいだな。大丈夫かい? あんまし思いつめてばかりじゃ、無茶する旦那より先にアンタの方が参っちまうよ。……チューリくんが、すごい顔して駆け込んで来たぜ」
    「……チューリが?」
    「『競争しようって言ったのに、母ちゃんが石みたいに動かなくなっちゃった!』って。ぐいぐい手を引っ張るから、から覗き込んで見りゃ、ホントに蒼白な顔してカチンコチンになってるもんだから。もう俺もヒヤヒヤしてすっ飛んできたってとこさ」
     
     リトの村は湖の真ん中にそびえる自然の岩塔に螺旋階段が巻き付き、塔から釣り下がるような住居が上へ上へと連なる造りをしている。ハーツは村の上部に近い位置の住居を貰っているから、そこからサキのいる水場を覗き込んだのだろう。
     
    「お恥ずかしいところを、すみません」
    「旦那がいないのは不安だろうが、だからこそアンタまで倒れちまったら可哀相なのはチューリくんだ。オレで良けりゃあ、話を聞くし何でも力になるからさ」
    「ありがとうございます。でもそんな、ハーツさんこそ……無理をなさらないでください」
    「そんな無理なんてのは、アンタの旦那に言ってやんな。俺が言ったって聞きやしねえんだからあいつ……あ、」

     言ってハーツは、「忘れモンだぜ」とサキの後方の地面を指した。見れば先ほど拾い損ねたのだろう洗濯物が落ちている。「しっかり者のサキさんがこんなうっかりなんて、珍しいなあ」とハーツがそのまま体をかがめて洗濯物を拾おうとするのを、サキは慌てて止めた。

    「ですから無理はなさらないでください! “傷”に障ります……!」

     虚を突かれたようにハーツがぎしりと動きを止める。戸惑うように視線を揺らした彼の左腕には、赤々と血の染みが浮かんだ包帯が巻かれている。真新しい傷だ。翼のリトが、しばらく空を飛べなくなるほどの傷だ。サキはその傷の原因を知っている──空のバケモノだ。
     
    「そうか、ハハ。この腕じゃ、俺が何言っても安心なんてできやしねえやな……」
    「そんなことはありません……」
     
     自嘲して不自然な笑みを浮かべるハーツの言葉を否定しながらも、代わる言葉の無いしらじらしさにサキはうつむいた。
     神獣の偵察に向かっていって犠牲者となったのは、夫ではなく、この友人だった。空中で、左の翼を撃たれたそうだ。
     とっさの回避で骨は避けたがあわや墜落直前だったという。幸いすぐに撤退して命は助かったが、絶対安静のまま今も気が抜けない状態のはずだ。
     夫の友人とは言っても、ハーツはサキにも縁故ある人だ。夫婦となるまで、なってからもずっと夫とサキの仲を取り持って支えてくれている。冗談が上手い、気さくな人だ。

     ──気さくな人の、筈なのだけれど。

     サキは、怪我を笑い飛ばそうとしてそれができずに腕を押さえて顔を顰めている男の姿を痛ましそうに見つめた。
     元は夫と同じ戦士だった彼はまだ幼い一人娘がいて、娘は父親が怪我をして帰ってから、夜になるたび父親がそこにいるかと不安になって夜通しすすり泣くようになってしまったそうだ。幼い娘はバケモノに夜の安寧を奪われたのだ。
     だからだろうか。夜に、すぐ隣の家屋からか細い泣き声が耳に入る度、サキはばらばらと日常が壊されていく音を聞くような心地がしていた。
     そしてその憂いが現実になったのは、すぐのことだった。
     今でもサキは鮮やかにその時の胸の衝撃を思い出せる──友人の負傷に怒り心頭となった夫が、仇を討たんと無策にも出ていってしまったのだ。
     バケモノを間近に目にした夫は危険を分かっているというのに、ましてや今度は一人だけで、バケモノに立ち向かうと言って譲らなかった。
     勿論、サキは縋りついて止めた。チューリを父無し子にするのか、と泣いた。負傷したハーツも考え直せ、と怒鳴った。
     けれど、夫は行ってしまった。
     振り返ることもなく。追う者もおらず。
     ただ一人きりで。  
     サキは村を出ていく夫の後ろ姿をよく覚えている。伝承に伝わる孤高の英雄がごとく、勇ましく迷いなく、背筋を伸ばし地を踏みしめる夫の背にあったのはどうしてか、孤高ではなくたしかに孤独の方だった。
     
     ──昔から一つのことを考え出すと、止まることの出来ない人だった。

     そして、そんな夫を止められる人もまた、いなかった。サキは、戦士の夫に嫁いだ日から、いつかこんな日が来ると覚悟をしていたつもりだった。夫が命を張って飛び出して、自分はただ待つばかりの、息もできないようなこんな日々が。
     だが所詮、“つもり”は“つもり”でしかなかった。サキは夫の帰りを信じてやれず、我が子に笑い返してやることもできず、ただ、息を詰めている。苦しくて、苦しくて、日に日に心臓の音が速くなっている気さえした。警鐘を鳴らすように早鐘になる鼓動がいつか自分を押し潰して止まってしまうんじゃないかと不安で、胸を押さえて佇むことが癖になっていた。
     そうしていなければ、喉のおくから言ってはいけない言葉が出てしまいそうだった。誰か、だれか。この音を消してほしい、と祈るように空を見るだけの日が続いて。
     ──そして。

    「あの“ハイリア人”のちっこい御仁は、この情けねえ俺の代わりにテバあいつを止められたんだろうかねエ……」
     
     ハーツは皮肉るように呟いた。苦々しい声音だ。けれどその目には期待のような諦観のような、微かな笑みが浮かんでいるようにサキには見えた。
     
     暴走する神獣に空を追われ委縮するリトの村──そこに、一人の青年が現れたのだ。
     めずらしい透き通る青の目に揃いの青い服を着たハイリア人の青年は、村のあちこちで暴走事件の事情を聞くなり、その冗談交じりのSOSの全てを二つ返事で請け負った。
     「自分があのバケモノを止めてくる」と。
     大して体格に恵まれているわけでもなければ、威厳や威圧感といったものからは縁遠い華奢な様相の青年は、とても荒事を解決できるようには見えなかった。
     しかし、青年は鳥の広げた翼のような青い鍔飾りが白刃の方を向いている不思議な剣を背にしていた。
     その青い翼の鍔飾りはリトに伝わる大弓の形に似ていて、それと青年の青い瞳が並んでいるのを見ると、族長も、負傷した夫の友人も、子供も戦士も、リトの民は皆どうしてか、プライドのわだかまりも忘れて、すっと助けを求める言葉が嘴からこぼれ落ちてしまうのだった。
     サキもその例外ではない。村の最上階にいる族長から話を引き受けて、階下に降りてきた青年が、ふとサキの方に視線をやったとき。気がつけばサキは震える声で青年を呼び止めていた。
     力を貸して貰えるのか、と尋ねれば青年はこくりと頷いた。
     自分にできることはあるか、と尋ねれば、少しの逡巡の後に眉を下げて首を横に振った。
     最後に、どうか夫をよろしく頼む、と言えばまた、こくりと頷いた。
     そうして青年はサキの夫と同じように村を出ていった。その背には青い翼の鍔飾りの剣が揺れていて、鮮やかな青色を纏った青年の後ろ姿は峠道を越えていく様がよく見えた。
     サキは耳に鳴り響く自分の鼓動のおとが、少し緩まるのを、そのとき聞いた。

     ──忍耐の限界を越えた夫が、バケモノを退治せんと無謀にも村を出ていってしまったのが五日前。
     ──入れ違うように、冴え渡る剣技を持ち「成り行きでバケモノ退治をしている」と名乗った旅の青年がリトの村を訪れたのが三日前。
     ──リトの族長が藁にも縋る思いで、その風変わりな旅の青年に「戦士とメドーを止めてくれ」と依頼したのが、二日前。

     そして今日の朝、戦士が帰ってくることも、件の旅の青年が戻ってくることもなく、空に爆発音が響いた。

    「なあ、サキさん、俺は……」

     何事か言いかけたハーツが、しかしすべての言葉が音になる前に、空をつんざくような鋭い鳴声が遮った──神獣ヴァ・メドーの鳴く声だ。
     はっとサキは空を振り仰ぐ。続いてまた爆発音が轟いたのは一瞬のことだった。
     もう爆音は聞こえない。煙も晴れてゆくばかり。メドーは相も変わらず恐ろしげに浮いている──いつもならそこには禍々しい赤いバリアの光が共にある筈だが、今はどうしたことかそれがない。地を歩くリトには、何が起こったのか分からない。
     けれど、サキには一つだけわかった。メドーに近づく青色と、メドーから離れる一筋の白色が。

     ──やっぱり、彼は“止めなかった”のだ。

     サキの胸には落胆と少しの安堵があった。爆発音に続いて空をつんざく神獣の咆哮に、自らの鼓動の音がびしゃりとかき消されてから、どうしてか却って妙に冷静な心が戻っていた。

