いつからこんな気持ちを抱えてしまったのだろう。
同じ事務所の同僚で、デビューが同期で、仕事仲間。誰よりも優しくて、何事にも一生懸命。不運体質のせいで大変なことも多いけれどいつも笑顔で、その太陽みたいな笑顔に私は何度も救われてきた。前向きさや切り替えの早さ、自分にないものを持っている人だと尊敬していた。いつの間にか、胸の奥にちくりと痛みが走るようになったことにも気がついていた。彼の姿を見かけた日は嬉しくて心が弾んで、だけれど胸のあたりが苦しくなって、真っ直ぐに彼の顔を見ることができなくなっていた。私はその感情に名前をつけることはできなかった。名前をつけるには圧倒的に経験が足りなかったのだ。でも、これは表出させていいものじゃない。それだけははっきりと解っていた。仄かに芽生えた感情という名の違和感は静かに押し殺して、私はそれで構わないと自分に言い聞かせてきた。
そんな日々は唐突に終わりを告げた。
「清澄、俺は――」
俺は清澄が好きなんだ
真正面から、そう言われた。
いつになく真剣な表情。沈む太陽と同じ色をした瞳がこちらを見つめている。夕暮れの色は炎をともしたように熱くて、私は足が縫い付けられたかのように一歩も動くことができない。
好き、その言葉に込められた意味を計れないほど鈍感ではない。経験はなくとも、彼の意図するところは友愛などではないことくらい解っていた。
彼のことは特別、だと思う。胸の苦しみは解放を訴えている。恋愛感情についてはまだよくわからないけれど、貴方に近づいてもいいのだろうか。
ただ私は、嬉しかったのだ。向けられた想いに誠実に応えたかった。
「木村さん……嬉しいです」
ざっ、と音を立てて砂を進む。水を含んだ海辺の砂は少し重めに私の草履に纏わりついた。一歩、二歩、彼の元へ近づく。少しだけ目線の低い彼の手を取って己の手のひらを重ねた。
「私も、貴方のことをお慕いしております」
金糸雀の色が燃える夕暮れを映し出す。彼は慌てて目を泳がせた。
「そ、れって、どういう、」
「私は恋愛について詳しくはありません。ですが、きっと同じ気持ちだと思うのです」
微笑んで首を傾げると、木村さんは顔を真っ赤に染めて目を逸らした。
「これって、好き同士、ってことでいいの、かな?」
「ええ、その通りです」
不安そうな子犬のような表情でこちらを見つめてくる彼に、不思議と愛おしさを感じる。照れ隠しなのか、彼は片手で頭を掻いていた。
「清澄、抱き締めても、いい?」
「はい、もちろん」
両手でぐっと腰のあたりを引き寄せられると、ぽす、と彼の胸に引き込まれた。肩口から少し汗の匂いがする。木村さんはとても温かくて、思わずぎゅっと抱き返してしまった。ばくばくと早鐘を打つ心音が聞こえていないだろうか。ゆっくりと目を閉じる。優しい波の音とどちらともわからない鼓動が聞こえてきた。胸のあたりがふわっと暖かく満たされてゆく。誰かに想いを受け止めてもらえることがこんなにも幸せだとは思わなかった。叶わない願いだと思っていたものが、いまこの手元にあるなんて。
とくん、とくんと彼の中から聞こえてくるリズムに身を任せる。きゅっと背中に回った腕は愛しいものを抱きとめるときのそれで、私は擽ったくなって小さく笑ってしまった。
すっかり日が落ちて、体が冷えてしまいそうだったので木村さんと手を繋いで砂浜を歩いた。彼の手は大きくてごつごつしていて、頼りがいのある男の手をしていた。帰りの車に乗ったあとも、私達はずっとそうしていた。繋いだ指はとても温かくて、普段は家まで数十分の距離でもまだ着かないでほしいと願ってしまう、優しいぬくもりだった。
2022/5/15