「$&&くん」
その二つ名は本名であるはずなのに、十何年経っても聞き慣れない。顔を上げると女が一人立っていた。クラスメイトだった気がするが、それは少し離れた場所にあと二人立っていたためようやく思い出せた。
会う約束をしているペンギンやシャチを、彼等が勤める病院の近くの広場で待っていた。目の前には噴水があって、その周りを円をかいて木々が植えてありベンチが置かれている。メインストリートからほど近いこの場所は、人々が行き交い笑い合っていた。そのうちの三人がこちらを見ている事にも気づいていたが、本に集中しているふりをして無視していた。話し掛けてほしくなかったから顔も上げなかったのに、と内心ごちる。
「$&&くん、聞きたいことがあるの」
幼い時から数えて何度目かわからない言葉を聞く。この手のセリフにバリエーションは多くない。「聞いてほしいことがある」か「言いたい事がある」か、あとは「好きな人がいるの?」かの質問だ。少し前にこの手を話を振られたとき、話し掛けてきた男のあまりのしつこさに「愛している奴がいるからな」とキレ気味に話したからもう触れる奴はいないと思っていたのだが。
「好きな人がいるって事は聞いた事があるけど、学校の誰かなの?」
違う・・・。違うが、懇切丁寧に教えてやる必要があるか?
・・・あるのか。そういえば相手は子供だった。睨んだって意味がないし、言葉にしてやらないと聞き分けもない。あと関心事が恋愛に向くのは、平和な世の中なら良いことなのかもしれない。
でも子供相手は面倒だと、大きく息を吐いて「違う」と言った。
「学校の奴じゃない」
「じゃあ」
「嘘でもないし、代わりに誰かと付き合うこともない。・・・もう一人にしてくれ」
子供は顔を歪めた。居心地は悪いが、他に言い様が見つからなかった。きっとペンギンやシャチが聞いたら「大人気ないですよ、キャプテン」と言ったかもしれないが、これでも「失せろ」と言い切らないだけ十分優しいと思う。自分が本当に17歳だった頃は、もっと目付きも口も悪かったはずだ。
小さく頷くと歩き出してくれる。ようやく静かになると思ったが、すぐに知った気配がして其方を見遣った。ペンギンとシャチがニヤニヤしながらコチラを見ているのがわかった。
お前達が遅いのが悪んだろうと、舌打ちしながら読んでいた本をカバンに入れて立ち上がった。
「キャプテン相変わらずモテますよねぇ」
「ほーんと、昔っから引く手数多、選り取り見取り。・・・・ロロノアに会う前は、だったけど」
酒の入ったジョッキを煽りながら二人は羨ましそうに、だがどこか懐かしそうに言った。二人と飲むのはまだ数回目だが、会う度に記憶が増えていくようだった。秋に研修として入った病院に二人はいて、医療従事者として働いていた。顔を見たとたん「キャプテン!」とシャチに呼ばれて驚いたが、懐かしい呼び名に思わず胸が詰まった。これまで強く記憶していた事柄は、何一つ己の妄想でもないのだと分かったからだ。
「さっきの女の子にも、告白されてたでしょう。これで何度目ですか?絶対片手で足りないですよねー」
「キャプテン、愛想が悪いのに女受けはいいんだよね。羨ましいなぁ。ところで一度くらいは誰かと付き合ったりとかしました?」
「オレ達ロロノアには絶対言いませんよ!!」
二人がよく行くという酒場に入って、テーブルには酒とツマミが並んでいる。周りには同じように酔い始めた客達が、彼方此方で笑い声をあげていた。
ローも二人と同じようにジョッキを煽りながら、眉間の皺を深くした。二人が酔っているのは分かるが、そんな気はないのにゾロに対して不貞を勧めるのは苛立ってくる。
「何言ってやがる。オレがいくつだと思ってんだ。相手はガキだぞ。冗談じゃねぇ」
「見た目だけだと十代ですけどね」
「中身はもう七十代だな」
「それを言うならオレ達もですけどねぇ。・・・キャプテンは体に心が引っ張られたりしませんか?」