     ──今までも、これからも。誰もあの人のことを止められやしないのだ。

     いつかぶりの平静な心を持ったサキは、集中して空を探した。止められなかったのなら、絶対に彼は無茶をした筈なのだ。そして、それを隠す筈。必ず、見つけなくては。
     白い雲、白い煙、白い朝日の光、顕になったバケモノの姿は、地上から見るには数日前と変わらない。
     姿を見せると同時に猛禽の威嚇のような甲高く耳につく鳴き声を上げたバケモノに、他の人々はそれぞれ落胆して、うなだれながら家々に戻った。しつこく空に目を凝らして、雲と煙に紛れ込んで白い雪山に墜落していく戦士の姿を探し続けていたのは、事情を知っているサキと目の前のもう一人くらいのものだったろう。

     ──見つけた。峠の方。
     
     白い戦士の影は村をぐるりと囲う湖を挟んで東の向こう、風吹き抜ける山合の渓谷にある飛行訓練場に降りていったようだった。
     朝方には珍しく吹雪の無かったリノス峠に加えて、戦士には劣るとはいえ千里を見通すと謳われるリトの目があれば、山合の飛行訓練場と言えど、その様子は湖面に写る像よりもくっきりと見えた。
     東屋の明かりはついていない。人が居ることを知らせないためだ。その癖に火は焚いたままなのだから、変なところで詰めが甘い。

    「……行くのかい?」
     
     ハーツの声に、サキはようやく今自分が目の前の家事やチューリとの競争の約束もすっぽ抜けて、すぐにでも飛び出そうとしていたことに気が付いた。呆然とした──あれほど臆病に胸を押さえていた自分が、考えなしに飛び出そうとしていたなんて。まるで、あの人のように。
     
    「ハーツさん……」
    「いい、いい。生憎と俺は飛ぶどころか、武器を持つのもおぼつかないこの腕じゃあ、あいつの頭をひっぱたく前に向こうまでたどり着けやしねえんでな。だが俺だって、留守の子守くらいはできらァよ。なあ」

     そう言って、ハーツは怪我の無い右腕でサキの手から洗濯物を取り上げる。そして側に置いていた籠を持って、ぱちりと片眼をつぶった。それは、かつての日常のなかでサキの知るハーツがまとう気さくさと同じだった。サキはぐっと言葉を呑み込んだ。
     
    「あの子を……チューリをお願いします」

     サキはそれだけ言ってハーツに頭を下げた。
     数秒の間、ハーツが息を呑む気配がして、ふと微かに笑うような吐息がこぼれた。

    「ああ……わかったよ。──気ィ付けてな」

     ええ──とうつむいたまま頷いて返した声が震えていなかったか、サキには自信がなかった。
     
     ──本当に、馬鹿な人。

     ため息を付いたサキは陸路を行くのをやめて、広場から飛び立つ。いつものあの人と同じように。湖から吹き上がる気流を越えて、峠を飛び越し、降雪の絶えない谷を目指す。
     孤独を追った女は、薄桃色の肩に雪が積もるのにも構わなかった。





     からん、と石造りの髪飾り同士が風に揺られてぶつかる澄んだ音が聞こえた気がした。
     もちろん空音がしただけで、実際には飛行訓練場の東屋の外にせりだした欄干に誰かが着地する足音で、髪飾りのかすかな衝突音などかき消えていた。
     ともかくも音を聞き付けて、炉端で脚を押さえてうずくまっていた影が顔を上げる。そして琥珀の目が丸く見開かれた。

    ──ああ、生きている。

     安堵も束の間、サキがすん、と鼻を鳴らしてみれば、戦士が一人に血の匂いがした。やっぱり、と呆れるのも馬鹿馬鹿しく、サキはその見開かれた琥珀の目が瞬きするより先んじて嘴を開く。

    「黙ってなさい」
    「サ……ッぶ?! 」

     サキ、と名前を呼ぼうとした戦士の嘴はその名を持つ当人からタオルを投げつけられて沈黙した。ふわりと落ちた布の乾いた感触で、戦士は自分が全身びっしょりと冷や汗に濡れていることに気づく。脚の震えは、怪我のせいだけではなかった。

    「余計な痛みを増やしたくなかったら、大人しくなさい」

     淡々としたサキの声に、戦士は動揺を深くする。誰にも見られていないと思っていた矢先の妻の来訪、加えてその妻はただならない様子。気圧された戦士からは、つい先ほどまで雄々しく空を翔けていた勇猛さはかき消え──気高きリトの戦士テバは、逃げ場を失い尻込みするサキの夫のテバにならざるを得ない。
     突然の事態に目を白黒させているテバをすっかり無視して、サキはてきぱきと救護道具を拡げ始めた。

    「上も脱いでください」
    「胴には大した怪我は無……」
    「脱いで、と言いました」
    「はい……」

     大人しくテバは鎧を外して、肌着一枚になった。実際に胴より上には怪我はほとんどない。多少の打撲や痣があるだけだ。リトの肌には塗り薬が効きにくいから、痛み止めを飲むくらいしか処置はない。ないというのに、サキはあちこち傷をたしかめて無言で眉を寄せた。
     サキは常から物静かで言葉の少ない人ではあったが、この度の完全な沈黙の重さは、テバの真白い羽毛の下に怪我のせいでない冷や汗を流させた。
     なんとか息苦しさを打ち破ろうと、テバが嘴を開く。

    「おい……サ……」
    「黙ってなさい、と言ったんです」
    「いや、しかし……」
    「言い訳も拒否も受け付けません」
    「そっ……ういうことが言いたいんじゃない、違う、」

     言葉を続ければ続けるだけ、キッと常にない鋭い目で睨まれる。一瞬の間、言葉を詰まらせて怯んだテバは、それでも「少し聞きたいことがあるだけだ……」と口にした。

    「……何ですか」

     揺れる視線をどうにか自分に合わせようとしている戦士を見て、少し手心を見せたのか、胡乱なものを見る目付きはそのままに、サキがテバに発言の許可を出す。

    「ああ、まず……他の奴らはどうしたんだ、チューリは? 村からここまで来たと言うなら、メドーの様子は? 村は今どうなってる、バリアが消えたからと乗り込む馬鹿はいないだろうな? ああ、そうかリンク……あのハイリア人の戦士はお前の差し金か?」
    「そんな一度に沢山言われても答えきれませんよ」
    「……すまん。」

     素直に謝るテバにため息をついて、サキは一つずつ問いに答えていく。

    「まず。此処に来たのは私一人です」
    「一人だと? 」
    「白い空の中を降りていくあなたを見分ける者は、そう多くはありませんから」
    「だが、お前一人でどうやってあの峠道を通り抜けた、弓さえ持っていないと見えるが」
    「どうもこうも、私たちは翼の民でしょう」

     峠道を越えて飛行訓練場へ行く道は、西周りでも東周りでも、陸路は困難を極める。道中には魔物も多く、武器を持たぬ女が悠々と通れる道ではない。まさか。一筋の悪い予感を覚えて、テバは先程までの焦りも忘れて怒鳴った。

    「サキ! まさかお前、飛んできたのか?! 」
    「ええ」

     それがなにか? と言わんばかりに、平静とした様子でサキは首肯した。氷のように冷ややかに落ち着いたサキに対して、テバの脳裏にはカッと火が着くように目まぐるしい感情が押し寄せた。それを勢いのまま烈火のごとく声を荒げて言葉にする。

    「まだメドーが止まった訳じゃねえ! 少し大人しくなったからって、油断をするな! 中から魔物が出て来ることだってあり得る、何も危険は去っちゃいないんだぞ?! 見える砲台はぶっ壊したとはいえ他に武装があるかもわからん、撃たれたらどうするつもりで……! 」

     びりびりと空気を震わせる声量で言い募るテバに冷たい視線を浴びせながら、サキは澄まして言った。

    「知りませんよ。そんなこと」
    「知らッ……!?」

     知ったことではない、とは。淡々と無謀を言ってのけるサキに、テバは絶句する。冷水を浴びせられたどころではなく、特大の氷塊をまるごと腹の中に突っ込まれたような、呆然とした心地だった。あんまり驚いて、言葉のつながりが取っ散らかったテバは、嘴をはくはくと開けては閉じる。

    「お前っ、そん、その……あー……どうして……」
    「私がいくら止めても聞かないあなたの言葉を、私が聞く必要もありません。」
    「ッわかった、わかった……怒ってる……んだな? 」

     恐る恐る窺うテバに対し、サキの返事はなく、代わりに傷口に当てられた包帯がぎりぎりと締め上げられる。焼け焦げて肉が露になった箇所に薬を塗った包帯がべたりと張り付いて、滲みると共に壮絶な刺激が広がる。テバは痛みにくぐもった悲鳴を上げた。

    「ッ……ッ! 」
    「心配しなくても、村は変わっていませんよ。皆、警戒して村の中に留まっています。空で爆発音がするから何事か、と騒ぎにはなってましたけど、あなたを見つけた人はいませんでしたよ」

