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    niesugiyasio

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    niesugiyasio

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    原作軸エルリ連作短編集『花』から再録⑥『海の向こう』
    リヴァイはコーヒーを啜りつつ物思いに耽る。

    海の向こうコーヒーのにおいが鼻先を過ぎる。どんな場所であってもこのにおいを嗅げば、熾火のようだった火が燃え上がる。炎がリヴァイの全身を包む。その炎とは、殺意だ。哀しみを糧に燃えさかる怒りだ。獣の巨人を仕留めようという意志だ。
    初めてコーヒーを見た時、なんだこの汚水は、とリヴァイはたじろいだものだ。それまで嗅いだことのない匂いのする液体はおよそ飲み物とは思えぬ黒さで、地下街のどぶ川を思わせた。豚の小便よりなお酷い、悪臭を放つ糞尿混じりの汚水だ。口にすれば形容しがたい味がした。苦いとしか言い表しようがなかったが、もっと違う味がした。殺意や怒り、怨念といった感情が入り混じり真っ黒になった味だ。敵に対する感情のみならず、逃した自らに対する失意や叱責の念も含まれる。
    リヴァイがコーヒーを知ったのは三年前。未知なるものへの興味は強くないほうだというのに飲もうと思い立ったのは、アルミンから最終奪還作戦時の敵の遺留物が判明したとの報告を受けたためだ。マーレの調査船を捕獲し始めた頃だった。反マーレ派義勇兵を名乗るイェレナが中心となりニコロの協力を得てマーレ料理の試食会が開催された。これにアルミンは参加し、覚えのあるにおいに遭遇した。食後に供された飲料だ。
    最終奪還作戦でシガンシナに着いた直後、アルミンは壁上に焚き火の跡を見つけた。薪を燃やし、それを壁から落としたような焦げ跡だ。人が住まなくなって久しい、うち捨てられた街で焚き火をしたのは、調査兵団を迎え撃とうとする敵に違いなかった。すぐさまエルヴィンに報告したアルミンはその指示を受けて壁を降り、落下物を調べた。地面には野営の道具が散乱していた。何か飲んだと思しきポットとカップもあった。そこで嗅いだにおいを、アルミンは思い出したというわけだ。コーヒーというらしい。アルミンはイェレナに確認し、ジークはコーヒーを好んだとも聞き出していた。
    その後、マーレ人捕虜から軍支給の日用品が流出するようになったのを見て、リヴァイは闇市でコーヒーに必要な器具を手に入れた。そしてマーレ本土から密輸されるコーヒー豆を焙煎したものを義勇兵から融通してもらい、手ずから淹れるようになった。淹れ方はオニャンコポンに教わった。彼はやや複雑な表情をみせた。それはコーヒーがマーレに占領された彼の故郷の産物のひとつだったからだ。こうして各地に出回っているコーヒーは、だから搾取の証といえる。
    オニャンコポンの指導のもと、リヴァイはまずミルにコーヒー豆をセットした。そしてレバーを回し、豆を挽いた。香りが立つ。あの日の記憶が呼び覚まされる。獣の巨人の投石により、仲間達の体が無惨に打ち砕かれていく。シガンシナ門外の住宅が破壊され、瓦礫と化していく。
    挽いた豆を、布製のフィルターをセットしたドリッパーに盛る。そこに少量の湯をかければ、いっそう強い香りが立ちのぼる。あの日の景色が目に浮かぶ。仕留め損なった獣の巨人を、車力の巨人がくわえて逃げていく。
    蒸らしてから湯を注げばドリッパーの下に置いたポットにコーヒーが落ちていく。適宜湯を注ぎ足しつつ、暫し待たねばならない。シガンシナの外門をエレンが塞いだ後、一旦作戦が中断した。内門付近の部隊が、立体機動装置でぶら下がりながら、壁をブレードで叩いている。詳しい連絡は来ないが、壁の中に敵が潜んでいないか探っているに違いない。そう察したリヴァイは味方の動向を注意深く見守った。一人の兵士が何か見つけたようだ。壁面が開き、中にいた人影がその兵士を刺す。既にリヴァイは動き始めていた。壁の穴から出てきたライナーを刺す。まず首、それから胸にブレードを突き立てる。しかし、仕留め損なった。ライナーが巨人化する。直後、マリア側で地鳴りがした。獣の巨人が姿を現した。手下の巨人と共に半円状の陣を組んでいる。エルヴィンがリヴァイに命令する。「隙を見て奴を討ち取れ。獣の巨人はお前にしか託せない」
    ポットに落ちたコーヒーをカップに注ぐ。まずオニャンコポンに差し出し、自分の分のカップを見下ろす。黒々としてまるで地下街のドブのようだ。オニャンコポンがコーヒーを啜る。それから、彼は遠い目をした。「取り戻したいんだ」彼は故郷に思いを馳せているようだ。「取り戻せないものも、多いけどな」哀しげな目をして皮肉そうに微笑んだ。
