【調味料のそのあとで】「俺はもう出勤する時間だ。それ以上は帰ってから聞く」
目の前でドアが閉まり、カーヴェは続けられなかった言葉をのどに詰まらせ停止する。
シーンと静まり返る豪奢な入口のドア。無情に取り残され放置された彼はどこかで見た水色のスライムのようにぷるぷるし、膨れ、そこらにあった紙を巻き上げる。
信じられない。こんな状態で置いておくなんて。
ことの始まりはアルハイゼンが教令院に長期で籠もった日の最後の日。
カーヴェもちょっといい感じに仕事が終わり、家の内装を入れ替えるために掃除をし、今日は洒落たテーブルクロスでも買いに行こうと思っていた矢先だった。
カーヴェは自分の才能を思うがままに発揮し、設計図に惚れ惚れし、そしてちょっと多めに入った賃金でちょっと良い酒と美味しい飯とセンスの良い環境でアルハイゼンを迎えようと思ったのだ。
しかし起きてドアを開けるとそこには本の山、山、山。昨日寝る前に見た部屋の姿は跡形もなく、まさに巻が圧をかけてくるばかりの圧巻の姿。
家主の本好きは心得ているつもりだが想像を超えるものがある。
今のカーヴェの周りにあるのもアルハイゼンの昨夜持ち帰っただろう本だ。
「ありえない」
センスどころか山積みになったそれをとりあえずもう一度積みなおし、しかし文句を言おうにもかの書記官さまは出勤し、また定時まで帰ってこない。
どれだけ古いものもあるのだろう、埃をまとったまま置かれているものまである。
本が好きだなんてよく言えたものだ。こんな風に大量に持ち帰って重ね合わせて、だいたい折角美しく片づけたのにこんなところにもこんなにこんなに高く積み上げてああもう!
埃まるけになったカーヴェはけほけほとせき込み、勢いよくドアを開け空気を入れ替えようとし…そして見知った姿を見た。
「旅人!君がスメールにいるなんて珍しいな!」
そんなこんなで…
夕方、カーヴェは山盛りの包みを抱え帰路にいた。
人手が足りないから数合わせでも良いから一緒に来てくれという旅人達に二つ返事で返し、お礼にと受け取ったいくつかの料理と調味料。
戦闘の合間に今朝の愚痴をこぼしたら是非これで仲直りしてくれと渡されたそれは、なんでもかけるとたちまち感想を言いたくなって会話がはずみ好感度アップ!するらしい。
そんなあやしげな雑貨屋に並べられている恋の妙薬♡みたいな売り文句、君じゃなかったら信用ならない所だよと笑いながら確かにこれは香り高いと舌鼓を打ち、ちゃんと仲直りしなよ~という周りの声に会話を弾ませたのは昼のことで、これは二人分の量だ。
ドアを開けて朝積んだ山をちょっと行儀悪く脚でどけ、まあ明日起きたら片づければ良い、と料理を盛り付ける。
とりあえず、仲直りしよう。
アルハイゼンの本好きは今に始まったことではないし、彼がここで取り繕わず自分の思うまま行うことも、ついでに遠回しな皮肉を返してくるのもいつものことだ。
広げた包みにあれもこれもと入れられたメニューを皿に開け、見栄えよく飾る。
サラダ、野菜のスープ、そしてステーキとバター魚焼きだ。
買った酒もあるからちょっと多いかな。
温められるものは温め直し、調味料を振りかけ混ぜる。
うん、いい香りだ。
「今帰った」
そうこうしているうちにアルハイゼンが帰宅し、こちらを認めて口を開く。
「おかえり。ちょうどだな」
彼はキッチンから覗く僕に少し不思議そうな顔をし、ゆっくり止まった。
「いい香りがする」
「鼻がいいな。そう、旅人から貰ったんだ。夕食二人分ある。食べるだろう?」
手を洗ってこいと促し冷やしていた酒を出してグラスを取ると、寄ってきた彼は料理を見て「豪勢だな、いただこう」と興味ありげに見下ろした。
とりあえずサラダとスープ、酒を運んでグラスに注ぐ。
「「乾杯」」
声を揃えてグラスを合わせ、酒を飲んだ。
お疲れさまと言うと君もいい仕事をしたのだろうと返され、サラダを口に運ぶ。
アルハイゼンは流行りの味だ、嫌いじゃないと言いながら旅人への礼をしなければなと考えている。
僕はそれなんだけど、と切り替えし、スープのスプーンを置いた。
