年上の彼女「……チッ」
朝食を食べ終えたタイミングでスマホが振動し、画面を一瞥した永四郎が忌々しげに舌打ちを洩らす。深く刻まれた眉間の皺、額に浮き出た血管。老成した永四郎の表情は朝日が差し込む食堂に似つかわしいものでは無かったが、同じテーブルで朝食を摂っていた凛も裕次郎も慣れっこだった。爽やかな朝などこの男に似合う訳もない。
「ぬーがよ木手、また晴美?」
「……そのようですねぇ」
「永四郎、へーく出ろって」
「今忙しいんですよ。ゆっくりお茶を飲んでから食器を下げて、部屋に戻って歯を磨かなくてはなりません」
「ンな事言ってや、昨日の朝から晴美の電話ガン無視やっし! いーから出ろって」
「……はぁぁ~」
凛にせっつかれて、大きなため息を吐きながら渋々席を立つ。食器の乗ったトレイを持とうとした永四郎の手を、裕次郎がそっと制した。
「わんが片付けとくっ」
永四郎は黙って裕次郎の頭をがしがし、と撫でて、スマホを耳に当てながら食堂から出て行った。よく躾けられた犬こと裕次郎は、嬉しげにエヘヘと笑って永四郎の背中を見送った。
「ったく、晴美もしつこいやぁ。わったーはコッチでちばってるんだからよ、つまんねーくとぅでいちいち木手に連絡すんなって」
「……まっ、晴美は晴美なりに、わったーのくとぅ気に掛けてんじゃねーの」
「え~」
「また急にうちなーに帰れとかあびられたらわんもブチ切れるけどや」
「やんど~! ま、どーせつまんねー用事さぁ」
「裕次郎、米粒残すなって。茶碗に残ってるぜ」
「気にさんけー。まだおかわりするからやぁ」
「やめとけッ。まーた練習中に動けなくなんどー。朝は腹八分目にしとけって永四郎もあびてたやんに」
「え~っ!」
「ずいぶんお腹がポッコリしてますねぇ……ってまたグチグチあびられんどー」
「だっておかわりの為におかず残してあるんど~! あとひと口~。なー凛~」
「ダメッ。裕次郎、ガマンッ」
「えとォ~、ちょっと、いッスか……?」
お母さんと子供のようなやり取りをしている所に、少し離れたテーブルに居た赤也がおずおずと声を掛けてくる。この合宿、比嘉は全員三年生で参加しているものだから、凛にとっても裕次郎にとっても他校の下級生たちは殊更可愛く思えた。
「お、切原。ぬーがよ」
「あっ切原やぁ~。今日もヘアスタイルでーじイイ感じやっし!」
「えっ甲斐サンまじスか? それともイジリ?」
「まじまじ! しんけん! ウェーブの感じが何かよー、しっとりツヤツヤでイイ感じやっさ~。凛、わんもこんなカンジのスタイルやってみたいやぁ」
「あれよ、グロスタイプのワックス使えば……いや、やーはやめとけ。似合わんけー」
「え~~~~ッ!」
「ベッタベタ付けてからや、何日も洗髪してねーみたくなりそう」
「付けすぎん! ワックス付けすぎんから!」
「ちょ、ワックスの話どーでもいーんスよぉッ」
「あぃ! わっさん、切原、何か用かや~」
「えと、えと~……」
きょろきょろ、と周りを見渡してから、永四郎が座っていた席に滑り込んでくる。声を潜めて赤也は言った。
「へへっ……。ね、木手サンの彼女ってどんな人なんスか?」
「あ“???」
「えっなんで甲斐サン一瞬でブチ切れてんの!? 怖……」
「裕次郎、落ち着け。座れ座れ。……ぬーがよ、あぬひゃーに彼女ってや? 誰に聞いた?」
「いや、聞いたっつーか、聞こえちゃったっつーか……木手サン、ハルミって人からちょいちょい電話掛かってきてますよね? んで皆に早く出ろ出ろって言われて……。前からすげぇ気になってたんスよ~ッ!」
「……」
「木手サンの事だから、何つーかスゲー大人の恋愛とか、してんじゃねーかなって……」
「……」
