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    リリーと賢者の魔法使いVS謎の魔法使い
    10話仕立て
    タイトルの呪いは「のろい」ではなく「まじない」の意味で使ってます

    花籠の乙女に目覚めの呪いを花籠の乙女に目覚めの呪いうた

     若い魔法使いたちと中央の国の市場に来ていた。引率はラスティカとレノックスと私。……のはずが早々にラスティカの姿が見えなくなって、クロエが探しに行った。買い物をしながら手分けをして探そうという話になってレノックスたちとも別れる。一緒に回ることになったルチル、ミチルとリケと歩いていると賑やかな少女の集団とすれ違う。仄かに漂う魔法の気配に振り返ると、彼女達は店と店の間の路地に消えていった。
    「ルチル、ごめんなさい。……ちょっと」
    「何か気になるものでもありました?こちらは大丈夫なのでリリーさんも好きなお店見てきてくださいね!」
     お店ではないのだけれど、曖昧に笑って少女達の後を追いかける。善意か悪意か分からないけれど、少女達全員から魔法が漂っていた。悪意のあるものなら見逃してはおけない。アーサーの足下で魔法使いによる事件を起こさせるわけにはいかない。


     路地の先には蔦に囲まれたこじんまりとした家があった。周りにはお店や住居の入口はない。辺りを壁に囲まれた中にそれだけが存在している。隠されたように佇むその家には不思議と興味を惹かれる魅力があった。きょろりと当たりを見回しながら家に近付く。ここまで立ち寄るような所もなかったし、少女達はここに入っていったのだろうと思うのだけれど。窓に近付けばレースのカーテンの向こうに乙女たちの笑い声がした。どうやら間違いないようだ。どうやらお茶会のようだけれど、確かめようにも中にいきなり入るのは気が引ける。どうしようかと迷っていると、路地の向こうから駆けてくる少女がいた。
    「大変、遅くなっちゃった……っ」
     少女は私の姿を見つけると目を丸くして、それからにこりと人好きのする笑顔を浮かべた。
    「あなたは初めての人?大丈夫よ、ここのサロンは誰でも大歓迎だから!」
     こじんまりとした家の中にサロン?しかもこんな街中に?疑問を口にする間もなく少女に手を引かれて中に連れ込まれる。中に足を踏み入れると華やかな花の香りに包まれた。外からは想像もできない広さの広間にいくつものテーブルが並べられ、少女達がティータイムを楽しんでいた。
    「ごきげんよう、モニカ。今日は遅かったね」
    「ごめんなさい、ルートヴィッヒ様。お家のお手伝いが終わらなくて」
    「嗚呼、なんて献身的な子だろう。皆さん、家族思いの彼女に拍手を!」
     やけに芝居がかった動作をする男性はライラック色の髪を深い藍色のリボンで纏めていた。それからモニカと呼ばれた少女の後ろに立つ私に微笑みかける。柔和に、そして魅惑的に。シャイロックとはまた違った人に好かれそうな素養を持った人だと思った。
    「初めまして、お嬢さん。貴女のお名前は?」
    「リリィです」
    「リリィ……可愛らしい名だ。モニカと共にどうぞあちらの席へ」
     勧められるまま着席するとすぐに紅茶が目の前に置かれる。お菓子と花に溢れる空間は煌びやかで、誰もが心から楽しんでいる。そこここから笑い声が上がり、笑顔が広がっている。貴族の真似事にしては随分本格的だった。これは少女達が惹かれるのも分かる気がする。
    (……とはいえ、この紅茶魔法がかかってるんだけど……)
     周りの様子を見ると高揚作用のあるものか、覚醒作用のあるものか。魔法の気配は先程声をかけてきたルートヴィッヒからしている。間違いなく彼は魔法使いだ。少女から漂っていた魔法の気配と同じ。紅茶を飲ませてそこから魔力を注いだのだろうか。でも一体、何のために?気付かれない程度の浄化の魔法で紅茶にかけられた魔法を解く。こくりと飲み下しながら辺りの様子を伺う。目立った異変は今のところ起きてはいないようだけれど。
    (善意で集めたにしては魔法をかける意味が分からない。もう少し調べてみる必要がありそうですね……)
     その日は同じテーブルになった少女達にここに通うようになった経緯やサロンについて話を聞いて、そろそろ家に帰ると席を立った少女に続いて他の少女達と連れ立ってサロンを後にした。



    「もう、リリーベルまで迷子になっちゃうなんて!」
    「ごめんなさい、クロエ。とても素敵な花飾りのお店があって……」
     みんなの元に戻るのが遅くなってしまったことを謝る。若い魔法使いの引率を頼まれていたのにすっかりルチルに押し付けてしまった。この埋め合わせは今度なにか考えないと。
    「そんなに素敵な飾りだったら俺も見てみたかったな……」
    「魔法使いのお店だったの。目を離した隙に消えてたから案内するのは難しくて……ごめんなさいね」
     困ったように微笑めば、クロエは気にしないでと笑顔を返してくれた。心配をさせないためとはいえ、ちょっと心苦しい。
    「………」
    「レノックス?」
    「ああ、いや……」
     黙り込むレノックスに首を傾げると彼は何かを言いかけて口を閉じ、首を振った。
    「何でもない」
     何でもなさそうな気がするなぁと思いつつ、その場では触れずに魔法舎に戻った。


     ◆◇


     魔法舎に帰ってみんなと別れたその場にはレノックスだけが残った。さっき隠し事をしたことを勘づかれているのだろう。辺りに誰もいないことを確認して声を落とす。
    「街の女の子たちを集めてお茶会をしている魔法使いのサロンがあって……」
     話を聞いたレノックスは考え込んでいるようだった。魔法で集められたらしい人間の少女たち。現時点で集めてお茶会してるだけといえばそうだけれど、何となく引っかかる。魔法をかけてまで彼女たちを呼び寄せたい理由はなんだろう。
    「一先ずフィガロ先生に相談してみるのはどうだろう」
    「私もそう思います」
     レノックスの言葉に頷いてフィガロ先生を探しにいく。事の次第をフィガロ先生に伝えると、先生は顎に指をあてて唸った。そもそも中央の国が魔法使いに貴族の位を与えるわけがないと。確かに今の体制をみても、建国の成り立ちをみても爵位のある魔法使いは到底考えられない。貴族らしく振る舞うことを楽しんでいる魔法使いか、それとも何らかの目的があってその姿を取っているのか。どちらにせよ、あまり好ましくはない。知る人に知れれば大問題になることは難くない。
    「単体なら愉快犯で済むかもしれないけど、誰か背後にいると厄介だ。アーサーにも話しておこう」
     魔法使い絡みだからできるだけ内々に済ませたいと添えて。フィガロ先生の言葉に頷いて従う。アーサーも難しい顔をしていたけれど、できる範囲で調べてみると言ってくれた。とはいえ、王族としての動きも魔法使いとしての動きも窮屈この上ないので思うようには進まないだろう。
    「フィガロ先生、私もう一度あのサロンに行ってみようと思うんですが……」
     フィガロ先生は目を逸らして頬を掻いた。あまり賛成したくない時の仕草だ。けれど魔法使いの脅威がすぐそこにあるのに、人任せにして何もかも押し付けてしまうようなことはしたくなかった。後で何もできなかったと嘆くようなことはしたくないから。
    「先生、お願いします」
    「まあ、そうなるよね……」
     大分間を開けてからフィガロ先生は頷いた。
    「わかった。現状、怪しまれずにサロンの内情を探れるのは君だけだ。調査は続けていい……ただし」
     魔法使いは性別も変えられるとはいえ、そういきなり新しい顔触れが増えるのも不自然だろう。あのルートヴィッヒが自分で招かない限りは。
    「君もくれぐれも無理はしないように。助けがほしい時はいつでも言いなさい」
    「はい、先生」
     謀の向かないタチだと知っている。嘘を上手くつけない性格だと分かっている。一人で抱えきれないことだってきっといっぱいある。かつて誰にも頼れず失敗した私だけど、今は差し伸べてくれる手があることを知っているから。

