騎空団に入って初めての夏。
リゾートの華として名高いアウギュステのビーチはバカンスを満喫する人々であふれていた。
しばらく騎空艇もアウギュステに停泊するのが慣例で、団員たちの過ごし方としては、大きく分けて遊ぶ者と働く者に二分されるという。
エルモートは毎度、海の家で働く側の人間らしく、俺達には「ガキどもは遊んどけ!」と言ってめっきり相手にされなくなった。
騎空団の団員が切り盛りしているという海の店にツバサたちも一緒に出向いてみたが、ひたすら肉を焼いて忙しくしているらしくまともに話もできなかったが、奢りだと言って炎獄焼きを食わせてもらった。
アウギュステに着いてから、海で泳いだり、団員のビーチバレーに混ざったり、パラソルの下でのんびりしたり、学生たちで集まって課題をしたりと、仲間とバカンスの日々を過ごしていたある日。
連日人は多いが、今日はとりわけ数が多く、なんとなく行き交う人々のtensionが高い気がしてワケを訊いてみると、今夜はアウギュステ一番の祭り、光華大会があるという。
「光華大会……」
「光華大会ガチ勢の奴らは、昼前から場所取りしてるぜ。場所取り代行ビジネスとかもあるンだとよ」
なるほど、光華がよく見える場所のために強い日差しに打ち付けられながら移動することもできずただ番をするのは確かに大変だろうが、金が貰えるならやりたい奴もいるだろう。いろんな商売があるもんだな……
俺は光華大会にわざわざ行ったことはない。……一人で行くようなもんじゃないだろう。遠くの空に打ち上がってる光華を家から見ていたことはある。あの時の光華の下も、今日のビーチのように大勢の人が居たんだろうか。
❊ ❊ ❊ ❊ ❊
光華大会のことが心に引っかかったまま日中を過ごし、日が傾き始めた時刻、やはり光華を見る予定らしいツバサに一緒に行くかと誘われた。
「先公は行かねェのか?」
「先公は、店の片付けしてっから、お前ら行ってこいってよ」
結局、先公に用があると言ってツバサの誘いを断った。
……できればエルモートと一緒に見たい。
エルモートは俺より先に騎空団に入っているというだけでなく、旗揚げすぐの頃からこの艇に乗っていて、ほとんどの団員を入団した時から知っている。いろんな出来事を経験し、たくさんの困難を団員と乗り越えてきた。
でも、俺はこの騎空団で経験することは何でも初めてなのだ。初めての記憶に、エルモートがいてほしい。
営業が終わったはずの海の家へ、光華大会に誘って断られたらそれでいい、という気持ちで歩く。店の雑用がいつまでかかるものなのかわからないが、手伝えることがあれば手伝おう。
『本日終了』の札がつるされた店を覗くと、調理スペースにエルモートが一人で居るのが見えた。
「お疲れサン」
「あァ? なんで居ンだお前」
「先公の様子見に来た……仕事はまだかかるのか?」
「今日は早々に品切れンなって店じまいしたから、後始末ももう終わった。仕入れる量見誤ったぜ……」
いつもの光華大会の日よりペース速かった、と呟きながらエルモートが悔しそうにしている。
「そりゃあniceだ……」
ぐっとひとつ息を飲む。
「俺と一緒に、光華大会行かないか」
「こっから見えるぜ。片付けしながら、向こうの方に上がってるのをいつもついでに見てる」
「……ついでとか、そういうンじゃなくてだな……」
あっさり躱されて肩が落ちる。光華大会を目的として一緒に赴くというのがやりたいのだ。みなまで言わなくても、それは伝わってるはず。
「……もういい場所なんて残ってねェぞ。すぐそこまで人いるだろ。店で見るか、ほんのそこまで出るかだけの違いだぞ」
エルモートが半目になって言う。確かにビーチは見渡す限り人の頭で埋まり、海に近い場所を目指すなら人をかき分け押しのけて行かなければならないだろう。そんなsmartじゃないことは避けたい。一緒に見れれば御の字だ。
「俺は光華大会行ったことねェんだよ」
「……俺もわざわざ行ったことねェぞ」
