「こんなことまで面倒かけちゃってごめんなさいね。ほらうち、お父さんが仕事でいつも家空けてるし、おじいちゃんおばあちゃんも遠くに住んでるから、こういうときに困るのよ。だから、リュウジくんが来てくれることになって本当に助かるわ。お土産買ってくるからね。苦手なものとかない? あっ! あと……」
リュウジさんが持つスマートフォンから母さんの声が漏れ出ている。母さんの声は大きく、よく喋る。それは電話だろうが変わらない。そんな母さんの大音量のマシンガントークをリュウジさんはたじたじとしながら聞いてくれていた。
母さんは大学の友人の結婚式に出るため、東京にいる。しかし、帰りの新幹線が大雨で止まってしまったらしい。それで今日は帰れないかもしれないと超進化研究所で訓練中の僕に電話がかかってきたのだ。このまま超進化研究所の仮眠室を借りて一晩明かしてもよかったが、あいにくナガラはフルコンタクトの稽古で不在で、家には帰らなければならない。しかし、家に帰ったら帰ったで、僕たち子供しか家にいないことになる。それは母さん的には心配なようで、どうしようかと頭を悩ませていると、俺が面倒見ましょうかとリュウジさんが申し出てくれたのだ。それでいつ運転再開になるかわからないからと、母さんは東京で一泊してくることになった。
「母さん」
いまだに話が止まらない母さんに電話越しに呼びかける。それからリュウジさんからスマートフォンを受け取り、リュウジさんが困ってるからやめてと母さんになんとかストップをかけた。それでナガラのことをよろしくされて、やっと電話が切れた。
「助かったよ」
「話し出したら長いので……」
苦笑いするリュウジさんに、すみませんと頭を下げる。母さんはとにかくおしゃべりで、話し出したら止まらないのだ。リュウジくんに挨拶したいと言う母さんを無視して、電話を切ってしまえばよかった。
「うちのトラブルに巻き込んですみません。ありがとうございます」
改めて僕からもお礼を言えば、気にしないでくれとリュウジさんは笑いかけてくれる。
実のところ、申し訳なさそうにしているのは建前だ。内心ではめちゃめちゃ浮かれている。リュウジさんとはほぼ超進化研究所でしか顔を合わせない。そんなリュウジさんがうちに来てくれるのだ。そりゃあワクワクしてしまう。
「帰りに夕飯の材料を買っていこう。何が食べたい?」
「そ、そんなの悪いです! 夕飯は僕が作ります!」
無理言って僕の家に来てもらうのだ。夕飯を作らせる訳にはいかない。
「家でも作っているから構わないぞ」
「いや、でも」
「じゃあ、一緒に作るか?」
「え?」
一緒に夕飯を作っているところを想像して、すぐにいいなと思ってしまう。リュウジさんと料理をするなんて、そうそうできることじゃないから。だから、それでお願いしますと僕は答えたのだった。
リュウジさんと一緒に帰ることも今までなかった。あおなみ線の電車で並んで座ることも初めてで、なんだかドキドキしてしまう。それからスーパーにより、カレーの材料を買い、僕の家へと辿り着く。
「お茶出しますね」
「お気遣いなく」
「そう言うわけにはいきません」
リュウジさんをリビングに通し、スーパーの袋を持って僕はキッチンに向かう。買ってきた材料を冷蔵庫に入れてから、コップにお茶を入れた。それを持ってリビングに入ると、壁にかかったカレンダーをリュウジさんは見ていた。
「リュウジさん?」
何か珍しいものでもあっただろうかと声をかける。そうすれば、これとリュウジさんが十日を囲う赤マルへと指をさした。
「このマルは?」
「そのマルは父さんが帰ってくる日です」
赤マルの下にお父さんとも書いてある。
「海上輸送の仕事をしていて、ほとんど家にいなくて」
月に数日しか帰ってこないので、父さんが帰ってくる日にはしるしがつけてあるのだ。