    「キッチンを貸してほしい?そりゃ構わないが……」
     魔法使いのサロンに通うためにお菓子の持参が要る。掻い摘んで事情を話すと了承してくれたけれど、ネロに心配された。確かに正体不明の魔法使いの元に通うなんてあまり歓迎はできないだろう。そもそも私は戦闘向きでも諜報向きでもないし。
    「まあ、あんたの先生が許可したなら横から口出すことでもねえな」
     肩を竦めてそう言ったきり、ネロはそれ以上その件について触れることはなかった。出来上がったお菓子を手にキッチンを去る私に「用心しろよ」とだけ声をかけて見送ってくれた。


     ◆◇


    「モニカ」
    「あっ、リリィさん」
     何度か通う内に最初にサロンに誘ってくれたモニカと仲良くなった。それから他の少女数人と。サロンでは行く度違う席が指定されて卓につくメンバーも変わる。偶々一緒にお茶をした少女とまた同じ卓につくこともあったけれど、上手く重ならないように調整されているような気がする。お茶会は週に三度、決まった時間に開催される。参加する少女達は街の女の子たちがほとんどだったけれど、時々どこかの貴族らしき少女が混ざることもあった。地位のある少女達が来るのは毎回ではなく、二、三度参加しては姿を消した。念のため彼女達の人相を記憶し、紙に転写してアーサーに渡した。貴族ならアーサーの方が身元を確かめやすいだろう。
    「今日はどんなお話ができるでしょうね」
    「まだお話ししてない人がたくさんいるの。もっと色んな人とお話がしたいわ……」
     モニカはうっとりと微笑んだ。彼女の瞳は夢見るようにとろんとしている。ふわりと高尚な花の香りが漂った。
    「ねぇ……」
    「ああ、お茶会の時間ね。リリィさんも一緒に行きましょう?」
     ぼんやりしたままモニカはふにゃりと微笑んだ。呼ばれるようにサロンへと向かう彼女の後を追う。途中行き会った少女達と合流してサロンへと呼び込まれ、いつものようにお茶をした。その日、家へと帰る少女達の中にモニカの姿はなかった。

     次のお茶会にもモニカは姿を見せなかった。家には帰っていないようだった。家族も心配していて、行き先が分かったら教えてほしいとのことだった。サロンの話をしてみたけれど、彼らが探しに行った時はサロンどころか路地すらも見つけられなかったという。
     あのサロンは少女たちしか辿り着けないように魔法で隠されていると考えた方が順当だろう。サロンに通う内に仲良くなったカタリナに話を聞いてみると、周りでサロンに通っている子はいないのだという。
    「どうやら選ばれた女の子しか参加出来ないみたいなのよ」
     カタリナからはあまり花の香りがしなかった。何人かに話しかけてみたけれど、はっきりと受け答えをする子、のんびりした語り口調の子、今しがた話した内容も忘れてしまう子、それぞれだった。強烈な花の香りがする子もいれば清涼な香草の匂いがする子もいる。カタリナのようにあまり香りを感じない子も。
     この日も時間通りにお茶会は始まり、何事もなく終わった。同じ卓の子は疲れていたのかティータイム中にこくりと船を漕いでいたくらいのものだ。その子は次のお茶会から姿を見なくなった。

     少女達は誰かがいなくなれば他の誰かがどこからともなくふらりと現れて通うようになった。よく話すようになったユリアナやユスタとも交流は続けていたものの、段々と反応が鈍くなっておかしな返答をするようになった。彼女達も順番に姿を消し、カタリナも本調子ではないようだった。
    「ちょっと頭がぼうっとするっていうか……」
     具合の悪そうなカタリナにお茶会を遠慮するように伝えても受け入れてはもらえないようだった。仕方がないのでルートヴィッヒに気づかれないようにカタリナの紅茶にシュガーを入れる。
    「……これは?」
    「疲労回復効果のある角砂糖よ。少しは楽になると思うわ」
     シュガーを入れた紅茶を飲み干したカタリナの目には生気が戻り、体調も回復したようだった。目を瞬かせるカタリナにふっと笑みを零すといたずらっぽく耳元で囁かれた。
    「本当にすごいわ。魔法みたい」
     みたいではなく魔法そのものなんだけれど、ウインクで応えるだけに止めた。カタリナは興味津々だったけれど、種明かしをするわけにはいかない。紅茶の細工は何となく掴めた。後はこれをどう使われているのかと消えた少女達の行方だった。


     ◆◇


     カタリナに聞いたところサロンに通う少女達と連絡を取り合うようなことはなく、親しくなっても誰がどこに住んでいるのかは分からないとのことだった。仕方なしに都のあちこちを探し回り、ユリアナとユスタ、その他何人か見覚えのある少女に声をかけたけれどその誰もがサロンのことを覚えていなかった。私の顔も思い出せないし、サロンに通っている間のことを尋ねてもどこかに行っていたような気がする、長い夢を見ていたようだと答える。今は頭もハッキリしているし、少し前まで感じていた倦怠感や眠気はないという。
    (どの子も花の香りがしないし、魔法の気配もない……)
     サロンに通っていた頃はどの子も芳しい花の香りがしたのに、今は綺麗さっぱり初めから何事もなかったかのようだ。ルートヴィッヒが飽きて手放したとでもいうのだろうか。一人一人の名前も顔も記憶して把握していた熱心さから考えると噛み合わない気がする。
     ユリアナ達が戻っているならとモニカの家を訪ねると、モニカの姿があった。ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、むせ返る花の匂いに思わず口元を覆う。
     誰よりも強い香りだった。誰よりも濃い魔法の気配だった。香りも気配もモニカからまとわりついて離れない。最早彼女の内から発せられているようにも思えてくる。けれどモニカは私のことを覚えていなかったし、サロンのことも分からないようだった。ユリアナ達とのちぐはぐさに混乱する。
    「モニカが帰ってきてから変わったことはないですか?」
    「そうねぇ……嫌いなものが変わったくらいかしら」
    「……あの、モニカって香水つけるようになりました?」
     いくつかモニカのお母さんに気になることを質問してみたけれど、確実な情報は得られなかった。でも。
    「何言ってんだい、おかしな子だね。モニカは何にもつけてないよ」