なんてことだ、それなら尚更。
「ほんのそこまででいいから、一緒に見たい」
「…………」
しばらく思案顔で俺の顔を見てから、ちょっと来い、と声をかけられる。エルモートが店の外に出て、杖で砂の上に簡易の地図を描き始めた。
「今俺たちがいる砂浜がここな。今日の光華を見る場所ってのは、だいたい3カ所あンだよ」
大きく波なみの線を引き、海と砂浜に続く道の線を加える。
「海から離れて坂をけっこう上っていくと、海を一望できる広場があるんだ。近くに結婚式場とかレストランなんかがある。光華大会の日はもちろん早くから大勢が陣取ってて、今から行ったって場所なんかありゃしねェ。光華も全体が綺麗に見えるが、遠いからちっと迫力には欠けるんだとよ」
次は海の部分と広場の間の右側に、山の形の線を引く。
「こっから西の方に、小高い山っつーか丘になってる所の、道の途中からも海が見えるところがある。整地なんかされてないマジでただの道端で、魔物が出ることもあるらしい。それでもまぁ穴場っつーかんじで、そこから光華を見る奴もそれなりにいるらしい」
「で、結局安全で迫力もあって光華を見るのに一番いい場所は、このクソ人の多いビーチが一番ってことになンだよ。ま、当然だわな」
海のすぐ近くの現在地の位置に杖を立てるその様子は、今の3カ所以外にどこか知っている口ぶりだった。
「俺も少し話に聞いただけだが」
杖の先を、地図中の空いた左側へ向けて前置きする。
「東の方の、この海辺がな。こっから先は、漁港なんだ。この漁港に繋がる道は、漁港関係者しか通らねェ、ほとんどの一般人は知らない道だ。でも、この敷地に入るまでの道は別に立ち入り禁止じゃねェ。」
エルモートがニヤッと笑う。
「ただな、この場所、海の上を一直線に歩いて行けりゃあまぁまぁ近いンだが、陸路だと川や中洲を超えて、ぐるっと回って行かなきゃなンねェ。歩いて行ったんじゃもう間に合わねェんだよ」
杖をトンと受け止めながら俺を流し見る。
「……お前が、ケッタに乗っけて連れてってくれンなら、ギリ間に合うかもしんねェってとこだな」
「……上等だ 先公乗れ!」
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橋を渡り、細い道をあまりスピードが出せないまま単車を走らせる。海から離れないように、だんだんと人の気配がなくなる道を進むと、日の落ちた暗い海が見えた。
「着いたな」
砂浜はなく、道の下はすぐに波が打ち付ける海、という場所だった。
海を正面にして海岸沿いの西の方角に、さっきまで自分たちがいたビーチが見える。たくさん点った明かりの下で、ごった返した人々がうごめいている影が見えた。
エルモートは、海を歩いて行ければまぁまぁ近いと言っていたが、それでもなかなかの距離のように見えるし、決して近くはない。陸路が思ったより遠かったのも納得だった。
ここは海を横目に、伸びる道をずっと進むと漁港組合の入り口になるという。海の反対側の土地はすでに漁港の敷地らしい。
続く道の先を見やると、敷地の壁にもたれて座る者や、海に向かって足を投げ出し道の端に座っているグループなどが散見できた。
「全然人が居ないってわけじゃないんだな」
「まぁな、昼間はここで釣りしてる人間とかもいるらしいからな。ここを知ってる奴が全くいないわけじゃねェよ」
それでも、さっきまで居たビーチに比べると人はまばらで、混み具合は雲泥の差だ。
二人で単車を降り、居座る場所を見繕って歩いていると、海を見ていたエルモートが声をかけてきた。
「やっぱりな、こりゃ大当たりだ。台船の真ん前だぜ」
「ダイセン?」
「光華を打ち上げる船のことだ。海の上に見えるだろ」
エルモートが指差す方を見ると、大きく叫んで声が届くかどうかという距離に、小型騎空艇くらいの大きさの船の影が複数浮かんでいる。
「……ってことは、目の前で光華が打ち上がるのか」
「そういうことだな」
