鍾タルワンライ「嘘」「先生ってさ、嘘が上手いよね」
覚束ない箸先で点心を摘まみ、なんとか小皿へと移したところで相手へと視線を向ける。心外だ、と顔に大きく書いた相手が優雅な所作で山菜を口に運んでいた。よく咀嚼し、その喉元が上下して咥内から物がなくなるとようやっと口を開く。
「俺は嘘はつかないぞ」
「でも、本当のことを言わない時もあるだろ。覚えがないとは言わせないよ」
「公子殿、行儀が悪い」
咥えていた箸先を離すと、室温との寒暖差で水滴を纏ったグラスへと手を伸ばした。少し青くさい香りは未だ慣れないが、冷たく爽やかな飲み心地は夏の蒸し暑い空気を吹き飛ばしてくれるようだ。
「凡人になった鍾離先生に教えてあげるけど、話してもらえないと不安になるって言う人も世の中にはいるんだ。勿論、なんでもかんでも伝えることが良いとは言わないけど。大事な人が出来たら、その回りくどい言い方を改める努力をした方が良いかもね」
ふむ、と瞳を伏せて何事かを考えている。元々、随分と……それこそ、作り物を見まがうような顔立ちだ。この一瞬だけでも絵になるな、とぼんやり眺めていると「公子殿」と声がかかる。タルタリヤと言う別称を知っているにも関わらず、頑なに公子殿と呼び続ける理由があるのか、いつか聞いてみたいものだが。それはそうと相手が考えた末に発する言葉に興味を持ち、「なぁに?」と短く答えた。
「俺は公子殿の事が好きだ」
「……先生に、そんな冗談を言える口があったなんて驚きだな」
「大事な人が出来たら、回りくどい言い方を改めるように……と、言ったのは公子殿だ」
手にしたグラスを落とさなかった自分を褒めてやりたい。思慮深い相手の事だ。脳内では話が繋がっているのだろうが、あまりにも突然だった。脈絡もなにもあったものじゃない。
「それはそうだけど、酒の席の冗談じゃなくてさ。その口から情熱的に囁いて欲し……っん、」
生温い感触に唇を塞がれる。少しばかり呼気に酒気を帯びているのは先ほどまで飲んでいたからだろう。山菜は処理が甘かったのか、苦かったんだよな……と振り返るほど鮮明に与えられる味覚に瞳を細める。咥内を丹念に舐めていく舌へと自身のそれを絡めると、ぐちゅ、と泡立つような水音が響いた。濡れた唇を舐め取る舌先は赤く、あれが今まで自身の咥内を舐っていたのかと思うと少しばかり気が昂った。相手の行為が意外に手慣れていたのも、理由の一つかもしれない。
「俺は嘘をつかない、と言っただろう。伝わらないのなら『愛している』と言い換えても良い。公子殿は嘘のひとつでも言ってみたらどうだ。俺の寿命は公子殿に騙されたところで問題ない程度には長いぞ」
「嘘から出たまことってやつ? ……ほんっと、イイ性格してるよ」
『嘘のひとつでも』
そう言う目の前の男は端から好い返事を貰えるとは思っていないらしい。確かに出会いから今に至るまで、諸手を挙げて恋に落ちましたと言えるような付き合いをしている訳でもないが、人の唇を奪っておいて良く言えたものだ。嫌いな相手からキスをされたら、その舌を噛み千切るくらいはしてみせる。相手の舌が無事に言葉を発しているのが、全ての答えなのだが。……とは言え、素直に言葉にして伝えるのは癪に障る。
「先生は良くても、俺の寿命はほんの一瞬なんだ。嘘まみれで生きていくなんてごめんだね」
そもそも嘘をつかねば傍に居ないと決めつけるような態度が気に入らない。
腹立ちのまま「そうか」と残念そうに微笑む相手の胸倉を引き寄せて、噛みつくようなキスをした。