ひゃくものがたり「……翌朝、テレビのニュースを見てA子さんは言葉を失ったんだばぁよ。画面に映っているのは、連続強盗犯の顔写真。それはまさしく昨夜インターホン越しに見た男の顔……。『警察です』と名乗ったあの男を家に上げていたら、今頃どうなっていたのかや――」
驚愕のラストに思わずヒュ、と息を呑む。てっきり心霊系の話だと思い込んでいたのだ。怖い話、とひとくちに言っても霊体験だけとは限らない。さすが知念サン、話のバリエーションが実に豊富だ。俺は感嘆しながらスマホの画面で揺れるロウソクの炎をス、と指でなぞった。炎は一瞬ふわ、と丸く膨らんでから煙を残して消えた。
「……お見事でした」
「今、何話目になったかねぇ」
「四十九話目が終わったところです」
「百まではまだまだ遠い道のりだねぇ」
「やはり二人で挑むのは無謀だったのでは……」
「いーや、わんと日吉ならきっと成し遂げられるハズさぁ。百の話が終わった瞬間、どんな恐怖が待ち受けるのか……。むやみに人を巻き込んでも何かあった時に責任取れんからや」
「同室の連中にも一応声掛けたんですがね」
「やーぬ部屋、たしか怖がりのボウヤがいるば?あらんあらん。こういうのは向き不向きがあるやし」
「ですね……。遠野先輩も見当たらなかったし」
「まぁ、遠野先輩は自分が語るくとぅに特化してるからやぁ。順番で人の話を大人しく聞く、なーんて出来るはずもあらんし」
「フッ……確かに。よし、張り切って続けましょう」
「やっさやー」
とはいえそろそろ俺の話のレパートリーも心許なくなって来た。灯りを控え目に落とした図書室の片隅、こち、こち、と時計の秒針が規則正しくリズムを刻む。休日前のこの時間帯、入浴を終えてそれぞれの部屋でくつろぐ選手が多いのか、図書室に人けは無い。知念サンがタンブラーに淹れて来てくれたさんぴん茶をひと口含み、ふぅ、と息を吐いた。
「まーさん?」
「まーさんです。さすが本場・沖縄の茶葉は違いますね」
「やんどー……と、言いたい所やしが、くり、実はたじまで買ったティーバッグなのさぁ」
「え~!?」
「フッフ」
「ふふ……。でも美味しい、まーさんです。知念サンが用意してくれたんですからね」
「あぃ、嬉しいくとぅを言ってくれるねぇ。まぁ産地は沖縄と書いてあったからに、本場といえば本場よー。どれわんも……ん、まーさんやぁ」
思えばこの合宿生活を通して知念サンとは随分気安い間柄になった。オカルト談義が弾むというのは第一として、武の世界に生きてきた我々には武人特有のシンパシーがある。それを言うなら比嘉の選手は皆武人なのだが、知念サン以外の先輩とはほぼ話をしたことは無い。
「まっ、明日は休みやし焦るくとぅあらん。よんなーよんなーやっていこうやぁ」
「よんなーよんなーってどういう意味です」
「あ~、ゆっくりゆっくり……休み休みやろうねぇ」
「ハイ。……それにしても今の話、意外な展開でした。結局生きてる人間が一番怖い、ってことですね」
「ヒトコワ系という奴さぁ。よーよー考えれば心霊の類だってや、突き詰めればヒトの怨念や情念が元となっているとも言える、そんなー気ぃもするばぁね」
「なるほど、確かに……!俺は超常現象に目を向けがちなので、そっち系の話にも俄然興味が湧いてきましたよ」
「日吉はそういうヒトコワ系ぬ話、ぬーやら知らんかー?」
「ええ、残念ながら……。いや、ちょっと待てよ……」
「あぃ!五十話目のロウソクつけるかー?」
「……いえ。何でもありません。忘れてください」
がた、対面に座っていた知念サンがおもむろに立ち上がると、うすぼんやりの照明を背負った長い影が俺の顔を覆った。こうして座って見上げればまた一段とデカいな……。
「……言いかけてやめる、だなんて、出来ると思うかー?」
「いや、しかし……」
「日吉よ、わんを焦らさんけー。やー、ぬーやらとっておきの持ってるば?うりよこせー。わんにとびきりの恐怖をくぃみそーれー」
長い指をクイ、クイ、と曲げ伸ばしして強請ってくる。そうだった、普段はおっとり、よんなーよんなーの知念サンだが時折こうして短気な一面を見せるのだ。
「ただ、これがいわゆる怖い話、と言えるかどうか」
「日吉」
「ハイ」
「聞き手が怖がるかどうか、なんて二の次さぁ。大切なのは自分の心に芽生えた恐怖をただ真実として伝えるくとぅ……。それこそが怪談の真骨頂と言えるんじゃあないかねぇ」