    「ああ……じゃあその魔法使いの魔力が花の香りとして滲み出てるのかもね」
    「サロンに通う少女達からも花の香りがするのでマーキングのようなものかなと……」
    「その可能性は高そうだね。……リリー、ちょっと手を貸して」
     意図が読めなかったけれど素直に差し出すとフィガロ先生は私の手を取って顔を寄せた。
    「君たち、こんな所で何をしているんだ」
    「ファ、ファウスト様……えっと、これは……」
     不振そうな声に振り返ればファウスト様がいた。口を真一文字に結び、剣呑な視線を向けられてどう答えようか迷う。私もよく分からない状況なんですがと返しても怒らせそうな気がする。子供たちの教育によくないとか、時間と場所を考えろとか、ええとあとは……
     怒られそうな内容を頭の中で浮かべながら目を泳がせる。フィガロ先生、何とか言ってくださいと横目で助けを訴えると先生はゆっくりと顔を上げたけど口元に薄い笑みが浮かんでいる。あ、なんか嫌な予感。
    「ちょっとリリーにマーキングを……」
    「……は?」
     ファウスト様の地を這うような声と私の渾身の抗議の視線を受けてフィガロ先生は私の手をパッと離した。
    「……されてないか確認してただけだよ。そんなに二人して怒らなくてもいいじゃない」
     もっとやり方があっただろうだとか紛らわしいだとか言いたいことは山ほどあったけれど、マーキングの理由を問い質し始めたファウスト様を前に口を閉じるしかなかった。言葉にはしなかったものの明らかに苛立っていて椅子の上で縮こまるしかなかった。素人が潜入任務の真似事なんてと言われるのは火を見るより明らかだったから。
     フィガロ先生は簡単に事の経緯を説明して、都合がつき次第モニカの様子を確認するつもりだというところまで話すと、ファウスト様は眉を寄せながら考え込んでいる様子だった。
    「君は今のところなんともないのか?」
    「一応魔法は解いているので影響は……」
    「少女たちの失踪は?」
    「ここ数回はないです」
     再び黙り込んだファウスト様はそれ以上何かを言うことはなかった。肩を竦めたフィガロ先生が口を開く。
    「早めにモニカの様子を見に行くことにするよ。リリーも何かあったらすぐに知らせて」
    「わかりました」
    「くれぐれも気をつけるんだよ」
     師匠の心配の声にふわりと笑って返事をする。フィガロ先生は眉を下げて頷いた。


     ◆◇


     数日後、ファウスト様に声をかけられた。何の説明もなしに手を出してくれと言われて思わず身構えるとあからさまな溜め息を吐かれた。
    「まったく、僕はフィガロじゃないんだぞ」
    「も、申し訳ありません……つい反射で」
     もう一度溜め息を吐くとファウスト様は懐から小瓶を取り出した。中には琥珀色の液体が入っている。
    「これは……?」
    「君の話をしたら、危機を知らせる香水をシャイロックが用意してくれた。この中に君のシュガーを溶かしたら完成だ」
     数滴そこら辺に撒くだけで効果があるという。危機を知らせる、なんて大層な言い回しだ。怖々と受け取る。果たして使う機会なんて来るだろうか。
    「危機と言ったが困ったことでもいい。僕らの助けが必要な時にでも使ってくれ」
     ファウスト様は帽子を目深にかぶり直しながら使わないのが一番だがと付け加える。あまりに私が及び腰だから気を遣ってくれたのかもしれない。
    「ありがとうございます。必要な時は使わせていただきます」
    「ああ」
     今日はフィガロ先生がシャイロックさんたちとモニカの様子を見に行ってくれることになっている。なぜシャイロックさんかというとルートヴィッヒが西の国の魔法使いだろうという見解が固まったからだった。本人を知っているかもしれないし、そうでなくてもその趣向や手口に気付きやすいかもしれないとのことだ。後でアーサーとカインも合流すると聞いている。何か進展があるといいけれど……
     少女の失踪が止まっている今の内に解決の糸口が掴めれば。私もいつまで潜り込んでいられるかも分からない。シュガーを使って無事でいるのはきっとルートヴィッヒだって分かっているだろうから、つまみ出されるのも時間の問題だ。むしろ今まで見逃されてきたのが奇妙だったともいえる。
    (……用心しないと)
     荷物の中に小瓶をしまい込みながら決意を新たにした。フィガロ先生たちと同行はしない。私の周りに実力のある魔法使いがいると気取らせないためだ。お互い都の中にはいるけれど、なるべく接触しないようにする。だからこそ自分の身は自分で守らないといけないのだ。



     いつもと同じく花の香りに誘われてサロンへと足を向ける。道中でカタリナと一緒になり、それから徐々に人数が増えて秘密の路地を通る。路地の先には一見小さな民家に見える建物があって、その向こうは外からでは想像できないくらい立派なサロンがある。少女たちの秘密の花の園。
     それぞれ持ち寄ったお菓子を配って、毎回違う用意された席について、ルートヴィッヒが手ずから淹れてくれた紅茶をいただきながら好きなものや楽しかったことについて語らう。いつも通りのお茶会。いつも通りの昼下がり。
    (………っ)
     目の前に置かれた紅茶から魔法の気配が色濃く漂ってくること以外は。
     努めて平静を保って辺りの少女たちの紅茶の様子を探る。感じ取れる範囲で他に細工されている少女はいない。魔法がかけられているのは私の紅茶だけだ。少女たちの目があるから紅茶を処分することができない。これだけの強さに対抗できる効き目のシュガーも用意できない。浄化の魔法をかければ周りの少女たちに私が魔法使いだとバレてしまう。
    (……飲むしかない。本当のことを話せば周りの子たちに危害が及ぶ恐れもある)
     ごくりと喉を鳴らし、震える手を叱咤して鞄の中から瓶を取り出す。それを隣の席に座っているカタリナの手にサッと握らせる。今までにちまちま貯めたシュガーの瓶詰め。カタリナはピクリと肩を揺らし、そっと手の中を見た。
    「リリィ?」
    「今日のお茶会が終わったらみんなにひとつずつ配って。もうここに来たらダメよ。何かあっても私には構わないで」
     こそりと囁くとカタリナは緊張した面持ちで小さくこくりと頷いた。お茶会から消えた少女たちについてはカタリナに少し話をしていた。以前シュガーで助けたこともあって、カタリナは私が現れる前のことや仲のいい少女たちについて教えてくれた。彼女は比較的魔法がかかりづらいようだった。
    「……リリィが戻ってこなかったらどうしたらいい?」
    「あまり危険なことはしてほしくないけど……もしもの時は賢者の魔法使いさんたちが街で見回りをしているから、彼らを頼って。私の名前を出せば事情は分かってくださるわ」
    「……分かった」
     カタリナがポケットの中にシュガーの小瓶を隠すのを確認してもうひとつの小瓶を出す。手のひらに収まるくらいの小さな洒落たガラス瓶。中には琥珀色の液体が入っている。それを数滴ハンカチに垂らすと口元に当てた。