「寂しいな」
カレンダーの赤マルを見つめながらリュウジさんは言う。リュウジさんは気遣ってそう言ってくれているが、案外そうでもなかったりする。
「会えないのは寂しいですけど、仕事の合間に電話やメッセージをくれるので大丈夫です」
夜の自由時間に電話をしてくれたり、会えない分こまめにメッセージを入れてくれたりする。だから、会えないだけで話はできていると思っていた。
僕の答えに、リュウジさんはやっぱりカレンダーを見つめたまま、そうかと頷いた。
父さんの話になって、リュウジさんのお父さんがどんな人か気になった。こういう話をする機会もなかったから。だから、リュウジさんのお父さんについて話を振ろうとしたが、お茶ありがとうとリュウジさんに話題を変えられてしまった。
「ナガラが帰ってくるまでに、カレーを作ってしまおう。腹ペコで帰ってくるだろ?」
リュウジさんのお父さんのことは気になってはいるが、ここから話を変えてまで訊くことでもない。それに帰ってくるなり腹減ったとナガラは叫ぶだろう。すぐに食べれるようにしておいたほうがいい。だから、そうですねと頷いて、僕たちはキッチンへ向かった。
♢♢♢
「え? なんでリュウジさん?」
カレーの匂いに釣られて、帰ってくるなりナガラはキッチンに入ってきた。そうすればリュウジさんの姿があったものだから、ナガラが首を傾げる。
「新幹線が止まって、母さんが帰れなくなっちゃって」
だからリュウジさんが俺たちの面倒を見るためにきてくれたんだと言えば、じゃあとナガラは目を輝かせる。
「今日はリュウジさん泊まってくんですね!」
そんなナガラの一言に、そうなるなとリュウジさんが頷く。
「でも、着替えがない」
一晩家を空ける母さんの代わりに面倒を見てくれるということは、泊まっていくということだ。急に決まったこともあり、そのことが僕もリュウジさんも抜け落ちていた。
「下着はコンビニで買ってこればいいが……」
多分パジャマがないのだ。それでリュウジさんがどうしようかと悩んでいる。僕からいい案が出せればと考えてみるが、一日来た服で寝てもらうのは申し訳ないし、僕の服では小さい。リュウジさんの家に取りに帰るというのも手間だ。
そうやって僕たちが頭を悩ませていると、そうだとナガラが叫ぶ。
「父さんの服着ればいいんですよ!」
ナガラの提案になるほどと膝を打つ。父さんの服ならリュウジさんが着れる大きさだ。
名案だと得意げにしているナガラに、本当にいいのかとリュウジさんが申し訳なさそうに確認してくる。それに大丈夫ですと僕が答えれば、お言葉に甘えて貸してもらおうとリュウジさんは頷いた。
パジャマ問題が無事解決したところで、僕たちは夕飯を食べることにした。いつも父さんが座る席にリュウジさんが座り、三人でダイニングテーブルを囲う。いつもと人数は同じなのに、リュウジさんがいるだけで特別に思えてくる。それはナガラも一緒のようで、いつも以上にナガラはよくしゃべった。
夕飯の片付けは僕とナガラでやり、リュウジさんには近くのコンビニへ下着を買いに行ってもらった。リュウジさんは下着と一緒にアイスを買ってきてくれて、デザートだと大いに盛り上がった。
それから順番にお風呂に入る。リュウジさんは遠慮していたが、一番に風呂に入ってもらった。その間に父さんのタンスから良さそうなスエットを見繕う。風呂から出てきたリュウジさんに着てもらったら、サイズが合わないようで、全体的にダボっとしていて、袖と襟が余ってしまった。いつもサイズが合った服をしっかり着こなしているから、オーバーサイズのスエットを着ているリュウジさんが新鮮だ。少し幼くも見える。
「少しデカかったですね」
「父さん、デカいから」
