あなたの傷〜進捗3***
「……猫殺しくん、」
「なんだ、起きてたのか」
「うん。……さっきの話」
「聞いてたか」
「俺のことなら大丈夫だよ」
長義は南泉の腿を枕に寝返りを打った。
「大丈夫じゃねぇ」
「……俺はね、別に主のことは嫌いじゃないんだよ」
「知ってる」
「……あの人は確かに乱暴なことをするけど、俺を愛してくれているし」
「……それも知ってる」
「ほら、あれは主なりの不器用な愛情表現というか……まあ、そんな感じだし、多分」
「……」
「あと、痛いけど気持ちいいのは本当だし」
「……お前それ本当にヤバいんだって」
南泉がはぁ、とため息をつく。
「だから、」
「分かった。お前の言い分は理解した。というかずっとしている。だが納得はしない」
長義の目が見開かれる。南泉はもう一度、深くため息をついた。
「お前は今のままで満足……なんだろうが、オレは嫌だ。このままではお前は壊れてしまう。それに、」
「それに?」
「オレが、お前に、こんな刀剣としての本分も果たせないところにいてほしくない。お前は自由にたたかう姿がいっとう綺麗だから。それだけだ」
長義はぽかんとした顔で南泉の顔を見る。それから口元を抑えて吹き出した。
「っはは、随分と熱烈な告白じゃないか」
笑って苦しくなったのか長義は上体を起こし南泉にくっつくようにして座った。
「茶化すな」
「ごめん、ありがとう。嬉しいよ。君がそこまで想ってくれていることが分かって」
「おう」
「……そうだね。確かにこの本丸にいる限り、俺は戦場に出られない。数値だけ上がっても弱いままだ。それは、嫌だ」
「なら」
「でも、主は俺を愛してくれてる。そして俺も主のことを愛しているんだ、恋情ではなくても。そのことに変わりはない」
「……それが、お前の答えか、ならオレは」
「だけど」
温度を失くしかけた南泉の声を長義が遮った。その強い声音に南泉は驚いて顔を上げた。
「だけど、君が、戦う俺が綺麗だと。この一年その存在意義すべてから遠ざけられていた俺を、その間どんなものとして扱われていたのかすべて知っている君が、それでも刀として刀剣男士としてたたかう俺がいっとう綺麗だなんて言うから」
その勢いに南泉は目を見開き、生きた光の差した蒼い瞳を見つめていた。
「……欲が出て、しまったじゃないか」
ふ、と張り詰めた糸が緩むように長義は笑った。
「戦場を駆けたい。痛みなら戦った傷で知りたい。君の隣で肩を並べて戦いたい。君と、生きたい。そんな場所に行きたい」
呆けたような顔をした南泉に、長義は悪戯っぽく笑って言った。
「……責任、取ってよ。猫殺しくん」
南泉はしばらく黙っていたがやがて細く長く息を吐くと片手で自分の目を覆って天井を仰ぎ、それからもう一度長義を見据えて言った。
「……ああ、待ってたぜ」
南泉は笑いながら、長義を強く抱きしめた。
「望むところだ、にゃあ」
「言ったね?もう取り消しはきかないよ」
「は、今更」
長義は南泉の背に腕を回ししっかりと抱き締め返した。
「……うん、じゃあいいや」
「お前な……」
「猫殺しくんと一緒にいる。ずっと」
「……そうか」
「うん」
「それで、いいんだな」
「……君は?」
「オレは」
南泉は長義を離すと彼の手を取り両手で握った。
「お前と生きるために戦っている。たとえ何があっても」
「……うん」
「だから、これからも一緒に生きよう」
長義はその手を握り返し、それから南泉の首に腕を回して引き寄せると額を合わせた。
「約束だよ」
「ああ」
どちらからともなく唇を寄せ合う。触れただけの口付けをして、至近距離のまま見つめ合った。そうしているとなんだか可笑しくなってどちらともなく声を立てて笑い出した。2振ともこんなに軽やかな気持ちで笑ったのは随分久しぶりに思えた。きっとこの時2振はこの刃生で一番幸福だった。
***
物吉はほとんど走るような速さで本丸内を歩いていた。南泉の話では最後に審神者がいたのは長義の自室、まだそこに留まっているかは分からないがこれだけの時間自分達が自由にできたということは誰かが彼を押さえているだろう、とのことだった。また、審神者を押しとどめているとすればおそらく——
「いい加減にしろ!!」
廊下の向こうから怒鳴り声が響いて、物吉は身構えた。方角から考えて出元はおそらく執務室だ。ということは長義や南泉の自室には審神者はいない。であれば今のうちにかれらの着替えを調達した方がいいだろうか、と考えながら聴覚に意識を集中する。
「主!主、落ち着いて下さい!」
「あれは俺の長義を!拐って行ったんだ!!なぜ俺を止める!?」
「まずはもうちょっとお話を聞かせて下さいって……!」
審神者と話す声は聞き慣れた黒髪の脇差のもので、南泉の推測が当たっていたことを物吉は悟った。
執務室の中では立ちあがろうとする審神者を鯰尾藤四郎が必死に引き留めていた。
「あいつが、俺の長義を奪おうとしているんだ!そんなこと許さない、絶対に許さないぞ……!!!」
「主、気を確かに……」