もっともらしい事を言っているがこの人はただ「欲しがってる」だけである。こうなった時の知念サンは頑なだ。それにせっかく思い付いたなら、どんなエピソードでも盛り込んでいかないと百物語には程遠い。
「……ヒトコワで、思い出したことがあって……最近の事なんですが」
「ぬーが、実体験かー?じょーとーやぁ」
「比嘉のチームメイトの事なんで、知念サンはどう思われるかわからないんですが」
「あぃ、わったーぬ⁉身近な人間にまつわる恐怖かや。ますます面白さん、もとい聞く必要があぃんやー。うりよこせー、へーくさにー」
すとん、と腰掛け真正面から俺の顔を見据え、瞳を見開きニィィと笑う。瞳孔が開ききっているな……知念サンの最上級の笑顔だ。このワクワクに添えるような話とはちょっと思えないがもう後には引けない。俺はスマホの画面を人差し指で撫で、いよいよ折り返し、五十話目のロウソクに火を灯した。
「……これは、数日前の朝食時の話なんですが……」
♡♡♡
最新鋭のシステムを備えた合宿所は、食堂に至っても広々と清潔で過ごしやすい。ビュッフェ形式の洒落た内装はホテルのレストランと言っても通用するだろう。基本的にどの席に座ろうが自由なのだが、俺は静かに食事を楽しみたいタイプだから、なるべく人と離れた席を探すのが習慣になっていた。氷帝の先輩や同室の連中(特に切原)の近くは出来る限り避ける。食事中にヤイヤイ話しかけて来られても落ち着かないし……。
その日もいつもの朝稽古を終え、食堂に出向いた俺はトレイを手に空席を探していた。先に席を確保してからゆっくり今日の朝食を厳選したい。今朝の焼き魚は脂の乗った縞ホッケだったっけ。娯楽の少ない合宿所に於いて食事は大いなる楽しみのひとつだ。
「ん……」
少し離れたテーブルで、比嘉の木手サンと甲斐サンが並んで食事を摂っていた。知念サンだったら食卓を共にするのもやぶさかでないので、ついつい比嘉の選手がいると目をやってしまう。今朝は知念サンは一緒じゃないようだ。
「!?」
彼らから視線を外そうとした、ほんの一瞬の出来事だった。甲斐サンが米を山盛り掴んだ箸を持ち上げて――ちょっと一度に口に運ぶにはデカすぎないか?子供用のおむすびくらいあるぞ――大口開けてかぶりつこうとしたその時、米の塊がボロリ!と箸からこぼれ落ちたのだ。ああホラやっぱりそうなる――。すると彼の右隣りに座っていた木手サンが、視線は己の手元から微塵も動かすことなく、光の速さで右手を差し出し米の塊を受け止めた。格闘家は視野が広い。落下する米の気配を視界の端、心眼で捉える事など容易だろう。落下する米の気配って何だ?甲斐サンはすかさず差し出された右手に口元を持っていき、木手サンの手のひらから直接パクッ!と米をほおばった。
(え~……⁉)
時間にしたら三秒くらいの事だった。甲斐サンはモグ、モグ、と頬をハムスターのように膨らませ、嬉しそうに米を食んでいる。木手サンは全く動じず、手のひらを軽くおしぼりで拭って粛々と味噌汁を啜り始めた。顔も見合わせることも、言葉を交わすことも無かった。同じようにその現場を目撃したのだろう、傍らを通りかかった越知先輩が小さな声で「えっ」と言ったのを俺は聞き逃さなかった――。
♡♡♡
「――以上が、俺が体験した怖い話です。ではロウソクを」
「ちょ、待てぃ待てぃ待てぃー」
スマホに伸ばした俺の手を知念サンが掴む。サラリと終わらそうとしたのだがそうはさせてくれないか……。
「なんです。ホラようやく折り返しです。さっさと進めないと百話までの道のりは遠いですよ」
「ぜんっぜん、怖いくとぅあらんやし!」
「ハ?怖いでしょう。何たってあの越知先輩が「え?」って言ったんですよ」
「フッフフ……」
「越知先輩が「え?」って言うなんて聞いたことあります?小さい声でもあの方の低音はよく響くんですねぇ。「え?」って」
「アハハ!」
「めちゃくちゃウケてる。やった~」
「やった~やあらんよ!なぁ日吉、それよ、怖い話じゃなくて面白さん話になってるやし」
「俺は怖かったんだから怖い話でしょうが。己の心に芽生えた恐怖を語ればいいってアナタが言ったんですよ」
「に、してもや!それ、主将と裕次郎の、『いつも』やし。『日常』やし……」
「あれが日常ってますます怖すぎなんですが……」
「幼なじみだからねぇ」
「俺の知ってる幼なじみは食べこぼした米を素手で受け止めたり、素手から直接餌付けみたいに食べたりしませんよ」