リュウジさんも大きいと思っていたが、父さんの服を着ていると不思議と少し小さく見える。いつも大人たちに混じって超進化研究所の業務をこなしていて忘れがちだが、リュウジさんもまだ高校生だ。身体はまだまだ成長途中なのだ。
「まくれば大丈夫だ」
そう言って、リュウジさんは袖と裾を捲った。
僕とナガラもお風呂に入り、さて寝ようとなったときに、次の問題が生じた。
「どこで寝る?」
来客用の布団を掘り出してきたはいいが、それをどこに敷くかが問題である。リビングに布団を敷く場所はない。父さんと母さんの寝室で寝てもらうのも違う気がする。
「リュウジさん! 俺の部屋で一緒に寝ましょう!」
「布団敷くところないだろ」
ナガラの部屋は教科書や城の模型でごった返している。あの部屋に布団を敷く場所なんてない。
「じゃあ、兄貴の部屋?」
「え?」
「だって他に敷けるとこないじゃん」
確かに消去法でいけばそうなる。だが、それは、リュウジさんを僕の部屋に入れるということである。
「ま、待ってください!」
「シマカゼ?」
「三分、いや、五分ください! 片付けてきます!」
「兄貴の部屋、綺麗じゃん」
「綺麗じゃない!」
ナガラの部屋に比べたら綺麗かもしれないが、リュウジさんを部屋に入れるとなると話は別だ。俺は自室へと駆け込み、目につくものから片付けていく。出しっぱなっしにしていた本をしまい、床に置きっぱなしになっていたランドセルを棚に置く。なんとなく埃っぽいところもあって、今からでも掃除機をかけたいくらいだ。常日頃から掃除もしておけばよかったと思いながら、ティッシュで埃を取り除く。そうやってわたわたと部屋を片付けていると、コンコンコンとドアが叩かれる。
「シマカゼ」
ドアを叩くのはやっぱりリュウジさんだ。リュウジさんを待たせるわけにはいかない。だが、もう少し部屋を片付けたい。
「あまり気を使わなくていいぞ」
そして、ドアの向こうでそう言われてしまえば、観念するしかなかった。
「ど、どうぞ……」
仕方なくドアを開けると、お邪魔しますと布団を抱えたリュウジさんが入ってきた。
「綺麗じゃないか」
本当に綺麗だと思って言ってくれているのか、気を使わせているのか、もはやわからない。でも、もうどうしようもないから、その言葉を素直に受け取ることにする。
僕のベッドの横にリュウジさんは布団を敷く。それを見て、本当に一緒に寝るんだとドキドキしてくる。今夜は寝れるか心配だ。
布団に入り、電気を消す。おやすみなさいと挨拶をして、布団を頭まで被り、瞼を閉じた。でも、やっぱり少しも眠気はやってこない。気にするなと自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、気になって仕方がない。それで布団の隙間からリュウジさんを覗いてみれば、捲っていたはずのスウェットの袖を伸ばし、それを眺めていた。何をしているのだろうと、僕は目を見張る。だらりと袖が手を覆っているから、手を眺めているという訳ではないだろう。もしかしたら父さんの服の着心地が悪かったのかもしれない。それとも臭かったのかもしれない。考えれば考えるほど不安になってくる。
「あ、の……、リュウジさん?」
恐る恐る声を掛ければ、寝れないのかとすぐに視線を僕にくれた。それはいつものリュウジさんで、なぜかほっとする。
「父さんの服、臭かったりしましたか? ずっと見ていたから」
そう訊ねてみれば、そんなことないぞとリュウジさんは首を振る。
「オーバーサイズの服を普段着ないから珍しくて」
いつもと雰囲気が違う服を着ているから気になるのはわかる。だからと言って、そこまで熱心に見つめるだろうか。僕にはわからない。それで、改めて父さんの服を着たリュウジさんを見つめた。布団から出ている肩のあたりしか見えないが、父さんがいつも着ている服だ。その見慣れた服をリュウジさんが着ている。今更ながら、その状況も変な感じがする。
