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    hanecco3

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    hanecco3

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    たぶん20年近く前に書いた八犬伝の小文吾毛野前提の毛野と現八です。

    夜のこと  月光は皓々と、夜の原を照り冴える。
     風に凪がれる葉の裏が、一斗どよめくその様は波に似た。銀の砂を撒き散らかし、あたりはただ閑としておびただしい。
     野辺を吹き渡る、風が笛の音に近しくうそさむい。
     足裏を草の刃が刺す。それにすこし気を払いつつ、その場に佇った。
     宴は遠く、その喧噪はここまで届かない。それを弁えたうえで、彼はいまこの原にいる。
     散らかす光にそぐわぬように、見あげた空の月は細い。どっぷりと染む濃藍のなか、まるでそれはひと筋ひらいた傷のようだった。刀でえぐられ、血を流さぬままただしらじらとして痕を残す。戦場で、またいつかの夢のうちで、幾度となく見たその殺伐を天に重ねる、そうした己の心を疎む気はけれどない。ただすこし息をつくのに、そのとき、応える者があった。
    「せんぱくだ」
     ふりかえる。
     宴を張った陣からは遠く、獣あやかしも住まぬと噂のこの場所に、聞こえてきたのはしかし知らぬ声ではなかった。
     目のさき、草を踏みしだいて、そこに男の姿がある。犬飼殿、呼ばわるのに、相手は一間ほどもないそこで肩をすくめた。せんぱくだ、もういちど、ふくめるように声がする。
     浅薄という字を頭に浮かべる。そしられているのかと眼をあげる、その先男は低く笑った。
     ふしくれた手が宙にのびる。人指し指が動き、なにやらをそこに描く。繊魄と、そう読めた。
     声が、草のうえを滑る。
    「ああいう月のことを、そう言うんだと」
     彼はそれを耳に聞く。頷いたその仕草は、相手に伝わっただろうか。わからないまま、ただ視線だけをその場に落とす。
     命は古来より魂と魄とにわかれるという。魂は生まれ変わり幾度も世を越えるが、魄は失われず命の核として長らえる。消えぬみたま。それが細まるとはいかなることか。
     すがむのに、相手はまた軽く肩をすくめた。そこになにかしらの意図を汲むべきか、彼は逡巡し、しかしやめた。しょせん埒もないことだと、それはわかっていた。
     鼓の音がふと耳を射た。風の拍子に流れてきたか。すこし笑む。再会を祝してあげられた宴に、しかしいま参加しているのは一座のうち半分に満たない。こどもははや寝につき、彼ともうひとり、犬飼はここにいる。
     目をやる。その向こう、男はただ飄々として佇んでいる。その無造作にひとくくりにした髪にさえ月の光は降りかかり、そこはかとなし神々しささえ覚えさせた。逞しいような腕のさきにも、光は落ちて白めかしい。不思議な男だと、そう思うのにあわせるように、相手は口をひらいた。犬坂、そう名を呼ばれる。
    「あんたが知ってるか知らんかそんなこたァどうでもいいが、まあとりあえず云っとくと、玉がどうとか痣がどうとか、そんなもんが絡んでくるより遥か昔から、小文吾と俺は義兄弟だ」
     云いつつ相手はにぃと笑む。
     伊達の呼び名にふさわしいおもざし、そこに満ちる表情が何であるかを悟るまえに、言葉は続く。
    「だからちィと云わせてもらう。…あいつにもうちょっと優しくしてやっても、別にバチぁあたらねェとおもうがね」
     その云いにおもわず口元をゆるめる、相手はかすかに眉をひそめた。声は確として草地に響く。
    「あのひとが、そう云えとあなたに命じたのですか」