「そうなのかー?」
「そうです。しかもあんなに粛々と。そもそもあのお二人、普段からちょっと距離が近すぎやしませんか?」
「まあ、それもや、幼なじみだから……。いや、ちょっと待てぃーってや。いくら距離が近いといっても、そこにぬーんち日吉が恐怖を覚えるのかわんにはわからんやし……」
「知念サンは近くであの二人を見すぎているから慣れてしまってるんですよ。何故恐怖を覚えるのか、そう言われると明確には説明できないんですが、心に恐怖が芽生えちゃったんだから仕方ないでしょうが。ほらロウソクを消しますよ。くッ、すごい力だ、知念サンちょっと」
「いや、しかし……今の話はよ……」
「話は、聞かせてもろたでぇ……?」
「わ~~~~ッ⁉」
俺の肩越しにぬるり、と伸びてきた手のひらが、スマホを巡って掴み合う俺と知念サンの腕を覆う。俺たちが動きを止めると長い指がす、とスマホの画面を撫でてロウソクの灯は消えた。
「あぃッ!」
「忍足さん……」
いつの間に俺の背後に忍び寄っていたのか。振り向けば唇に薄っすら笑みをたたえて忍足さんが佇んでいた。
「ぬ~そーがや忍足~!てかいつの間ぁにそこにいたば?わんと日吉が揃いも揃って刺客の気配に気が付かんとは……」
「知念サン、この人心を閉ざすと気配も消えるんですよ。まったく厄介な……」
「……」
「微笑んでないで何とか言えーてや」
「……誰が刺客や。ほんま、敵わんわぁ……」
忍足さんはなおも意味深な微笑みを浮かべて、俺の隣の椅子にゆっ……くりと腰掛けた。もったいぶった動きに俺は慣れているけど知念サンの短気に触れたら面倒だ。
「ぬーがよ、やー、いつから図書室にいたばぁ?」
「三十二話目くらいやったかなぁ」
「結構前から居たんですね……」
「ほれ、俺、今読んでる恋愛小説、もうすぐ読み終わるやん?」
「ンなくとぅ知らんが……」
「せやから読み終わった時の喪失感が少なくて済むように、早め早めで新しいロマンス仕入れに来てん」
「忍足さんって恋愛小説のことロマンスって言うんですね」
忍足さんは物憂げに頬杖をついて、「ホッフ……」と深い息を吐いた。
「照れるやん」
「褒めて、いませんが……」
「ほんでロマンス物色してたらオモロそうな話が聞こえて来たもんやから、書架の向こうからこっそり伺ってたんよ。なんや二人とも、話上手いなぁ。思わず夢中になってしもたわ」
「おっ、そうかー?」
怪訝な顔をしていた知念サンの表情がパァっと晴れた。この人のこういうチョロいところは可愛いと思う。
「日吉の今の話も良かったでぇ。なんやねんなソレ、めちゃくちゃ怖いやん」
「……そうでしょう!ほら知念サン」
「そ、そうかー?」
「まあ俺にしてみたら怖い、ちゅうても『まんじゅうこわい』の方やけども……」
「ぬー?」
「いや、何でも……。よかったやん、これで五十話目、いよいよ折り返しやんな」
「やしが……今ぬ、しんけん怖い話って言えるのかやー」
「言えます言えます。ねえ忍足さん」
「せやで。怖いわぁ……めっちゃ怖い。おれそういうの大好き。もっとちょうだい……?」
「そうかー。今ぬは怖い話か……」
「ヒトコワ系は奥が深い、と云ったところですね」
「いん。わんも、怪談話の視野を広げる時が来た、ということだねぇ」
知念サンは素直に受け入れて、いん、いん、と頷いた。語り手として聞き手の意見を即座に取り入れるあたりがさすがである。エンターティナーとしての向上心が強いのだろう。
「そういう事です。さあ次は知念サンの番ですよ。まだまだ話のストックはあるでしょう」
「ン、まあ……」
知念サンがちらり、と忍足さんの顔を伺う。忍足さんは期待にメガネを光らせながら、こくり、と頷いた。なんだそのやり取り?忍足さんを喜ばすコーナーではないのだが……。
「そういうくとぅなら、あぬ二人に関しては様々なエピソードが」
「ちょうだい?」
「ちょ、忍足さんがっつきすぎです。……では、いよいよ後半戦、五十一話目のロウソクを灯しますね――」
♡♡♡
「幼なじみって、ええもんやなあ……」
感無量、といった風情で忍足さんが天井を仰ぐ。木手サンと甲斐サンの距離近エピソードは留まるところを知らず、ロウソクは順調に本数を重ねていった。
「やっさ。まぁ、幼なじみというくとぅであれば、わんと凛くんも小学校からの付き合いやっし、そういやこないだ――」
「それも聞かせて?」
