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    脊椎(ログ垢)

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    脊椎(ログ垢)

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    輝ける綺羅星たちへの讃歌、第一話アラン編
    完成したらこちらも支部投げ

    アイオライト 半分ほど中身のなくなったティーカップをソーサーの上に戻せば、執務室に小さくカチャリと金属質な音が響く。熱いながらもすっきりとした喉越しをしたダージリンの味わいをゆっくりと反芻してから、アランはほぅ、と深く息を吐いた。
     カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウ、イッシュ、カロスという六地方を跨いだロケット団の殲滅作戦は無事に完遂され、長い事後処理にもようやく終わりが見えてきた。
     思いもよらなかった方法でメガシンカを果たしたサトシのミュウツーの経過観察も数日前に完了し、そこで得られたデータをまとめたレポートも、すでにポケモンGメンとプロジェクト・ミュウに提出済みだ。
     自分に課せられたそのほかのタスクも、ほとんど終わりを迎えている。PWCSも一ヶ月以内に再開予定と正式に告知されたことであるし、そろそろチャンピオン業にも本腰を入れなくてはと、アランはスマホロトムを手に取ってカレンダーのアプリを開いた。
     そこには、一日たりとて完全なオフの日がないほどの緻密なスケジュールが書き込まれている。だが、研究者同士の勉強会、公式戦に向けたポケモンたちとのトレーニングの二つがほとんどを占めているその中に、一つだけ『友人たちと食事』という言葉が踊っていた。
    「あ……そろそろか」
     一旦カレンダーを閉じて、メールボックスを開く。そこには予想通り、友人——バルザからメールが一通届いていた。
    『アランへ。事後処理などで忙しいところにメールを送ってしまってすまない。体調などは大丈夫だろうか? もし君やサトシくんのもとに急用が入ってしまったのなら、遠慮なく伝えてほしい。食事はいつでもできるからな。このメールにも返信はしなくて構わない。それでは。バルザ』
     淡々とした文章ながらも、端々から読み取れるバルザの気遣いに、アランは僅かに口元を緩ませる。イベルタルの保護任務に彼とその妹であるメアリ、そしてフーパが協力してくれたことから始まった縁に、サトシも巻き込んで企画された食事会。参加者四名のうち二名が極めて多忙という状況下にあったが、なんとか奇跡的に重なったオフにねじ込むことができ、アランが密かに楽しみにしていたイベントだ。
     返信は不要とあったが、それでも伝えておくべきことは伝えておこう、とアランは手早く返信のメールをしたためることにした。
    『バルザへ。連絡ありがとう。食事会の日は何も仕事を入れないよう事前に周囲にも伝えて、調整も済ませてあるから、心配しなくても大丈夫だ。当日を楽しみに待っている。返信はなくても構わないとのことだが、これだけは伝えておきたかった。では。アラン』
     送信ボタンをしっかりと押してから、アランはデスクの上に丁寧に置かれた複数のモンスターボールを手に取り、リーグ協会から充てがわれた執務室の扉を開ける。プラターヌ研究所の自室兼研究室とは異なり、やはりここは息が詰まるのだ。
     足早に廊下を抜けて、エレベーターホールへと向かう。数十秒したあたりで到着したそこには何人かの協会職員がおり、アランの姿を見て小さく肩を跳ねさせていた。
     ――そんなに俺は怖がられているのだろうか……?
     それも無理はないのかもしれない、とアランは小さく嘆息する。下行きのボタンを押しながら、ちらりと職員たちを見やれば、彼らはおずおずと小さく頭を下げてきた。
     それに対してアランも会釈を返し、ようやく開いたエレベーターへゆっくり乗り込む。特設バトルフィールドのある地下階のボタンを軽く押して、誰も乗り込む様子がないのを確認してから開閉ボタンを操作した。
     結局一人きりの空間と化したエレベーターの中で、アランは深い溜め息を吐いてしまったのである。

     そんな憂鬱な移動を経てバトルフィールドへと入ったアランは、さっさと気を紛らわせたいとばかりに一気に手持ちをボールから繰り出した。
     久しぶりのトレーニングだと息巻くリザードンとブリガロン、そしてチルタリス。そんな三体の様子を呆れたように見遣るのがカラマネロとメタグロス。最後に、見慣れない場所に出されてキョトンとしているのが、アランの手持ちの中では一番の新入りであるイベルタルだ。
    「みんな、なかなかボールから出してやれなくてすまなかったな」
     アランの気遣うような言葉に、手持ちたちはそれぞれ「気にするな」と言わんばかりの声を上げた。実に優しいポケモンたちである。
    「PWCSの再開も近くに迫っている。……次の相手はおそらくシンジ。しっかりと身に染みているだろうが、強敵だ。そこからの予定は分からないが、マスターズトーナメントまで激戦が続く。今は運良く首位にいるが、いつ叩き落とされてもおかしくはない。気を引き締めていくぞ」
     主人からの言葉に、ポケモンたちは強く頷く。その様子を見たアランは満足そうに微笑んでから、再び口を開いた。
    「今日はウォーミングアップの後に、基礎トレーニングを重点的にやるぞ。まずは動きの勘を取り戻すところからだ。……で、その、イベルタル」
    「ぎゅい?」
    「明日から手持ちたちの模擬戦の相手になってもらうことはできるだろうか?」
     アランの言葉に、イベルタルは小さく首を傾げた。
    「あ、その、模擬戦っていうのは……」
    『言葉の意味は理解している……。俺が言いたいのは、その模擬戦とやらの相手が俺で本当に大丈夫なのかという点だ。俺の技の危険性は知っての通りだろう』
    「あぁ、その点は【デスウイング】さえ使わなければ大丈夫だ……、って」
     テレパシー⁉︎ と素っ頓狂な声を上げる自身の操り人と、その手持ちたちを見て、イベルタルはくつくつと喉奥で笑うような鳴き声を漏らした。
    『ようやく練習が実を結んでな。……ルギアから教わった甲斐があった』
    「そ、そうか。今度彼に礼を言わなくてはな。意思疎通が楽になったことは喜ばしい」
     アランに同調してその通りだ、と頷くリザードンたちに、イベルタルもまた上機嫌な調子で声を上げる。
    「模擬戦についてだが、“デスウイング”のみ使用禁止、それ以外なら本気でぶつかり合って欲しい、という条件でどうだろう。お前も知っての通り、俺のポケモンたちはそんなにヤワではない」
    『あぁ、よく知っているとも。……ところで、お前以外の操り人も同じような特訓を?』
    「らしいぞ。シンジなんかは早々に実践しようとして、テンガン山を氷漬けにしたとか」
     アランの言葉に、リザードンとカラマネロは呆れたような表情を見せ、イベルタルもまた『キュレムは何をやっているんだ……』とため息を漏らした。
     そこからは、アランの指示のもと各々の動きを一通り確認してから、公式戦に向けての鍛錬が始まった。リザードンは技の威力の向上、ブリガロンは守備から攻撃への転換速度向上、チルタリスはメガシンカした上での動きの微調整など、アランが作った個別の特訓メニューにポケモンたちは必死に、それでも楽しそうに食らいついていく。
    『……バトル、か』
     今日の分のメニューが全て終わり、各々が一息吐き始めたタイミングでイベルタルがぼそり、と呟く。
    「なんだ、イベルタル。興味でもあるのか?」
    『まぁ、な。聞けばお前は、このカロスで一番強いトレーナーという。お前の友人たちも、他の地の強者ばかりだとか』
    「そう、だな。彼らのポケモンだけでなく彼ら自身もとても強い。すごく……尊敬しているんだ」
    『そんな者たちの下にあるのだから、ルギアたちも相当強くなっているのだろうな』
     じいっ、と意味ありげに見つめてくるイベルタルから、アランはその意図をしっかりと汲み取ったように頷く。
    「なるほどな。明日からの模擬戦でお前の動きをしっかり把握する。そこからお前用のメニューも組み上げてみるよ。いつか操り人たちでバトルする時に備えて、な」
    『礼を言う。……まずはジガルデが第一目標だ』
    「そ、そうか……」
     何かあの監視者に思うところでもあるのだろうか。伝説のポケモン同士にも何かしらの交友関係がある、ということはサトシの手持ちであるルギアとギラティナの会話でアランも知るところとなったわけだが、それがどのようなものであるかの詳細までは分からない。
    「なぁ、イベルタル」
    『なんだ』
    「ジガルデやゼルネアス以外に親しい伝説のポケモンとかはいるのか?」
     アランの問いに同調するかのように、リザードンたちも興味深そうにイベルタルを見遣る。新入りがどのような過去を経てここに至ったのか、知りたいという気持ちも強いのだろう。
    『……俺は千年周期で破壊をもたらすだけの存在だからな。ゼルネアスやジガルデ以外とは没交渉気味だ。八年前はかなり賑やかだったから、世界で何が起こったかについてはある程度把握はしているが』
    「そんなに特異点じみたことになっているのか……」
    『あぁ。オレンジ諸島で世界の均衡が崩れたのが一回目。ホウエンでカイオーガとグラードンが衝突したのが二回目。そこからしばらくしてシンオウ地方でバカ神どもが断続的に暴れ始め、イッシュの三体のドラゴンが派手に動き……、少し大人しくなったと思ったら今度は俺とゼルネアスが叩き起こされ、とどめにジガルデ暴走だ』
    「ジガルデ暴走の件はすまなかった」
    『……それについては、お前は利用されただけと聞く。被害は最小限に留まったのだから、そう気に病むな』
    「ありがとう。……というかシンオウのバカ神どもって、まさか」
    『アルセウスと、その直系であるディアルガ、パルキア、ギラティナだ。彼奴ら、暴走したらブン殴られるまで止まらないのが度し難い。その余波が世界にどれだけ影響を及ぼすか』
    「あー……」
     アランから溢れた実感の籠った言葉にならない声が、フィールドにゆっくりと響いて溶けていく。
     先代シンオウチャンピオンにして著名な考古学者でもあるシロナの論文によれば、シンオウの神々が大きく動いたことで生まれた世界への影響は、現代においてもいくらか散見されるとのことである。
     それはシンオウ地方の三つの大きな湖であったり、槍の柱から消えない時空の歪みであったり、時折突拍子もないところから発見される遺跡群であったり。
     八年前にもシンオウの神々は何回か周囲の甚大な被害と共にこちらの世界に顔を出しており、研究者たちの頭を大いに抱えさせているとのことであるが、アランはそこら辺の事情にはあまり明るくなかった。神話関係については全くの門外漢であるからだ。
    『今でこそだいぶ落ち着いているようだが……、頼むから向こう百年は穏やかであってほしいところだ』
    「お前としても、平和が好ましいものなんだな」
    『そうだ。……俺とて、望んで俺として生まれたわけではない』
     イベルタルから漏れた言葉に、アランは少しばかり目を見開いてから聞かなかったことにする、と小さく呟いた。リザードンたちもほぼほぼ同じような反応を示しており、その柔らかな対応にイベルタルは小さく頭を下げた。
    「今日のトレーニングはこれで終わりだ。タイムカード切って、研究所に戻るぞ」
    『……タイムカード、とは』
    「それは別に知らなくてもいいものだ。みんな、ボールに戻ってくれ」