     サキの言葉に、テバはそうかい、と嘴の端をひきつらせながら少し表情をやわらげた。

    「旅のハイリア人の方……リンクさんは、差し金と言うには大袈裟ですが、確かに私からもお願いを申し上げました。“あなたのことをよろしく頼む”と。」
    「やっぱりか……」
     
     道理で俺のことをよく知っていた、とテバは得心がいったように頷いた。
     テバの態度は横柄で威圧的に取られやすいのだと、仲間から苦言を呈されることが多く、実際、それが原因で他所の種族と諍いを起こしたこともある。怖気づかず、気に障った様子もなくテバに向き合ったハイリア人の戦士は、豪胆だった。
     サキは「詳しく話したのはハーツさんですけれど、あの青年の豪胆さはあなたと同じ、性格でしょう」と付け加えた。

    「族長はあなたを止めるよう依頼していらっしゃいましたが、あなたのことです。そんなことは無理に決まっています。それくらいは私も分かります」
    「む……」
    「あなたが、止める人間が増えるか変わったかくらいで意思を曲げる人なら、私は村中の人に頭を下げて『チューリに戦士の訓練をさせないように言ってくれ』、と頼み込んでいますよ」
     
     でもそんなのちっとも応えないんでしょう? とつまらなさそうに言うサキに、テバは眉を下げて苦笑して頷いた。
     その通りだったからだ。誰かに口うるさく言われた程度で、テバが一度決めた考えを覆すことは無い。今回は怒りで我を忘れかけていたから、なおさら他人の言葉なんて耳に入っていなかったが、そもそもテバはそういう頑固な性分だった。

    「あとはそうですね。あなたが『護身用に』と置いていったものはそっくり彼に渡してしまいましたよ」
    「護身用? 」
    「あのバクダン矢ですよ」
    「ああ……? お前にやったものだから、好きにするのは構わんが……。いや、だが、ここに来るまでにこそ使うべきだったろう、ソレは」

     『護身用』と言ってあったのに、と不思議がるテバの頭上から、サキがハアと一際冷たいため息を降らせた。

    「私は戦士ではないんですよ」
    「当たり前だろう」
    「魔物と戦うことはおろか、獣や鳥を狩ったことすらありません」
    「まあ、そうだろうな。そういうのは俺の仕事だ」
    「──弓を引くなんて、土台無理に決まっています! 訓練をしたこともないんですよ!」
    「……そうだった、か? 」

     テバは虚をつかれたようにぽかりと嘴開けた。そういえばリトで女が弓を持つところは見たことがない、などとテバが思い当たっている間に、サキは薬箱から消毒剤を追加で取り出しながら、嘲るように笑って言う。

    「弓も持たぬ私に爆弾矢を寄越して、何になると言うんですか。命を捨てて行く貴方を追って火でも付けて自死しろとでも言うのかしら、と本気で思いましたよ」
    「そんなわけが……馬鹿な! 」

     ──自分の与えたものが、妻の心を死へ追い込んだ? 
     テバは想像もしなかった衝撃に息を呑んだ。言葉を続けることもできず、行き場のない右手で乱暴に頭をかきむしる。

    「もし、たとえ、仮にでも、俺が死んだとてお前に後を追ってほしいなどと望むはずがあるか! 」
    「じゃあ、そもそもどういう意味で渡したんですか? 」
    「それはっ……! 」

     勇んで嘴を開いたテバはしかし、答えに言い淀んだ。
     村を出たときの自分は、親友の仇討ちとバケモノへの怒りで一杯になっていた。カッとなったとき、一二もなく衝動で行動してしまう癖は自覚している。そんな状態のときに、結果をわきに置いても、妻に贈り物を寄越していくような気遣いが出来ていたことに、テバ自身が驚いている。
     そもそも爆弾矢の余分があると記憶に残っていれば、テバは共同戦線を張ったハイリア人の青年にもそう伝えただろう。しかし実際のテバは青年には「用意した分で足りなきゃ自分で都合しろ」と言ったし、妻に託した爆弾矢の存在すら覚えに怪しい。
     ──ではいったい何を思っての贈与だったのか?
     テバは過去の自分の意図に追い付こうと記憶を辿っていく。
     あのとき、テバとしては、サキにはただ待っていてさえしてくれれば良かった。護るべき家族が安全の保障された村内に居てくれれば、後は自分が何とか解決してみせる。全てはテバのやるべきこと。それで万事がうまくいくと見越していたのだ。
     だが、村に広がる不安も、気丈に振る舞いながら内心でそれに怯えている妻のことも、捨て置いていくわけにいかなかった。
     戦士であるテバの役目は、仲間たちや家族、大切なものを護ることだ。神獣騒ぎを解決することが火急の件だったとはいえ、そこを疎かにしては本末転倒。
     だから、傍を離れる代わりに自分を思い起こすものを置いていこうと決めた。そして思い付いたものが、爆弾矢だった。この選択に至るまでにテバの頭でどのような会議があったかはとうに忘れてしまったが、テバは確かに自らの代わりとしてあの爆弾矢を置いていった。そういう格好になっている。 
     だが、テバはここで過去の自分を訝しんだ。
     プライド高いリト筆頭のような意地っ張りの血気盛んで聞き分けの無い男、とからかい混じりに称される己だ。そんな男が、爆弾矢の一束ごときで自分の代わりが務まるなんて考えるだろうか。
     いや、考えない。今このときでもテバにはそう即答できる。
     ──実際、サキの方からも「なんの役にも立たない」と大いに不評を買っている。
     テバの置いてった爆弾矢が為したことと言ったら、サキの不安を煽り、機嫌を損ね、テバへの怒り恨みを増幅させるくらいのことである。眉唾の信心だって泉にお布施を捧げれば安心が買えるというものを、この置き土産はサキが抱える不満の矛先の全部をテバに向けるような呪いを押し付けている有様だ。サキの言を借りるのでもないが、嫌味っぽい。
     思って、テバは気が付いた。
     
    (いや、待てよ。だと──? )
     
     それは言い換えてみれば、サキの想い全部をテバに向けさせるということである。
     村に残していく心配性の妻。
     己の代わりにはならない爆弾矢。
     好いたヒトの心を自分の色だけに染める──とでも言えば、乱暴なやり方に目をつむるとして少しは色気づいた話になろうか。
     それはつまり。

    (つまり──じゃないか)
     
     自分以外を見てほしくない、自分だけを見ていて欲しい──そういう欲望が出るのは、その相手が今に実際何か他ごとに気を取られているからだ。
     だから、悋気なのである。やきもちなのである。
     行き着いた答えに、テバは片手で顔を覆って天を仰いだ。
     さすがに、ばかげている。ついでに過信も過ぎる。己はそこまで青かったか? 

    (『お前が泣く理由は、全部、俺の所為であってほしい』なんざ言えるわけないだろうが! )

     そんな好きな相手の気の引き方も分からねえガキのような振る舞いがあってたまるものか。テバは叫び出しそうになるのを必死でこらえて、ぐうと唸った。
     いくら罵ってみても、実際にいとしい彼女の心をしくしく泣かせた爆弾矢は、希代の名手の弓に放たれとうに空の藻屑と消えていて、やったのはお前だぞという狼煙をあげるばかりなのだ。 

    (──ちくしょう、俺の奴め……)

     テバは思い出そうとしたことを酷く後悔した。感情のまま突っ走る自分の性質を、振り返って反省はあれど悔いることは少ないテバだったが、此度ははっきりと悔いた。
     おまけに、目算と異なり負傷して撤退してきた身では、とても決まり悪くて言えない始末。サキへの答えを探す筈が、自分で退路を断ってしまった。

    「答えられるような言い分すら無いんですか?」
     
     テバが口ごもっている間にサキからの視線が再びどんどん冷えていく。
     これ以上格好がつかないのは不味い、とテバは慌てて視線をサキに戻した。言い繕いは勢いが肝心だ。
     
    「じ、自分で使えないのなら、誰か戦士を捕まえて護衛を頼むものだろうと思っていたんだ。この辺りの魔物なら余程のことがなければ、リトの戦士の弓によるバクダン矢の牽制で安全に進める。峠を東回りを行くハイリア人だって、腕に不安がある奴はそうしているのが常だったろう」
    「こんな状況の村で戦士に護衛なんか頼んでも、村に居るように説得されるに決まっているでしょう」

     怪訝そうにしながらもひとまず納得してくれた様子のサキに、テバはほっと安堵して肩の力を抜いた。そのまま、嘴からもするりと油断が言葉になる。 

    「それにしたって身一つで出てくるのは、みすみす命を投げ出すようなものだろう。戦う術も持たないなら、なおさらだ。どうしてそんな無茶をした。見えていたなら俺が生きているのは分かったろ」
    「どうして、ですって? 」

