牡丹、縁日、二人きり。ドン、という音が聞こえて、三月はふと車窓の外へ目を向けた。
「わぁ、綺麗だね」
前の運転席に座っていた万理が三月に声をかける。パッと視界に映ったのは小さな花火だ。どこか遠くでやっているのだろう。だが、雲一つないおかげで綺麗な花が夜空に咲いている。
「すごいですね!今年初めて見ました」
「三月くん、最近忙しかったもんね。俺は何回か見れたけど、こんなに綺麗なのは久しぶりだなぁ」
万理がそう言いながら、後部座席の窓を少し下げる。高速を走る車のエンジンに紛れて、火薬の打ち上げる音が少し大きく聞こえた。
「どこの花火大会ですかね」
「ここから見えるってことは、隣の県なんだろうけど……うーん、どこなんだろうね」
他愛もない話をしながら、次々打ちあがる花火をボーっと眺める。遠くからではあるが、暗闇を照らす色とりどりの花はどれも美しい。今年初となれば尚更だ。
「お祭りもしているのかな。いいなぁ、久しぶりに焼きもろこし食べたくなってきた」
「いいですね!オレは焼きそばとビールだなぁ」
「それもいいね。でも、あんまり濃いと胃もたれしちゃいそう……」
三十代も半ばに差し掛かった万理が遠い目をする。三月はそんな万理を笑い飛ばした。
「大丈夫ですよ!万理さん、なんだかんだこの前も焼肉普通に食べてたじゃないですか!」
「あの時は胃薬で先にドーピングしてたんだよ」
「またまたぁ」
そんなことを言いながら、三月は再び窓の外へ視線を移した。それから、スマホを取り出して、カメラアプリを起動する。
パシャッと一枚撮った写真はオレンジ色の牡丹だ。
『今帰ってるとこ!どっかで花火やってた!』
ラビチャを開き、もう付き合って長くなった恋人に写真を送る。だが、きっと返信はスタンプ一つだろう。最近、仕事の忙しい彼はメッセージを返す気力もないらしく、素っ気ない返信が多い。
これが他のメンバーならちゃんと文章で返すというのだから、甘えているというかなんというか。
案の定、既読すらつかないスマホをしまい、三月は瞼を閉じた。
ドン、ドン、と火薬の打ちあがる音を聞きながら思い出すのは、――いつか二人で遊びにいった、小さな縁日のことだ。
「花火中はみんなそっち見てるからさ、意外とバレねえもんだよ」
人の流れと反対に歩きながら、大和が三月の手を引く。大和の言葉通り、人々は花火に夢中で自分たちを気にした様子はない。
三月と大和が縁日を訪れたのはデビュー一年目、付き合って僅か数か月のことだった。お祭りに行きたいなぁ。三月の小さな願いを聞いた大和が、車を出して往復数時間の縁日に連れてきてくれたのだ。
驕るわけではないが、知名度もそこそこ上がってきていた時期だった。来ていることがバレれば混乱を招いてしまうと危惧した自分とは裏腹に、大和は至って冷静だった。
「その代わり、花火は見れねえけど。まあ、さっと買って車に戻れば最後の方は見れるさ」
安心させるように一つ年上のリーダーが笑う。その顔を見ていれば本当に大丈夫なような気がして、三月はようやく出店に目を向けた。
ソースのいい香りが鼻腔をくすぐる。あちこちの出店から聞こえる、一昔前のBGMが懐かしい。ああ、お祭りにきたんだなぁと心が浮足立った。
「なあ、大和さん!たこ焼き食おうぜ!」
「おお、いいな。どこの店がでかいかな」
「あそこの店とか良さそうじゃね?」
花火の打ちあがる音に負けないように声を張り上げて、子どものようにはしゃぎながら縁日を回った。浴衣を着た女の子も、出店のおじちゃんも、みんな花火に夢中で、自分たちを見てる人なんて誰もいなくて。久しぶりに一人の青年として、のびのび過ごすことができた、幸せな時間だった。
また来年も行けたらいいな。できれば、この人と二人で、なんて。
そう思ってから、もう何年も経つ。
「三月くん」
優しく肩を揺すられて、三月はハッと目を覚ました。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「寮についたよ。明日は10時に迎えに来て大丈夫?」
「はいっ!……すいません、寝ちゃって……」
「あはは、いいのいいの。疲れてたもんね。ゆっくり休んで」
疲れているのは万理も一緒だろう。それでも、そんなことをおくびにも出さず、彼は笑う。申し訳ないことをした、と反省しながら三月は車から降りた。
万理の運転する車を見送り、三月はスマホを開いた。
ラビチャの通知は一件。送り主を見て、思わずため息を吐いた。
「やぁっぱり、スタンプだけかよ」
自分のメッセージの下に、王様プリンが回転するスタンプが貼られている。どういう感情か推測することすらできない。
まあ、既読無視よりはマシか。そう思いながら、三月はスマホを閉まって、暗い玄関をくぐった。
手洗いとうがいを済ませ、自分の部屋に向かう。他の部屋からは物音が聞こえないので、みんな寝てしまったのだろう。
オレも早く寝よう。そう思いつつ、扉を開けて――飛び込んだ景色に、息を飲んだ。
「なんで……、大和さん」
テーブルの上に突っ伏して寝息を立てる恋人の背中を揺する。そのすぐそばにはビニール袋に入ったたこ焼きと、空のプラカップが二つ並べて置いてあった。
「ん、ぅ……ミツ?」
寝起き特有の甘ったれた声で大和が聞く。のっそりと起き上がった彼の頬には、服の後が残っていた。
「おう、ただいま」
「おかえり。……わり、寝てた」
「いいって、今日も朝早かったじゃん。なあ、これどうしたんだ?」
たこ焼きを指差して聞けば、まだ寝ぼけた様子の大和が「ああ」と呟いた。
「今日、ロケ先で縁日やっててさ。スタッフさんにお願いして、買ってきてもらったの」
「わざわざ?」
「まあ」
大和の説明に三月は目を見開いた。誰かに迷惑をかけることを厭う男が、たこ焼きを買わせるためにスタッフを走らせるなんて。そうするくらいなら、手に入れることを諦めて我慢してしまいそうなのに。
三月が驚いていると、大和は恥ずかしそうに目を伏せた。
「昔、二人で縁日行ったことあったろ?」
「あ……」
思い出したのは、二人で遊んだ地方の縁日。さっきまで夢で見ていた、大切な思い出。
「あん時、二人でたこ焼き食ったの思い出して、……もうさすがに行けないから、せめて気分だけでも味わえたらなーって、……思い、まして」
段々口すぼみになってくのは、照れくさくなってしまったのか。目元を赤く染める年上の男が愛しくて、三月は思い切り抱きついた。
「わ、ちょ、ミツ!?」
「なあ、また行きたいって思ってくれた?」
「はぁ?当たり前だろ。今は無理だけど、いつかまた行きたいよ」
だからこうして準備したんだろ。拗ねたように言う大和に、三月はますます抱きしめる力を強くした。
「オレも!……いつか、花火も一緒に見ような」
「ああ、約束な」
未来を恐がらなくなった大和が、自分の背中に腕を回す。その温かさに、三月は花火のような笑みを零した。