    リヴァイもコーヒーを口にする。取り戻せぬ仲間達の面影が過ぎる。未だ果たせぬ命令を思い出す。
    簡単でないのは、当のジークを殺してはいけない流れになっていることだ。ジークの真の目的はエルディア人の救済であるので協力すべし、というのだ。冗談じゃねぇ。そんな話、信用できるものか。到底受け容れがたかったがひとまずは従う。『秘策』とやらがあるらしい。それを確かめるまでは、生かしておかねばならない。
    鼻先を過ぎったコーヒーのにおいの出所をリヴァイは突きとめた。大衆的なカフェのようだ。リヴァイは席につくと、コーヒーを注文した。窓越しに道行く人を眺める。
    ここは、マーレの街だ。船で渡ってきてキヨミの屋敷に世話になっている。行方を眩ましていたエレンから手紙が来た。手筈通りにいけばリヴァイは近日中にジークと再会し、獣のうなじを削ぐ役を務めることになる。腕が鳴る。殺してはならないという点が残念だ。
    運ばれて来たコーヒーをリヴァイは口にした。何度飲んでも酷い味だ。あの日を思い出す。四年も経ってしまった。
    俺達は何かを取り戻そうとしたわけじゃなかった。いや、ウォール・マリアを取り戻そうとしてはいたが、それが最終目的というわけじゃなかったはずだ。巨人がいなくなった世界について、語り合ったことがある。そうした世界を俺達は夢見ていたはずだ。ウォール・マリアは取り戻した。壁の外でも自由に歩けるようになった。だがまだ何も成し遂げられていない。
    コーヒーを飲むのは一人の時に限るようにしている。穏やかならぬ顔つきになってしまい、周囲の不審を買うからだ。今日も一人だったから入ったが、給仕の目についてしまった。声をかけようか迷っているのが察せられる。腹でも下しそうに見えるのだろう。
    リヴァイは店を出た。すれ違った二人連れが『レベリオ』の話をしていた。祭があり、そこでタイバー家が何か催しを行うとかで、各国から賓客が来ているらしい。そうでなくても住んでいる人がいる。犠牲は避けられないだろう。これでいいのか? 迷いは、しかし、振り払うしかなかった。買って出た役を務めるまでのこと。
    壁の外の世界を、リヴァイは歩いている。海まで越えている。
    壁に囲われているわけでもない街で、人々は特に心配もなく暮らしている。豊かで、平和だ。まるで巨人のいない世界のようだ。本当は違うが、誰も巨人に食われる心配をしていない。
    巨人のいない世界。かつて仲間たちと野営の時に話したことがある。たき火を囲み、主に話しているのはハンジだったが、皆、ひと言ふたことは己の意見を披露したものだ。ヤツを覗いては。
    エルヴィンは相槌を打ったり質問をしたりで場を盛り上げる役を買って出ていたが、自分の考えは口にしなかった。大した考えがなくとも皆何かは言ったというのに。
    後からリヴァイは尋ねたものだ。「お前はどうなんだ?」と。エルヴィンは答えなかった。「どう思う?」とはぐらかして微笑を浮かべただけだ。
    お前はどんな世界を思い描いていたんだろう。何せお前は俺達よりずっと多くのことを考えているやつだったからな。これは買いかぶりというやつで、実はそこまで考えていなかったりしたろうか。俺はお前のことをよく分かっているつもりで、じつは全然分かっていなかったからな。
    単に、明かせなかったのかもしれない。あの場にいた皆、言うことはまちまちだったが、大前提として壁の外に人類はいないと考えていた。お前だけが、壁の外にも人類はいると考えていた。
    街行く人を、リヴァイは眺める。スリやひったくり、けんか等は日常的に起きているようだ。殺人もあるようだが街を歩いていて死体を見かけたことはない。おおむね平和といってよさそうだ。隣にいる奴が明日はもういないかもしれない。そんな心配をすることなく生きることができている。
    だが巨人はいる。つい最近もマーレは巨人の力を駆使してスラバ要塞を落とし、中東連合との戦争に勝利した。パラディ島の壁の中には無数の巨人が眠っているし、超大型巨人はこの街の外れにある屋敷で作戦の最終チェックをしている。始祖を食った進撃の巨人はレベリオ区に潜んでいる。
    巨人のいない世界とは、どんな世界なのか。俺には想像できない。どうやらそういう想像力というやつを持ち合わせていない。だけど俺は、巨人のいない世界で、お前が生きていることを夢見る。
    つまり、巨人がいない世界とは、ここにお前が生きていたらと心から思えるような世界じゃあなかろうか。
    お前がここにいたら。そんな思いが過ぎったこともある。取り戻したウォール・マリアの麦畑を見た時だとか、マーレへ渡る船の上から前方も後方も右も左もぜんぶ海という景色を見た時だとか。アイスクリームだとかいうやつを食った時には、お前と一緒に食えたならと思ったもんだ。道化姿の飴売りは、俺がチビだからってんでガキと勘違いしていた。あれはお前に見られなくてよかったな。