     ★

    「ということがあったんだ」
    『イベルタルがそんなことを……。なんかちょっと新鮮だ。あ、ピカチュウもすごい意外そうな顔して聞いてる』
    「そんなにか」
     時刻はちょうど午後十時ごろ。まだ起きてるか? という言葉とともにかかってきたサトシからの電話で、アランは今日のイベルタルについての出来事を彼に語っていた。伝説のポケモンとのコミュニケーションという点において、サトシに勝るものはいないからだ。あの事件以降ぽつぽつとメッセージのやりとりを交わすようになったショータも、サトシにレックウザとのことをよく相談するようで、円満なコミュニケーションを行えるようになったと喜んでいたことは記憶に新しい。
    『でも、そこまで気にすることはないと思うけどな。大なり小なり、伝説のポケモンたちは自分がどんな存在かを理解していて、折り合いをつけてるし。というか、そうじゃないとこの世界は何回か滅びてる』
    「意外と君はあっさり怖いこと言うよな」
    『言っちゃあなんだけど、みんなよりもこういう系統の場数は踏んでるからな。んー、でも、イベルタルってわりと外界とは没交渉だったんだよな』
    「そうみたいだな。君のルギアもそうだったらしいと聞くが……」
    『あー……、まぁ、ずっと海の中だったからなぁ。ただ、イベルタルは千年間眠ってから少し起きて破壊を齎す、っていうサイクルを繰り返している以上、世界をよく知っているかと言われればそれはノーだと思う』
    「そうか、眠っているか起きているかの違いか。情報を常に遮断しているか、受け入れているか……。その違いはかなり大きいだろうな」
    『そうそう、そんな感じ。ルギアは外に出なくていいときは、割とどこかを放浪してたって言ってた。あと、ギラティナやレックウザは頻繁に人の世界を見る機会があったし、キュレムは聖剣士たちから話も聞いてたんだと』
    「……そうか。なら、イベルタルにはこれからどうにかして人がどのように生きているかについても教えなくてはいけないのか」
    『お堅く考える必要はないぞ〜。ま、そこがアランのいいところでもあるけどさ。あ、それと、今日のメールで届いたPWCS再開にあたっての変更点、読んだか?』
     そんなものが届いていたのか、とアランは一旦通話をスピーカーモードに切り替え、スマホロトムのメールアプリを開く。すぐさま目に飛び込んできた数十件の新着メールに、後で全てチェックしなければと頭を抱えながら、ひとまずPWCSからのものを探す。ここまで多いと一苦労だな、などと心中でボヤきながらもお目当てのメールを開いたアランは、それに目を通してすぐにへぇ、と感心したような声を漏らした。
    「マスタークラスの人数拡張か」
    『そ。参加者も十万人を超えたしさ、マスタークラスが八人だけ、っていうのはそろそろ盛り上がりに欠けるし、厳しすぎるんじゃないかってダンデさんが』
    「まぁ、良くも悪くも俺たちのクラスはメンバーが変わり映えしないからな。ハイパークラスに落ちても、すぐに戻ってくるし」
    『そうそ! だからこの中止期間のうちに色々根回ししてたんだと』
    「で、人数はどこまで増やすんだ?」
    『多分十六人。もしくはシード権を導入して二十人』
     その人数を聞いて、アランは妥当な落とし所ではあるな、と納得した。マスタークラスの割合が全体の中で一%以下という厳しさは一切和らいではいないが、チャンスが増えたことに変わりはないのだ。
    『あと、九位以下のメンバーについてはハイパークラスからそのまま繰り上げってことで』
    「そうなるだろうな」
    『で、繰り上げ面子の挨拶回りにシンジとシューティー、アイリスとヒロシが駆り出されております』
     その意外な人選に、アランの口は思わず、なんと、と呟いてしまった。
    「挨拶回りにシンジか……」
    『おっと、それシンジに聞かれたらまた喧嘩になるぞ』
    「いや……対人面のやらかし具合については、俺も決して人のことをとやかく言えるわけではないと自覚しているが、それにしても意外で。なにせ、こういう役目は普段なら君に回ってきただろう?」
    『単純に俺の仕事が多すぎて、これ以上は労基法違反まっしぐらと連絡が来たからですね。で、次点でこういう仕事に慣れてるアイリスとヒロシにお鉢が回ってきて、シューティーとシンジはその補佐』
    「あぁ、なるほど……」
     ロケット団壊滅の立役者ということもあり、サトシは療養が終わるや否や、事後処理やら企業への挨拶回りやらといった激務に駆り出されていた。そこにPWCS関連の業務まで捩じ込まれては、いくらタフネスが売りの彼でも無理が過ぎると協会側も考えたのだろう。
     アランからしてみれば、その結論に至るのが遅すぎると文句の一つでもつけたいものなのだが、本人がそれを良しとした以上は閉口しておくことにした。万が一にでもサトシが倒れようものなら、チャンピオン陣と結託して協会にストライキを起こしてやる所存であるが。
    『ポケモン協会ってチャンピオンの扱いが割と雑だよなぁ〜。地方の顔の一つだから、メディアにも好き勝手露出していいみたいな認識してそうだし』
    「サトシ、それは言っちゃダメなものだぞ。俺も常々感じてはいるが」
    『だよなぁ! よっしゃ、これはオフレコってことにしようぜ』
    「乗った」
     揃ってひとしきり笑ったのち、二人はそこから他愛ない雑談に興じることとなった。例えば、PWCS再開にあたってシゲルがマスタークラスでも目指してみようか、とボヤいていたこととか、それなら負けていられないとゴウも乗り出してきたこととか、ショータが二人のその宣言を聞いて「他にも操り人を探すという目的はどこに消えたんですか!」と叫んだこととか。
    「ところで、ミュウツーは元気かい?」
    『それ、アランが一番詳しいんじゃないのか?』
    「肉体面が健康そのものであることは知ってるさ。俺が聞きたいのは、彼のメンタルのことだよ」
     スピーカーから、サトシがうぅんと軽く唸るような声が漏れる。何かあったのだろうか、とアランが口を開きかけようとしたそのタイミングで、サトシは『問題がないってわけではないよ』と告げた。
    『なんというか……、戦闘狂すぎて』
    「お、おぉ……、戦闘狂ときたか」
    『もー、とにかく俺のポケモンたちと戦いたがっててさー。今のところ、リザードンとジュカイン、ゴウカザル、ワルビアルにゲッコウガ、ルガルガンとルカリオが標的になった、かな』
    「なるほど、そのポケモンたちに目をつけた辺り、彼の目の付け所は素晴らしいな」
     歴戦のチャンピオンたちでも苦戦を強いられるポケモンたちの名前が次々と挙げられ、アランは思わず小さく笑ってしまった。
    「楽しそうでよかったじゃないか」
    『研究所の庭がところどころボロボロになってることを除けばな!』
    「ルギアには挑んでいないのか?」
    『一回挑んでた。そのあと研究所でのバトルは全面的に禁止にしました。これからは無人島でやれ、って叫んじゃった』
    「もしや庭が……」
    『クレーターが十個以上空いて、そのうち一つから温泉が湧き出た、って言えばその酷さが伝わると思うんだけど』
    「それは……、それは……あぁ、ひどいな……」
     オーキド研究所の広大な敷地にボコボコと穴が空き、あまつさえ温泉まで湧き上がるとは、一体ミュウツーとルギアはどんな激突をしたというのか。気にならないといえば嘘になるが、被害総額の話を聞こうものなら気が遠くなりそうなこと請け合いだったので、ひとまずアランは深入りしない方向に舵を切った。
    『ミュウツーもひとまず吹っ切れたみたいだし、満足してるならそれでいいかなとも思うんだけどさ、まぁ限度ってものはあるし』
    「そうだな」
    『なので、ルギアとミュウツー、ついでにギラティナには近々ピカチュウから人間社会の常識講座が開かれる予定です』
    「さっきもちらっと話題に出たが、そこにイベルタルも参加させたいんだが……」
    『会場は反転世界になりそうだし、ギラティナに頼んでみるか?』
    「ぜひともお願いしたいな」
     その会話が聞こえていたのか、腰につけたボールホルダーの一つが激しく揺れる。思わずそれを手に取ってみれば、案の定イベルタルのボールであった。
    『おい、まさか俺をそこに放り込む気か。反転世界など、あの叛骨神の領域だろう。下手打てば命がない』
    「イベルタルが反転世界には入りたくない、と……」
    『あー……、まぁ分からなくはないけど。でもタイプ相性はイベルタルの方が有利だろ』
    「確かに、ギラティナはゴースト・ドラゴンだものな」
    『そういう問題じゃない。サトシとやら、お前はギラティナを甘く見ている。今でこそ可愛こぶってるが、昔の叛骨神はそれはもう問題児だったぞ』
     思い出すだけでゾッとする、と軽く震えるボールを見て、アランはけっこう酷い言い草だな、と小さく苦笑いしながらサトシにイベルタルからのテレパシーの内容を掻い摘んで伝えた。
    「ギラティナが昔はすごい問題児だったぞ、と……」
    『えっ、そうなのか? なんだか、今は女神様みたいなことになってるのに?』
    「女性的だもんな、口調が……」
    『俺もその口調には驚いたクチだ。だが、あの叛骨神の本気は軽く世界を壊す。アレが軽く暴れただけで世界が揺らぐからな。そんな爆弾が支配する世界になど入りたくない』
    「過去のギラティナに何が……。少なくともイベルタルはギラティナに恐れを抱いているようだな」
    『そこらへんはシロナさんの領域だな……。そういや最近シゲルが伝説のポケモン関係の伝承とか調べてるみたいだし、今のイベルタルが言ってたこと、教えてやろうかな。テレパシーまでは拾えないから、アラン、あとでメモを送ってくれないか?』
    「いいんじゃないか。メモについても了解した。すぐに送るよ。……そういえば、三日前の学会でシゲルやゴウ、リーリエやトキオに会ったぞ。なぜかショータもいて、バトル学の発表にイキイキと突っ込んでいたな。なかなかに白熱した学会だったと思う」
     話すスピードは緩めぬまま、アランはデスクの上に常備してあるメモパッドから素早く一枚切り取り、イベルタルから齎された情報を書き留めていく。後々シロナとシゲルの目にも入ることを考えて、心持ち丁寧な文字で書くことを心がけながら。
    『へぇ、面白そう! その話も今度の食事会で聞かせてくれるか? めっちゃ気になる。ショータがいたことも含めてさ』
    「もちろんだ。まぁ、ほぼ確実に操り人関連だろうけど」
    『あー……、まぁそうだよな。気にならないって言ったら、それはまぁ気になるけどさー。別に俺は、操り人になったことを後悔していないし、それでどんなことになっても突き進むつもりでいるけど……』
     なんかちょっとシゲルが考え込んでそうなんだよなー、とサトシは続けた。
    「シゲルが、か。……俺にも『操り人になったことで何か身体とかに変化は起きましたか?』とは聞いてきたな」
     学会が終わってから周囲に聞こえないよう小声で放たれた質問ではあったが、その時のシゲルの表情がいやに真剣かつ思い詰めたものであったから、アランの印象にも深く残っていた。
    『で、実際のところどうなんだ? 変化は起きたのか?』
    「いや、特に何も。至って普通の健康体だ。シゲルにもそう答えたよ。とはいえ、彼の満足のいくような答えではなかったみたいだった」
    『ふぅん……。なんか、今度はシゲルがやらかしそうな気配だな。変に抱え込むしなー、あいつも』
     人のこと言えないよな、シゲルも、とけらけら笑うサトシに、アランは思わず声を漏らしてしまう。
    「君、抱え込んでる自覚あったんだな」
    『ちょっと待って、アランまでそう言うのかよ! アランにだけは指摘されないと思ってた!』
    「いや、俺だって言うときは言うが……? 確かに君のことはいつだって正しい、俺にとっての指針のような人だとは考えているが、もっとこっちにも頼って欲しいと思うことがないわけじゃないし……」
    『あぁ、そう……、指針……。期待に応えられるよう頑張るぜ……』
    「そこまで重荷に捉えないでくれると助かるかな……。俺は、君が君の思うままに突き進んでほしいだけだ。そうやっている君が一番輝かしいし、美しいと思っている」
    『アラン……最近すごくストレートになってきたよな。良いことだとは思うけど、それ、身内以外にはやらない方がいいぞー。時間差でだいぶくすぐったい』
    「おや。君の動揺を誘えるとはね。あと俺は、俺が好ましいと思った人にしか言葉は尽くさないつもりだ」
     それに、とアランは一つ間を置いてから続ける。
    「俺が重い、というのは君も知っての通りだろう」
    『あぁ、知ってる。俺だって、一つこれと決めたらどんな状況にあってもやり遂げてみせるアランに憧れてる』
     だからお互い様だ、とアランは軽く笑ってみせ、サトシもまたそれに追随する。奇妙なやりとりだとも思う。時と場合によっては無粋な勘繰りさえされかねない言葉だけれど、少なくともアランは、サトシに対してどんな言葉も直線的に伝えたかった。変に誤魔化さず、ただただまっすぐ抱いている敬意と感謝を伝えたいのだ。
     それを重いと括られるのは重々承知の上だけれど、どうせ人を想うのであれば、その度合いは重い方が大事に抱え込めるとも感じる。
    『だいぶ長話しちゃったな。アランは時間とか大丈夫なのか?』
    「今日のタスクは全てやり終えたからな。そうだ、バルザたちとの食事場所はデセルシティのレストランでいいのか?」
    『うん。バルザさんたちにとっても知ってる場所の方がリラックスできると思うし』
    「分かった。俺の方で予約しておくよ。個室でいいかい?」
    『助かる! それじゃあ俺はこれからポケモンたちのトレーニングに入るよ』
    「あぁ。電話ありがとう、楽しかったよ」
    『俺も! それじゃあまた日が近くなったら連絡する! またな!』
     ぶつん、と小さな音と共に切られた通話に、アランは満足げに息を吐いてから自室のベッドに身体を横たえた。