「ものすごい穴場じゃねェか……人に少ないのが不思議だな」
「いい場所すぎて知ってる奴は人に教えたくなくて、逆に知られてねェのかもな」
「……なるほど」
そうこうしている内に、道沿いにささやかに点っていた小さな街灯が消える。
「やべ、もう始まるな」
エルモートが慌てて辺りを見回す。
「壁に寄るか」
そう言ってエルモートは俺の腕を掴み、長く伸びる石壁の、以前は門があったであろう出っ張った跡のそばへ連れられる。
単車を停めて、一直線に伸びるヘッドライトを消すと、街灯が消えた暗闇の道と真っ黒な海と新月の空。あまりの光陰の落差に目が眩み、前後不覚になる。
「……ッ」
瞬間、昔の感覚を思い出す。
誰にも見つからないように夜道に隠れて帰った日。
音をたてないように身を縮こまらせて過ごした夜。
どこにも居場所がなくて、世界が真っ暗だった日々。
「ショウ。座ろうぜ」
離されていた腕を再び掴まれ、座るよう促される。
振り向くと、僅かな夜の星を映して瞬くエルモートの瞳があった。
……先公知ってるか。人は、真っ暗闇の中で光を見つけると、その光から目を離せなくなるんだぜ。
現実の視界にも精神的にも寄る辺を見つけて気が緩んだ瞬間。
「「」」
パッと辺りが明るくなり、すぐ近くで単車の唸り音とは比べものにならない轟音が炸裂した。
全身にビリビリ響く震動と音に身が固まる。
遠くまで聞こえる光華の音をこんなに近くで聞けば相当大きな音であることは、考えてみれば当然だった。
だけど、実際に体験しないと知らないことだった。想像でも、人に聞いた話でもない。俺は今、初めて光華大会を体験している。
一度大きな光華が打ち上がったのを皮切りに、次々と光華が空に広がる。他の音はもう何も聞こえなくなった。
エルモートも先の音に驚いていたようだが、周りを見回すと自分たちのような人はいなかった。みんなこの音を当然というように受け入れている。
横でエルモートが座ったのに倣い、壁と単車の間に並んで腰を下ろす。
ようやく心と体が慣れ始め、改めて空を見上げると、真上に上がった光の雫が自分の身に降り注いでくるようだった。光華が瞬く度、辺りが昼間のように明るくなり、光に飲み込まれそうな錯覚に圧倒される。
そして跡を残して消えていく光の粒を見送る間もなく、新しい光華が空を彩り、振動が身体を震わせる。
「……すげェな」
ただの想像と思い込みだったが、光華が打ち上がる間の人々はもっとワーワーと騒がしいものだと思っていた。
だが、今のこの場は誰も彼もが黙ってこの神秘的な光景に見入っている。
ふと隣にいるエルモートを見る。
不思議な感覚だった。
すぐそばにいるのに、エルモートに声一つ届かない。
目の前に見えるのに、何らかの力で隔てられた別の空間にいるようだった。
こちらの視線に気づいたエルモートと目が合う。なんとなく存在を確かめたいような気がして、エルモートの手を掴み、じっと見つめる。
「オイ、滅多に見れる光景じゃねンだか」
打ち上がる光華の合間に、エルモートの台詞が断片的に聞こえた。
「光華に染まるアンタだって、滅多に見れる光景じゃない」
聞こえていないのを承知で呟く。鮮やかな光華の色に染まるエルモートを見て手を握っていると、だんだん心が逸ってたまらなくなってきた。
上半身を完全にエルモートの方に向け、身体を近づける。
心臓が光華に負けないくらいの音を立てて耳の奥で響く。
エルモートは背中の半分が地面につき、片肘をついて支えていた。
俺の身体を押し返そうとしてくるもう片方の腕を取り、反対の手をエルモートの横につき、身体にのし掛かる。
しきりに何か言っているが聞こえない。表情や様子から文句を言っているのは明白。
石壁の出っ張りの陰と停めた単車の間は誰の目も届かない。俺は先日すでにエルモートに一度告白している。まさか忘れたわけじゃないだろう。
アンタは、こういうことになると予想して、こんな場所に身を置いたんじゃないのか?
