Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    ehara5

    風降の人です。
    Twitter→https://twitter.com/ehara5?s=09

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 27

    ehara5

    ☆quiet follow

    風降と二十四節気を書きたいという野望(その4)
    降谷さんがいない日の話。

    003_啓蟄(3月5日頃) 通勤ラッシュを過ぎた頃に、風見は家を出た。向かうのは上司の自宅だ。今日は非番だったが、三日ほど家を空ける上司に、飼い犬の世話を頼まれていた。名前はハロという。餌の補充と、健康チェック、余裕があれば散歩に連れていく。ついでに、ベランダ菜園の水やりも依頼されていた。
     風見の自宅から降谷の住む町までは数駅だ。最寄り駅からコンビニに寄り道をして、ハロの好きなおやつを購入する。コンビニを出ると十分程度で三階建てのアパートに着いた。
     そこそこの頻度で訪れる自分を、周囲の住民はどう思っているのだろうと風見は思う。独身男性の部屋に、頻繁に出入りする男がいるのはあまり自然ではない。ゆえに風見は人目の少ない深夜に出入りした方がいいのではと提案したこともあった。しかし、人目を忍ぶように来訪する方がよっぽど怪しいと降谷に言われてからは、堂々と昼間に出入りするようにしている。そのためか、風見がアパートの住民に声を掛けられたことはない。昔の助手に飼い犬の世話を頼んでいるとか、ペットシッターを利用しているとか、降谷が当たり障りのない理由をつけているのもあるだろう。
     掃除機の音がかすかに聞こえる共同廊下を歩いて、ごく一般的な作りのドアの前に立つ。キーケースの中の数本の鍵から、降谷の部屋のものを選ぶ。風見は諜報活動をしている上司の鍵を、自分が持っていてもいいものかと常に考えている。そのうち鍵を差しても回らなくなる時が来るかもしれない、とも。預かっている鍵を錠に差し込むと、すんなりとシリンダーが回り、解錠された。

     カーテンを閉めきっているせいで室内は薄暗い。「こんにちは」と声をかけると、奥の部屋から軽い足音が聞こえてくる。ハロが風見のそばまで来てちょこんと座った。腰をかがめて首の辺りを撫ででやると尻尾をぱたぱたと振る。随分と馴染んだものだ。風見がスニーカーを揃えて部屋に上がろうとしているうちに、ハロは先ほどまで遊んでいたおもちゃのもとへ戻っていった。風見は追いかけるようにフローリングの部屋に足を踏み入れ、閉め切られたカーテンを開ける。ハロのいる寝室の方もカーテンを開けると、南向きの窓から日の光が差しこんできた。電気を点けなくても十分に明るい。
     風見は台所で軽く手を洗い、さっそく仕事に取り掛かった。まずは餌のチェックだ。しっかり完食しているし、給水器の水も減っている。降谷が出かける前に餌を補充していることは承知のうえで、給餌器に餌が十分にあることも確認した。普段は降谷が直接餌をやっているが、数日家を空けるときは自動の給餌器を使っている。風見が急遽来られなくなった場合を考えてのことだった。それならペットシッターなりペットホテルなり利用した方がいいのでは、と思ったことはあるが、降谷に言ったことはない。風見は降谷の愛犬を可愛がりたいのだ。
     給水器の水を足して、トイレシーツを交換。再び手を洗ってハロの様子を窺うと、窓の近くでおとなしくしていた。買ってきたおやつをハロ用の物がまとめられているカゴに入れると、風見は居間の掃き出し窓を開け、ベランダに出た。何にでも興味を持つ上司は、この狭いスペースで栽培をしている。
     まだ寒さの残る時期のためか、やや寂しい印象だ。背の低い苗が並ぶプランターには、「エンドウ」と書かれた小さな札が刺さっている。他には土だけの鉢植えがいくつか置かれていた。そのうちの一つには「ホウレンソウ」と書いてあるのでもしかしたら種を蒔いたばかりなのかもしれない。なんとなくセロリが植わっていないことを確認し、栽培道具が置かれている棚からジョウロを手に取った。どの鉢に水をやるべきか風見には見当がつかなかった。が、降谷からの指示は「水をやれ」だったので、何も植わっていないように見えるものにもたっぷり水を掛けておいた。言われたことをやっておけば、とりあえず文句を言われることもないだろうと考えてのことだった。
     ベランダから部屋の中を振り返ると、ハロがこちらを見ていた。そろそろ散歩に連れて行こう。お散歩セットを手に取り、ダイニングチェアーに掛けていた上着を羽織る。降谷が見るかは分からないが、風見はペットカメラの前に「お散歩に行っています」と書いたメモを置いて、家を出た。