    『コーム・オリーヴァ』

     誰にも聞こえないように囁いてテーブルの下に放る。クロスの下に入り込んだハンカチはふわりと脚の陰に音もなく落ちた。
     お皿のクッキーを一枚摘んで口にする。湯気の立つカップに手を伸ばす。取っ手にかける指先が震えそうになるのを手握りこんで心を鎮める。私がやらなきゃ。私がこの子たちを助けなきゃ。私が魔法にかかっている間に彼女たちを逃がせれば、きっとフィガロ先生やファウスト様たちが気付いてくれる。
     そっとカップに指を絡める。努めて平静に持ち上げて口に運ぶ。絡み付くような魔力の気配を感じた。異様な気配を纏う紅茶を静かに飲み下す。内側から急激に闇に引きずり込まれる感覚がして、そのまま意識がプツリと途絶えた。


     ◆◇


    「あそこにいるのがモニカだね。なるほど、こりゃ強烈だな」
    「よく出来た作り物ですが、この魔力の溢流は美しくないですね」
     隣に立つシャイロックが形のいい眉をひそめるのに応えるように肩を竦める。まったくの同意だ。魔法の力で形作ったことを隠そうともせず、身に纏った魔力を振り撒いている様はお世辞にも品がいいとは言えない。隠すつもりがないのか、精巧に作っていないのか。外側だけ見ればよく出来た人間だけど、勘のいい魔法使いが見たら一目で紛い物だと分かる。鼻の曲がるような花の匂いに顔を顰める。
     リリーの知り合いだと名乗ってモニカの家族に話を聞いてみたけれど、家族は気付いていないようだった。一時の神隠しに遭って何かが変わったのだろうくらいにしか捉えていない。リリーに聞いたお茶会のことは家族もよく知らないらしく、決まった時間にどこかにふらりと出かけてしばらくすると帰ってきたとしか情報を得られなかった。礼もそこそこに辺りの様子を調べる。
     リリーの作ったリストを手に街を回る。何人かの少女にそれとなく接触してみたけれど、サロンから姿を消した少女たちには魔法使いの残滓はなく、初めから無関係と言われても通りそうだった。
     公務を片付けてきたアーサーとその供をしていたカインと合流して情報の擦り合わせをする。互いの情報を交換して確認を取っていると、嫌な繋がりが見えてきた。サロンから姿を消した少女達がサロンに娘を寄越したことのある貴族の屋敷に届け物をしたという情報が上がってきたのだと。
    「これは件の魔法使いの背後によくない陰が見えますね」
    「魔法使いがどこかの貴族の犬をしてるか、はたまた貴族の方が魔法使いを手駒にしてるのか……どちらにせよ嫌な感じだ」
    「中央の国の在り方からして魔法使いの方が貴族に使役されている可能性もなくはないが……」
     面倒なことになってきたと頭を搔いた時、ふらりとムルが現れた。やたら楽しげだ。
    「リリーベルの香水の香りがしたよ、ピリッとして何か起こりそうな予感だった!」
    「ムル、どこからでした?」
    「あっちの店がいっぱい並んでるところの隙間!先にファウストが向かってる!」
     ファウストが先に……ってまさか先走ってないよね。リリーが関わるとファウストは加減を間違えることがある。今のところ矛先はリリーにしか向かってないけど。それもリリーが自分を蔑ろにしているからで、もしも他の誰かに危機に曝されるようなことがあったら何をするか分からない。そんな危うさがある。
    「わたし達も急ごう。リリーベルに何かあってはいけない」
     アーサーの号令で一斉に駆け出す。何もないことを、何も起こっていないことを祈って。

     ファウストの待機場所に到着すると、子供が見たら裸足で逃げ出すような殺気だったファウストが待ち構えていた。リリーが心配なのは分かるけど如何せん顔が怖すぎる。見てよ、アーサーとカインが深刻そうな顔になっちゃったじゃないか。独断先行せずに待っていたことを褒めるべきか迷う。
    「ここだ。ここに魔法がかけられている」
     建物の壁に触ってファウストが言う。景観を誤認させる幻視の魔法がかけられている。ここを破れば奴のテリトリーだ。それぞれがファウストの示した壁を見詰める。
    「わーい、かくれんぼ!見つけちゃうのワックワク!」
     ムルが指先をくるりと回す。

    「エアニュー・ランブル!」

     呪文を唱えると建物のの壁と壁が分かれて路地が出現した。リリーが言っていた、サロンへの通り道。この先にリリーと、恐らく少女たちがいる。
    「皆、行こう!」
     アーサーの号令で路地に踏み込むと向こう側からわっと少女たちが駆け出してきた。狭い路地に鉢合わせになって目を瞬かせる。少女たちからは薄い花の香りがしているけれど、どの娘も意識が混濁しているような様子はなかった。先頭を切って駆け出してきた少女が勢いよく頭を下げる。
    「すいません、私たち急いでいて……この先に魔法使いの隠れ家があるんです。私たちそこから逃げてきて……」
     少女は息を切らしながら続ける。
    「私たちを逃がすために友達が一人魔法使いに連れていかれたんです。このことを早く賢者の魔法使いさんたちにお伝えしないと……」
     リリーがそういう風に言っていたのだろう、アーサーにサッと目配せをすると力強く頷いた。今にも泣きそうな少女を安心させるようにアーサーが微笑みかける。
    「わたしが賢者の魔法使いだ。君たちを助けにきた。君の友達も」
     カタリナと名乗った少女は肩から力が抜けたようだった。両手を握り合わせ、涙を堪えながら懇願する。
    「お願いです、リリィを……リリィを助けてください。紅茶を飲んだら眠り込んでしまって、その後ルートヴィッヒに連れていかれて……っ」
    「わかった。君の友人はわたし達が必ず助ける」
    「君たちは詳しい話を聞かせてほしいんだけど協力してくれる?」
     柔和に微笑みかけると少女たちは顔を見合わせて小さく頷いた。左右に割れた少女たちの間をアーサーを先頭に魔法使いたちが進んでいく。残ってくれたシャイロックと共に、少女たちにかけられたルートヴィッヒの魔法を解きながらこれまでのことを尋ねていく。しゃくりあげる少女を宥めながら路地の奥の方にチラリと視線をやる。上手くやってくれよと祈りながら。


