君と世界の果て 気がつけば、劇場の観客席に座っていた。なぜここにいるのだっけ。類はぼんやりと考えて、観客席にいるのだからきっとショーを観に来ているのだな、と結論を出した。
舞台の上に視線を向ける。スポットライトの下には役者がひとり。演じ、踊り、歌うその姿は、よく見知った人が大人になったような姿だった。
灯りの下で輝きを増す黄金の星を、たくさんの観客と共に観る。遠目に見るその姿はどこまでもキラキラとしていて──。
*
ピピピピ……というやかましい電子音で、類は目を覚ました。スマホに手を伸ばしてアラームを止めれば、集合までにはまだ十分な余裕のある時間だ。伸ばした手が纏っているのが制服でなければの話ではあるけれど。
どうやら寝落ちてしまったらしい。司にバレれば軽い説教を食らうかもしれない。
「……司くん、か」
思い浮かんだ名前を、類はぽつりと呟いた。目が覚める前に観ていた夢の『主役』は、彼だった。演じていた舞台の内容は夢らしく曖昧になってしまったが、キラキラとした姿にひどく惹きつけられたことはしっかりと覚えている。
遠くから観ていた。ただそれだけの夢だ。
……共に舞台を作る立場ではなく、遠くから、見ていただけの夢。
とても素敵な夢だった。胸の中で何かがからころと転がるようなさみしい音がするけれど、それでもそう思った。
「いつか、あんな未来がくるのかもしれないね」
世界一のスターを目指す彼だ、いつかは遠く手の届かない星になってしまうのかもしれない。いつまでも一緒に居られるとも限らないのだ。
未だぼんやりとする思考を払うように数度首を振って、立ち上がった。風呂に入る時間を考えれば、時間にあまり余裕もない。そろそろ現実に戻らなくてはならない時間だった。
*
「はいはい! あたし、みんなとやりたいことがあるんだ!」
ワンダーステージでの練習後、えむが元気よく挙手をして、そんなことを言い始めた。
「なんだ、えむ?」
「あのね、この前ぬいぐるみさんたちと話してたんだけど、冒険するショーをセカイでやりたくって」
「冒険?」
「うん! 司くんが前にうさぎのぬいぐるみさんと冒険したって聞いて、みんなで冒険したいねってお話ししたんだ〜」
「そんなこと話してたんだ。……うん、わたしもやってみたい……かも」
寧々がはにかんで、えむの言葉に頷く。そのまま期待を込めたような目で司を見つめる寧々とえむの背を押すように、類も続けた。
「いいんじゃないかな。調整すればワンダーステージでも使える演目になるかもしれないし、何より、ぬいぐるみくんたちにも笑顔になってほしいからね」
「決まりだな。今日はもう遅いから、明日の練習後にでも内容を話し合うとするか」
司の一声に皆で「はーい」と行儀のいい返事を返し、その日はそこで解散となった。寧々と一緒に帰るつもりでいた類だったが、寧々の方に用事があるとのことで、それならばと誘いをかけてきた司と共に帰路につく。
「冒険か。以前したのとは違う設定をつけてもいいな! 例えば、世界の果てを目指す少年の話というのはどうだ? 途中で仲間を増やしながら、夢を叶えに行くんだ」
「フフ、いいかもしれないね。冒険となると……うん、以前考えていたあの演出が試せるかな?」
「あんまり危険なのはやめろよ」
「そこは安心してくれたまえ」
いつもの通り軽いやり取りを交わしながら、薄暗い路地を歩く。人混みを少し外れた道を、二人の楽しげな声が満たした。
「まずは明日の話し合いだな。セカイにも行って、誰が参加したいのかも確認しなくては」
「そうだね、彼らにも意見を聞かないと。役の割り振り、旅の中での出会いや旅自体の道のりをどう見せていくかは──」
類はそこで言葉を切って、ゆっくりと歩みを止めた。出会いと、旅。そんなことを話すうちに、ふと今朝見た夢の内容が浮かび上がってきてしまったのだった。
屋上での出会い。仲間としてここまで歩んだ道のり。それがなんとなく今の話に重なるようにも思えて、言葉が続かなくなってしまう。
