染まりあう体温 廊下の一番奥の教室からギターの音が流れ、踊るように軽快な足取りで進む少女の身を纏う。それに乗せるように、歌詞のない歌を口ずさみながら教室の前まで来た少女は、頭上の水玉オレンジのリボンを指先できゅっと整えたら、中の人を驚かせないように軽く、ドアを横へスライドさせる。それでも少女にすぐ気付いた中の青年は、言葉の代わりに、ピックを持つ手を揺らせた。
「えへへ、カイト兄のギターが聞こえたから、来たんだ」
明るさは十分保てているものの、光が直接には差し込まないこの教室はひんやりと涼しい。外よりやや温度の低い空気を切りながら、リンはカイトの傍へ歩いていった。やはり言葉にはせずに、カイトは一つ微笑んで、演奏を続けた。
「あっ、ここにもキーボードが置いてある~! セッションしてもいい?」
「うん」
頷きと共に了承したカイトは手を止めず、しかしリンが入りやすいように、フリーダムに弾いていた不規則なコードを安定した進行へと変える。セッティングが終わったリンは、体を揺らしながら四拍子数えれば、迷いなく鍵盤に指を滑らせ、カイトが用意してくれた土台で、気ままに音を弾ませた。
特にゴールもない二人の演奏は続けば続くほど音が綺麗に重なるようになった。「ギターソロ!」と、時々変化を予告なく入れてくるリンとのセッションは、常に次の瞬間への期待を抱かせてくれて、いつまでも続けそうな気がした。そう、カイトが思ったのと同時に、
「っくしゅん!」
リンの可愛らしいくしゃみで、セッションはやむを得ず一時中止となった。
「わわ、ごめんカイト兄~!」
「ううん。少し、休憩しよう。……寒い?」
「う~ん、ちょっとね! 体を動かしたら暖まると思ったんだけど~」
「…………こっち、来て」
「うん?」
少しの逡巡ののち、カイトはギターを置いて、一言呟けばふらっと教室を出ようとした。きょとんとリンは頭のリボンを揺らせながら傾げるも、大人しく後をついた。
「カイト兄、どこいくの?」
「ここ ……開けてみて」
一つ角を曲がった所の一個目の教室でもうカイトは立ち止まり、一歩下がってドア前のスペースをリンに譲った。言葉にはならない程度の疑問の声を上げながらリンがドアを開けてみれば、そこは机や椅子が整然と並んだ、ごく普通の教室だった。
「あっ」
楽器もない、本当にごく普通な、「教室」のイメージそのものな空間だけれど、先ほどセッションしていた一番奥の音楽教室と違い、ここには午後の太陽が光のカーテンとなり、一面の窓ガラスから注ぎ込んでいる。
「わー!! あったかーい!」
ぶかぶかな袖を振り回し、リンははしゃぎながら一番日当たりのいい席に、背中で日の光を浴びるように座った。続いてカイトもゆっくりと、座りやすいように一個前の椅子の方向を直し、腰掛ける。
「……ふむ!」
「……うん?」
「あたしもそっち座る~!」
「……えっ!?」
まだ椅子も暖まらないうちに再び立ち上がったリンは、カイトが椅子を半分開けるかそのまま譲るか決まらないうちにぽん、と光の速さでカイトの太腿に乗った。
「わあ、もっとあったかくなった!」
「り、リン……!!」
「重くない?」
「それは……大丈夫だけど……」
「よかった!」
はあ、と、カイトの溜息が頭にかかり、少しむず痒くなったリンはふふ、と笑いながら、体をカイトの胸に預けた。
ドク、ドク。
自分より少し速い心音が、耳元で小さく響く。
ドクドク、ドク。
行き場のないカイトの腕を持って、くいっと自分の腰へ回させれば、一瞬、それが更に速まった。
「カイト、すごくドキドキしてる」
「っ! ……っ、しないほうが、おかしい、だろう、こんな……」
いつもと違う呼び方にびくっとなってはゴクリ、気付かれないように唾を飲んだつもりのカイトだが、距離の近さで、リンにはカイトの反応を全て受信できていた。その愛しさで、今度は胸の奥がむずむずし出した。
「ふふふっ! ねえ、もっとドキドキ、しよっか!」
言葉が終わるか否か、リンは座る方向を変えながら背を伸ばし、カイトの口から返事が出る前に、柔らかい唇でそれを塞いだ。
ちゅっ、
ちゅっ。と、啄ばむような軽いキスを、わざと音を立てながら数度送ってみれば、見る見るうちにカイトの頬は、後ろの夕焼けと同じような色に変わった。
「んっ、ふっ」
「もう、逃げないのっ」
止まらない口付けの雨から逃げようとするカイトを、リンは小さいながらも力のある手で阻止した。赤く染まったそれは温まったばかりの手よりも熱く、その熱を吸い取ってあげようと思ったリンは、今度は食むようにカイトの唇を包んだ。
ちゅっ、ちゅる。
滴を作り、垂れてしまいそうな銀糸を舌先で掬いながら口の中へ送り戻す。ますます教室の中に響く水音が、音に敏感な耳を通し二人の脳を侵食する。じゅる、とリンが試しにやや強く吸ってみれば、きゅ、と袖を掴まれたので、一旦離した。
「ふはっ」
「んっ……っ、」
少し距離を取ってカイトに焦点を合わたら、夕焼けはカイトの顔に留まらず、首元まで染まっていた。はあ、はあと漏れる暑い吐息は、きっと温かい太陽光だけのせいではない。
「カイト、続き、する?」
あざとく揺れる眩しい金糸に目を眩ませ、カイトは静かに、ゆっくりと頷いた。けれど、
「……セッションは、もういいのかい」
「うん、それもするよ! でも今は、カイトの熱いの、何とかしてあげなくっちゃ、ね」
諦め悪く逃げ道を作ろうとするカイトへ、にっと悪戯っぽく微笑むリンの後ろで、長く伸びた二つの影が重なって、道を甘い蜜で塞いだ。