     ★

     ――本当に、何も身体に異常はないんですね?
     ――あぁ。突如として波導使いに覚醒したりだとか、ドラゴンポケモンと言葉を交わせるようになったとかもない。
     ――今はそれで納得しておきます。でもこれだけはお願いします。アランさん、自分の身に何かしら異常が起きたと思ったらすぐに僕に伝えてください。今は……、どんな些細なことでもデータが欲しいんです。

     翌日。博士号試験に提出する予定の論文を書き進めながら、アランはシゲルとの会話を脳裏に蘇らせていた。
     つい四日前にホウエン地方で行われた大規模な学会。終了時刻から長針が一周と少しを過ぎたあたりになる頃には、既に大半の参加者が会場を後にしており、残っている面子はといえば、互いの論文を改めて見せ合って知見を深めようとする猛者ばかりだった。
     アラン自身も、博士号試験への準備をゆっくりではあるが着実に進めており、合格を確実なものとするためにも、すでにその学位に到達しているリーリエやゴウ、トキオといった知り合いに、試験用論文の添削を依頼しようとしていた。そして彼らにいざ話しかけんとしたそのタイミングで、シゲルに肩を叩かれたのである。
     その時の彼の表情は思い詰めているなんて言葉が生易しいほどに切迫したもので、手がかりがあるなら藁にでも縋りたいほどなのだろうとアランには感じ取れた。
    「しかし、何がシゲルをそこまで追い詰めたんだ……?」
     アランがシゲルに抱く印象はといえば、優秀さに裏打ちされた自信家といったものだ。しかも、年齢にはそぐわないほどの余裕をも持ち合わせており、アランは研究者の端くれとして彼を一つの目標としていると自認していた。
    「……操り人関連のことで何か知ったんだろうか。どちらかというと神話の方に縁があるモノだから、シロナさんに訊いてみるか」
     そうと決まれば、とアランはデスクに置かれたノートパソコンを起動し、アドレス帳を開く。ナナカマド研究所にてプラターヌ博士とシロナが兄妹弟子という間柄にあったためか、彼女はアランにもよく目をかけてくれていた。
    「まぁ、門前払いはないだろう」
     表示されたシロナへの直通番号をスマホロトムに打ち込んで発信ボタンを押す。時差的にも問題はない時刻であるし、彼女が何かしらの用事で立て込んでさえいなければ、おそらく通じてくれるはずだ。
    『もしもし? この番号にかけてきたってことは、チャンピオンのうちの誰かかしら?』
    「お久しぶりです、シロナさん。プラターヌ研究所所属、アランです」
     アランの名乗りが終わると同時に、シロナが電話越しにくすくすと笑う。
    『あらあら、現カロスチャンピオンから電話なんて。しがない考古学者に何の用かしら?』
    「……えっと、その、しがなくないでしょう、貴女は。今となってはジンダイさんと並ぶ考古学者なのに」
    『うふふ、光栄ね。さてと、私に電話を掛けてきた理由は分かっています。操り人についてよね』
     シロナから切り出された本題に、アランは「はい」と頷いた。
    「最近シゲルの様子がおかしかったので。ショータとゴウを巻き込んで操り人の伝承を探しに行ったり、俺に何かしらの変化がなかったかと問いかけてきたり、色々です。シンジから彼についての報告は受けていないのですが、おそらく何かしらのコンタクトはとったかと考えています」
    『で、シゲルくんの行動の発端が私だと貴方は推測した。そうね、半分正解で半分外れ。発端は私ではなく彼。私はシゲルくんの要望を叶えただけに過ぎません』
    「つまり、彼から貴女に対して『操り人』について教えてくれと依頼があったわけですね?」
     アランの回答にシロナは『その通りよ』と肯定した。
     シロナの言に曰く、操り人とは各地方に散見される神話の人間側の主人公とのことだった。イッシュに伝わる建国神話に華々しく登場する、レシラムに選ばれし真実の英雄と、ゼクロムに選ばれし理想の英雄。千年の時を経て目覚めるジラーチと共に七日間を過ごす、純真な心を持った少年。ミチーナにて、アルセウスを救った勇気ある少年と少女たち。そして彼女は、この操り人伝承の発端はカントーのオレンジ諸島に伝わる、アーシア島の言い伝えと睨んでいるとのことだ。
    『いずれも歴史に颯爽と現れ、彗星の如く消えていった者たち。操り人……伝説のポケモンにトレーナーとして認められた者は、いずれも短い活動期間を終えてからの足取りが杳として掴めないの。戦いの中で死んだのか、異端の力を持つとして人々から迫害されたのか、それとも……この世界から消えてしまったのか――真実は闇の中よ』
    「シゲルが引っかかっているのはその点でしょうか」
    『おそらくね。私自身、君たちが操り人になったと知って驚いた。神話上の存在が何人も目の前に現れたようなものだもの』
     だからね、とシロナは続ける。
    『貴方たちがどんな道筋を辿るのか、強い興味と共に不安を抱いているわ。その身に降りかかる脅威と悪意がどれほどのものか、想像もつかない』
     特異な力を持った人間が辿る末路については、貴方もよくよく知っているでしょう?
     彼女の言葉がアランの肩に重くのしかかる。
     サトシやアイリスのように世界に強者と認められ、悪意に対抗する術を持っている人間たちならまだマシではあろう。だが問題は、トレーナーとしてのスキルに乏しく外敵に対して刃を持っていない人々――バルザやメアリといった、人里離れた土地でポケモンと共に密やかに生きている人々たちが標的になった場合だ。
     いくら強大なポケモンがその人々を守ろうとしても、数で囲まれたり、庇護対象が人質に取られた場合、満足に戦うことができずに蹂躙されてしまうという末路は想像に容易い。
    『貴方も操り人となったことで、その側に立ってしまっているのよ。忘れないでね。貴方の一挙手一投足は、これまで以上に大きな影響力を持つことを』
    「……はい。もう俺は、俺の大事な人が傷つかないためなら何でもすると誓ったんです。協会だってとっくに騙してるんだ。今更躊躇うことなんて何もありません」
    『そう。それならいいの。力になれることがあれば遠慮なく言ってちょうだいね』
    「はい、ありがとうございます。それじゃあ、失礼します」
     とん、と軽くスマホロトムをタップして、アランはシロナとの通話を切った。思ったよりも多くの情報が得られたため、内心かなり驚いてはいる。そして、これからシゲルが何をしようとするのかも、大まかではあるが見当がついた。
    「……彼に限って、サトシを傷つけるとは思わないけれど」
     ――大切なものを守るための想いが、翻ってそれそのものを害する事例なんてこの世に腐るほどある。
     何よりも己自身がそうだったから、とアランは自嘲しながら、再びノートパソコンへと向き合いキーボードを叩き始める。
     その文書のタイトルには、『メガシンカエネルギーを用いたスタジアム用シールドの構築について』と銘打たれていた。

     ★

     そして迎えた食事会当日。せっかくの食事会だからと、ミアレシティにあるブティックで買った新品の服を身に纏ったアランは、研究所の大扉を潜ったあたりで思わぬ来客に目を瞠ることとなった。
    『久しいな』
    「……あぁ、そう、だな。うん。で、なんで君がここにいるんだ、ミュウツー?」
     サイコパワーを用いて音もなくアランの目の前の地面に降り立ったのは、ロケット団壊滅の際にサトシのポケモンとして保護観察対象となったミュウツーだった。はて、彼に単独での行動はまだ許されていなかったように記憶しているのだが、どこかにもう一人、もしくはもう一体の連れがいるのだろうか。
    『サトシからの指示でな、お前を迎えに行ってやれ、と。私自身、お前には礼を言いたかったからこうやって来た次第だ』
    「……礼? 君にそんなふうに言われるようなことをした覚えはないんだが……」
    『別にそれで構わない。お前に対して私が勝手に謝意を抱いているだけだ』
     相変わらずシニカルな笑みを浮かべながらそう思念波を発する彼の腕には、結晶根――おそらくはロータで取れる最高品質のものだろう――で造られた腕輪が嵌め込まれており、その中央にはミュウツナイトがあしらわれていた。
    「なぜ君単体で……と思ったが波導による監視付きか」
    『それもあるが、研究所の壁を見てみろ』
     つい、とミュウツーの異形の手が示す先には、研究所の外壁に張り付いてこちらを見下ろすゲッコウガがいた。一部の隙もなく、平和な街並みの中にあっても張り詰めた緊張感だけを身に纏わせた忍び蛙に、アランはなるほどなと呟いた。
    「ゲッコウガとのキズナ現象で、彼とサトシの波導は遠隔地でも常にリンクしている。ゲッコウガを介してサトシは君を常に監視できるわけだ」
    『理解が早くて助かる。ついでにこの腕輪も、波導使いが連絡用に使うものらしくてな。私自身【はどうだん】は使えるから、一方的ではあるがサトシからの思念波を受け取ることもできる』
     そういえば、ミュウツーは最終決戦の時に【はどうだん】を用いて、マトリのダークライを撃破していたのだったか。それゆえに、ルカリオのように能動的に対象へ思念波を発信することは難しいが、それを鮮明に受容できるくらいには波導を用いる素養があるのかもしれない、とアランはひとりでに納得した。
    『そういえばゲッコウガ、お前、攻撃目的だけでなく移動のための【サイコキネシス】も弾くのか?』
    「コウ」
     ミュウツーの問いにゲッコウガはこくり、と頷いた。
    『む、少し困ったな』
    「君たち、ここまで何で来たんだ……、いや言わなくていい、反転世界だな? 大方、上の窓から出てきたといったところか」
    『そうだ。だからここから私とゲッコウガはお前を連れて【サイコキネシス】で空路を行くつもりだった』
    「なるほどな。それならゲッコウガ、俺のリザードンに乗ってくれ」
     スマホロトムにレストランの座標を打ち込みながらのアランの言葉に、ゲッコウガはこくりと頷いて地面へと軽やかに降り立つ。そしてかたじけない、とでも言うように彼はアランに深く頭を下げた。
    「気にしなくていい。見張りも俺が代わるから、少し休んでくれ」
    『……このゲッコウガ、サトシのポケモンの中でも最上位クラスの力の持ち主だな。こうやって正面から戦う機会を得て痛感したが、あのとき土手っ腹に【きあいパンチ】を打ち込めたのは、サトシの気が進まなかったからだと理解した』
    「俺も彼への勝率は五分五分くらいだよ。一つ一つの攻撃が強烈だし、そのスピードから攻撃を当てることすら難しい。互角に戦えるのは、俺の手持ちの中でもこのリザードンくらいだ」
     そう言いながら、アランはボールからリザードンを繰り出し、デセルシティまで乗せてくれるか? と告げる。それに対してリザードンは勿論だと頷いてから、そばに佇むゲッコウガとミュウツーに軽く視線を向け「ぐぁう」と親しみを込めて一鳴きした。
    「コウ、コウガ」
    「ばぎゅあ!」
     ゲッコウガがリザードンに何やら短く告げたかと思えば、リザードンはそれに対して陽気に尻尾を振り、己の背中を指差す。そのやりとりを一通り聞いていたミュウツーは、ほう、と感心したように片眉を上げた。
    『……仲が良いんだな』
    「なんだかんだで八年くらいの付き合いだからな。いいライバルだと思っているんじゃないかな。そういえばサトシは今どこに?」
    『少し寄りたいところがあるからと、ひと足先にデセルシティに』
    「そうか。なら急がなくちゃな」
     身軽な動きでリザードンの首元に跨ったアランは、ゲッコウガが尾のあたりに腰を下ろしたのを見やってからスマホロトムにナビ開始を指示した。
     それを見たミュウツーもサイコパワーを発動させて身体を浮かし、出発の準備を整えた。
    「行くか。リザードン、頼む」
    「ぐぁう!」
     バサリと大きな音を立てて翼を広げ、リザードンは一気に飛び上がったかと思えばグンと飛行速度を上げていく。ミュウツーもそれに負けじと【サイコキネシス】を発動させ、リザードンと並走するように位置取りを行った。
    「この速度なら十五分くらいで着くはずだ」
    「……コウッ」
    『サトシから伝言か?』
    「コウガッ、コウ、コウッ」
    『出発したなら、まずデセルタワーに来て欲しい、と』
    「それは構わないが……。ん?」
     ギンッ、とリザードンとミュウツーのものとは異なる鋭い風切り音がアランの鼓膜を揺らす。一体どこから、と周囲を見渡すもそれらしき飛行体は見当たらない。
    「……ぎゅあ?」
    「コウッ」
    「リザードンとゲッコウガも聞こえていたか。ミュウツーはどうだ」
    『……私たちの上空を極めて強力なポケモンが通過していった。おそらくは、伝説のポケモン。進路も……ほぼ同じ方向だな。だが、先程の風切り音から考えるに……音速はゆうに超えている速度だ』
     ミュウツーの思念波に対して、気配などの感知能力に優れたゲッコウガが同意するように頷く。
    「……急ごう。そのポケモンがサトシやバルザたちに危害を及ぼす可能性もある」
     アランの言葉を皮切りに、リザードンは一気に飛行速度を上げる。ゲッコウガは、この飛行速度の中では立ち上がることは流石に難しいと判断したのか座り込んだままではあったが、生成した水の刃を両手に構えて臨戦態勢を取り始めた。ミュウツーもまた身に纏うサイコパワーを増やしたようで、バチバチと周囲に火花が散っている。
     その体制のまま、彼らはデセルシティまでの空路を一息に進み切った。
    「着いた! リザードン、ミュウツー! 運河の近く、ビルの頂上部に金の輪がある建物が見えるか? あれがデセルタワーだ!」
    『私が先行する』
    「頼んだ!」
     リザードンよりも小回りのきくミュウツーが、ビルの合間を駆け抜けていくのを見送ってから、アランはリザードンに「ビルの上から向かうぞ」と指示した。
    「ゲッコウガ、サトシから連絡は?」
    「コウ」
     ふるふる、と首を横に振るゲッコウガに、アランの焦りは少しだけ大きくなった。サトシに限って何者かに遅れをとるとは考えづらいが、万が一ということもあり得る。
     ミュウツーの感知が正しいのであれば、デセルシティに向かったポケモンは伝説のポケモンと同じ力を持つほどの個体だという。
     人が多いうえ高層ビルも立ち並んだ街を、強力なポケモンが音速越えで通過しようものなら、いくらかの被害が出ることは想像に容易い。
     しかし、アランの懸念は結果として全くの杞憂に終わった。
     というのも、デセルタワーの頂上に辿り着いた彼らが最初に目にしたものは、サトシを間に挟んで互いを疑り深く見つめ合う二体のミュウツー、そしてそれを呆然とした様子で眺めるバルザであったので。

