からの器 通夜や告別式などを行う葬儀が無くなったのは、大災厄が起こってからだ。人が死に過ぎて、葬儀を行う余裕も術も、当時の人々にはなかった。感染症対策を第一とした国は、大災厄で亡くなった人々を一律に焼却し、石碑を立てた。そこに死者の名前は無い。誰が死んだのかわからなかったからだ。
その後緩やかに復興する中でも死者への対応は遅れに遅れ、直葬することだけは決まったものの、骨だけが公営墓地に溜まった。溜めるしかなかった。当時の疲弊した政府には骨を処分することも、故人を特定して関係者へ届ける気力も無かった。生きることで精いっぱいだった人々には、死者を弔う時間が余りにも無かった。
エオス警備会社から請願書が届いたのは、いよいよ公営墓地が名無しで埋まるかもしれないという時だった。
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