宇宙一の子守歌 母の子守歌は、宇宙一だという。
エースがウルトラ小学校に通って千年経ったときにその子守歌を聴くことになった。タロウが生まれたのだ。
ウルトラの母がマミィ光線を放っていた。カラータイマーからまだ赤ん坊のタロウを育てるために放つ光線の、その光に紛れながらその歌はゆっくりと聞こえてきた。
「あら、お帰りなさいエース」
眺めていたエースに、母は歌を止めて微笑んだ。
「…タロウは眠ってますか」
エースはポツリ、と呟いた。母はそうね、と答えて、腕の中にいるタロウへと目を向けた。
タロウは光線に気持ちよさそうに眠っているが、どこか口元が動いていた。母の胸に寄り掛かっているその姿は、起きているときの騒がしさからは想像ができない。最近は起きているとエースについて来ようと腹ばいになってすり寄ってきては、思うように近づけないことに腹が立つのか大声で泣いてエースを困らせた。
「まだうたたねかもしれないわね」
それから母がまた歌を歌った。
母の隣に座って、タロウを見ながらその歌を聞いた。
カバンを置いて、自分の両手で頬杖を吐けば、母の優しい歌が雪崩れ込んでくる。
ゆっくりとした、その声が、エースは年甲斐もなく大好きだった。
母の普段より低く落ち着いている、耳障りのいい声。
そのリズムはゆっくりで、その歌を長く聞いていたいと思うのだけれど、眠気に勝てない。だから、歌が一小節終わって二小節目に入る頃にはもう記憶は朧気だった。
「あら、もう寝てしまったの?」
小さく母が呟いたその言葉が、エースの意識が溶け出す前にわずかに聞こえた。
「ぜとぉ、ぜ、とぉ!」
ゼットが自分の名前を言おうと口を必死に動かしていた。
エースの方を向きながら必死に口を動かして、その唇はくちばしの様にとがっていた。笑いをこらえられなかったエースが噴き出せば、ゼットは何を思ったのか、必死に自分の名前を繰り返してエースへアピールした。
その必死さがあまりにかわいらしくて、エースは笑った。
「とぉ!ぜとぉ!」
「そうだな、ゼット」
何かを必死に訴えるゼットの言葉にそう言ってやれば、ゼットはまた甘い活舌で自分の名前を言って頬をほころばせた。
「もう名前を話せるんですね、ゼットくんすごいなぁ」
二人の様を見ながら、そう笑ったのは、クリニックから幼児検診で派遣された医師だった。
ーゼットは言葉を覚えるのが遅かった。
エースとゼットが出会った当初、ゼットはすでに喃語を話すことができた。まだ座ることはできなかったが、人見知りは激しく、ぎゃんぎゃんと泣いてはエースを困らせた。エースと一緒に寝れば、寝返りを打ってゴロゴロとエースの脇へと体を寄せた。
それからすぐに座れるようになって、歩くようになった。
動き始めると次はエースを探していろいろな場所へ動き始めた。つたない足取りで歩いては転んで、そしてまた起き上がってエースのすねへと体を寄せて、エースの顔を見上げて笑った。体の成長はむしろ他の子供よりも早いと言わせるほどだった。
何事にも興味を持つ、好奇心旺盛な赤ん坊。
だが、ゼットは同じ年頃の赤ん坊が会話を始めるころになっても、話すことはなかった。
環境からして仕方ないだろう、と言う言を残したのは宇宙へよく診察に出向く医師だった。
アンドロメダ星雲の片隅で見付けた彼は、使われていた言葉も違ったのだろうと医師は言った。
現地の言葉をずっと耳にして、それが突然光の国に連れてきてしまったのだ。耳なじみも、発音も全く異なったところに放り込まれて、単語を聞き取ることすら難しいに決まっていると言った。
そんな大人たちの考えなどどこへとやら、ゼットは変わらずに笑った。
エースに笑いかけて、エースに手を伸ばした。何か悲しいことがあると泣き出して、気に入らないことがあると頬を膨らませてエースのたくましい腕をバンバンと叩いて、楽しいことがあればその手を開いて歌を歌うように体を揺らした。
そのたびに、エースはゼットに話しかけた。
言葉の代わりに、ゼットはその小さな体中を使ってその存在を示した。
そして、ゼットは自分の名前を憶えてしまった。何かを要求するときは指をさして、必死にその唇を動かすことも増えてきた。
それを話せば、医師は一層笑った。
「おしゃべりなんですね、ゼットくん」
医師はそういって、エースの腕から飛び出そうとするゼットに微笑みかけた。
ゼットと医師が目が合うと、ゼットは一度不思議そうな顔をしてからきあ、と嬉しそうな声を上げた。ふんふんとリズムをとりながら唸って、愛想を振りまく。