     ★

     現実はいつだって想像の上をいく、とはこのことを言うのだろう、とアランは半分ほど据わった目で二体のミュウツーが睨み合っているのを眺めていた。彼らの様子はまさに膠着状態といった具合で、互いが互いの隙をつぶさに窺い続けている。そして間に挟まれたサトシはといえば、呑気にピカチュウの顎を撫でてやっており、場慣れといった言葉では言い表しきれないある種の貫禄を醸し出していた。
    「なんだ、この状況……」
    「俺が聞きたいよ、それは……。バルザさんもすみません、こんなことに巻き込んじゃって……。メアリさんとフーパもお店で待たせちゃってますし……」
     奇怪な光景に唖然としていたところに不意に名前を呼ばれたバルザは、びくっと軽く肩を跳ねさせてからおずおずといった調子で口を開いた。
    「いや、大丈夫だ。それよりも、ピカチュウが頬をバチバチ言わせてるのが、俺としてはなかなかに不安なんだが」
    「あー……、確かに。バルザ、念のためリザードンとゲッコウガの後ろに」
    「分かった」
     依然として睨み合いを続けるミュウツーたちに、サトシのピカチュウはそろそろ苛立ちを抑えきれないようで、頬袋から電撃をいつ放出してやろうかと、愛玩系のポケモンには似つかわしくない怒りの形相を浮かべている。
    「……波導から害意は感じないから、単純に互いを見定めてるだけだとは思うんだけどな」
    『あら、サトシ、私の感情を読み取れるのですか?』
     脳に直接伝わる声色に、アランはおや? と首を傾げる。サトシのミュウツーの声は男性的であるが、二体目のミュウツーのそれは柔和な女性のものであったからだ。この相違は一体どこから来るのだろうか、とアランはじっと彼女――一応この呼称で差し支えはないはずだ――を注視する。
    『貴様、サトシと知り合いだったのか』
    『ええ。懐かしい気配がしたので来てみたのです』
    「飛来してきたのが知り合いのミュウツーじゃなかったら、流石に俺も自衛するよ。こいつはイッシュのニュートークシティで出会ったミュウツー。ここで会えるとは思ってなかったからビックリしたぜ」
    「ぴぃか……」
     サトシの淡々とした説明に、ピカチュウは深く長いため息を吐き、バルザは困惑したような表情を浮かべるばかり。アランはといえば、まぁそうなるよなと納得しかなかったが。さらにいえば、そもそもミュウツーが二体いるという状況自体がおかしいのだから。
     そして一旦会話が落ち着けば、再び長い沈黙が舞い降りてくる。ミュウツーたちは互いの探り合いを止める気配がなく、サトシもどうやって場を動かしたものか決めあぐねているようだった。バルザとゲッコウガ、リザードンに至っては、どこからともなく取り出されたドーナツを頬張り始める始末である。全くもって羨ましい。
     ――しかし、このまま時間を浪費するわけにはいかないから、状況を変えなくては。
    「みんな、とりあえず下のレストランに行くぞ」
    「へっ?」
    「ぴっか?」
    『おい』
    『あら』
    「えっと……アラン? この状況下でか?」
     サトシ、ピカチュウ、ミュウツー二体、そしてバルザがマメパトが豆鉄砲を喰らったかのような表情を浮かべる中で、アランは実に淡々と言葉を続ける。
    「予約の時間まであと五分だし、フーパとメアリも待たせている。なにより腰を据えて話さないことには相互理解もできないだろう。それに、君たち二体が万が一暴れても鎮圧する自信はある」
     だろ? とアランがゲッコウガとリザードン、ピカチュウに目線を送れば、三体は「もちろんだ」と言わんばかりに雄叫びを上げた。
    「まぁうん、そうかも。っていうわけだし、二体ともそれでいいか? ……いや、ちょっと待って、お前のことなんて呼べばいい? どっちもミュウツーって呼んだら混乱させそう」
    『私ですか? ……そうですね、サトシになら何と呼ばれても構わないのですが、リクエストをしていいならツーちゃんと、そう呼んでください』
    「分かったよ、ツーちゃん。……本当にそれでいいの?」
    『それでお願いします。実は私、少しだけ憧れてたんです。ちゃん付け』
     ふふ、と笑うミュウツー――ツーちゃんを見て、アランはリザードンをボールに戻し、ゲッコウガにサトシの元へ戻るよう促す。
     そしてサトシのミュウツーはといえば、ツーちゃんのリクエストに対して実に嫌そうな表情を浮かべており、それを目にしたアランは軽く吹き出しそうになるのを必死に堪えることになってしまった。
     ――人間嫌いと自称するわりに、意外と人間臭いよな、彼は。
     そんなところを知ってしまっているからこそ、自分はサトシのミュウツーに親しみを抱いているのだろうと苦笑しながら、屋上から階下へと繋がるドアを押し開いた。

