さびしがりやの夢想 時々、夢を見る。正確に言うと、人間は毎日夢を見ていて、それを覚えていないだけだという。俺はその他の人間と変わらず、夢を覚えているということは殆どない。そして、もしもそれを覚えているとしたら、それは酷い悪夢の時だ。
『大丈夫?』
そんな言葉は、けたたましく鳴り響く目覚ましの音にかき消されたのか。……いや、違うか。
「……起きるか」
これが酷い悪夢の続きであればどれだけ良かったか。そう思わずにはいられないが、これが現実であることは昨日試合で負った怪我の痛みが物語っている。悲しいことに俺のこの広い家で物音を立てるのは、不快なアラーム音とこの俺だけだった。
以前は朝起きればテーブルに用意されていた朝食は無く、昨日の夜食べ散らかした出前の器が乱雑に置かれているだけだ。
そもそもここの家には本来俺しか住んでいないはずなので、これが健全な姿だと言うのは承知の上だが、なんとももの寂しい。この原因を作ったのはほかでもない俺ではあるが……。多少の反省は頭をよぎるが、後悔はしない。俺は後悔する資格もない。
その辺に散らかっているゴミの山から未開封のスニッカーズを探し出し、袋を開ける。口に放り込むとほんのりと甘いチョコレートとキャラメルの味が広がり、あまり甘いものを好まない俺は顔をしかめる。今度はもっと甘さ控えめの携帯食を買い込もうと心に誓う。
俺は準備を整え、家を飛び出す。いつものランニングコースは特に代わり映えもなく『風になる瞬間』以外は存外退屈なものだった。それでも、家の中でじっとしているよりはずっとマシだったが。
1時間ほどして戻った自宅は相変わらずで、今にも何処かから『だらしないわね』という呆れた声が聞こえてきそうだと思うが、それもただの幻でしかない。その幻を遠ざけたのは自分の意思だ。それでも……。
「……未練たらしくて我ながら嫌になるぜ」
思ってしまうのだ。彼女が隣りにいる未来があったのではないかと。彼女とともに歩む道があったのではないかと。しかし、それは儚い夢想でしかない。夢物語は夜にしか見れないし、それが幸せであるほど、俺は覚えていられない。
こうすることを選んだのは俺だ。彼女を遠ざけて、父と……いや、祖父と向き合うと決めたのは俺だ。彼女を傷つけたのも俺。全部、俺が俺のためにしたことだ。
もう夢は見ない。今朝食べたスニッカーズよりも、ずっとずっと甘い夢。俺が見るのは真っ暗な悪夢だけでいい。それが彼女への償いなのだから。
3/10 うお座к星 カッパ・ピスキウム / さびしがりやの夢想