「話して、歌っているつもりなんでしょう。これからもいっぱい、話してくださいね。エース」
医師はにっこりと笑って、ゼットの頭を撫でた。
ゼットはくすぐったそうにきあ、とまた声を上げてゼットはエースの胸へと顔を押し付けた。
帰り道、ゼットはじょわじょわとエースに話しかけてきた。
話そうとゼットはいつも口を動かす。それだけで、楽しくて仕方ないのだ。
どんな意味かも分からないが、やけに上機嫌なのは分かっていたのでそうか、そうだな、そうなのか、とエースは応えた。
やがて、その口数も少なくなってくると、だんだんとゼットはエースの胸へと頭を当ててきた。
「寝るのか?」
気付けば、ゼットの体温は熱くなっていた。
眠くて仕方がないのだ。
ゼットは、寝るまえに愚図るように騒いでしまうところがあった。
背びれを撫でると、気持ちよさそうにエースの胸に顔を押し付けた。
ふと、幼いころに聞いた母の普段より低く落ち着いている、耳障りのいいあの歌が頭をかすめた。
結局、エースは二小節節目の歌詞を覚えないでこの年になってしまった。
そこまで考えて、ふふ、と笑いがこぼれた。
言葉なんて、分からなくてもよいのだ。
鼻歌交じりに音をとって、ゆっくりと、ゼットの背を撫でた。
ー母は、いつもより声を低めていた。あの声が、いつもどこかざわついていた自分の心をなだめてくれた。耳にしていると、とても穏やかになるのだ。
そう、あの時の歌い方は、こうだったはずだ。ゆっくりとして、なにも急く必要はない。
ー耳に入る音は、すんなりと体に入り込んできて、気持ちよかった。その歌が、大好きで仕方なかった。
「ゼット、もう眠ったのか?」
ふと、そんな言葉が出た。
驚くほどすんなり出てきた言葉に、エースは自分で驚いた。まるで、母のような言葉だった。
孤児院へ慰問をしてほしいとゾフィーから通信が入ったのはたまたまだった。
任務からの帰路の途中にある星に、ウルトラ族と怪獣たちが集まる星があるという。そこの星にあるウルトラ族の孤児院は、他の外星からも孤児が集まるほどには平和だった。
「エース兄さん!」
エースが星に降りると聞きなじみのある声がした。
「ゼット、お前も来たのか?」
「はい!若手隊員も他の星との関係を築くように、と」
エース兄さんとご一緒とは、とゼットは誇らしげに言った。
その緩んだ顔を見上げながら、大きくなった彼の姿に笑みがこぼれた。
孤児院の中を紹介されて、子供たちからの歓迎会を受けた。
エースが赤いブラザーズマントを羽織って手を振るだけで、子供たちの顔は興奮して赤くなっていた。
横にいたゼットの瞳のきらきらに負けないほど、その顔は光に満ちている。
歓迎会の後は、精いっぱいに遊んだ。
ゼットは外の庭に出た。
明るく気がいい性格をしているせいか、最初は緊張していた子供たちもすぐに打ち解けてゼットのそばへやってきた。
ゼットは子供たちを抱き上げたり、背中に乗せて飛んだり、光線の出し方を教えたりして一生懸命に遊んでいた。
外はゼットが担当する中、エースは施設の大人たちに近くの星々の近況を教えてもらいながら中を見て回った。
外で遊ぶことが好きな子供もいれば、中で遊ぶことが好きな子供もいる。
絵本を読んだり積み木を積み上げたり、ままごとをしたり、色々だった。
「…この施設は、1500歳までいられます。学校に通えるような年齢になれば光の国や、他の星々へ連れて行くんです。ここでは教育ができませんから。いわば一時的な保護施設様な、そんな場所なんです」
エースに向けて、職員は言った。
「悲しい話ですけど、ここには学校がありませんから。この子たちはやがて社会に出ます。宇宙に出て様々な種族と渡り合うんです。その時に必要となる知識が、環境が、ここにはない。それに、そんな長くまで置いていかれて迎えに来なかったら、きっともうー」
平和がない、と言っているのではない、と職員は続けた。
彼等の置かれている環境は特殊だ。
この孤児院の隣には、怪獣たちが集まる孤児院もある。最初の案内の際に、怪獣たちと子供は触れ合う機会が多いと言っていた。
だが、怪獣たちの中にはウルトラ族に恐怖を覚えている子供もいる。それほどまでに、脅威でもあるのだ。
だから、わざわざ他の怪獣たちと暮らさずにウルトラ族だけの孤児院を作った。
「ウルトラ族はいろんな星にいます。宇宙へ出て、いろんな事情で置いていかれて、そういう子を集めていかないと。私たちは力が強い種族ですから」