     ★

     デセルタワー内に飲食店はいくらかあるが、アランが事前に予約しておいたのは、八年前の騒動で建て替えられてから参入してきたジョウト地方の高級料亭の分店である。
     完全予約制にして個室制、というVIP客向けの経営スタンスを隠しもしない経営スタイルであるが、料理の味は四天王にしてカロスきっての料理人であるズミが絶賛するほどのもので、アランも密かに興味を抱いていた店だった。
    「アラン、本当にここで食事会をするのか……?」
    「あぁ。ポケモンをボールから出したままでも入店可能、そしてプライバシーの確保という面から選ぶと、行けるレストランがかなり限られるんだ」
     支払いは全て俺が持つから気兼ねなく食べてくれ、というアランの言葉に、バルザはいやいやいやと勢いよく首を横に振る。そしてもう一人、サトシもまた「本当にここで食うの?」と戦慄したような表情を浮かべていた。ピカチュウもそれは同じだったようで、サトシのカバンからおめかし用のアクセサリーがないかと必死に漁っている。
    「俺、普通に下のパルデア料理店かと思ってた……」
    「そことこことで最後まで悩んだが、ズミが一回は行ってこいと聞かなくて……。パキラも食べておいて損はないと推してきて……」
     それに、みんなにも美味しいものを食べて欲しくて、とアランが少し困ったように笑えば、サトシとバルザは互いに顔を見合わせてから、せっかくだしと料亭の暖簾をくぐる決意をした。ツーちゃんだけはクスクスと楽しげに笑っているだけだったが。
    「そういえば、バルザさんとはかなり久しぶりですね」
    「あぁ。六年ぶり……かな。君の二回目のPWCS優勝時に、フーパが強引に連れてきたんだっけ」
    『そんなに会っていなかったのですか?』
    「うん、俺、自分で言うのもなんだけど、ずーっとあちこちをふらふらしてたから。昔回った地方とか、新しいところだとパルデアにも行ったよ。ツーちゃんとはそれこそ八年ぶりだっけか?」
    『そうですね。……ところで同胞、ボールの中から思念波飛ばすのやめてください。そろそろうるさいです』
    『誰が同胞だ。そもそも、私以外にミュウツーがいること自体許し難いというのに』
    「……、俺はあまり外に詳しいわけではないんだが、ミュウツーというのは珍しいポケモンなのか?」
     バルザの問いに、アランとサトシは揃って首を縦に振りながら、そこらへんは食べながら話そう、とレジにある呼び出しベルを押す。
     そこから数秒もせずに姿を見せた着物姿の女性――おそらくは店員であろう――は、「アラン様ですね? ようこそおいで下さいました。お連れ様もすでにお部屋におります」と深々と頭を下げた。
    「ボールの外に出ているポケモンが二体いるのですが、入店は可能ですか?」
    「はい、構いませんよ。ただし、店内でのわざの使用は厳禁とさせていただきます」
    「だってさ。ツーちゃん、そこだけは守ってくれるか?」
    『えぇ。地に足をつけるのはだいぶ久しぶりですが』
     ツーちゃんがテレパシーを発したことに店員はわずかに目を見開いていたが、すぐに表情を笑顔に整えこちらです、と部屋への案内を始めた。
     その彼女の対応に、ツーちゃんは興味深そうに微笑み、サトシもどこか驚いたように息を呑んでいる。
    「フーパがなにか悪戯をしていなければいいんだが……」
    「大丈夫だとは思うが、まぁ、不安にはなるよな」
    「フーパならそこまで心配する必要はないと思いますけど……。個人的にはアランとバルザさんがめちゃめちゃ仲良くなってるのがびっくり」
    「ぴぃかっちゅ」
     サトシの頬を僅かに掻きながらの言葉に、ピカチュウも同意を示すように頷く。
    「報告書で、バルザさんとメアリさん、フーパに協力を仰いだ、っていうのは知ってる。シトロンからも協力者として薦めたって聞いたし」
    「シトロンくんに『イベルタルが何者かに狙われている』って相談した矢先にアランが来たんだよ。まぁ、そこら辺も席に着いてからゆっくり話そう。部屋に着いたようだしな」
     三人と一匹、一体の目の前には、金粉を控えめに塗した竹林が彩る襖がある。掘り炬燵のある座敷ですので、靴はお脱ぎになられますよう、という店員の指示に三人は素直に従い、各々の履き物を脱ぎ去っていく。ピカチュウとツーちゃんはといえば、店員から渡されたウェットティッシュで手足を拭うようにと指示を受けていた。
    『なるほど、これが和室、というものですか。カントーやジョウトなどでは多いと聞きますが、イッシュやカロスではこういう店でもない限りは見ない形式ですね』
     さて、これはどのように開ければいいのでしょう? と小首を傾げるツーちゃんに、店員は「私がお開けしますので」とすかさず引き手に手をかけ襖を滑らすように開けていく。
    「メアリ様、お連れ様がご到着なさいました。皆様方も中にどうぞ」
    「ありがとうございます。メアリ、フーパ、サトシくんとアランが来たぞ」
     バルザが先陣を切る形で座敷に入り、サトシとアランがそれに続く。座敷の中央には六人掛けと思しきサイズの掘り炬燵があり、その本格さ加減にカントー出身であるサトシは感嘆の息を漏らし、アランとバルザは初めて見るそれに目を輝かせていた。
    「あにさま、おそーい! フーパとお通しの和菓子、全部食べちゃったじゃない! アランさんにサトシくん、久しぶり! 元気してた?」
    「お久しぶりです、メアリさ……ぐふっ」
    「サートン! サートンだ! ひさしぶり!」
    「こら、フーパ! いきなりぶつかっちゃダメだろう!」
    「ピカピ、ピィカッチュ?」
     エネコまっしぐらとでも言うべき勢いで突っ込んでいったフーパを見事に受け止めたサトシを見て、彼の肩に乗ったままのピカチュウが大丈夫? と声をかける。しかし、細身のように見えてしっかりと身体を鍛え、オーキド研究所で己のポケモンから愛ある【かえんほうしゃ】や【とっしん】などを受け止め続けてきた彼には、フーパの突撃など可愛らしいものであった。
    「大丈夫、大丈夫! バルザさんもそこまで怒らないでやってください。でもいきなりぶつかるのはダメだぞ、フーパ」
    「わかった! ランランもひさしぶり! なんかまえよりあかるくなった?」
    「あぁ、久しぶり。この前は本当にありがとうな。色々あって、心機一転できたところだ」
    『あら、賑やかでいいですね。楽しい席になりそうです』
    「えっと、あにさま、アランさん、サトシくん、このポケモンは……?」
     突如として発された思念波を感じ取り、メアリとフーパが警戒するように身を強張らせたのを察したのか、ツーちゃんは『安心してください』と温和な口調で一人と一匹に語りかける。
    『私はミュウツー。人に作られたポケモンで、サトシの知り合いです』
    「え、そうなの? じゃあ、大丈夫ね」
    「サートンのともだちなのか! フーパもなかよくしたい!」
    『えぇ、こちらこそよろしくお願いしますね』
     一通り挨拶が済んだあたりで、サトシとアラン、バルザ、ピカチュウとツーちゃんは掘り炬燵へと腰を下ろす。だんだんと春の陽気が強くなっているからか、掘り炬燵の電源は既にオフになっていたようで、初めての体験に内心浮き足立っていたアランとバルザは揃って落胆したような大きな溜め息をこぼした。
    「コタツ……楽しみにしていたんだが……」
    「俺もだ。せっかくの座敷なのに……」
    「ピィカア……」
    「ピカチュウも残念なのか?」
     バルザの問いに、ピカチュウは頭を縦に振って肯定の意を示す。
    「ピーカン、さむがりなのか?」
    「ピーカ、ぴかっちゅ」
    「あったかくなっても、こたつはべつもの?」
    「ぴぃか」
     その通りだ、と一声鳴いたピカチュウはせめて気分だけでも味わおうと掘り炬燵の中へと潜っていき、エネコのように丸まり始める。フーパもまたそれに追随し、掘り炬燵の底で寝転がった。
    「サトシはカントー出身だから、家にコタツとかないのか?」
    「俺んちにはコタツはなかったなー。オーキド研究所にはあるけど。よく博士やシゲル、ケンジとだらだらさせてもらってた」
     カントーとシンオウには多いと思う、とおしぼりで手を拭きながらサトシは続ける。
    「あと、コタツあるあるだけど、コタツじまいは体よりも心の方がダメージくるな……。もうこれに入れないのかー、って」
    『サトシほどのトレーナーでもそう感じるのですね、コタツとは凄い……』
    「いや、ツーちゃん、そこは感心するところじゃないから。普通の日常あるあるだから」
    「でも俺は、君からそういう話を聞けて安心したよ」
     フーパにそろそろ出てきなさい、と合図を送りながらのバルザの言葉に、アランはそうだなと頷き、ピカチュウもどこか寂しげに一声上げ、当のサトシは何が何だかと首を傾げた。
    「そう、なんですかね?」
    「そうよー! だって、ポケモンマスターに協会から公的に認定されたとき、サトシくんをテレビで見ない日は無かったもの!」
    「俺たちがあまり世間のことを知らないというのを抜きにしても、あの時の熱狂ぶりは凄まじかったな。いっそ薄ら寒ささえ覚えたよ」
    「確か三年前だったわよね。で、マスター認定から一週間経たずでポケモンの大型密猟組織の根こそぎ検挙。第二次サトシくんブーム」
    「……そんなにひどかった?」
     サトシがアランに助けを求めるような視線を向けてきたが、アランもまた当時の彼が置かれていた状況については過酷すぎるものだったと認識していた。
    「正直、あれは当時十五歳の少年に背負わせていい部類のものではなかったな」
    「えー……、やっぱりそういう認識なんだ……。ピカチュウ〜、俺、あの時ヤバかったんだって〜……」
    「ピカピ、ピカピカ」
    「サートン、いまさら、ってピーカンいってる」
     掘り炬燵から出てきたフーパの通訳によるピカチュウの辛辣な一言に、サトシはとうとうそんなぁ……と悲痛な声を漏らした。
    「俺、あの時は確かにいっぱい人に囲まれるなぁ、なかなかバトルできないなぁとは感じてたけど、我慢すればすぐ終わるって思ってたからさ。実際一ヶ月も経てば今まで通りに戻ったし……」
     そうでもないのかなぁ、と悩ましげにサトシがぼやいたあたりで、座敷の扉が開け放たれ、先ほどアランたちを案内してくれた女性が、「遅くなりましたが、お通しをお持ちしました」とお盆を手に持って現れた。
     そこから彼女は、アランたち四人のそれぞれの前に手際よく一口サイズながらも見栄えの良い料理が乗せられた風雅な皿を並べていく。
     そして最後に、掘り炬燵からようやく這い出てきたピカチュウ、ふわふわと浮かぶフーパ、お行儀よく卓の前に座っていたミュウツーに、美しいゼリー状の料理が盛られた陶器の椀を差し出した。
    「お連れのポケモン様方にはこちらを。ホウエン地方産のチイラのみとリュガのみ、そしてブロスターのハサミの出汁をふんだんに用いた煮凝りになります」
    『あら、すごく美味しそうですね……。いい匂い』
    「お褒めいただき、恐縮です」
     それでは、と静かに座敷を辞していく彼女を見送ってから、彼らはまずは食事を楽しもうという合意に至り、皿と同時に並べられた箸を静かに手に取った。
    「サトシ、その頃の話、色々と聞かせてもらうからな」
    『私も、とっても、興味がありますので……。お聞かせくださいます?』
     アランとツーちゃんの宣言に、バルザとメアリもうんうん、と頷いてサトシに静かに視線を向ける。四対の視線を一身に受けることになってしまった彼は「はーい……」と降参の意を示しながら、箸で美しい鞠のように整えられた野菜料理を摘んで口に運んだ。