     「命を投げ出すようなもの」という言い分にぴたり、と動きを止めたサキは、ぶるぶると肩を震わせて自分の中の怒りを収めようと努めた。けれども収まりきらなかった慟哭が嘴をついて出る。

    「あなたが、それを言うんですか。あなたが、あなたの無茶に私たちがどれだけ肝を潰したか! 」
    「サキ……? 」
    「──っ、ええ、ええ。そうですね。あなたはそういう人だもの。分かっています。いつだってそう。一人でおいて行ってしまう。だから私──、あなたよりも先に死ぬのなら、それでも構いませんでしたよ」
    「なんだと? 」

     まさかやはり自死を企てて、とテバが慌てて腕を掴めば、ちがいますよ、と冷めた目で見下ろされる。

    「意趣返しです」
    「何? 」
    「ずっとずっと置いていったんです、これからも置いていくんでしょう。なら、いつかの最期くらい置いていかれる気持ちを味わいなさいな。ええ。先ほど自死はしないと言いましたが……あなたを庇って死ぬのも一つの案ですね」
    「そんなことをさせるか! 」
     
     反射的に否定を叫ぶテバを、だったら! とサキは細い喉を震わせる必死の声で遮った。

    「そうしたくなかったら、生きて、生きて帰ってきてください。私を護るのは貴方でしょう」
    「……! 」

     テバは知らず、掴んだサキの腕に力を入れた。それは弓を握るのと変わらぬほどの強い力だったが、サキは痛いとも言わずにされるがままだ。そしてテバもまた言葉を奪われたように黙っていた。

    「止めろ、とは言いません。私は戦士に嫁いだのですから」

     サキの声は圧し殺すように細く低い声だった。サキ自身でも、とんだ強がりだと分かる言葉だ。だってサキは夫が戦士として出ていった日々を耐えられなかったのだから。テバだって知っている、あのときの自分の背中に投げつけられた悲哀の情を。
     押し潰すような早鐘は止んでいたが、耳鳴りがしていた。テバは嘴を挟まなかった。

    「死に急ぐだけの無謀を勇気とは呼ばない。生き残ることを端から諦めている特攻に誇りなどありはしません。誇りも気高さも、生きている者にしか語れないのですからね」

     サキの非難が何を指しているかは明白だった。リトの伝説に残る、夭逝の天才戦士。100年が経って今この時にそれを追い続けるテバ。そのどちらもの純粋さを危ぶみ、憂いている。
     昔から、一つ一つの悲しみに永遠と心を砕き続ける、優しすぎる女だった。
     だからだ、とテバは思う。
     だから、他の事なんかで泣かせたくなかったのだ。

    「いくら勇ましく誉ある戦士だって……何を残すことも無く死んでしまえば、ただの蛮勇と驕りに成り下がるのです。それを一番歯痒く思っていたのは貴方でしょう」

     最後の言葉だけ、サキは怒りを潜めて、ただ請うように言った。
     言い終わる頃にはサキの腕も、それを掴んでいたテバの手もするりと落ちていて、緩んだ力につられるように、サキの頭がぽすんとテバの懐に寄りかかった。 
     テバはそのまま顔が見えないようにサキを抱き込んで、小さく答えた。 

    「俺が答えられるのは一つだけだ」
     
     テバは抱き込んだまま、サキの細い身体のぬくもりを確かめた。上辺でどんなに気丈にふるまっても、冷えた身体は震えている。やっぱり、自分はこの女を泣かせることばかりが上手いだけなのだ。

    「それでも俺は、アンタを泣かす理由を一つでも多く無くしたくって飛んでるのも、本当なんだよ──……」
     
     だから、その涙の理由を全部自分にしてしまおうなんて乱暴な解決しかできないのだ。

     ──ああ、やっぱり。
     
     サキは抱き込まれたまま、テバの鼓動に耳を澄ませた。少しゆっくりの、規則正しい音がする。やっぱり、この人は分かってやしないのだ。この人は自分が分かってやしない、ということだけを知っているばかりなのだ。

    「そう思うんなら、チューリを危険な訓練に連れ出すのを止めてください」

     顔を上げたサキは、ちくりと嫌味が嘴をついて出た。嘴同士がぶつかりそうな間近に、テバの顔がある。琥珀の瞳に写り込んだ自分の顔は、皮肉の甲斐もない弱りきった顔をしていた。
     互いの瞳の奥に答えを探すように数拍の間見つめあって、テバはサキの髪を撫でる。

    「他には?」困ったように眉を下げた男が柔く尋ねる。
    「脱いだ服は畳んでください」「すまん」「狩りに出る度お肉ばっかり取ってくるのも嫌です」「気を付ける」「カッとなった時の悪い言葉遣いをチューリが真似して困ります」「それは俺も困ってる」「血の染みを抜くのは、大変なんです」「……怪我をせんよう善処はする」

     ひとしきり文句を言ってから、サキはすっと息を吸った。
     
    「私を泣かせないでください」

     ぴたり、と髪を撫でる手が止まった。サキの視線から逃げるように男はゆっくりと瞬いた。

    「そうさな。お前が泣くのは俺のせいだけにする……で許してくれないか」
    「あら、それはできません。私はあなたのためよりも、チューリの先行きを思って泣かねばならないのですから」
    「それはつまり、周り回って俺のせいってことなんじゃないのか?」
    「チューリに危ないことをさせている自覚があるんですね……!」
    「……しまった」

     嘴を押さえて弱り切った顔をするテバに、サキはくすくすと笑った。それを見たテバも困ったような顔のまま頬を緩めた。その顔をサキは知っている。何度も見てきた顔だ。サキが泣く度、何度も、何度も。サキはもう一度ぎゅうと抱き着いて、夫の胸に嘴の先を埋める。
     
    「本当は──私は、あなたにもチューリにも、どこかへ飛んでいってほしくはありません……」

     消え入りそうなほど微かで、くぐもった声だった。聞こえなくても良いと思った。それは、どうしたって叶わない、臆病なサキの独りよがりな願いだから。サキもまた翼の民の一人だから、わかっている。分かりっている。
     サキ、と名を呼ばれて、大きな白と黒の翼が頬をつつむ感触がして、サキの顔を上げさせた。
     
    「──それは聞けない相談だ。俺はリトの誇りにかけて、お前も、チューリも、仲間達も──俺の望むすべてを抱えきれるまで、この翼を拡げると決めたからな」

     戦士の男は怪我の痛みも忘れたような真剣な顔をして言った。

    「そう決めたから……だから俺は、ここに帰って来られるんだ。お前が望む傍に」
     
     サキは、彼の翼を折りたいわけではない。サキは孤独が平気なわけではない。
     ──帰ってきてほしいのだ。必ずそうと信じさせてほしいのだ。
     どうして知っているのか、知らないまま言っているのか、テバはサキの弱音を見透かしたような言葉を選ぶことがある。
     サキの言うことは一つも聞き入れないで、そのくせに自分の我儘は全て叶える、業突く張りな人。
     それでいて彼の選択はいつも正しい。憎たらしいほどに。彼の不偏な正しさは、たとえば、業突く張りの我儘が通った先ではいつも不思議とサキの願いも叶っている。サキの言ったことはすっかり無視されているのに、何故かサキの願いは叶えられて、望んだ幸せが待っている。真摯な業突く張りだ。
     まるで矛盾しているようだが、サキが嘘をついているわけでも、戦士が心を読んでいるわけでもない。彼は業突く張りのせいで、近くにあるものには余計に気が利かない人だから。
     けれど彼の選択は全部を叶えて正しく結末を作る。
     どうして彼の選択はいつも正しいのか。
     サキは戦士から正しい選択を見せられる度に考えた。”正しい”が怖かったから。いつかその”正しい”がサキの望みを間違いと断じて、サキが何か悪い物のように、彼のいる正しい結末からはじき出されてしまうかもしれない、と不安に駆られて怖かったからだ。
     そうして考え続けて出た結論は、彼は”正しい”を選択する度に、彼の夢への距離を払ってしまっている、ということだ。彼は正しいと分かっていて選択するのではなくて、彼の性分が羽毛のように真白いせいで、選択が正しくなってしまう。彼が選択して”正しい”に進むと、代わりに彼の生涯をかけた一番の夢から一歩、一歩と遅れてゆくのだ。
     サキは自分なりの答えが分かった瞬間に、ほっと安堵して、すぐさまそんな自分にザっと顔を青くした。たいした妄言だ、と誰かに笑い飛ばしてほしくて、慌てて戦士の古い友人にそっくり話した。
     その古い友人は、困ったように笑って、サキの推論を否定しなかった。「そうかもしれない」と言ってから「でも、そうじゃねえといいと思ってるよ」と続けた。似たようなことを考えたことがあるのだ、と呟いたその古い友人は、不安の海にからからと乾いた諦観がぽつりと浮き出てしまった顔をしていた。
     そのときのひどく色の無い表情を、サキは今も忘れることが出来ないでいる。
     本当に、馬鹿な人。それは誰の事なのか。サキは自分の問いに蓋をして、業突く張りの男にそれはそれは美しい笑みを向けた。