ウルトラ族は、意図せず宇宙中の生き物の中で、ずっと強い力を得てしまった。
だからこそ、多くの生命体の脅威としてとらえられることもある。
特に、エースやゼットのような戦いの過程で恨みや怨念を受ける。戦う力を持たないウルトラ族にその悪意が向いて、そのような中でここにいる子供は集まっているのだ。
ーだが、それ以上に繋いできた絆が、きっと子供たちを守っているだろう。
「ここでは、怪獣たちの言葉で話せる子供もいるんですよ。いつか、ここの生活が礎となって、子供たちは宇宙へ出ます。子供の頃に遊んだ怪獣が、どんなご飯を食べていたとか、光線を吸い込んで吐き出してくるお茶目さがあったとか、そんな視点を持って飛び立つことができるならー」
いつの間にか、外からは遊び声が聞こえなくなった。お昼寝の時間でも来たのだろう。
職員に聞けば、ゼットは乳幼児が眠っている場所へ行っているとのことだった。
見ていきますか、と声をかけられてエースは頷いた。
部屋の中に入れば、薄暗い。その中で、ゼットのカラータイマーと瞳はひときわ明るかった。
屈んで座り込んでいる彼の胸元に、黒い何かが見えた。腕ほどもないそれは、赤ん坊なのだろう。
鼻歌が聞こえる。あの子守歌だった。
落ち着いたトーンの、高くも低くもない歌。
ゼットがよく寝入っては歌う曲だった。
「ゼット」
声をかければ、ゼットはやっとこちらに気付いたのか顔を上げてエース兄さん、と呟いた。
いつもの声はどこに行ったのかと思うほど落ち着いて、おとなしかった。
「子守歌か」
聞けば、はい、と呟いてからわずかに目を泳がせた。
「お恥ずかしい」
ゼットは胸の中にいる子供に目を落とした。
彼の明るいカラータイマーが顔に反射している。
「ゼットは昔から、歌を歌うのが大好きだったからな。まだ話せない時からもおしゃべりでなぁ」
エースが感慨深そうに言えば、どこか恥ずかしそうにゼットはもじもじとした。
「それもそうですが…いつも歌ってもらってましたから」
ゼットは言うと、顔を上げた。
その顔はどこか赤く見えた。
「全然記憶はないんですが、歌を歌ってもらっていたことだけは覚えているんです。聞いているとあったかくて、心地よくて…」
ゼットの白とも青ともつかない瞳が揺れた。子供を抱き上げている手で、器用に背を一定のリズムで叩く。
ゼットは、よくエースの歌に合わせて歌おうとして、すぐに寝入った。
今もそうなのだろう。機嫌がよくなるとよく鼻歌を歌っているとゼロがこぼしていた。
ゼットは、本当にずっと変わらず、まっすぐと自分の心を示そうとする。
「俺はあの時、宇宙で一番の子守歌を聞いてました。あの頃のエース兄さんの歌、ずっと響いてます」
ゼットとは孤児院で別れた。
一緒に光の国に帰ろうとしたとき、通信が入ったのだ。彼は時空を渡って戦いに行くらしい。
いつの間にか、ゼットは星雲どころか時空を超えてしまうほど強くなっていた。
次会うときはきっともっと成長しているだろう。ゼットとクロスタッチをしてお互い振り向かずに飛び立った。
光の国に戻り、宇宙警備隊の本部で報告を終えれば、無性に両親に会いたくなった。
実家に戻って顔を出せば、珍しいことに忙しい二人が揃っていた。
同じことを思ったのか、珍しいと母が出迎えてくれた。
エースは孤児院での出来事と、ゼットが子守歌を歌ったことを話した。
鼻歌はあの母の物に似ていた。歌詞は引き継ぐことはできなかったが、エースが引き継いだ歌はきっとあの子供たちの誰かの歌になるだろう。
「私が宇宙一の子守歌を独占できたのは、とても贅沢でしたね」
エースが言うと、母と父は顔を合わせて、それから見つめ合うと笑い出した。
不思議そうに二人を見れば、ちがうな、と父が呟く。
「ええ、違いますね」
「宇宙一の歌だったんじゃない。エースが宇宙一にしたんだ」
エースはまだ結びつかず両親の言葉を待った。
「あなたはいつも寝付かなかったから。二人であれでもない、これでもないって、子守唄を歌ったのよ。あの歌じゃないとすぐに楽しくなってむしろ目を覚まして手まで叩いてね」
「懐かしいなぁ。愚図ると私のホーンに登りたいと駄々をこねてな」
二人は感慨深そうに笑った。
どれだけ年月を重ねても、この夫婦はずっとこうしていた。その両親の歌が、エースを育ててくれた。
「だから、宇宙一になったのはあなたのおかげね」
母はエースに笑いかけた。
ーまた、宇宙一の子守歌が生まれる。