     ★

    『ふむ、貴方たちが巻き込まれたロケット団の騒動については大方理解しました。新時代のチャンピオンが四人、そして大成した考古学者一人が操り人になったことも。とはいえ、最後の一人に関してはそこまで危ういと認識する必要はなさそうですね。どちらかというと、今後より一層の警戒を抱かなくてはいけないのは、サトシにアランといった四人の方です。いくら卓越したバトルの腕を持っていたとしても、世間的には早熟な天才としてしか見られていないのでしょうし。罠に掛けやすい、付け入りやすいと認識されていてもおかしくない』
     一を聞いて十を知る、というのはまさしくこういうことなのだろう、とアランは強く感心しながらツーちゃんの言葉を聞いていた。
     美味しい料理に舌鼓を打ちながら、アランとサトシはバルザとメアリによって今日に至るまでの出来事を洗いざらい白状させられることとなった。といってもメインで詰問されたのはサトシの方で、アランはといえば説明下手な彼のフォローに回っていたのだが。
    「いや、アラン。君にも色々言いたいことはあるからな?」
    「エッ」
    「当然でしょー! ほぼ一人でフレア団の残党と戦ってたんでしょ? それってけっこうキツいことなんじゃないの?」
    「いや、マノンやパキラに手伝ってもらってはいたから、完全に一人ってわけじゃ……」
    「フレア団の件については、俺もかなり初耳なこと多かったけどな。なんで協力要請出してくれなかったんだよ、いくらでも手伝ったのに! まぁ、Gメンに色々フレア団関連の報告書が上がってきたからアランかパキラさんがやったのかなー、って思ってはいたけど」
    『貴方たち、二人とも同じ穴のオタチですからね? 溜め込みすぎ、抱え込みすぎです。ポケモンの私から見てもそう感じるって相当ですよ? ……アランの方は今回でかなり状況は改善したようですが、いえ、訂正します。イベルタルの件で逆戻り……ですかね?』
     同胞もそうだそうだ、という念波を発していますし、とデザートの最高級きのみ入り寒天を頬張りながらのツーちゃんの推測を聞いて、アランはそうかもしれないと頷いた。そしてそれと同時に、頭の中で何かかちり、とピースがハマったような感覚があったのだが、今は気にしないでおくことにした。
    「サートンのボールから、なんかすごいつよーいなみがでてる」
     いやなかんじはしないけど、とフーパもツーちゃんの言葉に同意を示し、サトシは慌ててミュウツーのボールを取り出した。
    「落ち着いてくれよ、ミュウツー……。そんなに心配することないって」
    「うーん、サトシくん側にも問題があるような、ないような、そんな気がする」
     そんなメアリの指摘に、ミュウツーが入ったボールが一際強く揺れる。そしてすでに寒天を味わい終えたらしいピカチュウもうんうんと頭を何度も縦に振った。
    「ピカピ、ぴかぴぃか、ピカッチュ」
    『ふむふむ、サトシはこの間の一件で少しは反省したけど、多分一過性、と』
     生まれ持った性質というのは中々直りませんものね、と同意を示すツーちゃんに、そういうものなのか? とバルザとメアリは首を傾げる。
     そんな二人の様子を見て、アランはぼそりと「そういうものだとは思う」と呟いた。
    「……環境や関わったもの次第で、人やポケモンは変化を受けるが、それでも根底というものは早々に覆らない。何年も何年もかけて、ゆっくり自分と周りの折り合いをつけていくしかない。以前ほど頻繁ではないが、俺も未だに自罰癖が抜けないし」
     それを前提にして、とアランは一呼吸置いてから、サトシに向けて言葉を続ける。
    「君はどうにも最前線に立ちたがるからな……。なにか事件に巻き込まれたら、率先して解決しようと走っていくし。それに救われた俺が言えたことではないんだろうけれど、……見ていて怖いと思う時はある」
    「うぅ……、以後気をつけます、で終われる雰囲気じゃねぇよなぁ……。でも、やっぱり何か目の前の友達に大変なことが起きたら、助けたいって思うのは当然じゃん。俺の力でそれの助けになれるなら、いくらでも力になりたいって思うし」
    『その善性こそが、私や同胞に希望を見せたものだとは重々承知なのですが……。難しいですね。貴方のその在り方を諌めようとすること、それ即ち、貴方が我々を救ってくれたという功績自体の否定になります』
    「フーパ、むずかしいことわかんないけど、サートンをおこれるのは、サートンにたすけられたことがないやつ、ってこと?」
     フーパの純粋さゆえの鋭い指摘にピカチュウのギザギザの尻尾がピンッ、と真上に立ち高い鳴き声を上げた。
    「ぴーか、ぴかぴっか!」
    『フーパ、それだよ! とピカチュウが喜んでます』
    「あれ、ピカチュウ〜、俺の味方してくれないのか……」
    「ピカピ、ピカピィカ、ピカチュ」
    『味方だからこそ、サトシを大事に想うからこそ、危険な目に遭って欲しくない。そのためなら手段は厭わない、だそうですよ』
    「ミュウツーがいてくれてよかったわね。そうよね、ピカチュウはずっとサトシくんの側にいるんだもの。一番心配してるといっても過言ではないわよね」
    「俺たちも君に助けられた立場だからな。もちろん、君が助けを求めたのならすぐにでも力になりにいくが」
     メアリとバルザの言葉に、サトシは少しばかり気恥ずかしそうにしながらも、しっかりとした口調でありがとうございますと返す。
    「前よりはちゃんとみんなに迷惑をかけても大丈夫と思えるようにはなったので……。今日だって、ヒロシたちにちょっと仕事投げてきちゃったもん」
    「そうだったのか。なんの仕事を?」
    「PWCSの挨拶回りついでに、ロケット団の被害が出た土地の事後環境調査」
     サトシの答えに、アランは挨拶回りに誰が駆り出されているメンバーを思い浮かべて「その仕事に最適なメンバーだな」と返した。
     偵察にアイリス、記録にシューティー、いざという時の迎撃にシンジ、それを取りまとめるリーダーにヒロシ、といったところだろうか。各々の役割もはっきりと定まっており、なかなかにバランスのいい実働部隊だ。
    「あ、PWCS、もうすぐ再開するの?」
     とはいえ、メアリが琴線に触れたのは今や定番のエンターテイメントとなったPWCSについての情報だったようで、興味津々であることを少しも隠さずにサトシとアランを見つめてきた。
    「あと二週間、だよな?」
    「うん。ダンデさんがこの休止期間でかなり規模を拡大できたって楽しそうだった」
    「へぇ! フーパ、PWCSもうすぐ再開するんですって!」
    「ほんとか! サートンでるやつ! たのしみ!」
     初めて目にした美しい寒天をじっくりと見つめすぎていたせいか、ようやくそれを食べ終えたらしいフーパがメアリの言葉に喜色を滲ませながらくるくると踊る。それに触発されてか、バルザもアランに向けて一つ問いを投げた。
    「いやー、中止してから長かったよなー。完全にマスタークラス戦が日常の一部だったから、バトルの勘、鈍ってなきゃいいんだけど」
    『そういえば、二人は一地方のチャンピオンなのでしょう? PWCSとやらでもかなりの上位にいるのでは?』
    「おう。俺もアランもマスタークラス……、世界八位以内にいるよ。俺は四位で、アランは今シーズンの暫定一位」
    「マスターズトーナメントがまだだから、確定じゃないがな」