世界の果てを目指す、というけれど。そこは本当に、仲間と共に辿り着ける場所なのだろうか。
「……類?どうした?」
数歩先で司が立ち止まり、類の方を振り返る。司の立つその場所だけが、街灯の光で切り取られたように明るく見えた。
「いや、なんでもないよ。続きは明日にしようか」
たった数歩の距離が遠い。何事もなかったように微笑んでみせて、それでもその距離を自ら詰めることはできなかった。
司は少しの間そこに佇み、じわじわと眉を寄せ、厳しい表情になっていく。
「……。なあ、類」
「なんだい、司くん」
司が顔を俯ける。話しかけられたにも関わらず訪れた沈黙と窺えなくなった表情に、類は戸惑った声をあげた。
「司くん……?」
「思いついたことがあるんだ。明日が来る前に、特別にお前に見せてやろうじゃないか!」
そこで見ていろと一言告げて顔を上げ、司は目だけを軽く伏せた。
その視線が上がったとき、そこに居たのは先ほどまでの司ではなかった。いつもより幼なげに、そして楽しげに笑う無邪気な少年が、灯りの下に立っている。
「──『オレは気が付いたんだ。一人で見る景色より、誰かと見る景色の方がずっと綺麗なんだって!』」
街灯の支柱を中心にくるりと回った彼の瞳は、どこまでも遠くを見ている。未だ見えない景色に思いを馳せるように。
支柱を離して、ぴょんと跳んで。無邪気な少年は、どこか遠い景色から、類の方へと視線を向けた。
「『その景色を見に行こう。お前と一緒に旅がしたい』……お前じゃなきゃ、ダメなんだ!」
声が、視線が、力強さが、変わる。台詞の半ばからぐるりとひっくり返るように、無邪気な少年は、類のよく知る天馬司という男へと、再度姿を変えた。
「こっちに来い、類!」
光の中から、手が伸ばされる。
──何も考える暇なんてなかった。
衝動に突き動かされるように、手を伸ばし返す。動かなかったはずの足はいとも簡単に動いて、伸ばした手は力強く握られた。そのままぐいと引っ張られ、ぶつかりそうなほどに距離を詰める。
類はいつのまにか、街灯が作り出したスポットライトの内側に立っていた。
「お前が何に悩んでいるのかはわからん。だが……おい、類?」
司の言葉を聞きながら、類は細かく肩を震わせていた。それに気が付いた司は、言葉を途中で打ち切って、繋ぎ合っていない方の手を持ち上げる。
その手が類に触れようとした、そのときのことだ。
「……っはは、あははは!」
類は、どこまでも楽しげな笑い声をあげた。目尻に薄く涙まで乗せて、本当におかしそうに。
「ははっ、うん、ありがとう。……もう大丈夫だよ。今、大丈夫になった」
晴々とした顔で、類はそう言った。握られた手を強く握り返して、芯の通った明朗な声で。
司は何も分かっていない様子で、しかし類が元気になったことだけはわかったのか、不思議そうにしながらも「そうか」と返した。
「なら、いい。だがまた何かあったらちゃんと言え。前にも言ったが、遠慮なんてするな」
「もちろんだよ。ねえ、もう少しの間、手を繋いでいてもいいかい。この路地を出るまででいいから」
「はあ なんでそんな……、……仕方ないな。あと少しだけだぞ」
「ありがとう、司くん」
歩きやすいように手を繋ぎ直して、灯りの外へと、共に一歩を踏み出す。斜め下にある仄かに赤い耳を見て、類はこっそりと笑った。
類は演出家だ。役者でもあるが、スポットライトの内側に立つことを願うような人間ではない。それでも、司が灯りの内側へと手を引いてくれたことが、途方もなく嬉しかった。
司の人生という舞台に上がり、共に歩むことを許された。彼が伝えようとしてくれたのはきっと、そういうことだと思うから。
朝はさみしく音を立てていた胸の内を、あたたかな光が満たしていた。
*
その夜、類はまた夢を見た。
今よりも大人になった自分と司が、隣同士で手を繋ぎ、笑い合っている夢だった。