「幼なじみではありませんが、距離の近さならウチの鳳だって負けていませんよ。こないだだって宍戸さんの――」
「あるやんあるやん。日吉、聞かせて?」
どれもがほっこりエピソードの筈なのにうっすら恐怖を覚えるのは何故なのか、話を重ねるうちに段々分かってきた。仲良しの二人が人前で何のてらいもなく、恥ずかしげもなくじゃれ合う姿というのが、部外者にとってはちょっと得体の知れない感じに映るのかも知れない。本人たちが無自覚であればあるほど、だ。気がつけばついに九十話目に手が届こうとしていた。
「……ついに、百が見えて来たばぁね……」
「な?俺の言うた通りやん。どの話もなかなか怖かったんちゃうか?」
「そう、ですね……。その距離感で付き合ってないんだとしたら怖すぎる、早く付き合え、そう何度も思いました」
「あぃ……わんと凛くんもかや……」
「平古場はツンデレ、ゆうヤツやんなぁ。知念にだけは遠慮なくワガママ言うてみたりするところが、かいらしかったわ……」
「そうかやぁ……」
「あっ知念サンが照れている。怖すぎます」
「鳳の話もなかなかだったさぁ。宍戸に対して上目遣いをしたいが為に、無意識に身を屈める場面では戦慄が走ったばぁよ」
「こわいこわい……」
「怖いですねぇ……」
「……やしが、そろそろ話も尽きてきた気もするさぁ」
「くッ、あと十話そこそこだというのに……」
重苦しい空気を一掃するかの如く、忍足さんがバァン!と机を叩いて立ち上がった。テニス以外でこんな機敏な動きをする忍足さんは見たことがない。
「諦めたらそこで仕舞いやッ。アカンアカン、もうこの人数じゃラチあかんでぇ。日吉、知念、聞き込みや。今から合宿所中廻って、エピソード集めに行くで。今の話でわかったやろ。幼なじみとダブルスの在るところにロマンスの種あり、や」
「いつの間にか怪談話の別称がロマンスになっていませんか?」
「何やねん……ここに来て野暮は言いっこナシやで。そもそも知念が言い出した事やないか」
「わんが……⁉」
「あらゆる恐怖は、人間の怨念や情念から産まれるのかもわからん――知念、お前はそう言うたんや。だったら幼なじみやダブルスの絆にもドえらい情念が絡んでるんと違うやろか?なぁ?俺、変なこと言うてるか……?」
間違いなく変なことは言っているが、俺と知念サンは思わず顔を見合わせてハッ、と息を呑んだ。忍足さんの熱意に妙な説得力を覚えたのだ。
「確かに……。だからキュンキュンしながらもどこか薄ら怖い感じがするんですね……」
「目からウロコさぁ。高校生の先輩方にも何かしら聞いてみたいとぅくるやし」
「コーチ陣はどうします?大人のロマンスいくらでも聞けるんじゃないですか?」
「……既婚者は、除外や。中高生らしい甘酸っぱいのが欲しい。大人の何やかやは俺たちにはまだ早いやろ」
「確かに……そうと決まれば急ぎましょう」
「よし、行ちゅんどー」
俺と知念サンも意気揚々と立ち上がり、ゾロゾロ図書室を後にした。何やら趣旨が変わってるような気もするがもう後には退けない。何としても百物語を成し遂げる、確固たる目標に向かって俺たちの心はひとつになった。
「……ところで、この話、百まで集まったらどんな怪異が巻き起こるんでしょうか」
「さあ……集めてみんと、さっぱりわからんしが……」
「さしずめ……どこかで、誰かの、かいらしい恋が叶うんちゃうかな……?」
「わんも、ぬーやらキュンキュンしてきた……♡」
「やっぱり完全に趣旨変わっていますがね……」
♡♡♡
幸村サンと真田サンの幼少期のエピソードにはジンと来たなぁ。越知先輩と毛利先輩の話は他の先輩方から聞けたがなかなかの距離感だった。仲が良いんだなぁ。――そうして順調に聞き込みを続けた俺たちは、無事に百物語を完遂したのだ!やった~!
……と、その時は達成感を覚えたものの、俺は翌朝には早くも「なんだったんだあの時間??」の気持ちでいっぱいだった。朝食の席で会った知念サンも「……なんだったんだろうねぇ?」とか言っている。忍足さんだけは満足気に微笑んで、遠くから「ン?」としどけなく目配せして来たけれど「ン?」はこっちの台詞なので無視しておいた。
――以上が俺の経験したひと夏の怖い話だ。昨夜の俺たちの様子の方がよっぽど怖い?それは俺たちが一番わかっているので言いっこナシである。娯楽のない、男ばかりの合宿所ってろくなモンじゃないですね。本当になんだったんでしょうねぇあの時間は……。