そんなことを考えているうちに、リュウジさんのお父さんのことを訊きそびれていたのを思い出した。寝れないついでに、少し訊いてみてもいいだろうか。
「リュウジさんのお父さんってどんな人ですか?」
世間話をするように僕は話を振る。そうすれば、リュウジさんが天井へと視線を向ける。
「どんな人だったんだろうな」
「えっ?」
与えられた答えが想定していたどの答えでもなくて、僕は面食らう。それが何を意味しているのかもわからなくて何も言えないでいると、俺がとリュウジさんは続ける。
「五歳の時に事故で死んだから、あまり親父のことを知らないんだ」
そこまではっきり説明してもらって、やっとさっきの言葉の意味がわかる。そして、デリカシーのない質問をリュウジさんに投げかけてしまっていたこともわかってしまった。
「す、みません……」
咄嗟に謝ると、いいんだとリュウジさんは笑ってくれた。それでもどうにも心が晴れない。
「そんなことより、シマカゼのお父さんの話をもっと聞かせてくれないか?」
「いや、でも……」
知らなかったとはいえ、今日は散々父さんの話をしてしまった。そして、事情を知ってしまった以上、リュウジさんの前で軽率に父さんの話をすることは憚れる。それがリュウジさんのお願いであってもだ。
僕が言い淀んでいると、どんな人なんだ? と催促されるようにさらにリュウジさんは言う。
「あの、えーと……」
それで、僕は観念したように口を開く。
「すごく優しくて、大きい人です。僕の話をよく聞いてくれますし、迷ったときは背中を押してくれます。あと、いつも僕に進むべき道を示してくれます」
父さんは身体が大きい人だ。その大きな身体で、なんでも受け止めてくれる。それは僕のままならない気持ちだったり、迷いだったり。受け止めてくれて、一緒に悩んでくれて、最後には進むべき道へと背中を押してくれる。そんな父さんが大好きだった。
「いいお父さんだな」
リュウジさんは優しい顔でそう言ってくれた。それがすごく嬉しかった。でも、リュウジさんはどんな気持ちで僕の話を聞いてくれていたのだろうか。どんな気持ちでぶかぶかの父さんの服を眺めていたのだろうか。どんな気持ちでカレンダーの赤マルを見ていたのだろうか。どんな気持ちで僕に寂しいかと訊いたのだろうか。
「リュウジさんは、寂しいですか?」
あまりにもデリカシーのない質問だと思った。でも、気付いたときには口から漏れ出ていた。
「どうだろうな。いないのが当たり前だったから」
そんな僕の質問にリュウジさんは嫌な顔はしなかった。ただ淡々とそう答えてくれただけだった。
リュウジさんの柔らかいところには触れさせてはもらえないのだ。
「あのっ、僕……」
コンコンとドアを叩く音がした。それで僕とリュウジさんの視線はドアへと移る。
「ナガラ? どうした?」
ゆっくり開いたドアの先には、枕を持ったナガラがいた。
「俺だけ一人なの寂しいから」
口を尖らせながら、ナガラは言う。そんなナガラに、僕とリュウジさんは顔を見合わせた。それから、一緒に寝るか? とリュウジさんがナガラを布団に手招く。そうすれば、ナガラは嬉しそうにそこへ潜り込んで行った。それを羨ましげに見ていれば、こちらへ顔を向けてきたリュウジさんと目が合う。
「シマカゼも寂しいか?」
たぶん布団に入ってこないかと誘われている。だが、流石に三人で一つの布団で寝るのは狭すぎる。僕だけベットで寝ていても同じ空間にいるのだからそれでいいはずだ。でも、僕はついこう答えてしまう。
「寂しいです」
僕の答えに、リュウジさんは満足げな顔をした。そして、僕の手を取り、布団の中に入れてくれた。