「仲直りをしよう」
「突然だな。…朝のことを気にしているのか?」
「気になるだろ、酷いことを言ったよ。旅人にも叱られた」
「ほう」
アルハイゼンはグラスを持ち上げ、一口飲む。
「僕は舞い上がっていたんだ。仕事もうまく行ったし君が帰ってくる。家中美しくして君を迎えるつもりだった」
そう、最初はそうだった。
「…仕事がうまく行き過ぎて目的を見失っていたんだ。家をもっと快適にすることに夢中になった。もちろん、僕のためにも君のためにもなる…そのはずだった」
アルハイゼンはじっと見つめている。
僕は握った手を開いて、握って、力なく机に落とした。
「反省したよ、一方的だったって」
君を傷つけた。
アルハイゼンはちらと見て、ひとつ首を振った。
「俺は気にしていないが」
そしてもう一口酒を飲み、グラスを置く。
僕はスープを見た。
「これもさ、君を喜ばせたくて少し凝った調味料を貰ったんだ。香りが良いだろ?昼にも食べたが君にも食べてほしいと思った。他のにもかけてあるんだ。君の口に合えば嬉しいと思って」
アルハイゼンは僕の顔を見る。
「さっきの肉もか。興味がある」
僕は急いで立ち上がる。
「待ってろ、今持ってくる!」
キッチンにもどり、肉と魚を盆にのせ、急ぎ足で戻る。
その時だった。
「うわっ!」
何かにひっかかり、バランスを崩す。
そして皿のいくつかは床へ。
けたたましい音とともに料理ごとすっ飛んだ皿はそれでも割れずにゴウンゴウン言いながら回っている。
見ると引っ掛けたのは本を積み直す時に使った足乗せ台で、片付ける途中でそのままにしたものだ。今朝片付けておけば…そんな後悔が頭をよぎる。
そして皿の上はというと、盆の上も床の上も折角の盛り付けがめちゃくちゃだ。
「カーヴェ」
音に寄ってきたアルハイゼンが様子を見守っている。
「…ごめん、めちゃくちゃだ」
「俺は気にしていない」
消沈して呟くと、淡々と返される。
旅人に謝らないと、礼がいるな用意しよう。僕の側にしゃがんで検分し、
そして指でつまんでむぐむぐと食べ、調味料の配合が正確だとかなんとか言った。
すっかり気分が萎えてしまった僕の手から盆と皿を受け取りさっと平らげたアルハイゼンは、スープをキッチンに運びながら僕を呼ぶ。
「デザートは食べないのか」
消沈しながら手招きするような感じで呼び寄せられ、まだそんなのあったか?と冷蔵庫を覗こうとするとそのドアを持つ手を包まれる。
「仲直り、をするんだろう」
そして指を絡め、指の股をすりすりと擦り、腰へ誘導された。
「は、え……ええーーーー!?」
近づいてくる綺麗な顔に声がかき消されるまで、僕の素っ頓狂な叫び声はキッチンに響いていた。
翌朝、ハチャメチャにいちゃついたあとの甘い雰囲気のまま、ベッドでいちゃついて、朝食を食べながらいちゃついて、今は髪を整えてやりながらいちゃついてる。
簡潔に話すと長期不在だった自分のために用意していたことが嬉しかった、早く帰りたくて一日早く帰った、帰ったら君がいて、温かい料理と美味しい酒とやっぱり君がいて、君は俺と仲直りを、つまり仲良くなりたがっていたということだった。
「全て俺のためだろう」
顔を寄せチュと軽くキスされる。昨日からずっとこうなのに全然慣れない。
「アルハイゼン……っ!!」
もう一度キスしたい、いや何度でもしたい。それ以上もしたい。
ハグしながら身体を擦り寄せるように濃密に甘えてくる恋人。すり抜けからかうように振り返る少し笑いを湛えた恋人。
甘い言葉を何パターンも頭に浮かべながら追いかけて近づき再び顔を寄せたその時だった。
「俺はもう出勤する時間だ。それ以上は帰ってから聞く」
そして目の前でドアが閉まり、カーヴェは続けられなかった言葉をのどに詰まらせ停止する。
シーンと静まり返る豪奢な入口のドア。無情に取り残され放置された彼はどこかで見た水色のスライムのようにぷるぷるし、膨れ、そこらにあった紙を巻き上げる。
信じられない。こんな状態で置いておくなんて。
【調味料のそのあとで】