たまにはこんな日も。命は無限だと、勝手に思っていた。
それは若き日の幻想だった。
「ジェイド、フロイド……」
そう呼ぶアズールの声はとてもか細かった。
「はい。」「んー?」
名を呼ばれた二匹のウツボは嬉しそうに返事をする。
そして、声の主の手を大事そうに握り締める。
皺が深く刻まれた彼の手を取ると、随分と小さく感じた。
我々の頭を潰せるのではないかと感じるほどに強かった握力はもう無い。
それでも、ジェイドとフロイドは『彼』と一緒に居続けていた。
だって、アズールはずっとアズールでしかなかったからだ。
身体の方が先に衰えを迎えてしまったものの、商売にかける情熱は健在であった。
また負けん気も健在で、そんな彼を愛しいと思い続けていた。
学生の頃はこの正体が分からず、また照れもあり素直な気持ちを伝えられなかったが、今なら分かる。
これは、確実に『愛』だ。
言葉にしてしまうと陳腐な感じも否めないが、それ以外の形容方法が分からない。
もはや、長く共に在りすぎて何を以てアズールのことがどういった意味で好きなのかが分からない。
だが、『アズール』と『ずっと一緒に居たい』。
その思いだけは一貫として変わらなかった。
これが彼が行う全てが面白いからなのか、彼そのものなのかは分からない。
でも結局のところ、彼は常に面白かったからどちらも同義であったように感じる。
だがいくらアズールが現役バリバリで働いているとはいえ、やはり歳を重ねて『落ち着く』ということを覚えたのか。
時たまこうして三人で何もせずゆっくりと過ごすことを覚えたのだ。
今日の三人は、ただただ海底でゆっくりとしていたのだ。
昔の彼なら、この間の経済損失がぁ〜!とか考えていただろうが、こうして『休息をする』という行為も一つの大切な行為として認識をするようになり、無茶をすることが少なくなった。
アズールは静かに目を閉じ、身体を横たえる。
太くて艶やかな漆黒の腕をきゅうっとジェイドとフロイドに巻き付けて。
柔らかな暗闇が彼らの身を包む。
こんな時間を過ごすのも悪くない。
海底の岩にぐったりと身を委ね、目を瞑り、波の動きに流され、その動きのまま身体を揺られる。
ジェイドとフロイドはそんなアズールの腕にギュッと尾びれを巻き付き返す。
そして腕を首に回すと、そのまま抱き寄せて額にキスを落とす。
ゆっくりと、一度だけ。
唇全体でアズールを味わうように、丁寧に。
するとギューッと心臓が締め付けられ、愛おしいと想う気持ちがぐ〜っとこみ上げてくる。
心臓が握り潰されるような錯覚に陥り、耐えられなくなったフロイドは最初に口にする。
「だーいすき、ジェイド、アズール。」
すると、ジェイドとアズールは同時に目を見開き、そして少しくすぐったそうに目を逸らす。
「なんですか、急に……」
「まったく、フロイドったら……」
「あは、二人とも照れてる〜」
フロイドは指の腹でツンツンと二人の頬をつつく。
そして、心の内に抱いた想いを素直に口にする。
「オレ、二人とずーっと居れて幸せ〜。なんかこうしてぷかぷか浮いてるだけでもちょーたのしーもん」
そんな彼の言葉を耳にしたアズールは、得意気な表情を浮かべる。
「当然でしょう?僕と『一生分の契約』を結んでおいて、幸せでないと言ったら契約違反として破棄の上で違約金払わせますからね。」
そんなアズールの口ぶりに、目が泳いでいたジェイドもいつもの調子を取り戻し、ぷっと吹き出す。
「おやおや、ではあなたが幸せでなかったら僕たちも違約金を頂けるのですか?」
「えっ」
アズールはしまったという顔をした。
彼らはこの流れに乗じて僕の口から『その言葉』を言わせたいのだろう。
——別に僕が幸せだというのは本心だ。
こいつらと一緒にいると、まぁ、結果的に楽しいと思える時間を過ごせているのは事実だが、それだけではない。
幸せを自ら掴み取るため、ひたすらに己の道を突き進んできたのだから、ここで幸せではないと思うのは今までの努力を全て否定してしまうことに値する。
だが、ただ単にこいつらに乗せられてその言葉を口にするのは癪だ。これはただの意地。
だから、先に言わせてやる。
「そんなことを言うならあなたはどうなんです?」
ジェイドをまっすぐと見返すと、彼は軽く目を見開く。
しかしすぐにその動揺をかき消すと、まっすぐと見つめ返してこう告げる。
「あなた方二人と一緒に居られて、幸せに決まっています。」
覚悟を決めた彼は強かった。
照れることもなく小細工もなく、ただストレートに思いを告げてきたのだ。
こうとあっては茶化す隙も無い。
「…………。」
アズールは息を小さく吸い、目を薄く閉じる。
そして緩やかな口調で続ける。
「僕も、あなた方と契約出来て良かったと思っていますよ。その……、結果として今……」
そこで一度言葉を止める。
薄く閉じていた瞼をゆっくりと開ける。
そして、自らに身体を寄せていた二人の身体に腕を回し、ぐっと抱き寄せると、力強く言葉を紡ぐ。
「幸せですから。」
「!」「えへへっ♡」
途端に二人は顔をパッと赤くする。
フロイドは純粋に嬉しそうに、ジェイドは面食らったような照れたような笑みを浮かべていた。
出会った時はほんの子供だった。
そこから体長は大きくなり、顔つきも大人になっていき、高校に上がる頃には変身薬で姿を変え、更に成長して青年になり、今はこうして歳を重ねた痕が刻まれ始めている。
姿かたちは随分と変わった。
それでもいつ何時も僕を見つめるこの好奇心旺盛なキラキラとした輝きは変わらない。
そんな彼らがどうしようもなく愛おしいのだ。
そう自覚した時、アズールは改めて心いっぱいに満たされた多幸感を胸に抱き、腕の中の二人をぎゅっと抱き締める。
すると二人はアズールと指を絡め合っていた。随分と皺が刻まれ、触り心地は正直良くない。
だが、だからこそ彼の手が愛おしいのだ。
今までもそしてこれからも僕たちオレたちを楽しいことへと導いてくれる手だから。
ジェイドとフロイドはアズールの手を同時に握り締める。
と、彼らの左手の薬指にはお揃いの光が輝いていた。
それは海中でも耐えうる特別な金属で出来たお揃いのデザインの指輪であった。
三人はそれぞれその光を愛おしそうに見つめる。
――なぜならそれは、自分たちの関係性は何でも良かった彼らが、それでもなお、何か形に残る契約がしたいと選びとった道の証であったからだ。