     ◆◇


    「失礼する。こちらの建物を改めせてもらう」
     アーサーの呼びかけに室内はしんと静まり返り、返答はなかった。何台もあるテーブルの上には食べかけのお菓子と飲みかけの紅茶が放置され、強烈な花の匂いに包まれている。敏感な魔法使いなら香りに酔わされてしまうだろう。この中でよくリリーが無事でいられたものだ。その中に混ざるささやかで爽やかな草花の香りを辿って端の方のテーブルへと向かう。一際強烈な魔法のするカップの置かれた座席の下から目的のものは香っていた。クロスの下に潜り、出処を探す。拾い上げたのは白いレースのハンカチだった。
    「香水を使った形跡だ」
    「それがシャイロックの言ってた……じゃあリリーベルはここに……」
    「すっごく濃い魔法の気配!よくない匂いがプンプンする!」
     リリーが使っていただろうカップを持ち上げてムルが中身の匂いを嗅ぎながら言う。益々焦りが募る。リリーの魔力は他の魔法使いの魔力に馴染みやすい。もしもかけられたのが精神系のものだったり状態異常系統の魔法だったら。
    「ここの扉か!?」
    「待て、カイン。不用意に開けるな。……魔法がかかっている」

    「サティルクナート・ムルクリード」

     扉にかけられた魔法を解除するとカインが扉を開ける。続いてアーサーが足を踏み入れる。彼らを先に行かせたのは体面の問題だった。後を追って部屋に踏み入れば、先程よりも強い花の香りに出迎えられた。咄嗟にアーサーとカインに魔法をかけて敵の魔力に侵食されるのを防ぐ。
    「すまない」
    「いや……」
     挨拶もそこそこに部屋を見回す。リリーの気配はすぐそこにある。この部屋の中にいるはずだ。
    「やあ、随分早い到着だね。お陰で姿を隠す時間がなかった」
     両手を広げる芝居がかった喋り方をする男を睨みつける。この男がリリーを連れ去った魔法使いに違いなかった。
    「おお、怖い。君が探しているのはこの子かな?それともあちらの魔女?」
     パチンと男が指を鳴らすとソファの上にリリーの姿が現れた。ムルにアーサーたちを任せ、リリーに駆け寄る。ソファに横たえられたリリーは後ろ手に拘束され、意識がない。呼びかけても揺すっても全く反応がない。それどころか呼吸もしていないし脈も触れない。幾重にも魔法の気配がする。そのひとつに仮死の魔法が含まれているようだった。
    「貴様……」
    「返してほしければ返してやろう。その娘はその状態でも価値があるのだろう?」
     高慢な言い草に奥歯を噛み締める。不利な状況にあっても魔法を解く気はないらしい。それよりも気になるのは魔法使いの言い方だった。まるで誰かに聞かされたことのように言う。
    「こちらの子は私の妹だ……連れていかれては困る。そちらの魔女はどうせ人間に払い渡すつもりだった。私たちを見逃してくれるのならここに置いていこう」
    「人間に?どういうことだ?」
     アーサーの問いに魔法使いは嫌味たらしく口の端を持ち上げた。その口から語られたのは惨い事実だった。
    「その魔女は都の端の大聖堂に祀られている魔女なのだろう?棺に収めて飾るのだと言っていた。その状態なら老いることもなければ石になることもないだろうからな。マナ石にしようという輩が現れなければ」
     そんなことを言いそうな輩に心当たりがあるのか、アーサーは拳を固めている。その手の震えが堪えている怒りの大きさを現していた。
    「そんなことを彼女は望まない」
    「その魔女の意志などどうでもいい。大事なのは私に益があるかどうかだ。散々周りを嗅ぎ回られて迷惑していたからね。そいつがどうなろうと知ったことではない」
     話は平行線のまま、交わることはなかった。魔法使いは傍の少女から離れず、リリーにはまるで関心を示さなかった。それどころか自分たちを見逃すように要求してくる始末だ。余程自分の魔法に自信があるのか、本当に使い捨ての道具くらいにしか思っていないのか。どちらにせよ腹の立つ話だった。
    「お兄様……?」
    「嗚呼、ラヴィーレ。何も心配することはないよ。兄様がお前を守ってやるからな」
    「ラヴィーレ?その子はモニカって名前じゃ……」
    「うるさい!」
     カインの疑問を撥ねつけるように足元に魔法が打ち込まれる。ラヴィーレと呼ばれた少女はぼんやりと、少し不思議そうに魔法使いを見上げた。
    「お兄様、怖いわ……」
     不安を口にする少女に魔法使いは丁寧に労わるように触れる。まるで壊れ物に触るかのように。
    「何も心配することはない、お兄様がついているからな」
     魔法使いの腕を抱えるようにして抱きしめて少女は小さく頷いた。正論を叩きつけてもこの男には通じないだろう。益々意固地になってこの場を放棄しかねない。リリーにかけられた魔法を解きたいが、その余裕もなく解析が進められそうもない。力技で解呪する手もあるが、それは危険な気がして手が出せなかった。
    「この子はラヴィーレだ。私の可愛い妹。私がこの手で作り変えた……」
    「それってその子の願い?それとも君のワガママ?二人にとってこれは幸せ?」
     容赦のない無邪気なムルの問いかけを止める術を僕は持ち合わせなかった。魔法使いは忌々しそうにムルを睨みつけている。この場にこの男との交渉を上手く進められそうな者はいなかった。せめてフィガロかシャイロックがいてくれれば……
    「貴様には話しても分からない。私たちの幸せは私が決める!」
    「待ってくれ、それはあまりに……」
    「おや、随分と賑やかですね。私たちも参加させていただいても?」
     堪えきれずにアーサーが口を挟もうとしたその時、シャイロックが部屋に現れた。その後ろにフィガロもいる。少女たちからの聞き取りを終えたのだろう。
    「他の少女たちは皆かけられた魔法を解いて家に返した。あとはそこにいるモニカとリリーだけだ」
     魔法使いは機嫌を損ねたようにフンと鼻を鳴らした。吐き捨てるようにまあいいと言う。
    「どうせもう用のない者たちだ。どうなろうと知ったことではない」
    「冷たいなぁ。週に三度は呼んで一緒にお茶をしていたのに」
    「役目を負わせる必要があったから集めていただけだ。何の感慨もない」
    「それって貴族の家に出入りさせること?」
     フィガロの問いに魔法使いは嘲笑うように口元を歪めた。どうやらこの男の背後に貴族がいるというのは揺るぎない事実らしい。アーサーの顔が曇る。そいつが己の利益のためにリリーを手中に収め、いいように扱おうとしたということか。
    「やれやれ、随分と悪どいな……」
     フィガロは呆れたように肩を竦めて首を振った。恐らくサロンから消えた少女は貴族の策略のために使いっ走りにされていた。仕事を終えれば記憶を消して家に返す。そしてサロンには二度と招かれない。使いっ走り中に記憶があったかは定かではないが、ハッキリとした記憶がないか記憶が消されている可能性が高い。彼女たちが摘発されても記憶がないから黒幕の正体は明るみにならないという仕組みなのだろう。どこまでも反吐の出る話だ。無実の者を操り、罪を着せた。
    「あまり気分のいい話ではありませんね。幼気な少女たちを誑かすなんて」
     パイプをくゆらせながらシャイロックが溜め息を吐く。どこまでも絵になるこの男は憂いを帯びた表情でそう言った。相対している魔法使いの目が驚愕に見開かれる。
    「シャイロック……?神酒の街のシャイロック?」
    「はい、私がシャイロックです」
     シャイロックが優雅に一礼して微笑むと、魔法使いは不機嫌な様子から一転して高揚した様子を見せた。同じ西の国の出身らしいから憧れでも抱いていたということだろうか。
    「貴方の作品を見てきましたよ」
    「素晴らしい出来だっただろう、私の花人形は!何せ時間をかけて……」
     作品とは何のことだろう。フィガロが一瞬して冷めた目をしたからシャイロックと共にそれを見てきたのだろう。彼らは確かモニカという少女の家に様子を見に行ったはずだ。その本人がここにいるということはまさか。
    「よくできたお人形でしたよ。子供受けのいいお菓子のようでした」
     にこりとシャイロックが微笑むが、魔法使いの顔からは晴れやかな表情が剥がれ落ちた。奴の期待した答えでないことは僕にもわかった。
    「なぜ僕の作品の素晴らしさがわからない!本人の口から語らせた情報で入念に固めて……」
    「良いものだけで形作られた作品なんて物足りないのですよ。哀れな人……」