タトゥーの無い手を見る。指に彫られていたDEATHの文字に唇で触れながら「死を忘れるななんて、お前らしい」とゾロに言われた事を思い出した。ゾロはよくローの体のタトゥーを愛おしそうに撫でた。その姿が好きだったので、いつも最後はそんなゾロをローが抱きしめて笑い合った。
そのゾロが好きだったタトゥーは今はない。年を経ていた体は今は若々しく、変化があったかと言えば・・・。
「そういえば・・・、昔に比べてゾロ屋を抱きたくて仕方ない。前は月に一回でも良かったのに、いまは毎日抱きたい」
「・・まえ?」
「待ってシャチ、聞かないで。・・・まぁ誰かと付き合う気もないなら、娼婦宿に行きます?キャプテンなら入れると思うけど」
「行かねぇよ。オレの童貞はゾロ屋にやるんだから」
「重っ!相変わらず重い!!ロロノアに操立ててんですか!いつ会えるかも分からないのに・・」
「操を立ててるというより、ゾロ屋じゃないと勃つ気がしない。・・まぁ、オレには20代から60代までのゾロ屋とのセックスの記憶があるからあまり問題はないが」
「がぁぁ!聞きたくなかったのに!オッサンのセックスの話なんか聞きたくない!」
「最後に抱いたのは、アイツが伏せる前だから、・・・60才くらいか?ゾロ屋は嫌がってたけど、オレはいくつになってもアイツが可愛いと思ってたからなぁ。何度やっても最後はしがみ付いてくるのが可愛くて」
「キャプテン!もういいから!」
「まぁ聞け。ゾロ屋の話をできるのはお前達だけだしな。いいから聞け」
「それはロロノアを見つけて本人に言って下さい!」
ローは久々に可笑しくなって笑った。ゾロの話が当たり前に通じるのも嬉しかったし、トラファルガー・ローとして接してくれるペンギンやシャチと話している事も楽しかったからだ。
二重の記憶があるこの世界では、上手く周りに馴染むことが難しかった。どうせゾロと会うまでの仮初めの生活だとしても、どこかしら空虚感な拭えないでいたのだから。
「おい、兄ちゃん」
楽しく飲んでいたところへ、聞き覚えのない男の声がした。汗臭い匂いがし、ずるりと首筋に生温かい濡れたものが当たる感触がする。首筋が総毛立ち、一瞬呼吸が止まる。
ペンギンとシャチが青い顔をしているのが見えた。頭に血が昇りかけるが、ここで騒ぎを起こすのは拙いだろうと呼吸を一つする。
「この手をどけろ」
「なあ兄ちゃん、さっきから聞いてたんだけどよ。お前、男相手もできる口か?」
男の吐き出す息は酒気に満ちている。どれほど飲んだか知らないが、男の驕傲に我慢できる時間は短い。海賊だった時ならともかく、この街に住んでいては下手なことはしないほうがいいとは思うが、我慢できるかは別だ。
「楽しそうに話してたじゃねぇか。オレは男も女もイケるからな。テメェのあっ」
ペンギンの静止は聞こえなかった。それほど頭に血が昇っていた。男の腕を払うと振り向いて男の顎を拳で殴った。見えるものが見ていたらなら、その拳が黒くなっていた事に気付いただろう。しかし男の仲間は、それは見ていなかったようだ。吹っ飛んだ男を見て、一人は駆け寄り、もう二人はこちらを見据えてきた。
「キャプテン、オレ達あまり戦えないですよ〜」
「とりあえず、ここはオレがやる。お前達は後から特訓だ。・・・・ところで、ナイフ持ってないか?」
「持っているように見えますか?」
男達はどうやら、一般市民ではなかったようだ。海賊が名を馳せていた時代が過ぎ去っても、まだ無法者達は街の至る所にいるらしい。いったいどういう仕事をしているのか知れないが、ナイフとサーベルを取り出した。素手で戦うのもなと、テーブルで使っていたナイフを手にする。
殴った男は意識を失って動けないようだ。他の三人は男の介抱は諦めたようで、今度は面子のためかこちらへ敵意を向けてきた。
「なんだテメェは。カーディが一発でのされちまった」
