しくじった、そう思ったのは、会社の飲み会も佳境に入り、そろそろ次の店へ向かうかと部長が声を上げた頃だった。
　会社の飲み会なんてかったるいことこの上ない。外面を貼り付けたまま、周りの人間に気を遣いながらお酌をして、勧められたものを断ることはできないから自分のペースはゆっくり。会社の王子様が酔っ払った、なんてことになったらなんとも面倒くさい。ワンナイトを狙う人間、弱みを握ろうとする人間。純粋に心配してくれる人もいるだろうが、そういった悪意をもって近づいてくる人間を躱すには、酔わないことしか方法がない。茅ヶ崎は特別酒に強いわけではないが、かといって弱いわけでもない。一人で好きに飲んでいれば少し思考がふわふわとしてくるぐらいで、ひどく酩酊したりその場で眠ってしまったりすることはない。いや、なかった。
　にも関わらず、今茅ヶ崎は、気を抜けばその場に倒れ込んでしまいそうなほどひどい眠気に襲われていた。酔いつぶれるほど酒を飲んだわけでもないのに、だ。
──何か盛られた？
　茅ヶ崎はちょうど先ほど、お手洗いに立って戻ってきたところだった。飲んでいた酒の入ったグラスは空にしてから席を立ち、隣に座っていた同じ部署の先輩にはもうお酒はやめておくことをさりげなく伝えていた。戻ってくるとテーブルの上にお冷が置いてあり、それを口にしたのが最後だ。もし何かが入っていたとしたら、この水の中だろう。もっと警戒しておくべきだった。
　それにしてもこれはまずい。ここで「体調が悪いので」「酔いがまわってしまったので」なんて口にすれば、送っていくよと近づいてくる人間があらわれるに決まっている。どうせ何かを盛った人間も、そういったことが目当てなのだろう。一夜限りの過ちか、それとも俺の弱みか。胸の中で悪態をつくけれど、眠気はどんどんと茅ヶ崎の身体を蝕んでいく。
　なんとか自分の足で立ち上がり、部長に声をかける。どうやら相当俺の姿は酔って見えるようで、帰ることも難なく許された。一刻も早くタクシーを捕まえて帰ろうと思ったら余計な一言。
「おーい、茅ヶ崎くんを送っていけるやつはいないか？」
　……最悪だ、本当に。
「どうした茅ヶ崎、体調悪いのか？」
「茅ヶ崎さん大丈夫ですか？」
「あ、はは……大丈夫です、すみません」
　一歩後ろに下がろうとした瞬間めまいが身体を襲った。膝がかくりと折れてそのまま力が抜けていく。もとより絶望的な俺の身体能力では何もできそうになかった。
　そのまま意識は深く沈んでいく。
「おっと。……大丈夫か？　茅ヶ崎」
　覚えているのは身体を支える力強い腕と、耳障りの良い男の声だけだった。


　柔らかいベッドの上で目が覚めた。いつもより遠い天井、窓から見える知らない景色、そして、誰かの気配。
「……ここ、どこ」
　鈍く痛む頭を抑えながら昨日のことを思い出す。たしか、飲み会でなにかを飲まされて、それから……？
「ああ、起きたの。体調はどう？」
　聞こえてきたのは会社で時々話す、仕事のできる先輩の声。
「卯木先輩……」
「おはよう、茅ヶ崎」
「え、どうして、先輩が……？」
「昨日のこと、覚えてない？　お前、気を失って倒れてきたんだよ。住んでる所がわからなかったから近くのホテルに入ったんだ」
「そう、だったんですか。すみません、ご迷惑をおかけしました」
「別にたいしたことはしてないよ、気にしないで。……ああでも、二人でホテルに入るところを会社の子に見られちゃったから、」

──勘違いされちゃうかも、ね？

「は……」
「なんてね」
　嘘くさい顔で笑う男を前に、冷や汗が流れ落ちるのがわかった。

　……もしかして、いやもしかしなくても、面倒な人に捕まったのかもしれない。