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    さかえ

    @sakae2sakae

    姜禅 雑伊 土井利

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    さかえ

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    趙備、及び趙(→)←←禅前提の姜禅。ややこしい。

    #姜禅
    jiangZen
    #趙禅
    zhaoZen

    わたしの男/あなたの眼「もう大丈夫のようですよ」
     足音が完全に消えるまで待ち、念のために扉まで閉めると、姜維は書棚の陰に声をかけた。それですぐに姿を現すだろう。そう思っていたのに、予想は外れてかえりごとひとつない。訝しく思って棚の裏を覗き込むと、主は開け放った窓から吹き寄せる風に濡れ羽の御髪を揺らしながら、どこか遠くを眺めているようだった。
    「劉禅様? いかがなさいましたか」
     それでも近寄る間にこちらの存在に気がついたらしい。見上げてくる主の目は常の通り薄曇りの空のように静かで、感情が今どこにあるのかをおよそ気取らせない。
    「ああ、姜維」
    この目に見つめられ、ゆったりとした口調で名を呼ばれると、姜維はいつも己の矮小さを全て見透かされているような心持ちになる。魏に属していた頃には蜀の新帝は暗愚だという噂ばかりを耳にしていたが、実際にこの方の前に立てばそれがどれほど馬鹿げた戯言であったかが分かった。音に聞く、皆を導く太陽のようだったという先主のような目眩く光輝こそ無けれども、泰然と振る舞うそのたたずまいからは風格が香気のようにかぐわしく立ち上った。また天水にて姜維を諭し導いた声はいかなる時にも荒ぶることなく、凪いだ水面のように透明である。その在り方は先主とは違えども、この主は確かに生まれながらにしての王者であった。
    それでいて、(畏れながらも思うには)主のそのふっくらとした頬から顎を通り、細い首筋へと繋がるなだらかな曲線は、姜維に小動物を彷彿とさせた。どこもかしこも小作りな主は、冕服の意匠も相まってさながら一羽の小鳥のようである。感情を悟らせない黒目がちのまなこがまたその印象を強めた。・・・・・・そうなのだ。主には、こちらが油断してしまえば今にもふっとその窓から羽ばたいていってしまいそうな危うさがある。
    なんとも不統一な話であったが、けれどもかえって、それが姜維の心を強く惹きつけてやまないのだった。臣としての姜維の心は王者然とした主のすがたに額ずき、私としての姜維の心は頼りなげなそのさまに触れたくてならない。またその白い手に触れて、引き寄せて、そして――。
    (ああ、いけない)
    主従の垣根を軽率に越えたがる心をなんとか押しやって、「もう出ておいでになっても大丈夫です」と繰り返せば、主は室内の気配を窺うような素振りをした後、いつも通りに穏やかな笑みを口元に浮かべて「どうやらそうらしい」と言った。
    「そなたのおかげで助かった、礼を言うぞ」
     とんでもないと首を振る。もったいない言葉に胸がじわりとあたたかくなった。そも、主の望みを叶えることが臣の役目である。飛び込んで来るなり「頼む。何も訊かずに、ただ『知らぬ』と言ってくれないか」と縋ってきた主に、どうして姜維が否やを唱えられよう。だからこそ姜維は疑わしげな星彩の目にも負けず、知らぬ存ぜぬで通してみせたのだ。
     それにしても、主はなぜかような頼み事をしてきたのだろうか。その余裕がようやくできたので尋ねてみると、薄曇りの目が悪戯っぽく煌めいた。厭な予感しかしない。
    「最近、鍛錬が厳しくなってきたのだ。私のような暗愚ではとても捌ききれぬ」
    「・・・・・・・・・・・・」
    「この書庫ならば誰もいないと踏んでいたのだが――」
     主の言う通り、確かに、わざわざここを利用する者は現状ほとんどいないだろう。城内のはずれに位置しているために足を伸ばしづらく、ちょうど他の建物の陰になっているため常に薄暗い。何より、ここに集められているのはどちらかといえば過去の記録が中心で、現在の政や軍事にはほとんど関わってこないのである。だからこそ、この国の足跡にまだ疎い姜維が学ぶのにもってこいの場所であり、こうして空いた時間を利用して足繁く通っているのだが。
    「そなたにでくわした時にはどうしようかと思ったぞ」
    「・・・・・・・・・・・・」
    「結果としては天の配剤だった。そなたが優しい男でよかった、よかった」
    「・・・・・・・・・・・・」
    「おや、姜維。どうしたのだ、そんなに顔を青ざめさせて」
    「劉禅さま、今からでも」
     星彩殿のもとへと参りましょう、と続けようとする姜維の口元にそっと手をかざすと、主は珍しく蛾眉を愁いに歪ませて、こう懇願するのだった。
    「もちろん、そなたを巻き込んでしまったのは私の不徳の致すところ。全ての責は私にある」
    「そんな、劉禅様、」
    「だがこれもゆえあってのこと。それさえ済めば星彩の元へも謝りに行こう」
    「りゅうぜ、」
    「なあ、姜維。せめてそれまではどうか、そなたも私に付き合ってくれぬか」
    「ぐぅ・・・・・・ッ!」
    駄目押しのようにじっと見つめられ、姜維は思わず喉が鳴りそうになるのを咄嗟にこらえた。
    「しかし――」
    「姜維、頼む」
    薄曇りの目が心なしか滲んで見えて、姜維はせめてもの抵抗に首を横に振りながら後退る。やたらとうるさい心臓を押さえるようと、胸の辺りの衣を鷲掴みにした姜維の無骨な手に、主の白い手がそっと添えられた。
    「私はそなたがよいのだ」
     もちろん姜維に否やはない。殺し文句にとどめをさされ、姜維は速やかに白旗を揚げる。
    まこと、この主には敵わない。
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     それでも近寄る間にこちらの存在に気がついたらしい。見上げてくる主の目は常の通り薄曇りの空のように静かで、感情が今どこにあるのかをおよそ気取らせない。
    「ああ、姜維」
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    「劉禅様? いかがなさいましたか」
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