見慣れない部屋の時計を眺めて想楽は小さく溜息をついた。もう寝てもいい時間なのだが、ホテルの広いベッドに転がっていても一向に眠気がやってこない。原因は明白で、昼間クリス達とダイビングした後、休憩のつもりがしばし寝入ってしまったせいだろう。せっかくの海外でのオフを昼寝で過ごしてしまったのはもったいない気もしたが、心地よい疲労感の中の眠りはとても気持ちよかった。
もう朝には帰国の便に乗る。待ち合わせに寝坊するわけには行かないから、そろそろ眠らなければ。こういう時のために本を持ってきていたはずなのになんだか読む気になれなくて、ついに想楽はベッドを抜け出した。
外に散歩にでも行きたいところだが、こんな夜中に一人で土地勘のない場所をうろつくのも気が引ける。適当にホテルの中でも散策しようと廊下に出たところで、見知った長身と鉢合わせた。
「雨彦さん...」
「北村? まだ起きてたのか」
そちらこそ、と言いかけてこの男が宵っ張りなのはいつものことだと気がついた。どうやら目的は同じらしいとお互いに察する。
「起きてたなら丁度いい。一緒に夜の散歩でもどうだ?」
「そうだねー。誰かさんの携帯は不調みたいだから、着いて行った方が安心かもー」
「ああ、そうだった。すまないがお守り役を頼めるかい」
「ふふ。お供しますー」
連れ立って向かった先はホテル裏のビーチ。さすが観光地と言うべきかこんな時間でもちらほらと人の姿はあるけれど、波打ち際から遠いところでざくざく砂を鳴らして歩く想楽たちを気にする者はいなかった。真っ黒な夜の海に空の星が映り込んで、ふたつの境界すら曖昧なほど。幻想めいた風景を雨彦の隣で眺めている。
「満天の星が溶けゆく夜の海...。前にも海で星を見たよねー。あの時はクリスさんも一緒に見たんだったね」
「海辺のライブの時だな。また占いでもしてみようか」
「あの頃は、星占いなんて意外な趣味だなって思ってたけどー」
今では星空を見れば雨彦を思い出すくらい。知っていることが増えたのは、その分距離が近づいたということ。すぐ隣、肩が触れてしまいそうな近さの体温に想楽はこっそりと笑みをこぼす。まさかこの人とこんなに近く、時には肌を重ねることもあるだなんて、当時の自分も予想していなかったに違いない。
少し目線を上げるだけで、雨彦の横顔が詳細に見える。南国の陽にも焼けなかった白い肌は月明かりを淡く反射していた。きらきらと星の瞬く瞳が映しているのは、海と空どちらだろうか。黙ったまま雨彦を見つめていたら、不意にその視線が動いて想楽を捉える。そのまま、ゆっくりと唇が合わされた。
「......そんなつもりで見てたんじゃないんだけどー」
「おや。てっきりしてほしいのかと」
からかう口調に眉を寄せそうになった想楽へ「いや、違うな」と告げる雨彦の声は、少しだけ──照れ隠しのようにはにかんでいた。
「俺がしたくてキスしたんだ。嫌だったかい?」
そう言って想楽の頬を撫でるから、きっと火照った顔の熱は雨彦にも伝わってしまっている。嫌じゃないからいいよ、とだけかろうじて呟いて、想楽は目線を海へ戻した。これ以上雨彦と見つめあっていたら、余計に眠れなくなりそうだ。
穏やかな海風が過剰な熱を冷ましてくれるまで。ざあざあと寄せては返す規則的な波音が忘れていた眠気を連れてくるまで。想楽と雨彦は目を合わせないまま南の島の最後の夜に佇んでいた。