    『あら、それはいい情報を聞きました。二人とも、後で私とお手合わせ願いたいです。貴方たちと戦えたら、私はきっと今の限界をさらに越えられる』
     ふふふ、と愉しげに笑うツーちゃんの表情を見て、アランはいくら物腰が柔らかく女性的な口調であっても、このポケモンはどこまでいってもミュウツー――つまりは戦うために生み出されたポケモンであると理解した。
     悪意はなく、傲慢さも感じられないが、己が強さに微塵の疑いも抱いていない彼女の態度に、アランは好奇心が掻き立てられて仕方がなかった。
     そしてそれはボールの中で何とか大人しくしていた彼も同じだったらしい。ぽん、と軽い音と共にサトシのミュウツーがツーちゃんに食ってかかるように詰め寄った。
    『貴様の相手は私が請け負おう』
    『あら、同胞。ボールから出てきてよろしいので? 貴方、サトシの監視下で保護観察中と聞きましたよ。勝手なことをしては罰を受けるのでは?』
    『ボールにはすぐ戻る。いけ好かない貴様のツラを一発殴ってからな』
    『それならいくらでもお相手して差し上げます。ですがここは店の中。外に出てから、人間の気配が少ない場所で戦いましょう? 私、手加減ができないタチですので』
     ツーちゃんののらりくらりとしながらも挑戦的な態度に、ミュウツーは苛立たしげに長い尻尾を一振りしてからサトシのボールへと戻っていく。その一部始終を見ていたピカチュウは低い声で「ビィガァ……」と呟いた。
    「ピーカン、あとでミュウツーにせっきょうする、だって」
    「ピカピカ、ビガッヂュウ……」
    「いっせんまんぼると? もじさない、って」
    「事実上の処刑宣告だろう……それは……」
     なかなかに手厳しいピカチュウの言動に、アランどころかバルザとメアリも慄きを隠さずにはいられず、食後の甘味として出されたぜんざいをゆっくりと啜って気を紛らわせる。小豆の強いながらも上品な甘みが舌に嬉しい。サトシもピカチュウを宥めながらそれを食べ進めていたが、ここからどうするかなぁとため息を吐いていた。
    「ひとまず、ミュウツーたちはバトルしないと落ち着きそうにないから、ここから出たらどこかの空き地に行かないとな。あと、ここのポケモン用の料理すごく美味しそうだったからみんなにもあげたい……、量が多くなっちゃうけどテイクアウトできるかな?」
    「できると思うぞ。時間がかかるとは思うが、そこはバトルしながら待てばいいし」
    「そうだよな。俺、ちょっと店員さんに頼んでくる。アランはどうする?」
    「俺のポケモンの分もお願いしたいな。お代はあとで払うよ」
    「おっけ!」
     サトシがスマホロトムを片手に座敷の外へ出ていくのを見送ってから、アランはすかさず愛用のウェストポーチから財布を取り出しいくらかの紙幣を卓の上に並べていく。
    「どうしたんだ、アラン」
    「いや、多分これ、サトシがこの場の支払いを全部持つつもりだなと思って。……さっき俺が持つって言ったのに」
     だからこれは押し付ける用だと軽やかに続けながら、これくらいだろうかと一人分の食事代にしては多い金額をひと所にまとめていく。フーパは初めてみる金銭を興味深く眺めており、ピカチュウは彼がついうっかり異空間などに飛ばさないよう見張りを買って出てくれた。
    「アラン、君もちょっと待て。それ、明らかに多すぎるだろう。俺にも出させてくれ」
    「そうよ、水臭いじゃない! これくらいで足りる?」
    「……う、押しきれなかったか」
    「君たちだけに支払われては申し訳ないからな。受け取って、くれるよな?」
    「……はい。えっと、これで三人分、テイクアウト分も入れるとこれくらいか……?」
     ずいっ、と二人から差し出された紙幣を申し訳なさそうに受け取り、それによって生まれた余剰分を己の財布に大人しく仕舞い込んでいく。そして最終的に卓上に残った紙幣をひとまとめにして、申し訳程度に卓上に用意されていた紙ナプキンで包んだ。
     紙幣をこのまま渡すのは少々気が引けるが、生憎封筒という気の利いたものが手元になかったのである。
     そして「頼んできたぞー」と座敷へ戻ってきたサトシに、アランはすかさずそれを押し付ける。差し出された十数枚の紙幣を見てばつが悪そうに目を泳がせたサトシは、降参の意を示すために両手を軽く上げた。
    「こちら、本日の食事代三人分となりますので、ご査収ください、ポケモンマスター? 足りなかったら追加で出すよ」
    「はい……、ちぇっ、バレてたか」
    「まぁ、五回くらい同じ手を食らったからな……。いずれはその分も耳揃えて返すからそのつもりで頼むぞ」
    「友人にいらない負担は掛けさせたくないからな、ここは素直に受け取ってくれ、サトシくん」
    「あに様に同じく!」
    「これ、受け取らなかったらむしろ怒られるやつだった……?」
     うぅ、と小さく唸りながらもサトシは領収証を取り出し、それと睨めっこしながら受け取った紙幣の総額を数えていく。そこから自らの財布とスマホロトムを取り出して、アランたちに「三人とも、お釣りは電子マネーでいいですか? 小銭足りないかも」と問うた。
    「構わないよ」
    「サンキュ。ロトム、計算任せた」
    「アイカワラズロトムヅカイガアライロト……」
    「ごめんって! えっと、じゃあアランの分から……、いくら出した?」
     三人が卓上で精算を行なっていくのを、ポケモンたちは大人しく見つめている。ピカチュウはまーたやってるよ、と呆れながら、フーパは
    『……なるほど、人間とはこういう持ちつ持たれつの関係もあるのですね。おかね? とやらも初めて見ました。興味深い』
     ひたすらにサトシたちのやりとりにだけ注視していたらしいツーちゃんが、ふむふむと楽しげに尾を揺らすのをちらりと見てから、サトシは「テイクアウトの料理が出来上がるのに二時間くらいはかかるってさ」と言った。
    「全部で七十匹分近く? だからなぁ……。むしろ短いくらいだよな」
    「二時間、か。サトシは時間とかは大丈夫なのか?」
    「今日は一日休み! バルザさんとメアリさんは何かこのあと用事あったりしますか?」
    「ううん、特にないわ。強いていうなら夜に取引先からのメール確認くらい?」
    「そうだな」
    「取引先? 何かの商売とかか?」
     バルザの言葉に、アランが小さく首を傾げる。それを見たフーパが自慢げに小さな胸を張りながら自慢げに告げた。
    「フーパたち、つくったこむぎこをいろんなところにうってる!」
    「確かアルケーの谷には小麦畑があるんでしたっけ?」
    「あぁ。そこで作った小麦粉を、ハニーミツドーナツのキッチントラックに。さほど大口の契約ではないんだけどね」
    「……ん?」
     ハニーミツドーナツといえば確か元ロケット団が経営している店の名前ではなかったか、と思考が明後日の方に向いていってしまったアランをよそに、バルザはさらに続ける。
    「あとは、遺跡の修復作業の手伝いをすることもあるんだ。フーパのリングで、資材を運び込むことが難しい山岳地帯や高所とかにね」
    「そうなのか、フーパ、お前すごいなー!」
    「ぴかっちゅ!」
    「にしし、サートン、フーパすごいー?」
    「すごいよ、デセルタワーもお前が建て直したんだろ?」
    「うん!」
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    masu_oekaki8810