本当の事を説明すれば五秒で終わる会話であるが、何しろ娯楽の少ない合宿所だ。ちょっとでも面白そうな話があれば食いつかない訳には行くまい。凛と裕次郎は目と目を合わせて、この娯楽にノることにした。
「あー、オトナのな、恋愛……。木手は、してる……。オトナの、そりを……」
ヘタクソッと小声で囁き凛が裕次郎の脇腹を小突く。赤也は「やっぱり!」と目を輝かせて身を乗り出した。
「だってめっちゃ電話掛かってくるじゃないスかぁ~! そのハルミさん?てカノジョ、きっと寂しいんスねぇ」
「おー、うちなーに残して来たからや、永四郎のくとぅが心配なんだろーな」
「沖縄の女性か~! どんな人? どんな人?」
「……どんな、って」
凛が横目でチラリと裕次郎を伺うと、早くも話に飽きたのか大口開けてアクビをこぼしている。しょうがない、どうせくぬひゃーは嘘がヘタクソだから放っておこう。
「ま、……年上よ」
「やっぱりぃッ! 歳、どんくらい離れてるんスか?」
「ん~……、かなり上」
「大学生とか!?」
「いや、社会人……?」
「ヒェ~ッ♡」
「オトナの女ってやつよ」
「すげ……」
「永四郎はあの通りオトナっぽいからやぁ、相手もそりくらいオトナじゃねーと釣り合わないってワケよ。な、裕次郎……裕次郎?」
普段は朗らかな裕次郎が、凶暴な犬のように鋭い光を目に宿して宙を見つめている。永四郎の架空のカノジョに嫉妬しているのだと凛にはわかったが、それも面白いので放っておくことにした。
「……わん、先行くわ」
「おー、わんもすぐ行くからや」
二人分のトレイを持って席を立つ裕次郎を見送り、赤也が肩をすくめて凛は笑いを噛み殺した。
「えっ甲斐サンめちゃくちゃ怖い顔してたけど……。情緒どうなってるんスか」
「気にさんけー。あぬひゃー、気分屋やっし」
「へぇ……。あ、そんでそんで!? ハルミさんの事もっと聞かせてくださいよォっ。なれそめは? どこで知り合ったんスかね? 髪型は?芸能人でいうと誰似?」
比嘉の殺し屋の恋愛事情に大はしゃぎの赤也に釣られるように、他のテーブルからもいつの間にか人が集まり始めた。凛はギャラリーの期待に応えるべく、ハルミの話を盛った。
♡♡♡
「ちょっと平古場クンッ。俺に年上彼女がいるという噂が、今日一日で合宿所中に知れ渡っている様ですがコレは一体どういう事ですかねぇッ⁉」
「あ~。だってや、切原に聞かれたからよ」
「意味がわかりません。先ほど浴場で皆にしつこく絡まれて大変でしたよ。どこまでシてるとか下世話な事ばっかり……」
「モテる男はつらいねぇ」
「ハルミがあの監督だとも知らずに皆夢を見すぎです。何がダイナマイトボディの大人の女性ですか」
「ダイナマイトボディってゆーか、実際は中年太りやしがな」
「ハルミはベリーショートらしいですね」
「ベリーショートっつーかハゲやしが、一応夢を壊さんように、そこは盛った」
「ゴールドのネックレスがよく似合って……」
「おー。オトナの女性だからゴールドが似合うんだろな」
「お酒が好きで、酔うと可愛く甘えてくるけど翌日二日酔いの介抱が大変だとか……」
「ハルミはキャリアウーマンだからよ、普段は仕事で舐められねーように気を張ってるんだろな。酔うと永四郎の前では隙だらけになりゆん。強気ないなぐがよ、年下の男についつい甘えてしまうんばぁよ。そのギャップがハルミの魅力ってワケ」
「総括すると、ハルミちゃんはベリーショートがよく似合う、ダイナマイトボディの、ちょっぴり酒癖の悪い年上キャリアウーマンという事ですか。めちゃくちゃイイじゃないですか」
「だろ!? そんなイイ女のハルミちゃんが、うちなーで永四郎を、わったーを待っててくれるんばぁよ! くぬ合宿、そう思えば乗り切れるような気がしてくるさぁ」
「でも実際に帰ったら待っているのはあの晴美、という事ですよね……」
「死にたくなってきた……」
「俺もです……」