    「あなた、本当に、そういうところですからね」

     手当てを再開し、包帯を巻き終えたサキは、最後にぺしん、と戦士の脚をはたきつける。テバはやはり、くぐもった悲鳴を上げ、苦悶の表情を浮かべた顔を片手で覆った。けれど、もう片方の手は、サキを抱いたままだ。──彼を生かしているのは、他でもない、彼の底なしの意地と夢だから。

    「──だから私は、籠から出て行かれないのに」

     怒鳴り、振り回し、サキの制止を聞かないテバは、けれど今までただの一度も、サキの弱音を咎めたことがない。彼が泣いているサキの傍に帰ってこなかったことは、一度もない──これからも一度すら無いと──彼が決めたことなのだ。



    「ハーツ、調子はどうだ? 」
     
     リトの村上空に爆発音がたなびいて、二日の後。自宅療養につき休業中の弓職人ハーツのもとに、客が訪れた。つう、とんとん。つう、とんとん。村の木張り階段を登ってくる客の足音が、微かに何かを引きずるような軋みを持っていたことをハーツの耳は聞き逃さなかった。
     とん。足音が止む。ハーツは弓の検品をしている手を止めないまま、ちらりと視線だけを入り口の方にやって、皮肉っぽく嘴の端を上げてその客の名前を呼んだ。

    「テバ」
    「おう。戻ったぞ」

     ぎゅっと眉間に皺を寄せた仏頂面に横柄な態度で、家主の許可を取ることもなくずかずか上がり込んできたテバは、そのままハーツの隣にどっかり座り込んだ。胡坐をかいた足には白い羽毛に隠れきれない白い包帯が何重にも覗いている。
     生成り地のように白い紙に白い羽毛にすっと差し込む渋い黒の縞、金の瞳に黒い隈取をしたリトの戦士テバは、ハーツの昔なじみの男だ。黒い羽毛に青い隈取と緑の目をしたリトの弓職人のハーツとは、白黒互い一人でいると景色に浮くのに、二人で揃うと途端に目立たなくって、ガキの頃の悪戯には重宝した。
     おしめを替えられていた頃から隣り合って、羽根の生えそろうのも弓を引く資格を得るのも、共に歩んできた親友で悪友、付き合いは勝手知ったるものだから、互いの家だってほとんど境界があって無いようなものだ。
     ハーツはテバの不作法を咎めずに問いかける。

    「思ったより早かったな。テバ。お前こそ調子はどうなんだ? 」
    「なんだ、もう知ってるのか」
    「お前が“無茶”をしに出て行って、怪我をこさえずに帰ってきたことがあったかよ」
     
     そう言ってやれば、テバはさっきまで神妙に引き締めていた顔をけろりと変えていつもの顔になった。

    「無茶じゃない……戦士としてやるべき仕事をやり、務めを果たしただけだ」
    「意地っ張りが。やりたいことをやった、の間違いだろ」

     もっともらしい顔をして気取ったことを言うテバが面白くなくてハーツが皮肉ると、テバは顔をしかめてちぇっと舌打ちをした。自分の前では増してガキのような部分の抜けない奴だ。
     この男テバは、つい最近まで“戦士の仕事”に出ていた──リトの村に住むリト族をたちを脅かす謎の化け物を倒す──暴走した神獣ヴァ・メドーを鎮める仕事だ。
     メドーは不気味な赤い炎を纏って村の上空を回遊する、大きな絡繰りの鳥だ。
     羽ばたきもせず空を飛び、弓を待たずとも千里の先を射る砲を持ち、その雄大な飛翔を妨げようとする攻撃すべてを防ぐ障壁をまとう、巨大な絡繰りの鳥。
     かつては伝説に聞く一族の英雄リーバルと共にこの地に住まうハーツらリト族を守護する守り神だったという絡繰り鳥メドーは、なぜか伝説から100年経った今になって、リト族達を襲う化け物として現れた。
     リトの子らに英雄譚として聞かせるその伝説によれば、メドーは一基で山をも覆い尽くす魔物の軍勢を蹴散らしたという。それなのに、今回の鎮静任務であのメドーに立ち向かっていったのは、このテバたった一人だった──いや、一人にさせてしまった・・・・・・・のだ、俺が。

    「──お前が腕で、俺が脚。万夫不当の兵器様に爪を立てて、それだけで済んでんだ。上々だろう」
     
     テバの視線はハーツの左腕に注がれている。そこには真新しい包帯が巻かれている──神獣ヴァ・メドーに負わされた傷だ。ハーツは初め、テバと共にメドーの偵察任務に出た。そこでハーツが怪我を負って、初めてリトはあの守り神が狂ってしまったことを知ったのだ。
     あまり思い出したくない話だ。ハーツはフン、とそっぽを向いて鼻をならした。
      
    「はあ。まだ村の上にゃメドーが飛んでるみてえだが……お前が大人しく帰って来たってことは、ひとまずの“借り”は返してきた……そういうことなんだな?」
    「まあ快勝とはいかないが……逃げ帰るよりはマシな戦果だな」
    「それは俺へのあてつけかよ?」
    「お前の仇を一緒に取ってやったんだ、感謝してくれていいぞ」
    「おーおー最初に誰かさんが憧れ欲張って飛び出さなきゃそもそもそんな尻拭いの必要もなかったはずなんだがなァ!」
     
     ケッとそっぽに吐き捨てたいつもの売り言葉に買い言葉、テバがすぐさま軽口をたたいて返してくるものとハーツは思っていた。
     しかし、ハーツが振り返ってみるとそこには苦虫をかみつぶしたように顔をしかめて黙り込んでいる浮かない男の顔があった。

    「な、なんだよその顔……」

     ハーツは言葉を詰まらせた。何を言ったらいいかわからなかった。そして場をつなぐはずのテバの言葉も、なかなか二の句が出て来ずどうして歯切れが悪い。

    「いや……悪かった。お前を巻き込んだのも、勝手に飛び出したのも、俺の落ち度には違いない……から、な」
     
     ぼそぼそと紡ぎ出された言葉に、ハーツは目を丸くしてテバを見た。テバは素直な男だ。思い込んで一直線に突っ走って、けれどそのせいで取りこぼしたものについて反省ができる男だ。だから、仕事に同行したハーツを負傷させたことを気がかりにしていること自体はそんなに意外なことでもない。
     だが、長い付き合いのハーツに対して、こんな直接に殊勝な謝罪を表すことなんて今まではなかった。お互いに何事も意地を張らねばいられない性格くらい知っている。一度張った意地を何処にもどかせない、どうしようもない男なところが同じに似ているのだ。だから波長が合った。だから悪戯をするのも訓練をするのも一緒に意地を張ったのだ。どっちが勝つかどっちが先に行くか、どっちが正しいか。競って煽って、顔を合わせれば挨拶に喧嘩をするのが俺たちだろう。

     ──調子が狂うぜ。
     
     メドー鎮静の仕事の前と後。それでこの男の何が変わってしまったのだろう。
     それともテバが変わったのではなく、ハーツが友としてこの人生を隣で見てきたテバという男の姿が、虚像だったのだろうか。

     ──これも、“あの御仁”のせいなのか。
     
     ハーツは思い出す。メドーが現れて、襲われたリトが地上に追いやられて、テバが村を飛び出して。それから少し後に、村を出立したとある“旅人”がいた。
     観光地にもならない窮状のリトの村を訪れて、あちこち話を聞いて回ったかと思えば、翼を負傷して撤退したハーツに代わってテバの無茶に付き合おうと二つ返事で言った、変わり者のハイリア人の青年だ。
     
     ──ため息ばかりの族長も、泣き折れていたサキさんも、突っ張ってたらしいテバも……“あの御仁”に会ってから、何か別のものが見えてるみたいに、腹を据えちまった。

     ハーツだってあのハイリア人に何か感じるものが無かったわけではない。不思議な群青の翼の剣の一本を背負って身軽に旅をするあのハイリア人の瞳は、見ているとまるで果てなしの空を覗き込むように青くて、彼が村を出立する時ハーツはつるりと『テバを頼む』と嘴にしてしまっていたのだから。
     
     ──それでも、本当にテバを変えて、テバと一緒にリトを脅かす空の規律を守っちまったのが、あのハイリア人だなんて……俺は、信じられねえんだ。
     
     そこは、今までハーツが立っていた場所だった。ハーツが飛んでいた空だった。自分が隣で導きたかった空だ──そこまで考えて、はっとする。

     ──うるさい、うるさい。ガキの駄々みてえなこと考えやがって、情けねえ。

     ハーツはかぶりをふって沈みかけた思考を振り払った。

    「ちっ、空気が湿気るぜ。まだ本調子じゃねえな……」
    「……はは、すまん」
    「だ~から、そのしおらしいのを止めろってんだ、気味が悪ぃ。……まったくよ」
     