    「インヴィーベル」


     ◆◇


     精神の揺らいだ魔法使いの隙をついてシャイロックが煙を吐き出す。ふよふよと漂ったそれは魔法使いを囲み、やがて体を覆った。魔法使いは焦点の合わない目をして頭を抱えている。
    「他人から聞いたものだけで作り上げても決して本人にはなり得ないんですよ」
     そう言ってシャイロックは嘆息した。チラリとムルの方を見た気がした。ムルは魔法使いの周りをふわふわと漂い、残念だったね!と笑った。
     うわ言のようになんで、どうして……と呟く魔法使いになぜこのように少女たちやリリーを陥れたのかを訊ねる。奴の語る話でわかったことは奴はかつて貴族だったこと、奴に懐いていた妹がいたこと、魔法使いだからと家族から引き離され、遠方へと連れていかれる魔法使いに泣きすがり、引き剥がされて蹲り泣き喚く妹と別れたことがどうしても忘れられなかったこと。
     囚われの身から逃げ出し、家に辿り着いた時には妹は亡くなっていたこと、あちこちを渡り歩いた末に今の雇い主と出会って協力を仰がれたこと、花人形を作るための資金を得るためとそいつに手を貸したこと。
     今までも何体か花人形を作ったが、どれも奴の妹にはなりえなかった。最後に魂が宿らない抜け殻のような存在だけが残され、作っては壊し、壊しては作ってを繰り返してきた。どれだけ失敗しても妹を諦めることが出来なかった。そんな中、少女を選りすぐっている最中に死んだ妹と瓜二つの少女を見つけた。妹とそっくりなこの娘をいっそのこと妹に作り替えてしまえばいいのではないかと思いついた。他の少女たちを使ってお茶会の間に彼女から身辺情報や趣向を聞き出し、新たな花人形を構築した。まるで生きているような出来栄えだった。どこに出しても恥ずかしくない、本物さながらの人形はまるで生きているようだった。
    「彼女は彼女として生きてこそ本来の魅力が発揮されるのです。貴方のやり方は彼女の美しさを損ねるだけですよ」
     魔法使いは頭を抱えたままそれ以上何かを口にすることはなかった。ただ希望が根こそぎ潰えたような顔をしていた。
    「綺麗に纏まったところ悪いんだけどさ、君、リリーに何をしたわけ?」
     魔法使いが虚ろな目のままフィガロを見上げた。そしてそのまま震え始めた。一体何が見えたのだろう。触れたリリーの頬は凍りついたように冷たい。このまま目覚めなかったらと思うとゾッとする。
    「そ、れは……」
    「それは?」
     畳み掛けるように圧をかけるフィガロを前に魔法使いは口を開こうとして閉じた。それからフルフルと首を振る。
    「いけない……喋ればあの者に奪われる……奪われぬためにあの魔女を使わねば……」
     強情に拒否する魔法使いの様子をフィガロが訝しげに眺める。奴の背後に狡猾な貴族の存在が見え隠れすることをアーサーがフィガロに伝えている。困ったなと腕組みするフィガロの前でまだ魔法使いはブツブツと呟いている。
    「あの魔女には共滅の魔法をかけている……お前たちが私を殺せばあの魔女も共に石になる……フフ、フフフフッ」
     肩を揺らし、クツクツと喉の奥を鳴らすように笑い始める魔法使いはほとんど正気じゃなかった。リリーにかけられた魔法のひとつが本当に共滅の魔法なら下手に触れない。
    「ふぅん?じゃあリリーベルにかかってるのは共滅の魔法と仮死の魔法、それと昏倒と深眠の魔法だ!」
     宙でくるりと一回転したムルの言葉にザッと魔法使いの顔から色が消えた。唇をわなわなと震わせている。
    「わかるよ、リリーベルの飲んだカップを見たからね!最初の二つはここに来てからわかったけど!」
     得意げに笑ってエラい?と首を傾げるムルにシャイロックがお手柄ですよと賛辞を送る。リリーには四つの魔法がかけられている。さっきムルが挙げたものたちが。
    「そのラインナップってもはや呪いじゃない……」
     頬を掻きながらフィガロが何とも言えない顔をしている。魔法の解除は得意ではないがある程度はできる。恐らくここにいる中で一番可能性がありそうなのは僕だ。タネさえわかれば後は複雑に絡んだ魔法を紐解き、解呪するだけだ。リリーの手に触れ、ひとつひとつ読み解いていく。リリーを取り囲む魔法の隙間、切れ端のひとつひとつに至るまで注意を払う。しばらくそうしていた後、重なり合う部分を見つけた。形を合わせるように組み合わせれば鍵穴が重なるような手応えを感じた。
    (……これだ)
     他の部分も嵌め込み、魔法の継ぎ目を完成させていく。魔法使いの縋るような声が聞こえたような気がしたが、黙殺した。今はお前に構っている暇はない。残り一つを交差部に組み合わせて呪文を唱える。アーサーが、カインが、シャイロックが、ムルが、フィガロがじっと視線を注ぐ気配がした。

