🍃🌹 ニューミリオンはここのところ雨続きだ。雨季というほどの雨季ではないのだが毎日空がどんよりとした重たい雲に覆われて、パトロールにも携帯用の傘が欠かせない。
ここ数日ヴィクターは学会のためにパトロール任務から外れていて、ノースセクターのルーキーはふたりともマリオンについていた。ブルーノースシティは高い建物が多いので死角も多い。加えて雨の日ともなると視界が限られるので、レンはいつもよりも気を張ってパトロールに当たっていた。
レンの能力は水との相性が悪くないので雨の日は嫌いではない。しかし接近戦を得意とするマリオンは雨天となると足場が滑りやすく、攻撃対象に向かってぐっと距離を詰める時に余計に体力を消耗するようだ。それでもトレーニングを人一倍どころか人十倍こなす体力オバケのマリオンのことなので、涼しい顔でパトロールをこなしているのだが。
「あーーー疲れた、雨の日はイクリプスも家で大人しくしててくれねえかな」
「ウルサイ、それに頭も服も乱れていて鬱陶しい」
「雨と自分が起こした風でもうぐちゃぐちゃなんだよ。今日のヘアセットはかなりキマったと思ったのになぁ」
いいからマリオンが鞭を手に取る前に黙ってシャワーを浴びればいいのに。ガストが体力を消耗したメンバーの空気を明るくしようとしていることはわかる。短くない付き合いで段々とこいつのお人好しな側面が分かってはきた。それでも今すべきなのはさっさとシャワーを浴びることで、明日のパトロールに備えて休むことが最優先だ。明日もヴィクターは不在でパトロールで回らなければならない範囲が広いのだから、十分に休んで体力を回復しないといけない。
「ボクはパトロールの報告に行くからふたりは先に休んでいて構わない。レン、今日のイクリプスとの交戦で雨を生かして弾幕を作ったのは見事だった。ボクが躊躇せずに接近してトドメをさすことができたのはレンのおかげだ」
「いや……あと少し早く弾幕を展開していれば左奥にいたイクリプスにも気づかれることなくマリオンが接近できたと思う。次はもっとうまくやる」
レンの答えは及第点だったようで、マリオンは満足そうにレンを見て目を少しだけ細めた。
「そうだな、それが分かっているんだったら次はきっとうまくやれる。あとガスト、」
「ん?なんだ、マリオン」
「洗面所を長く使いすぎるな、みんな迷惑している。夜寝るだけなのに妙な匂いのするよく分からない液体をたくさんつけるのはやめておけ」
「パトロールの話じゃないのかよ!?あーいや……でもオーケー、分かった。今日はレンの邪魔にならないようにすぐに場所をあける、約束する」
「そうしろ」
言いたいことを言うと、マリオンはノースの共同生活スペースから出て行った。自分より小さくて華奢なのに、パトロールの後も背筋を正して疲れた様子をルーキーたちに見せないマリオンを見て、レンは次のオフの日にはトレーニングメニューをいつもの倍こなすことを心に決めた。
レンは相当体力を消耗していたらしく、読書をしながら寝落ちしてしまったようだった。そして自分でも驚くことに目覚まし時計が鳴り響く音で目を覚ましてしまい、そして読んでいた本を枕にしていたことに気付いた、なんとも寝た気がしない。照明を消した記憶はないのだが、同室の男がレンのスペースの照明も消してくれたのかもしれない。
完全には覚醒しない頭で共有スペースのソファに座ると、キッチンにラフな装いをしたガストが立っていることに気付いた。シャワーを浴びたばかりなのか髪の毛がなんとなく湿っていて、セットされていない髪の毛はあちこち跳ねている。やけにご機嫌な様子で調子外れの鼻歌を口ずさんでいるのだが、半分夢の世界にいるレンにとっては余計に眠気を誘うメロディで、開ききらない目を擦りながらソファに身を沈ませた。
ぼやける視界の隅で、メンターたちの部屋のドアが開いてマリオンが出てくるのが見える。マリオンはあんな服を寝巻きにしていなかった気がするが、レンがまだ寝ぼけているからそんな気がするだけかもしれない。
「オマエがボクの服をベッドから蹴落としたから寒い。それにすぐにココアを持って戻るって言ったのにウソツキだ」
「悪かったって、昨日雨の寒い朝にはマシュマロを浮かべたココアが飲みたいって言ってただろ。マシュマロをどこに閉まったか分からなくなって時間がかかっちまったんだよ」
マリオンは明らかにサイズの合っていないスウェットから指先を伸ばして、ガストの服の胸元を掴んでぐっと体を寄せたようだった。
「シャワーを浴びたのに変な匂いがしない」
「マリオンが好きじゃないって言うからな。一緒にいる時はつけないっていう掟だろ」
満足そうにくすくすと笑うマリオンの声が聴こえる、いや、夢かも。レンはやっぱり自分は目覚まし時計なんかじゃ起きられなかったんだと目を閉じた。
「それに頭もふわふわだ、まだちょっと湿ってるけど」
「そっちの方が好きだって言うからな」
「ふわふわしてる方がボクの顔に刺さってもイヤじゃないし、オマエの匂いがするから好きだ。でもボクを置いてベッドから出て行くのは好きじゃないし、ココアは一緒に作ったってよかったのに勝手なことをするから——」
「悪かったって、少し黙ってろ」
黙ってろ?やっぱりこれは夢だな。そう思いながらもなんとか目を少しだけこじ開けると、ガストが耳を塞ぐように両手のひらでマリオンの頭を掴んでいて、多分ふたりの顔が普通じゃ考えられないくらい近くて、マリオンが「んぅ……」と小さく声を漏らしている気がする。マリオンはこちらに背を向けているので何が起きていてどんな顔をしているのかは分からないが。
とその時、ガストがうっすらと目を開けた。マリオンの頭ごしに目が合う。そう、目があったのだ。途端ガストが焦ったようにマリオンから距離をとると、今度はマリオンがガストの顔を挟み込むように手を伸ばし、整えられていないままの髪の毛に指を差し入れながら顔を寄せた。ガストの右手が落ち着きなく空中を右往左往して、まるでレンに何かを伝えたがっているようだ。ガストは左手でマリオンの肩をぐっと抱き、自分の胸元にマリオンを抱え込む。そして——
(お や す み ! レ ン !)
ガストが口をはっきりと大きく開けて、音に出さずに語りかけてくる。
あぁやっぱりまだ夢だったんだな……レンは眠気に抗うのをやめ、そして現実と向き合うことを放棄して、今一度夢の世界に旅立った。