     本調子でないのは自分のことだ。だが、そうと勘づかれたくなくて、ハーツは靄のかかった頭脳を叱咤して話題を探した。ついと下を向いて、テバの白い腿に巻かれた白い包帯が目に入る。
     そして脳裏に閃く人影があった。血相を変えて村を飛び出し、テバの傷の処置をしてやっただろう人物のことだ。

     ──しおれてるんなら、意地を張ってるところを引っ張り出してやるか。
     
     この家まで近付いてくる時の足音の不規則さを突っ込んでやろうと嘴を開きかけて、ハーツは少し考え、もっと面白そうな弱みの方をつつくことにした。
     
    「そうだ。で、サキちゃんは、何て? 」

     ハーツがついっとテバの脚の方を指さすと、テバは、ああ、と頷いて巻かれた白い包帯を手で撫でた。
     
    「……『“護身”の意味を辞書で引いてこい』と言われた」
    「ほう? 」
    「村を発つ前にな、サキに護身用だと言って包みを渡したんだ」
    「そりゃお前にしちゃ殊勝なこった」
    「ああ。俺も何を渡したのかすっかり忘れていてな。サキに言われて初めて思い出した。……“爆弾矢”を置いていったらしい」
    「はぁ? 爆弾矢ァ??……おまえ、阿呆か?」

     すっとんきょうな声が出た。テバの妻のサキは、武器など持ったら血の気にめまいがして倒れてしまいそうな手弱女だ。弓なんて引かせたら弦の反動で身を切りかねない素人であることはハーツも近所づきあいで知っている。
     
    「弓の引けない相手に矢を渡してどうすんだよ、せめて弓置いてけよ弓を。振り回してぶん殴るくらいには使えるだろうが」

     呆れ果てた声で馬鹿にすると「俺もそう思う」と神妙な顔をしてテバが頷く。いつもの調子が戻ってきた。「それで?」ハーツは内心ほっとして話の続きを促した。

    「それで『私にこんなもの渡すよりも、貴方が持っていく方がよほど“身を護る”ことになる』と」
    「ははあ……優しい嫁さんで良かったな」
    「ああ。本当に」

     しみじみ言うテバを小突いて「今度何かお詫びにプレゼントでもしてやることだな」とハーツは助言した。きっとそのプレゼントも爆弾矢ほどでないにしろどこか抜けた代物になるのだろうが。次の飲み会の話の種が決まった。ハーツがほくそ笑んでいるのに気づかないで、テバはガサゴソと何やら手荷物を探っている。
     
    「それでハーツ、腕はどうだ」
    十分じゅうぶん飛べる」
    「そんなことは知っている。もう仕事ができる状態なのか、と聞いている」

     助けてもらった手前に意地を張ることもできず、ハーツは少し決まり悪そうに黙る。翼を広げるにも痛みは残っているが、直にマシになるだろう。少しの間思案して「問題ない」とハーツは答えた。

    「弓は作れるのか」
    「細かな細工はまだ不安定だが、一通りの作業はできる。材料は十分残っているしな、食っていくだけの仕事は果たせるよ」

     テバは少しほっとした様子で「そうか」と呟いた。その様子を見てハーツは、テバが神獣偵察の後に負傷した自分を村に運び込んだっきり、すぐさま飛行訓練場に舞い戻って策を弄していたことを思い出した。ハーツは村を出て行くテバの姿を見送ることもできなかったのだ、テバの方だってハーツの怪我が実際にどの程度なのか知らないままだったのだろう。

    「お前、凄い形相で飛び出してったらしいもんなァ。ギザンに聞いたぜ」
    「凄い形相ってもな……俺はいつもこの顔だ」
    「それがさらに怖い顔してたんだって言うんだから、見逃したのは惜しいぜ」
    「人の顔を見世物扱いするな」
     
     むくれるテバをひとしきりからから笑ってやって、ハーツは尋ねる。

    「それで? 本題は? 」 

     顎をしゃくって用件を促すハーツに、ああ、と頷いたテバは、片手に持っていた一枚の紙を突きつけた。
     癖のある手書きで細かな文字の並んだ紙切れをよく見ようとハーツは顔を近付ける。 
     書いてあるのは、大まかな手形の寸法に握り癖の寸評、材質指定に工期のスケジュール……
     そこまで読んで、ハーツはポロリと手に持っていた工具を落とした。
     ──これは、弓の発注書だ。

    「仕事の依頼だ。“オオワシの弓”を仕立ててほしい。今すぐに始めてくれ。三日後の……昼までには要る」
    「ハァッ? 」

     突然の要求にハーツは目を瞬いてすっとんきょうな声を上げた。依頼の性急さではなく、その理由に動揺したのだ。
     “今の”村の状況で、戦士である親友が弓を要求する理由なんて一つしかない。

    「お前っ、そんな怪我しといてまだメドーに突っ込むつもりか?! 」

     カッと衝動のまま浴びせた大声は、驚きよりも怒りが勝ってごろついていた。ハーツはテバの返事を待たずに言い募る。

    「お前はオオワシの弓は合わなかっただろうが! ただでさえ取り回しの悪い弓をそんな怪我した状態で使うってんのか? ふざけんなよ。折角拾った命をまたドブに捨てる気か!」
    「ちがう、俺のじゃない。“ハイリア人用”に調整してほしいんだ」
    「はあ?! 」
     
     勢いをものともせずに遮るテバの発言に、ハーツはつんのめるようにして目を見開き黙る。
     
    「“アイツ”は左打ちだ。引き癖は無いが力が強いからしなりを調整しろ、他の強度や重さ大きさは必要以上に変えなくていい、寧ろ、できるだけ変えるな、折角の威力が落ちる。あとは…… 」
    「おい! ……待てよ……! 」
    「なんだ。ああ、湿地を歩くことも多いようだから塗装には気を付けた方がいいだろう」
    「待てっつってンだろうが! 」
    「なんだ。不都合でもあるか? 」

     淡々と弓の仕様について補足をしていたテバをようやくハーツの喧嘩腰の声が遮った。テバは何が親友を怒らせているのか分かっていない様子で、ただ朴訥に尋ね返す。

    「お前、本気で言ってんのか」
    「無理か? 」
    「無理か? 無理じゃねえよ、俺はリトの弓職人だぞ。出来るできないの話じゃねえ。本気で『あのハイリア人のガキにオオワシの弓をくれてやる気』なのかって聞いてンだよ!! 」 
    「ああ。族長にはもう話を通してある」
    「お前ッ……」

     調子を変えずに頷いたテバに対して、ハーツはますます表情を強張らせて、鋭い目付きで睨む。

    「……俺を納得させるだけの理由を寄越せ。じゃなきゃ俺は弓をつくらねえ」
    「どうした。お前らしくないな、ハーツ。そこまで意固地になるなんて」
    「らしくない? そりゃてめえのことだろうがよ、テバ。ここで問い詰めなきゃ俺はお前の親友なんてやってきてねえんだよ」

     平淡な態度を崩さず冷静なテバに対して、ハーツは肩をいからせ、口調を荒げて逆上している。いつもの二人の言い争いとはまったく逆転している状況だった。

    「お前の弓を作ってきたのが誰だと思っていやがる」
    「勿論、お前だ」
    「その俺に断りもなく、『弓をくれてやる』って? 何があったんだ。何がてめえにそんな事をさせる? あれは、まだ……お前の弓だろうが」
    「俺の弓はこのハヤブサの弓だ。お前の言うとおり、俺にはオオワシの弓は扱えなかったからな」
    「今はまだ扱えねえって話だろうが。これから、この先……いつかお前が引くために、と作った筈だな、あの弓は。」
    「いつか、扱える時が来たら……か」

     「それではダメなんだ」と言って、テバは目を伏せた。ハーツは「だからその理由を言えと言ってんだろ」と、もどかしそうに訴えた。

    「あの弓は、綺麗に飾られて棚に仕舞われているべきじゃない。オオワシの弓は空を駆けて、標的を射抜くためにあるべきものだからだ」
    「はあ? 」
     何を当たり前の事を言っているのか、とハーツが顔をしかめたが、テバは気にせず話続ける。
    「ハーツ。どうして、俺たち戦士は弓を好んで使うのだと思う? 」
    「……空の支配者として、空中戦が本領だからだろ」
    「槍だって剣だって、空中戦はできる。風切羽の武具はわざわざそのために軽く、片手でも扱える形に誂えられた。それに、弓を射るには、両の翼を塞いで、空中の有利を一切かなぐり捨てる必要さえある。」
    「それは……」
    「ハーツ。お前が翼を撃ち抜かれた隙が、何によるものだったか、忘れちゃいないだろう? 」

