安らかなれ、マイ・レディ④思い出のクィディッチ杯 じっとりと霧をまとう冬。あの日も、こんな風に暗かった。突然、家に黒い服を着た大人たちが大勢入ってきた。彼らは、幼いケイトの頭を撫でて抱きしめ、とても悲しそうな顔で告げた。
――もう、パパとママは帰ってこない。
教会の鐘。閉じられた2つの棺が埋められていくのを、ケイトはじっと見つめていた。
――可哀想なケイト。あの日から、パパとママを恋しがり、寂しくて…お布団の中で抱き合って泣いた。私はそばに寄り添うことしかできなかった。
暖かく燃える暖炉前に、不死川が濡らしたタオルを掛けた。部屋が乾きすぎないように。いつもの野郎2人住まいなら気にすることはないが、今日は、失神したケイティをソファに寝かせている。
ブラックフェン村での闘いのあと、不死川と伊黒は気を失ったケイティを連れて、ベイカー街のタウンハウスに戻った。失礼して、ケイティの小さなバッグを検分したが、身元につながるような小物は一切持っていなかった。結局、どこに連絡することもできないまま、ケイティは丸1日、眠り続けている。
「おーい、伊黒ォ…何かわかったかよ?」
紅茶とスコーンをトレイに乗せて、不死川が書斎のドアを開けた。伊黒は朝から書斎に篭って、ケイティの身元をタロットカードで占っていたのだ。そろそろ、お茶が要るだろう。
「…何も、わからん」
伊黒が、椅子の背もたれに背を預けて、体を伸ばす。
「住所、配偶者、親族、友人、出身地…あらゆる視点から占ってみたが、そのたびカードが混乱するんだ」
「…ふーん…?」
不死川が軽く首を傾げる。ホグワーツでの占術学の科目は…狼の直感だけで無理やり突破したクチだ。「数打ちゃ当たる」ともいう。
「そして、失敗のたびに飛び出してくるカードは“死神”と“塔”…」
伊黒のしなやかな指先が、カードを集め、順番を整え始めた。もう占いは終了だ。
「それって、どういう意味だァ?」
伊黒が呆れたように、不死川の顔を見やる。習っただろう、と言わんばかりだ。
「占いの“失敗”かもしれんし、“今、ケイティの具合が悪い”という意味かも。ともかく、大した情報は得られていない」
「おいおい、“今、ケイティの具合が悪い”のは見りゃぁ、わかる…おいィ!?」
苦笑してソファを振り向いた不死川が、目を見開いた。
ケイティがいたはずのソファはもぬけの殻。毛布だけが、跳ね除けられた形で取り残されていた。
ガス灯が霧に滲む。しっとりと濡れた石畳を、人々が足早に通り過ぎていく。小さな影が、ふらりとガス灯の根元に寄りかかった。随分と衰弱しているようだ。気にして足を止める人はいない。
影は、またよろりと起き上がって歩を進める。
――ちくしょう、私は、負けない…
目指す先は、ソーホーのホテル。見た目ばかり立派なその窓を、霧の中からグリーンの瞳が睨みつけた。
ケイティが消えてから丸2日経った。一応、警察にも届けてみたが、何しろケイティの身元を示す証拠は何もない。警察は首を傾げつつ受理はしたものの、それらしい身元不明死体が上がったら知らせます、などと言う。まともに捜査する気はなさそうだ。
「まぁなァ…ロンドンは人も多いし。身元不明の女1人、探すのは無理ってかァ」
不死川が、汗を拭く。少し呼吸をおいて、次に取り掛かるのは腕立て伏せだ。
今日は、風も強く、外に出かけるのには向いていない。暖炉の燃えるリビングで、不死川は筋トレに勤しみ、伊黒は、ふかふかの椅子に身を沈めて、それを眺めている。
「ふん…お前はあの頃から、変わらんな」
ふ…と、伊黒がおかしげに笑んだ。
「へ…“あの頃”?」
不死川が顔を上げる。
「ホグワーツにいた頃から、筋肉バカだ。…あの、3年生の時のホグワーツ・クィディッチ杯!」
くすくすと、伊黒は楽しげに笑う。
その年の、ホグワーツ・クィディッチ杯は圧巻だった。優勝がかかった、グリフィンドール対スリザリン。試合終盤、グリフィンドールのシーカーが、スニッチに手を伸ばした。
「おっとォ!グリフィンドール・炎のシーカー、2年生の煉獄杏寿郎が、スニッチを取るかァ!?」
実況席の声がスタジアムに響き渡る。観客席は赤と金の旗で揺れ、大歓声が耳をつんざいた。
――その瞬間。
轟音と共に、ブラッジャーが一直線に襲いかかる。
「来やがったァ!!」
不死川が雄叫びを上げて飛び出した。ブラッジャーを打ち返すべく、豪腕で棍棒を振り上げる。
「いけーッ!しなずかわー!!」
盛り上がる観客席。その時、不死川を狙って、緑と銀の煙幕が炸裂した。
「あーッ!これは!?緑と銀に輝く――煙幕!?花火か!?」
実況の声が裏返る。スリザリンのチェイサー、5年生の宇髄が放った火薬玉だ。
「反則か!?いや、魔法じゃない!!判定・有効!!」
視界を奪う煙幕の中で、ブラッジャーを打ち返す不死川の手元が狂い、バランスを崩したホウキが失速する。
その時、緑と銀の霧の上を滑るように――小柄なシーカー、伊黒が冷ややかな笑みを浮かべて現れた。
「…いただくぞ、杏寿郎!」
すり抜けざまに伸ばした手が、黄金のスニッチを正確に捕らえた。
「冷血シーカー、伊黒小芭内がスニッチ捕獲ゥーッ!!150点追加!!試合終了!!今年の勝者はスリザリンだァー!!」
実況に、スタジアムは割れるような歓声とブーイングで揺れた。
「あの煙幕は、卑怯だろ!俺はまだ納得してねェからな!!」
不死川が腕立て伏せから起き上がる。伊黒が優美な手つきで紅茶を注いで、勧めた。
「違反じゃない。火薬玉は魔法じゃないし。…それに、宇髄は何と言っていた?」
不死川が、カップを受け取って、忌々しげに指を立てた。
「“ただの美的演出だ。派手派手に盛り上がったじゃねぇか”」
2人の口真似が重なる。ププッと、伊黒が安楽椅子の中で体を折って笑う。不死川も笑みを浮かべた。
懐かしい、学院の日々。あの頃から、不死川の肉体主義も、伊黒の知略っぷりも変わらない。
その時、暖かなリビングに、無粋なドアブザーが鳴り響いた。
転がり込んできたのは、トム・ダックワースだった。強風で髪は乱れ、顔面蒼白だ。
「…お茶でも?」
こいつ自身は客人に椅子も勧めない無礼者だったが、伊黒は一通りの礼儀を守って、紅茶で迎えた。
「頼む…頼む!君たち、“魔法探偵”なんだろう!?助けてくれ!!僕のところにも怪異が現れるようになったんだ!!」
以前のつれない素振りから一転、トムは、伊黒に縋り付くように懇願した。
――事件の新局面だ。伊黒と不死川が、目を見交わした。
〈つづく〉