「こんなガキに舐められてたまるか」
ローの見た目は十代の子供だ。その子供にいいようにあしらわれては、きっと男達の沽券にかかわるのだろう。だがこちらとて先程の暴挙を許せる訳がない。
せっかく楽しい気持ちでゾロの話を、クルー達としていたのだ。邪魔されても切り刻んでいないだけ、まだ理性が残ってる。
男達が動きやすいようにテーブルをひっくり返して退かした。その瞬間、一番手前にいた男の腹を蹴り上げた。武装した足はさぞかし痛かっただろう、男は一撃で気を失った。
そのまま後ろにいたもう一人がサーベルを振り翳したので、テーブルナイフでそのナイフの刃を折った。弾け飛んだ刃に男はたじろぎ、その隙に男の顔を殴ったら吹き飛んで動かなくなる。
後一人だとナイフを持った男を見やると、どうやら怖気付いたようで足が動いていない。一人だけ意識があるのは可哀想だろうと、同じように腹を蹴ったらすぐに気を失った。
「お前ら」
『アイアイキャプテン!』
ペンギンとシャチが四人の懐から財布を取り出すのを見ながら、そういえば名を上げる前はこういう事もよくしていたなと、つい笑ってしまった。
酒場を出てペンギンとシャチが住んでいる部屋で飲み直すかと話ながら、人の流れを避けて歩く。
季節はもう冬になる。厚手のコートを着た人々が、楽しそうに通り過ぎるのを見ながら、ゾロとああいう風に歩いたのは何時だったかとぼんやり思い出した。
そうだ。割った食器を一緒に買いに行った時だ。・・・あれからゾロは歩く事が難しくなっていた。
ゾロの事を色々思い出す。楽しかった時も、辛かった事も、色々と思い出す。この体の年齢に記憶が追いつかない事もあるが、それでも浮かび上がったゾロとの出来事を握りしめる。
「やっぱりキャプテンは強かった」
ペンギンの言葉に我に返る。どうもこの二人といると、ゾロの事を思い出しやすい。やはり転生した者といると、記憶が引きずられていくのだろうか。
「さすがキャプテン!カッコよかったですよ!」
あの男達からは、迷惑料としてさきほどの飲食代だけ頂いた。酒場の主は金の出所が分かっていながら酒代と迷惑料を受け取っていたので、ときどきはある事なのだろう。あれから200年経ったが、どこもかしも安全というわけではなさそうだ。
「しかし見聞色は使えると思ってましたが、まさか武装色まで使えるとは。さすがキャプテン!」
「よく習得しましたね。一人で覚えたんですか?」
覇気自体はなくなってはいないが、どうやら海軍や一部の者達しか知らないようだった。思えば戦う必要がなくなった今、努力して覇気を習得したいと思う者は少ないだろう。
「感覚は覚えていたからな。・・・しかし使える時間が短い。まだ体力が足りないんだろう。・・これじゃあ、足りない。もっと強くならねぇと」
「普通の人よりは強いですけどね。どこまで強くなるつもりで?」
「ゾロ屋が・・・・ゾロ屋よりは強くねぇと」
「でもロロノアが今世でも強いとは限らないですよ?」
「いいやアイツは絶対刀を持ってる。もしかしたらまた三刀流かもしれねぇ。・・・そこでオレがゾロ屋より弱かったらどうなると思う?」
「・・・・ロロノアは気にしないのでは?」
「いいや!強さに厳しいアイツは、絶対自分より弱かったら興味をなくすはずだ!もし見限られたら生きていけねぇ」
「ちょっと考えずぎでは?」
「考えすぎでもいい。ゾロ屋より強ければ、それでもいいんだ。問題は弱かった時だ。あいつは・・・・強さにはシビアなんだ」
「キャプテンってほんと、一途ですよね」
「あんまり重いと逃げられますよ」
「うるせぇ。お前らは少しは戦えるようになれ。特訓するぞ」
ペンギンとシャチは一斉に不満そうな声を上げたが、拒否はしなかった。たぶんローがこの街を出る時に一緒に来るつもりなのだろう。
ゾロを探しに出られるようになるまで、あと一年ほどの我慢だとロー自分に言い聞かせた。