     ち、とハーツは舌打ちをして、目を逸らした。あまり思い出したくない出来事だ。村のリトを代表して神獣の偵察に向かったとき、テバとハーツ、二人が共に向かったにも関わらず、ハーツだけが負傷して帰還した。テバはそのときのことを言っている。
     あのとき、近付いた途端に暴れだした神獣に、テバとハーツは鎮静を試みた。見たことも無かった古代遺物の操り方なんて知っている筈もないので、物理的に破壊することで機能停止を図ろうとした。
     そしてハーツは砲台を壊そうと弓を構えた隙を、神獣の熱光線で撃ち抜かれたのだ。
     リトの戦士の翼は両腕だ。ハーツも弓を構える瞬間が無防備になることは理解していた。だが、理解していただけだった。空中で、自分達以上に正確かつ自在に攻撃をしてくる相手なんて、今までいなかった。その油断を見透かすように、神獣の熱光線は正確に隙を捉えてハーツを撃ち落とした。
     そこからの顛末は、ハーツにとって人生で一二を争う失態の連続である。動揺に気をやって、落ちるがままになっていたハーツは、テバに救助され、そのまま撤退を余儀なくされた。空の支配者がおめおめと逃げ帰ることになったのだ。リトの仲間たちの落胆と神獣への恐怖はますます深くなった。
     そして仲間を傷つけられたことに憤ったテバが、こうして怪我をするほどの無茶をし通した。テバが飛行訓練場に出ていったきり帰ってこなくなってから、ハーツは親友として供をすることも止めてやることもできずに歯痒く座り込んでいるだけだった己の無力さを、何度呪ったか分からない。
     黙り込んでしまったハーツに、テバは「質問を変えよう」と話の切り口を変えた。
    「弓は何のために生み出されたものだ? 俺たちは弓を何のために使う? 」
    「射るためだろう。遠くの狙いを射抜くためだ」
    「そうだ。弓とは、剣や槍では届かないものを射落とすためのものだ」

     地から離れられない種族たちはどうやっても空を飛ぶ鳥に追い付けない。鳥の気まぐれに地に降りたところを待ち続けて、無為に時間を浪費する。だが、弓を手にしたならば、彼らは立派に空の民と渡り合う力を持つ。

    「そのままでは届かないものを、射落として、引き寄せて、手を届かせるもの。ヒトが抱える傲慢と希求を叶えるのが、弓だ」

     では翼を持つリトの戦士が弓を極めるのはどうしてか。

    「翼を持つ俺たちの抱える傲慢と希求。それは……」
     
     テバは試すようにハーツに視線をやった。ハーツは耳だけで話を聞いて、そっぽを向いている。
     英雄に憧れた俺たちは知っている。
     ハーツは散々と見てきた。戦士を目指した幼馴染みも、オオワシの弓を持ち出してはこっぴどく怒られていた悪友も、夢を追い続ける親友も、リトの戦士が生涯の飛路の先に何を見ているのか。どうしてあくなき鍛練を重ねて飛び立つのか。

    「“空に果てがない”からだ」

     ぶっきらぼうに言ったハーツの答えに、テバはふっと眉を弛めて笑って頷いた。いつもハーツが弓を直してやるときに、その出来に少し嘴の端を歪めて満足そうに頷くのと、同じ笑い方だった。

    「リトの戦士は弓を引く。リトの戦士が余人ではたどり着けぬ空に在ってなお、届かぬものに手を伸ばすからだ」
     
     果てのない空に、果てを望むのがリトの翼だ。と、そう断言するテバが、誰よりも果てなく飽くなき挑戦をしてきたことを、ハーツは思い出していた。

    「果てなき求道こそがリトの誇り。届かないものに挑み続ける心が、リトに弓を取らせる。弓を取るのは、羽ばたき続ける、という誓いだ」

     そう言ってテバは、こぶしを握りしめ、一つ頷く動作をした。ハーツにはテバが自分自身に言い聞かせている様子にも見えた。テバは昔から変わらずにリトの英雄の誇りをまっすぐ信じ続けている。そんな親友の眩しさは、戦士の道を退いたハーツにとってはおおよそ憧れ羨むものだが、ときに引き裂きたいほど煩わしく感じる。ハーツがこのとき持ったのは後者の方であった。

    「お前に誇り高いプライドがあるのは分かったさ。もう随分ながく知っている。だけどな、その誇りとオオワシの弓をくれてやることと、どう関係がある? 」

     ハーツは冷徹な声色で追及した。テバという男は無意味に回りくどい話をする人物ではない。そう知っているから、延々と話の根幹を逸らされているような態度が気に入らなかった。
    「関係はある」詰問じみた厳しい声に動じず、テバは訴え続ける。
    「俺たちは弓を持つ。持とうとする。空への希求あるかぎり。だがな、弓は、射るものがなくては存在し得ない。──今のリトにはオオワシの弓は影こそあるが、存在していないのと同じだ」
     ハーツは眉をひそめて反論する。
    「弓は弓だろう。放っておいて氷のように溶けるでもない。手入れをしなけりゃ壊れるが、壊れたって弓は弓だ。オオワシの弓は今でも、作り方が残って、継承されてる」

     つい数年前だって、テバのためにオオワシの弓を仕立ててやったことは弓職人ハーツの記憶に新しい。そのオオワシの弓は数週間もしない内にハーツの元へと戻ってきた。青く染めた筈の弓身は血に塗れて薄紫めいていた。そして扱いの難しい大弓を使いこなしてみせようと無茶な訓練をしたテバは、今よりずっと酷い大怪我をして帰ってきたのだ。

    「使い手こそいなくなった。けどリトの弓職人たちはずっとオオワシの弓を次の世代に残し続けた。俺達だって、そうするだけだろう」
    「いいや。そうじゃない。弓は死ぬ。空に“鳥”がいないままでは、弓が死ぬのさ。オオワシの弓は死んでしまっている。いくら形を複製しようとも、今のリトでは……オオワシの弓は“戻らない”。俺は、戦士の一人として、このままにはしておけないと思う」テバは強く否定した。
    「空に“鳥”がいない? 」意味を測りかねたハーツが尋ね返す。
    「飛ぶ鳥は尽きてしまったんだ。ハーツ。オオワシの弓を弓として負うことができる戦士はいなくなった。オオワシの弓が射落とすべき果ての陽炎を見る者さえも。空に鳥がいないのなら、弓は仕舞われて、ただのガラクタになってしまうんだ」

     弓はある。だが鳥がいない。
     弓を負う鳥も、弓に追われる鳥も、今のリトには両方ともがいなくなった。
     飛ぶ鳥がいなければ、射落とすべきものがいなければ、どんな良弓名弓も蔵に仕舞われてしまう。
     埃をかぶり、塵のように埋もれるか。弦も無くして、壁飾りの一部のようになってしまうか。
     それはもう、弓として在るとはいえないのだ、とテバは言う。
     
    「……なるほど。たしかにお前の言うように、オオワシの弓は英傑様が死んでから、ずっと蔵の内で死んでいたのかもしれねえな。──だがよォ」

     一分の理解を示してみせるが、しかし、ハーツは釈然としない気持ちのまま吠える。リトの英傑の使った名弓が、もう長いこと日の目を浴びていないことはハーツにとって何の不思議もない当たり前のことだ。あの弓は、使用者の負担を度外視した、常識外れな弓だ。自ら使い手を選ぶという噂の伝説の剣にも似た、自分勝手な暴れ牛のような大弓だ。

     そんな弓のことはどうでもいい。
     ただハーツが認められないのは、リトの英傑が使ったという、それだけの事実で、あの弓を使いこなす者こそが最強の戦士だと謳われることだ。
     ──あの弓が使いこなせないのであれば、その者はリト最強では無いのだという。
     ──そんな基準で、あいつの負けを決めるって言うのか?

    「じゃ、何か? お前がオオワシの弓を譲ろうって言うあのハイリア人の野郎は、俺たち以上に優れた“鳥”だって言うのか? ああ? あいつなら、弓を死なせずに済むって? 俺でも、いや。テバ、お前だ。お前でさえも、”出来なかった”ってのに! 」

     この幼馴染みを一番に誇りに思っているのは、なんのことはない。ハーツ自身なのだ。ずっと、ずっと見てきたのだから。 
     
    「お前が夢を諦めるってだけなら止めはしねえ、お互いもう子供じゃねえんだ、ほんとにほんとの引き際だってなら、分かってるんだろう。あの弓はまた蔵にしまって、リトの村には変わんねえ伝説だけが残って、それで仕舞さ。──でも、あの弓を別の誰かにくれてやるっていうのは、ワケが違う」

     声を振り絞るようにハーツは訴えかける。

    「それはっ、てめえが負けを認めちまうことだろう?! 追いかけ続けたあの英雄にじゃない、リトの誇りも悲願も知らねえどこぞの他人に負けを認めちまうってことだろうが! リトのプライドはこの際いいさ。ただお前が、お前自身のプライドを諦めることを、どうして俺が飲めるって言うんだ! 」