    ただの感傷だ。ちょっと冷静になればいつだって、お前が生きていたらとは思えなかった。
    エルヴィン団長が生きていたら。この四年間、そんな声を何度聞いたことか。皆、お前に頼りたがっていた。お前に重責を押しつけたがっていた。そのたび俺は思い直したものだ。あの選択でよかったと。注射を打って巨人化させ、ベルトルトを食わせるという方法で、この世界に連れ戻さなくてよかったと。
    どうやら今のこの世界は、お前がここに生きていたらと思えるような世界じゃないらしい。お前が心のままに生きられる世界ではなさそうだからな。
    風が血と硝煙、それから立体機動のガスのにおいを運んでくる。あちこちから銃声、大砲の音。アンカーが壁に刺さり、ワイヤーが巻き取られる。悲鳴、叫び声、呻き声。「島の悪魔!」そんな怒鳴り声も。
    破壊されたレベリオの街を、リヴァイは眺める。
    夜のことで、目に明らかとは言い難いが、すでに多くの死者が出ているに違いない。かつてのシガンシナ区のように。トロスト区や、ストヘス区のように。
    ここで、いや世界中で、リヴァイ達パラディ島の住人は「島の悪魔」と呼ばれている。マーレ人にも、収容区に住むエルディア人にも、他国のエルディアの血を引く人々にも、その他世界中の人々にも。
    悪魔、か。
    リヴァイの耳に、蘇る声がある。「巨人を滅ぼすことができるのは悪魔だ!」
    エルヴィン、あの時お前にも聞こえただろうか。お前のことを悪魔と言った奴がいた。だから蘇らせるんだと。俺も、人のことは言えなかった。俺もまた、お前が悪魔の役をつとめ続けてくれるのを無意識に期待していたから。
    あの日、俺は決めたんだ。これからは俺が悪魔になると。
    せいぜい悪魔らしく振る舞おうじゃないか。こう見えても俺はなかなかの役者だ。
    そろそろ出番が来たようだ。筋書きにない展開になっているのでアドリブでいくしかない。エレンに食いついた顎の巨人を斬る。可哀想にな。お前。騙されているとも知らず。筋書きではお前は登場するはずじゃなかったぞ。イェレナがしくじったらしい。
    そして真打ち、獣の巨人の登場だ。これは筋書き通りだ。
    「死ぬな。生き延びろ」
    リヴァイは呼びかける。
    味方の調査兵団のみならず、街のすべての人々にも。敵兵にも。
    とんだ茶番だ。獣の巨人ジーク・イェーガーとこちらは通じている。戦士長という職にありながら仲間を欺き、街の人々を裏切っている。誰であれ、こんな茶番で死ぬなんて、あってはならない。
    獣の巨人がリヴァイを挑発する。白々しい。
    コーヒーのにおいが鼻を突く。破壊された建物にカフェでもあったか。誰かがそこらにぶちまけたか。それとも気のせいか。何にせよ、殺意が募る。
    茶番だ。それでもリヴァイは役に徹する。これまで通りだ。異常者だろうが悪魔だろうがお呼びとあらばその役を買って出る。エルヴィン、お前の命令を実行するのはまた先送りになりそうだ。獣の巨人のうなじを裂き、仕上げに爆弾をぶち込む役をつとめなきゃならない。
    どんな役でもつとめてみせよう。
    そうしていれば、いつか行き着けるはずだ。
    ここにお前が生きていたら。心からそう思えるような世界に。
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    niesugiyasio

    PAST原作軸エルリ連作短編集『花』から再録15『空』
    終尾の巨人の骨から姿を表したジーク。
    体が軽い。解放されたみたいだ。俺はこれまで何かに囚われていたのか? 空はこんなに青かっただろうか?
    殺されてやるよ、リヴァイ。
    意図はきっと伝わっただろう。
    地鳴らしは、止めなくてはならない。もとより望んだことはなく、地鳴らしは威嚇の手段のつもりだった。媒介となる王家の血を引く巨人がいなくなれば、行進は止まるはずだ。これは俺にしかできないことだ。
    エレン、とんだことをやらかしてくれたもんだ。すっかり信じ切っていたよ。俺も甘いな。
    また生まれてきたら、何よりクサヴァーさんとキャッチボールをしたいけれど、エレンとも遊びたいな。子どもの頃、弟が欲しかったんだよ。もし弟ができたら、いっぱい一緒に遊ぶんだ。おじいちゃんとおばあちゃんが俺達を可愛がってくれる。そんなことを思っていた。これ以上エレンに人殺しをさせたくないよ。俺も、親父も、お袋も、クサヴァーさんも、生まれてこなきゃよかったのにって思う。だけどエレン、お前が生まれてきてくれて良かったなって思うんだ。いい友達を持ったね。きっとお前がいい子だからだろう。お前のことを、ものすごく好きみたいな女の子がいるという話だったよな。ちゃんと紹介して貰わず終いだ。残念だな。
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