    DONE2023年6月、私は自分のスマホの機種変をした。これはその記録、というより自分のための覚書のつもりだった。
    しかし「二次創作にしたら書いてて楽しいのでら?」
    と思ったので霊幻新隆に機種変させることに。
    結果的に私の機種変の正確な記録ではなくなったけど(コツコツとコピペで移したのはメモアプリではなく、いつも二次創作小説を書いてるPencakeというアプリ。有料版しかデータ移行できん!)良しとしよう。
    霊幻新隆のスマホ道 モブに持たせていたガラケーをスマートフォンに買い替えたのは、モブが事故にあって色々大変なことになった後だ。
     律からは「どうせならiPhoneを」と勧められていたようだが、モブは俺の副回線契約だったので必然的にAndroidスマホになった。(あの頃、codomoはiPhoneは扱ってなかった。というかあんな高いオモチャ、中学生に預けられるか!)
     幸い中古市場もすでに充実していたので、モブには当時の最新のから一年前の機種をほぼ新品で渡すことができた。カメラ機能もガラケーのよりだいぶ良いし音楽や動画も再生できる。中学生には十分だろ。お店の人に聞いてインターネットはフィルタリングかけておいた。あいつもお年頃だからな、当然エッチな言葉で検索もかけるはずだ。俺なんかは国語辞典や広辞苑を開いてエッチぽい単語を延々と調べたものだ。中学は人生で一番辞書を読んでいた時期だ。(お陰でそんな読書しないわりには語彙もそこそこ増えた。)モブが俺の渡したスマホから不健全な情報を得てるとなったら親御さんらに合わせる顔がない。どうしても知りたいことがあるなら正しい性知識の本を用意して読ませてやるからな、ネットでデマや変なこと吹き込まれるんじゃねーぞ、と遠回しに注意してスマホを渡してやったのが10年前、ついこないだのことみたいだ。
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