    「サティルクナート・ムルクリード」

     カチリと鍵が嵌ったような手応えがして、リリーを取り囲んでいた魔法が砕け散るのがわかった。そっと触れた頬にほんのりと熱が生まれて、胸が上下するのが見えた。心臓の辺りに耳を当てると、ゆっくりながらも鼓動を刻む音が聞こえた。成功だ。大きく息を吐いてからリリーの手の拘束を解く。自由になった手は眠っているために力なく垂れていたけれど、触れたところはほんのりと温かくなっていた。 ……生きている。
    「リリー……」
     顔にかかる髪をさらりと退かす。返事はない。けれど心地よさそうな寝息が聞こえてきた。もう不穏な魔法の気配も纏っていない。心配そうに見詰める魔法使いたちに頷いて返すと、ホッと息を吐くのが見えた。目を覚ますまでは完全に安心できないが、一先ずは落ち着いたとみていいだろう。
    「ひとまずこの者の身柄を城で預かることにしよう」
    「わかった。じゃあこいつは……」
    「拘束しておこう。何かあってもいいように念入りに」
     フィガロが魔法使いに拘束の魔法をかけ、奴はアーサーたちに連行されることになった。モニカはシャイロックとムルが魔法を解呪して家族の元へ送り届けることになった。
     リリーは今すぐにでも魔法舎に連れて帰りたかったが、安全な所で休ませてから帰った方がいいという話になってグランヴェル城に部屋を借りることになった。あの城に足を踏み入れるのは複雑な気分だったが、リリーのことを考えるとそうも言っていられない。リリーの膝の下に手を差し入れ、肩に手を回して抱え上げた。触れる温もりと確かな重みが彼女がここにいることを証明していた。そっと身を寄せて顔を覗き込む。しばらくは目覚める様子はなさそうだ。
     アーサーの先導で魔法使いのサロンを出る。念入りに入り口を封鎖し、城へと向かった。



     城で借りた一室でリリーをベッドに寝かせ、改めてフィガロが診察する。体に異常は見られないし、容態も安定している。あとは目覚めるのを待つだけだという。
    「本当にリリーが目覚めるまでついてなくていいの?」
    「いいと言っている」
    「あんなに必死に心配してたのに」
    「リリーには言うな」
     ギロリとした視線を向ければ、フィガロは降参のポーズを取った。リリーの気持ちが僕に向いていることは知っている。だから応える気がないのに期待を持たせたくなかった。彼女に向けるこの想いは僕だけが知っていればいい。とはいえ、勘のいい魔法使いたちには気づかれているだろうけど。
    「この子が無事ならそれでいい」
    「ほんと君たちってさあ……」
     憮然とフィガロを見下ろす。また小言か嫌味か。僕の不躾な視線に対してフィガロは手のかかる子供を見るような目つきで小さく笑った。

    「不器用だよね」


     ◆◇


    「……ん……」
    「リリー、気がついた?」
    「フィ、ガロ……せんせ……?」
     霞みがかったような視界の向こうに青色のモヤが見える。耳に馴染んだ声に応えるように問い返すと肯定の返事が返ってきた。視界はぼんやりしたままだし、声が掠れて上手く喋れない。フィガロ先生は私の額を触ったり、首元に手を当てたりして具合を確かめている。
    「リリーは侵食してくるタイプの魔法に弱いから……他者の魔力が馴染みやすいっていうのも善し悪しだな。口、開けられる?」
     先生の問いかけにこくりと頷いて口を開ける。何かを口の中に転がされる。トゲトゲした甘いようなちょっと苦味のあるようなそれはすぐに溶けて消えた。すぐに頭のてっぺんから四肢の隅々に至るまで気力がみなぎり、頭の中もスッキリしてくる。ぼやけた視界が明瞭になっていく。
    「どう?」
    「大分楽になりました。ありがとうございます、フィガロ先生」
    「どういたしまして」
     キョロキョロと目だけで部屋を確認すると、やたら豪華な部屋なのがわかった。家具や小物に至るまで上品な造りをしている。
    「グランヴェル城の部屋を借りたんだ。アーサーが都合をつけてくれて」
     私を助けに来てくれてからのあれやこれやをフィガロ先生は話してくれた。後からアーサーたちに追いついた形だからその前のことはアーサーやファウスト様に聞くといいよと教えてくれる。またもや心配をかけたようだからファウスト様には早めに謝った方がいいだろう。話は聞きづらいから……アーサーやカインにこっそり尋ねようか。
    「ファウストの顔凄かったよ。あの魔法使い……ルートヴィッヒだっけ?あいつのことを呪い殺しそうな目で睨み付けてたよ」
    「フィガロ先生ったらそんなこと言って……ファウスト様に聞かれたら絶交どころじゃ済まないですよ?」
    「ほんとのことなのに。っていうかもう絶交されてるようなものなんだから傷抉らないでくれる?」
    「ふふふ」
     くすくす笑うとフィガロ先生も諦めたように表情を緩めて、頭を撫でてくれた。いつまで経っても先生の中では私も子供らしい。
    「何はともあれ、リリーが無事でよかったよ」
    「ご心配おかけしました」
    「ほんとほんと。寿命が縮まるかと思ったよ」
    「……先生ったらそんなことばっかり」
     フィガロ先生と笑いあっていると扉の向こうで誰かが動く気配がした。不思議に思ってそちらを見ると、フィガロ先生が立ち上がる。
    「誰か来たかな?見てこようか………いや、誰もいないな。気のせいだったんじゃない?」
     その後ルートヴィッヒを収監してきたアーサーたちが顔を見せてくれて、私を探しに来てくれた時の話を聞かせてくれた。その時も二人揃ってファウスト様がものすごく怒っていたと言うから血の気が引くのを感じた。
    「あんなに怒ったファウストは見たことがないな」
    「ああ、あれはかなり、相当、めちゃくちゃ怒ってた」
    (私が不甲斐ないばかりにファウスト様がお怒りに……!しかもただ怒るんじゃなくて、ものすごく怒ってらっしゃる………)
     その後も話は続いていたけれどこれからどんなお叱りが待っているのかとそれで頭がいっぱいで、何も頭に入ってこなかった。