「俺は正気に決まってるだろう!あいつもお前も俺のものなのに、どうして俺に歯向かう……っ」
「そんな、歯向かってなんて……!」
「嘘だ!お前がすべきはまずあいつらを捕らえ俺の前に連れてくることだろう!にも関わらずお前はうだうだとここで俺を足止めしている!」
「っ……」
「……なあ鯰尾、お前……」
ひたすら激昂していた審神者の声が急に低く、這うような声音になった。かがんで鯰尾に向き直り、至近距離で真っ直ぐに瞳孔が異様に開いた目を合わせて言った。
「……南泉一文字の仲間か?」
その狂人の気迫に鯰尾は一瞬怯み、そしてすぐに顔を強張らせた。
「違いますよ」
「違うのか」
「ええ」
「ならなんで邪魔をする」
「それは……」
「俺に逆らうのか。俺のもののくせに」
審神者はゆっくりと立ち上がり、ゆらりと身体を揺らしながら言った。
「もういい。これ以上お前と話しても無駄だ」
「待ってくださいある」
「お前は刀解だ」
鯰尾の言葉を遮って審神者が言う。部屋の外で物吉は思わず息を呑んだ。
「、は」
「俺に従わない刀などいらない」
「……本気、ですか」
鯰尾の声が震える。ここまで、ここまでとは思わなかったのだ。長義に入れ込むようになってからも審神者は少なくとも「この戦争の拠点としての本丸」の機能を脅かすことはなかった。長義の扱いは異常ではあれ、それ以外の場で「問題行動」はなかったのだ。そしてだからこそここまで自分達は目の前の彼の行為を黙認してきた。今日南泉が審神者の前で長義を連れ出すまで。
鯰尾は青ざめ押し黙った。するとその様子を眺めた審神者は打って変わって満面の笑みになり、空気を入れ替えるように明るい声でおかしそうに言った。
「……なぁんてな!流石に最初期からずっと一緒にやってきたお前をいきなり刀解なんてしないさ!南泉の仲間でもないってお前言ってるしな、だぁいじな俺の刀の言うことだ、信じてやらなきゃだよなあ。ああ鯰尾びっくりしたなあ、怖かったか?」
「ッ……」
審神者は鯰尾の頭に手を伸ばし、よしよし、いい子だな、と言って撫でた。その唐突な変化に鯰尾は絶句し動けないでいた。かと思うと審神者はその撫でた手に、上から頭を押さえつけるように力を込め、暗澹とした据わった目で言った。
「ああでもお前も、俺の長義を傷付けたら殺すからな」
鯰尾はぐっと奥歯を噛み締めて俯いた。しかし数秒後顔を上げるといつものように朗らかに笑って審神者に言った。
「……分かりました。すみません、俺ちょっと焦っちゃいまして」
「うんうん、分かるよ。長義のことが心配だったんだよなぁ。大丈夫、分かってるって。長義のことは俺が責任持って可愛がってやるから安心しろって」
「……はい、ありがとうございます。俺も山姥切さんとは結構長く一緒にいて、大事な友人なので」
「長義は可愛いよなあ。あんな綺麗な刀初めて見たよ……ああもちろんお前たちみーんな俺のかわいい刀剣男士だぞ?でも長義は俺の特別なんだ、はあ、早く会いたい、抱きしめてやりたい。俺から無理矢理引き離されてあの子は今頃悲しんで怯えてるよ、だから早く、早く南泉を……」
***
ふたりの会話を聞きながら物吉は足早に執務室近くを去った。審神者のことは鯰尾が押さえている。よくここまで時間を作ってくれたものだ。早急にゲートまでの経路を確保する必要がある。何振りかの「過度に忠誠心の強い」刀剣たち、かれらが南泉たちの確保に差し向けられたらきっと2振は無事では済まない。
「……ああもう、なんでこんなことに」
先程の審神者と鯰尾のやり取りを思い出して、思わず独り言が漏れる。まさかここまでとは思わなかったのだ。この本丸に来て以来最悪の展開である。審神者はあれほどまでに長義に入れ込んでいるとは予想外だった。いや、自分達が節穴だったと言うべきなのか。これでは、下手をすれば審神者は本気で南泉だけでなく他の全ての刀剣に危害を加えかねない。
「……物吉」
物陰から声を掛けられ、思わず左腰に手をやりながら振り向いた。
「物吉、ぼくだ。きみにきがいをくわえるつもりはない」
「謙信さん……!?」
右手を顔の横まで挙げて敵意がないことを示した謙信景光がいた。物吉が驚きながらも警戒を解くと、彼は静かに近付いてきて声を落とした。
「南泉や、長義にも、だ」
「えっ」
「ついてきて。おねがいだ、じかんがない」
「あっ、待ってください!」
「…………」
謙信が駆け出し、慌ててそれを追いかける。少し行ったところでまた立ち止まり、こちらを振り向いて小声で言った。
「南泉や長義のおへやにはいまひとがついてる。もどっちゃだめだ」
「分かりました……どこに行けばいいですか?」
「こっち」
謙信は迷うことなく廊下を進んでいく。その背中を見ながら、なぜ彼が自分を呼び止めたのか考える。謙信と自分は特別親しいわけではない。そもそも同じ部隊に配属されたことすらないのだ。
「なぜボクに教えてくれるんですか」
「物吉はいま、南泉と長義のためにうごいているんだろう?ぼくもふたりのことはすきだ。うまくにげてほしい」
「どうして、それを」