光華が反射する瞳を至近距離で見つめると、握った腕に力が入ったのがわかった。下から険しい顔で睨まれる。彼の瞳に自分が写っている。
……熱に浮かされ、熔けるような心地で、引き寄せられるように口づけた。
時が止まったような感覚。
光華の音は俺の心臓の音なのかもしれない。
しばらく密着したまま余韻を味わっていたが、さすがにこれ以上は引っ込みが付かなくなるので、エルモートの身体の上から退く。
手を掴んで起き上がらせるが、顔はうつむいたままだった。どんな顔をしているんだろう。もしかしたら顔が赤くなっていたりするのかもしれないが、残念ながらわからない。
せっかく2人でここまで来たんだ。今は光華大会を精一杯満喫しなくては。
……今俺の世界は、外界を遮る単車と、降ってくる光と、手を握った想い人だけ。
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最後の締めくくりに一際派手な水上光華が消えていき、祭りが終わりを迎え暗闇が戻ってくる。
時間の感覚がおかしくなっていて、長かったのか短かったのかわからない。しばし呆けていると、周りにいた人間の声が聞こえ始めた。
ゆっくり腰を上げると、光華の観客たちは一様に、火や光の魔法を発動させたり、手持ち光華などを手に持ち火をつけていた。
何が始まるのかと見ていると、海の上に浮かぶ船に向かって、光を放つ腕を上げて振り、ありがとう、や、お疲れさま、といった声を上げていた。
「へェ……」
隣で呟いたエルモートも指の先に火を灯したのを見て、自分の手のひらにも火の魔法を発動させる。
光華を打ち上げる台船に近いこの場所ならではの慣習だと思われた。おそらく礼の声は届いていないけれど、船に乗っている光華師たちにはきっと灯した光に乗せた気持ちが届いてる。
海の上は暗く、ぼんやり黒い人影が見えるだけだったが、程なくして台船に提灯が灯った。すると船に乗った光華師たちもこちらに向かって大きく手を振っている姿が見えた。お互いが大きく手を振って応える。暖かい空間。この場所に居なかったら知らなかった。
ゆっくりと動き始めた台船を眺めていると、船の端に見覚えのある大きな体躯。
「……」
思わず海側の道ギリギリまで走り、手のひらの炎を大きくさせる。気づけ。
台船に乗っているドラフの男は、俺が冤罪でネンショーの特級に入れられた時に会った光華師だった。
光華大会の話を聞いた時から彼のことを思い出していた。今どうしているだろうかと。
光華がどんなにすごいかとか、危険が伴う大変さだとか、でもやっぱり楽しい、また光華を打ち上げたい、と言っていた。俺に見せてやりたい、とも。
まさか今日アウギュステの光華大会で光華師として来ていたとは。
顔の横で派手に火を灯し、一心にあの光華師へ視線を向けていると、相手もこちらに気づいたようだった。一際大きく両手を振ってくれた彼に向かって、手を上げた。
岸に向かって動いていく船を見送り、息を吐く。
……言葉は交わせなかったが、会えてよかった。
彼の打ち上げた光華が見られてよかった。
今日この場所に来られてよかった。
なんだが胸がいっぱいになって、じんわり目頭が熱くなる。
「知り合いか?」
すぐ後ろまで歩いてきたエルモートが声をかける。
「……ああ。ネンショーで出会った……親友だ」
「今日居ること知ってたのか?」
「いや、偶然だ」
「へェ……元気にしてるみたいだったな」
「……あぁ」
ふっとエルモートが微笑んで、横から顔を見上げてくる。
「……よかったな」
俺の心に寄り添うように、心から慈しむような声でエルモートが声をかける。あまりに優しい表情に胸が締め付けられる。
もしこの場にいるのが俺一人だったとしたら、親友に会えた喜びは誰にも知られることがなく、わかってくれる人もいなかった。
喜びを分かち合ってくれる人がいることの幸福。孤独なうちはそれすらも知り得なかったこと。
自分の気持ちを自覚してから、どんどんエルモートに対する感情が大きくなっていく。あたたかい気持ちと切ない気持ちで、胸が苦しい。
今日、ここへ連れてきてくれてありがとう。
一緒に光華を見てくれて、俺の喜びに共感してくれて、そばにいてくれてありがとう。
……これからもそばにいてほしい。
「……先公、好きだ」
「…………、今そんな話じゃなかっただろ……」
複雑そうな顔で、拗ねたような声で言うエルモートはいつもより少し子供っぽく見えた。
(終)