月花前日譚 七「ん?」
「カイン、どうかした?」
「今、視線を感じたような…」
尋ねてきたシノにそう返しながらカインは辺りを見回す。昼中の街は多くの妖怪たちが行き交うが、特にこちらを注視するような者は見当たらない。
「さっきヒースにちょっかい出して来た奴か?」
「ああ、いや。そういう感じではなかったよ」
「もう、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。あれは、俺がぼーっとしてただけだし…」
「今度はあんなのヒースに近づけさせない」
「なにか起こってからじゃ遅いからな。用心棒として仕事はしないと」
つい数刻前に不審な妖怪がヒースクリフに接触したばかりだ。幸いヒースクリフに被害はなかったようだが、シノはまだ憤っている。カインとて、自分の仕事を全うできなかった不甲斐なさを痛感した。また奴が現れるかはわからないが、今度は指一本触れさせないと気合いを入れ直したところだ。ただヒースクリフには、例の侵入者のあの笑みと、わざとらしい鳴き真似が妙に引っかかるようだ。
「あの妖狐、本当は妖狐じゃないのかも…?」
「「は?」」
「…な、なんでもない…」
たまたま声が揃ってしまった。ふたりに責められたと思ったのか、発言したヒースクリフは俯いてしまう。せっかく気晴らしにと昼食がてら外へ連れ出したのに下を向かせてばかりではいけない。カインは雇い主の肩を抱くとことさら明るく目的地を示した。
「美味いもの食べて気分くらいは上げていこうぜ!ほらあの店、最近評判なんだ」
「う、うん。お客さんから聞いた事あるよ。俺も一度行ってみたかったんだ」
「オレは何度か来てる」
ふふん、とシノが得意げに鼻を鳴らす。桜雲街に最近出来た山賊食堂は開店以来毎日列ができる人気店だ。今の時間は昼食には少し遅いためか、行列は終わりかけでカインたちもそこまで待たずに店に入れた。
「いらっしゃい。悪いな、待たせちまって」
厨房から前掛けを付けた天狗が顔を覗かせる。愛想が無いわけではないが、少し疲れた様子も見える。見たところ店員らしき妖怪は彼しかいないらしいから、疲れているのも無理はない。
「ネロ。上客を連れてきた。存分にもてなしていいぞ」
「こ、こらシノ! すみません、気にしないでください」
「なんだ? 同僚でも連れてきてくれたのか?」
胸を張って宣言するシノにヒースが慌てて恐縮する。主人に頭を下げさせる従者なんて常識破りがすぎるためか、ネロと呼ばれた天狗も関係を測りかねているようだった。
「ああ、俺はシノの同僚で合ってるんだが。こちらは…」
「オレの主人だ。通りの薬種問屋の跡取りだぞ」
「嘘だろ、マジの上客じゃん…。あんまり豪勢なもんとかはないけど、いいの?」
「いえ本当に、ただ食事に来ただけなので…」
「シノ。まったく、主人に気を遣わせてどうするんだよ」
「ヒースが大商家の跡取りなのは事実なんだから、堂々としていたらいい」
カインたちからすればいつもの調子だが、ほぼ初対面のネロは若干面食らっている様子だ。あまり騒いでも店に迷惑なので、カインが代表して話を切り替える。
「騒がしくてすまない。ネロ、おすすめのメニューは?」
「えーと、揚げ鶏定食かな」
「最高だ、そいつで。人数分頼む!」
パチン!と指を鳴らして注文し、空いている卓にヒースとシノを押し込んで自分も座った。シノが「俺もやってみたい」と言うので格好良い指の鳴らし方を教えている内に、料理が運ばれてくる。
「はいよ。お待ちどおさん」
作りたてで湯気を立てる揚げ鶏。香ばしい匂いにつられて腹が鳴りそうだ、とカインが思った途端にクゥ、と控えめな腹の音が聞こえた。見るとヒースが顔を真っ赤にして縮こまっている。
「ご、ごめん!」
「あはは!わかるよ、俺も鳴りそうだった」
「早く食べよう」
いただきます、と三人揃って箸を伸ばす。サクサクの衣に、しっとりと柔らかい鶏肉。ちょっと濃いめの味付けで白米がすすむ。評判通りの絶品だ。
「うまい! これは並んででも食べたくなるの、わかるな」
「すごく美味しい…! こんなに柔らかい鶏肉初めて食べたかも」
「ネロ。おかわりだ。オレはもっと食べる」
「はいはい。毎度ありがとよ」
舌鼓を打ちつつ一行が食事を進めていると、外からバサバサッと派手な羽ばたきの音がした。すぐに大柄な天狗が店の暖簾を押しのけてくる。
「戻ったぞネロ! あー腹減った、早いとこメシ頼むぜ」
ずかずかと店の奥へ乗り込み、ひとり掛けの席へどっかり陣取る。ネロも「まだ客がいるだろうが!」と小言を投げながら慣れたように丼に飯をよそっている。
「あれは店の主人のブラッドリーって天狗だ。弁当の配達はあいつがやってるらしい」
「たったふたりで切り盛りしてるんだ。すごいな…」
「ここ配達もしてくれるのか。今度頼んでみようかな」
自称常連のシノからの情報に、ヒースとカインがそれぞれの着眼点をこぼす。ブラッドリーは客商売らしからぬ横柄な態度で店の中を一瞥し、カインたちに目をつけたらしい。
「おう、薬種問屋のお坊ちゃんか。大盛況の新規店に偵察にでも来たのかよ」
「…いいえ。食事をしに来ただけです。偵察なんて滅相もない」
「そうかよ。まあ偵察されたところで痛くも痒くもねえけどな。俺様の商才とうちの料理人の腕しか秘訣はねえからよ」
ヒースを詰るようなブラッドリーの物言いにカインとシノがたまらず食いかかる前に、ブラッドリーの頭にガン!とお玉が振り下ろされた。
「おいブラッド!客に絡むなっつってんだろ!」
「痛ってえ! 手ェ出すの早くねえかお前」
「悪いなお客さん。こいつのことは無視していいから」
どちらかというと大人しそうな印象だったネロの突然の暴力に、カインはヒースと一緒に呆気にとられてしまう。シノだけは黙々と食事を続けていた。この店では日常茶飯事なのだろうか。
「しかしずいぶん遅かったじゃねえか。どっかで道草食ってたんじゃねえだろうな」
「まあ野暮用をな。出前の配達は済ませたんだから文句ねえだろ」
「は?まじで寄り道してたのか?昼飯時は手が足りないのに何してやがる!」
「待たせとけばいいだろ客なんて。文句言うやつは俺が絞めてやるよ」
「そういう問題じゃねえよ馬鹿野郎!」
店内の客をそっちのけで喧嘩を始めたネロとブラッドリーにもやはりシノは気にせず、淡々と「いつものことだ」と教えてくれた。
「桜雲街にも変わった店が増えたなぁ…」
カインとヒースは目を見合せて苦笑すると、シノに倣って食事を再開するのだった。