     ◆◇


     体調が回復してから中央の都に出向いてモニカの様子を見に行った。モニカからはルートヴィッヒのサロンの記憶は丸ごと消えていると聞いていたので、彼女の家族がやっているお店にお客さんとして顔を出した。ご家族には悪い魔法使いに連れ去られていたとシャイロックたちが説明してくれていたそうなので、話を合わせる形でご家族に挨拶をした。モニカを心配してあれこれ調べたり、彼女を無事に家に返したことで繰り返し感謝の言葉を貰った。モニカにも同じようなざっくりとした説明をしたようで、本人からもありがとうございますとお礼を言われた。仲良くなったことは忘れてしまったけれど、彼女が心から笑えるようになったのはとても喜ばしいことだ。また近くに来た時は顔を見せる旨を伝えて別れの挨拶をした。
     そのあとはサロンから少女たちを逃がしてくれたカタリナやサロンから逃げ果せた少女たちの元を回り、互いの無事を喜んだ。彼女たちも概ね記憶はないものの、最後のお茶会の記憶が残っていてとても楽しい時間を他にも過ごしていた気がするという感覚が残っているらしい。数人の少女はあの事件以降も集まってお茶を楽しんでいるとのことだった。
     カタリナは特に私のことを心配していたらしく、顔を見た瞬間に涙を浮かべ、力いっぱい抱きしめられた。ルートヴィッヒに追われないか怖かったこと、少女たちを最後まで率いれるか不安だったこと、連れていかれた私のことが心配だったこと。たくさんの気持ちを聞かせてくれた。詳しい説明もなしにカタリナに大役を任せてしまったことを謝って、みんなを無事に逃がしてくれたことにお礼を言って。お互いの無事を喜んだ。
     駆け付けたフィガロ先生たちが親切にしてくれたこと、親身になってくれたことをとても感謝していた。魔法使い全てが悪しきものではないこと、人間の隣人として力になってくれる魔法使いもいること、人間にだって悪意のあるものも、善意で動く者もいる、どちらも変わらないと気付いたことなんかも話してくれた。もっと色んな魔法使いと出会ってたくさんのことを知りたいと。話の結びにカタリナが声を潜めて尋ねてきた。
    「ね、助けに来てくれた魔法使いの中にすごい怖そうな人がいたんだけど、あの後リリィは怒られなかった?」
    「こ、怖そうな人……?」
     今までの経緯と駆けつけてくれた仲間の顔ぶれ、そして仲間たちの話から想起される人物の顔を思い浮かべて目を泳がせる。それってもしかして……
    「サングラスをかけて帽子を被って洋服を着込んでる根暗っぽい人!」
     予想が的中して乾いた笑いしか出なかった。正にその人に怒られるのが怖くて未だに謝罪ができず、その上何となく遭遇を避けていることは白状できなかった。

    (さすがにいい加減ご心配をおかけしたこととご迷惑をおかけしたことを謝らないと……)
     魔法舎に帰ってとぼとぼと廊下を歩く。今回お世話になった魔法使いたちからこぞってものすごく怒っていたと聞かされたから尻込みしてしまって顔を合わせるのを避けていた。目の前に立ったらどれだけ叱られるか、どんなに嫌がられるかを想像しただけで身が竦んだ。魔法舎に来てから怒られること、嫌われることばっかりやらかしている自覚があるから尚のこと。命を粗末にして怒られたり、南の国へ帰れと突き放されたり、それから、それから……
     考えただけで落ち込んでくる。嫌われたくないのならそうならないように振る舞えばいいのに、自分のやらなければならないと決めたことを譲らず折れないのは傲慢だ。それでも自分の心に嘘はつけない。自分の我を通した結果、迷惑ばっかり心配ばっかりかけているのに。嫌われたって仕方のないことばっかりしているのに。
    「君、あんなことがあったばかりなのに一人で中央の都に出かけたそうだな」
     突然降ってきた声に体が固まる。無機質な声には糾弾する響きがある。寒くもないのに自然と体が震えた。怖い。お荷物なら要らないと言われるのも、迷惑をかけるなら国に帰れと突き放されるのも。拒絶の言葉がただただ怖い。
    「君に害をなそうとした輩がうろいているかもしれないんだぞ」
    「……で、出かけたのはブラン大聖堂の周りではないですし、人通りの多い道と場所を選びましたし……」
     蚊の鳴くような声でしか反論できない。理解っている。ファウスト様が正しい。私が勝手をして、自分の身を危険に晒したからその軽率さを責められている。私の容れ物さえ手に入れれば後はどうでもいいと言い放った人間が都のどこかにいるらしい。顔も分からないそいつがどこにいるか知れないのだ。両手を握り合わせて俯く私にファウスト様は溜め息を吐いた。表情を見るのが怖くて顔が上げられない。
    「……次は誰かについてきてもらうことだ」
     それだけ言うとファウスト様は私の横をすり抜けていく。
    「あの香水が役に立ってよかったよ」
     ハッと顔を上げてファウスト様を振り返る。ファウスト様は足を止めることなく行ってしまう。気付けば咄嗟に呼び止めていた。
    「あ、あの……っ」
     ファウスト様が足を止めて半身で振り返る。言葉に詰まって口だけがパクパクと動く。なにか、なにか言わないと。
    「……その……っ、ありがとうございました……っ」
     勢いよく頭を下げる。返事はなかった。しばらくして顔を上げた時、そこにファウスト様の姿はなかった。
    (ファウスト様……)
     もっと怒られると思っていた。今度こそ南の国に帰れと言われると思っていた。それなのに。ポケットから小瓶を取り出す。あの日からお守り代わりに持ち歩いている、危機を救ってくれた香水。
    「おや、その香水気に入ったのですか?」
    「あ、シャイロックさん……」
     その節はお世話になりましたと頭を下げれば、シャイロックさんは意味ありげに微笑む。
    「どうしてもと頼まれて取り寄せた甲斐がありました」
    「え?」
     あの方はシャイロックさんが用意してくれたって言っていた。シャイロックさんが厚意で取り寄せてくれたのだと思っていた。
    「ふふ、これは秘密の話でしたね」
     人差し指で口にあてて綺麗な笑みを浮かべるシャイロックさんをぽけっと眺めてそれから手の中の香水に視線を落とす。琥珀色の香水の入ったガラス瓶が陽光を受けて輝いていた。
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    mgn_t8

    DONE診断メーカー「三題噺」より
    「不機嫌」「言い訳」「昼下がり」
    フォロワーさんとワンドロ(+5分)

    リリーが魔法舎に来てすぐ後くらい。ファウスト語りで主にファウスト+レノックス。リリーはチラッとな革命軍組の話。
    胸に隠したそれは 再会してからずっと気になっていることがある。レノックスのリリーに対する呼び方だった。昔は敬称付けでリリーベル様と読んでいたが、今はリリーと愛称で呼んでいる。ここに至るまでどんな経緯があったのかは知らないが、共に南の国から魔法舎にやってきて親交もあったというから僕の知らない間に親しくなったのだろうということは考えなくても分かる。分かるけれど、レノックスとリリー、時にはフィガロを加えた三人の様子を見ていると胸の奥がざわりと騒ぐのを抑えることができなかった。

     ある日の昼下がりだった。東の魔法使いたちの午前の実地訓練を終えて食堂で皆で昼食を取った後だった。図書室で今後のカリキュラムを考えようと足を向けた時だった。廊下の向こうから歩いてくる人影を認識した瞬間、口を引き結んだ。レノックスとリリーだった。和やかに会話をする姿は親しみに溢れていて信頼に満ち満ちていた。未だここにいる魔法使い全員に慣れていない様子が窺えるリリーの朗らかな笑顔が向けられているのは微笑を浮かべたレノックスだった。何となく彼らから視線を逸らして黙ってそのまま歩を進める。
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