「先生なんか頑固の神で頑神だよ」「それは罵倒なのか?」 夢を見た。
「——その実力、認めてやらなくもない」
口元の血を拭い、そう笑った先生になぜか——どうしようもなく、胸が高鳴ると同時に。
これを引き出せるのがどうして自分じゃないんだろう、と思ったことも、間違いなく事実だった。
「……先生のばーか」
とはいえそれは、今現実で起こっていることとは悲しいほど無関係だ。なんてったって俺と先生は今、喧嘩の真っ最中で……その原因はよく分かっていないのだから困りものである。
……いや、そう表現すると少し語弊があるだろうか。原因自体は「俺が任務以外で魔王武装を使ったこと」だ。それは分かりきっている。ただ、それで先生が俺を叱りつける理由が分からなかった。
俺だって子供じゃないのだから、言われなくたってその危険性くらいは理解している。それでもやっぱりあの男からすれば、俺なんて赤子同然なんだろうな、と。
そう思ったらやけに悔しくて、言い返して喧嘩になって……などと。確かにこれでは子供のようだった。ため息がこぼれる。
璃月の仮住まいは広く、そこそこ立地もいいせいか——街を行き交う人々がよく見えた。その中に鍾離先生を見つけてしまったのは、あのひとがやけに目立つせいなのか目で追ってしまっているからなのか。
……まあいい。先生の言う通り今は体を休める期間だろう。言うことを聞いてやるのは癪だが、必要なことであるのも間違いではない。
やることもないし寝てしまおうか、と天井を眺めていれば、不意に耳慣れた少女の——具体的にいえばおチビちゃんの声が、遠く耳へと届いたものだから。
「やあ相棒! お見舞いに来てくれたのかい?」
結局表に出てしまうせいで、旅人にまで叱られた。
だが彼女曰く。俺が魔王武装で暴れた日——そこには確かに、鍾離先生がいたらしい。
『……憶えてない、んだね。秘境でやけに強い敵に遭遇しちゃって、鍾離先生を庇おうとした君が……最終的に、操られて大暴れしたの』
『そうだぞ! オイラたちも止めようとしたんだけど、うまく手出しできないまま苦戦して……鍾離がなんとか止めたけど、大変だったんだからな!』
そう言った彼女たちは嘘をつくような性格ではないし、そもそも俺にそんな嘘をついて得があるとも思えない。確かにあの日、旅人の秘境巡りについて行ったことは憶えているが……それから先の記憶がなかったのも、事実ではあるわけだし。
「っ先生! なんで教えてくれなかったんだ!」
そして駆けつけた先生の自宅。無用心にも鍵が開いていたせいで、真正面から入れてしまった彼の部屋では——先生は珍しく、寝台の上で目を閉じていた。
「……先生?」
だが、気付いてしまう。どうして息を、していないんだ。
「せ、先生! 鍾離先生! 嘘だろ、まさか本当に……⁉︎」
駆け寄って脈をはかっても、全く鼓動を感じない。うそだ、とこぼれた自分の声がこんなにも情けなかったことなんて、今まであっただろうか。
「……騒がしいな、何事だ?」
しかし。
床にへたり込んでいた俺の目の前、件の岩神はむくりと起き上がる。そうして俺に視線を移し、「……ああ」と納得がいったように呟いた。
「驚かせたな。息をするのを忘れていたようだ」
「……は……?」
「なんだ、俺が呼吸をしないのがそんなに以外か? お前からすれば頑固じじいくらいにしか思われていないようだが……仮にも岩の神だからな、そもそも必要ない。最近は意識して呼吸するようにしていたが、眠るとやはり忘れてしまう」
「……そ、そっかあ……」
やっぱあんたには凡人無理だって、と冷静な俺がどこかで呟いた。息をする必要がなく、おそらく心臓も意図しないと動かないってさあ……
「それで……どうして公子殿が俺の家にいる」
「あ、あーえっと……旅人に、言われて」
「……そうか。俺が怒った理由が分かったか?」
「もちろん、ごめんね先生。本当に迷惑かけました……」
「……やはり分かっていないか」
「えっ」
だが、頭を下げた俺に返ったのは本当にわざとらしいため息だ。顔を上げれば困ったような悲しいような、不思議な表情の先生がいて。
「……俺はな、公子殿のことを大切に思っている」
「あ、それで怒っ……え?」
「それ故、お前には極力長く生きてほしい。だから魔王武装を使うのは、できるだけ控えてほしいと思う」
「え、え?」
「……操られたお前を攻撃するのは本当に心が痛んだ。なんとか止めることには成功したが、次その場所に俺がいるとも限らない。だから公子殿」
「ま、待って待って待って先生、何言ってるのかわかんない!」
いや分かっている、分かっているがうまく処理できない、というのが正しいだろうか。思わずへたり込んだまま壁際まで後ずさった俺を、しかしほんのり頬を染め——見つめる先生はやけに嬉しそうだった。
「そうか、ならば分かりやすく言おう。
お前を愛している。だから自分を大切にしてほしい」
……駄目だろうか、とそんな顔で言われて、頷く以外に何ができただろうか。あーあ墓穴掘っちゃったよ、と思いつつ、近付いてくる先生に抗う術はなかった。
結局先生が眠っていたのは傷を癒すためらしく、ああそうか、あれ夢じゃなかったんだなと気付いて少し、嬉しく思ってしまったのは黙っておこう。こんな顔もできたんだなあ先生、と笑みがこぼれてしまう辺り、余計なことに気付いてしまったのも事実だったけれど。