     ハーツは叫んで、それきり顔を上げることはなかった。

    「ハーツ、……ハーツ。話を聞け。いい加減こっちをちゃんと見ろ。まったく……随分機嫌が悪いと思ったぜ。お前、勘違いをしているな? 」
    「……何がだよ」

     憮然とした声で聞き返すハーツに、テバは、だから、此方を見ろと言ったら。と繰り返した。

    「あのなあ、ハーツ。これが諦めた人間の顔に見えるか? 」

     ハーツがしぶしぶと首を動かして見据えたテバの顔は小憎らしい下がり眉の呆れ顔だったが、たしかに夢潰えた忸怩たる表情でも、潔い敗者の表情でも無かった。

    「なんッでお前の方がぴんぴんしてんだよ……」
    「こっちがききたい、どうしてお前の方がそんなにピリピリしてるんだ。ポカポカ炒めでもヤケ食いしたのか」
    「お前じゃあるまいし」

     顔を見たら見たで表情に文句をつけるハーツは、しかし先ほどまでのような殺気だった様子ではなくなった。ようやくまともに話ができそうだ、とテバは息をつく。

    「なあハーツ。俺は諦めたわけじゃない。寧ろあいつのおかげで気が充実しているくらいだ。俺の信じた英雄は確かに彼処にいたんだ。それが分かっただけで、俺は明日が開けて見えて仕方ない」

     この弓を持って自在に空を翔けるリトの戦士はいなくなってしまった。稀代の名弓は蔵の中で埃を被るばかり。

    「だが俺は見たんだ、この弓を背負い空を翔ける、あの人と同じ翼を持った男を……」

     テバは夢見るように言った。幼い頃に英雄譚を捲っていた時の声に似ていて、事件からこっち久方ぶりに聞いた高揚した声だった。
     オオワシの弓は「英傑以外に扱える者がいない」。この100年、変わることはない事実だ。しかしそれはテバを含めて今まで“リトの戦士たちはみな挑戦していった”ということである。 

    「俺は自分の選んだ道を疑ったことはない。それは本当だ。だがな、うん。思えば、ずっと空が息苦しいと感じていたよ。進めば進むほど、首を締められるようだった。見えない天蓋の中に水が張ってあって、そこに顔を突っ込んで息を止めたまま飛び続けているような」
     
     ハーツは驚いた。転んでも転んでないと言い張るような意地を張ってカッコつけ続ける目の前の男が素直に弱音を吐くとは、思いもよらない事だった。ほんのチビのとき、族長のスパルタな訓練でさえ弱音を吐かずに黙々と夢を追っていたテバが、「苦しい」と言葉にするときがあるとは。

    「だが、俺は鳥を見た。俺よりも高く遠くへ飛ぶ鳥だ。お蔭でその向こうにも空が続いていることが分かった。そして俺には弓がある。俺の手にもまた弓があるんだ」

     弓は遠くあるものを射落とすものだ、テバは先ほどの結論をそう繰り返した。
     遠くあるもの。
     リトの戦士はみな、鳥の射落とし方を知っている。リトの男子が戦士として認められるための第一の慣習として、渓谷を横切るコンドルを空で射落として、その身を空中で受け止める、というものがある。コンドルの素早い飛翔に追いつき、正確にその飛翔ルートを見極めて、予測の通りに矢を放つ。
     そのために、リトの男子は何よりもまず鳥を射るために弓の腕を鍛えるのだ。

    「姿は見た。距離も前よりずっとハッキリ分かる。──なら次は俺が、あの鳥を射落としてみせる」
      
     お前、いつからそんなに嘴が上手くなったんだ。今まで俺にいっぺんでも嘴喧嘩で買ったことなんて無いくせに。そう考えて、ハーツの喉からはその言葉が出ていかなかった。
     テバの言葉に、ハーツは己の敗北を悟ったからだ。
     ハーツには今度こそテバの言葉を否定する事ができなかったのだ。
     いや今このときだけの話ではない。ハーツは今までもずっと、テバの夢を語る言葉を否定できた試しがない。
     昔、若いテバとハーツが一緒に戦士として認められてその名を並べたとき、テバは今と同じことを言ったのだ。
     何度も何度も伝え聞いた御伽噺に出て来るリトの戦士。幼い二人一緒に憧れて、追いかけ続けたリトの英雄、天上に辿り着いた鳥。最強の戦士にして誇り高き空の支配者と伝承に残る影法師に、追い付いて、追い抜いて、上を取ってみせたぞと叫ぶのは己だと。
     弓を習い、翼を鍛えて、とうとう戦士として村に認められた日、テバは「あの鳥を射落としてみせる」と今と同じことを言った。それはハーツも同じこと。テバは今もずっとそう思っているのだろう。
     だがハーツがその日見ていた鳥は、英傑の影法師なんかでは無かった。
     射落として、手に届かせる。
     手を伸ばすだけだった憧れを、必ず越えてみせる。
     そうやって走り続ける親友の姿にこそ、ハーツは憧れた。英傑を目指して戦士になった若き日からずっと、ハーツが追っていたのは、テバを通して見る英傑の憧憬だ。
     伝承の英傑と同じ、届かぬ果てに挑み続けるその気高さに。
     憧れた。
     となりに立っているのが誇らしかった。
     ずっと同じものを見ていたいと夢を見た。

     ──あのときも。

     ハーツが弓職人の家業を継ぐために戦士の道を退いたとき。
     テバはハーツを引き留めなかった。弓職人になるのか?と確認するように聞いてきて、そうだと頷けば、じゃあ俺の弓はハーツが作ってくれるんだな、と何の疑いもしない顔で嬉しそうに言いやがったのだ。
     ハーツは約束やぶりを一発ぶん殴られるくらいの覚悟をして打ち明けたと言うのに、テバはハーツが裏切るなんて考えたこともない顔をして、お前は俺の夢を信じてくれるよな、と笑うのだ。
     それが、ハーツにとって人生で一番に腹立たしくて、同時に一番の喜びを覚えた記憶だった。
     
    「さて。──“出来ない”とは言わせんぞ、ハーツ」

     勝ちを確信して、あのときと同じ妙に嬉しそうな笑みを浮かべたテバが言う。若いときと違って今はハーツの胸中をしっかり見透して言っているテバの笑顔は、にやりとした渋みが腹立たしいことこの上ない。

    「……出来るできねえの話じゃねえ、って最初に言っただろうがよ。ああ、ああ! お前とはいつもこうだ、俺ばっかりが損をする! 」

     ハーツはぐぐぐ、と喉の奥で唸り声を上げてその顔を睨み付ける。テバは余裕綽々笑ったままで、ハーツの苛立ちは収まることなく加熱する。

    「俺のお蔭で割りの良い仕事が増えるんだから寧ろ“得”だろう? 」
    「なあにが“俺のお蔭”だ! さんざん人を心配させやがって、挙げ句にクソ面白くもねえ仕事持ってきやがって! 骨折り損って言うんだよ、こういうのはな! 」
    「サキだけじゃなく、お前がそこまで心配性だとは俺も知らなかったな。今後は気を付けてやるとしよう」
    「おうおうそうさ、俺はお前ほど肝が太い無鉄砲じゃねえんだよ。てめえテバこれだけ大口叩いておいて、俺の弓も死ぬなんて事になったら一生お前を恨んで化けて出てやるぞ……! 」
    「それは大丈夫だ。俺が飛ぶ限り、お前の弓を蔵にしまわせはせんから、安心しろ」
    「おっまえ、なァ……! 」

     いけしゃあしゃあと言ってのけるテバに、ハーツは声どころか全身を怒りにぶるぶる震わせて、十年来の心の底からの叫びをぶつける。

    「俺は、お前の為の弓だけを作ってんじゃねえんだぞ! 馬鹿野郎! 」

     そうだったか? と生意気に首をかしげてみせるテバの頭をハーツの右手が思い切りぶんなぐって、ぎゃっ! と心にもないだろう悲鳴が上がった。

    「ハーツてめえ何しやがる! 」
    「うるせえ! ケガしてる方の手で殴ったんだから大して痛くもねえくせに騒ぐな! 」
    「いや本当に何してるんだお前!? 」

     怪我が悪化したらどうする! とばたばたハーツの腕を取って振ったりひっくり返したりあれこれ確認するテバをハーツは鼻で笑ってあしらって言う。

    「テバよォ、お前死ぬまでずっと俺の作った弓だけ使うつもりなのかよ? リーバル様を越える戦士になるって息巻いて飛んでくのに、俺の弓で、届かない伝承に挑むのか? 」
    「なんだ急に」
    「いいから答えろよ」
    「答えるもなにも、ずっとそうだっただろう。これからだってそうだ。俺は、ハーツ、お前と一緒に夢を追ってきたんだから」

     何を当たり前のことを、とテバが不思議そうに言うのを聞いて、ハーツは今日ようやく、声を上げて笑った。

     ──俺の弓はとっくのとうに鳥を射落としていたらしい。

     夢追い続ける、朝日の光のように白く美しい鳥。そいつが飛んでいくのを見ていたくて、鳥が夢に追い付くのを、誰より近くでその瞬間を見てやりたくて、手を伸ばしていた。
     伸ばした手は翼となって、いつしかあの白い鳥と同じ空を共に飛んでいたのだ。



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