     日の暖かさは感じるものの風が強い。薄手のコートでは寒かったかもしれないと風見は思った。だが、普段降谷とハロが散歩している土手に着くころには体が温まっていた。降谷がいつもトレーニングを兼ねて散歩しているためか、ハロは土手が見えた途端に走りだそうとする。風見もそれについていくが、今日はあまり走りやすい恰好ではなかった。せっかくの休みなのだから、ランニングウェアで体を動かしてもよかったかもしれない。風見が先行しないのを察して、ハロは歩みを緩めた。あの上司の愛犬だけあって賢い。
     二人で土手沿いをゆっくり歩く。河川敷にはゲートボールをしている集団や、原っぱを駆け回る子どもが見えた。平日のためそれほど人は多くない。ハロは道端の植物に興味津々のようで、尻尾を揺らしながら蛇行するように風見の前を歩いている。たまに風見の方を振り返るのが愛らしい。
    「ハロ、タンポポが咲いてるよ」
     声を掛けたが、タンポポには興味が湧かなかったのか、遊んでいいと勘違いしたのか、ハロは河川敷の方に降りていこうとした。力強くリードを引っ張るハロを制止しながら、風見は斜面を大股で下っていく。今通り過ぎたのは、菜の花のつぼみかと思っているうちに、ハロは鼻をヒクヒクさせながら、緑の少ない野原を駆けていく。元気の有り余っているハロに、風見は持ってきたボールで遊んでやらなくては、と思った。
     ハロは、ボールを投げるにも遠くに投げなければなかなか満足してくれない。たまに取りやすい高さに投げてやると、ジャンプして空中でキャッチする。日頃から降谷とお散歩という名のハードなトレーニングをしているから体力があるのだ。降谷が犬を飼い始めてからその生態を調べるようになった風見にはよく分からないが、アジリティーやフライングディスクに挑戦させても好成績を出せるのではないかと思う。親の欲目のようなものかもしれないが。
     ひとしきり遊んで満足したのか、ハロは自ら散歩セットが入った帆布製の鞄の近くにボールを置きに来た。呼吸音がよく聞こえる。風見の息も少し上がっていた。草原に座って一休みする。折り畳み式のボウルに水を注ぐと、ハロは美味しそうに飲み始めた。ハロが水分補給をしている間、風見は周囲を見渡した。野原にはすすけた茶色が目立つ。緑の濃い部分を見ればハート型の葉が茂っているようだった。あれがクローバーではないことは降谷から聞いたのだが、何という名前だったか思い出せない。音の響きだけがうっすらと頭の中にある。なんとか思い出そうとしたものの、どうにも名前が浮かんでこないため、結局検索することにした。カタバミという名前が出てきたところで、ハロが水を飲み終えた。
     風見が自分の家を出た時よりもだいぶ日が高くなっていた。
    「帰ろうか」
     ハロに言うと、風見の足元をくるくると歩いて、それから斜面を上り始めた。

     降谷の部屋に戻り散歩の後始末をした風見は、喉の渇きを覚えた。そういえば、ハロの飲み水は準備していたが自分の分は用意していなかった。飲み物の類を持っていなかったので、ひとまず水道水でも飲もうと、グラスが置いてある水切りラックに手を伸ばしたところで、風見はふと気が付いた。水色の正方形の付箋が調理台に貼られている。降谷の字で「冷蔵庫の中身を片づけてくれ」とあった。
     冷蔵庫には弁当箱が入っていた。他には納豆や卵の日持ちのするものと、調味料があるだけだった。片づけるべきなのはこの弁当なのだろう。わざわざ自分のために作ってくれたのか、残り物を詰めたのかは分からないが、ありがたくいただくことにした。
     弁当箱の蓋を開けると、内蓋に細い付箋が貼ってあった。米が食べたければパックのご飯を温めて食べろとのことだった。確かにおかずしか入っていなかった。おかずをレンジに放りこみ、台所の収納を開ける。前にも同じようなことがあった。その時はコンビニで米だけを調達したのだが、のちに降谷がレトルト食品の在りかを教えてきたので、勝手に食べても良いということだと解釈している。レトルトの味噌汁も頂戴しようかと思ったが、湯を沸かすのが面倒だと思いやめた。
     いつもは降谷が一人で使っているダイニングテーブルに食事を並べ、手を合わせる。弁当箱には彩り豊かなおかずがぎっしりと詰まっていた。たけのこの土佐煮やら蕪の炒め物やら、春らしいものが入っており、上司の食へのこだわりを感じる。そのうち、ベランダで育てている野菜も彼の手で美味しく調理されるのだ。風見が口にすることがあるかは分からないが。
     この弁当を作った当の本人も昼食をとっているのだろうかと思いながら、菜の花のお浸しを口に運ぶ。鼻の奥がツンとした。お浸しだと見当をつけていたそれは、からし和えだった。なんとなく上司にしてやられて気がした。からしが効いているせいで、続けて口に入れるとうっすらと涙が浮かんだ。誰かに文句を言いたくなった。
     足元のハロはいつの間にかすやすやと眠っている。家主が戻るのは二日後だ。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🙏💴👍🐕🍀🏃👏💴💴🐕💕💕🍱✨🐶🐶💞❤❤❤❤❤☺😋🐕🐶💚☺👏❤☺☺☺☺☺👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    ehara5

    DONE風降と二十四節気を書きたいという野望(その13)
    上司からしたら冗談くらいのテンションでも部下は頑張っちゃうとかあると思います。
    011_小暑(7月7日頃) 風見にとって、七夕の時期は曇りや雨が多いイメージがある。七夕の当日は、お天気キャスターが織姫と彦星の逢瀬が達成されるか否かを必ず口にしているが、今年の予報も曇りだった。晴れようが曇ろうが、都心では天の川が見えることはないため、仕事に支障がなければ風見にはあまり関係のないことだった。
     風見が所用で訪れた警察署の玄関には、七夕の笹が飾り付けられていた。金銀の網飾りが生暖かい風になびいて、鈍い光を放っている。多くの警察署では地域の保育園や小学校と連携して、子供たちに七夕の飾り付けをしてもらうイベントが催される。笹のすぐ近くに協力団体の名が掲示してあった。
     色とりどりの短冊には、つたない字で願い事が書き記されていた。ゲームソフトが欲しいだの、友達ともっと仲良くなれますようにだの、子供らしい純粋な願い事が並ぶ。よくよく見てみると、警視庁からのテコ入れがあるのか、交通安全の標語のような文言も入り交じっており、折り紙で作られたパトカーまである。その中に「お父さんがじこにあいませんように」と健気さを感じるものを見つけ、思わず風見は頬を緩めた。
    1770

    recommended works