    「まさか。あいつに命令なんぞされた日にゃあ耳貸すまえにたこ殴りだ。そうじゃねェ。ただ、幼馴染みとしちゃあ、最近のあいつのしょげっぷりが面白くねぇのよ」
     ひさしぶりに会ったってぇのにつれない話だね。その口ぶりは、どことなくおもしろがっているようにさえ聞こえる。
     見あげるさき、男はそれに応じるかのようにして首をすくめた。
    「しょげていますか」
    「しょげてるよ。あんたが話を聞いてくれないから、めろめろのどろどろだ」
     まとう衣の薄さが、ふと気についた。秋の夜はいつのまにか冷えている。ぞくりと背筋を走るものを、しかし覚えぬようにして云う。
    「とんだことを」
     その応えに、しかしとりあう気はないとばかり、男はふいと腕をふる。銀の光がさやめいて目を射た。
    「小文吾は、単におまえがすきなんだよ」
     風が草を凪ぐ。ざ、と、その響きは海鳴りにも似て、いっそざわめかしい。
    「俺ァあいつの気持ちなんざわからねェがね。綺麗な面ァ認めるが、稚児趣味にはいささかとうが立ちすぎてる。それに、どうもあんたはいやな奴だ」
     それとともにくくと喉を鳴らす、相手に向かって彼は答える。口元をほころばせ、笑みのかたちをつくる。
    「あなたのほうが、よほど私をおわかりになっているようにお見受けする」
     云うさき、男は唇をゆがめた。にぃと開いた口の端に、こぼれる八重歯がどこか少年めかしておかしい。
    「簡単な話だ」
     風が身を刺す。しんなりとして冷えた空気には、もはや晩秋の色しかない。声は透ってその場を渡った。
    「俺はさもしい人間だから、ひねくれてしか相手を見ない。対してあんたは偽悪的だ。したらな、そこで損得が成り立っちまう。それだけのこった」
     耳をかすめて聞こえる声に、けれどもいつか揶揄の響きは抜けている。小首をかしげ、彼は相手に目をやった。その拍子、さらりと音を立て肩先で髪が散る。ふと、その仕草にまでも讃を向けた者がいたことをおもいだす。毛野さんはきれいだなあ。そうした言葉を脳裏の奧に押しこめて、彼はふたたびかろく笑む。
    「ご自身を貶めるのはおやめになったほうがいい」
     その言いに、相手もまた声をたてた。広い、逞しい肩がおかしそうに揺れる。
    「あんたの悪いのは、そこで自分を守らないとこだぜ」
     云いながら、男は指で目元をぬぐう。とはいえそこに滲むものなどないことを、彼も、そしてまた相手も知っていた。
     宴は終わっただろうか。そんなことを考える。一座のうちふたりもが抜けて、場はどのようになっているのか、それは気にかからないでもない。自分はともかく犬飼が不在では、盛りあがりにも欠けるに違いなかった。
     そもそもなぜ犬飼は何の縁もないここまできたのか。そう考えようとし、彼は口元をゆるめる。理由はさきほどからの相手の台詞のうち、すでに察するには十分だった。
     こちらの意を悟ったか、対峙する相手の笑みがすと深まる。どうにも根がおせっかいでね、そんな言葉に続き、ほつりと声がその場に落ちた。
    「小文吾は、あいつァそこ抜けの阿呆だ。見たものを見たまんまにしか受け取りゃしねえ」
     どこかで獣の鳴く声がした。犬のように聞こえたのは、それは幻聴だったろうか。それにもかまわず、声は続く。
    「犬塚氏や犬川氏は、あんたを菩薩かなんかだとおもってるらしい。うつくしいひとだ、やさしいひとだ、そう云ってる。けど、俺はそんなもんはうそくせェとしか思えねェ。悪いがね、あんたのお綺麗に澄ました、いかにもおやさしげな面の奥が、油断ならねぇのよ。でもな、」
     一瞬言葉を切り、男は顔をあげた。こちらを見据えてくるその目の強さに、しかし彼は呑まれる気もなかった。笑みかえすのに、軽く眉をひそめられる。声が続いた。
    「それで小文吾はな、あんたをきれいだと、そう云うんだよ」
     くく、と音がする。それが相手の笑う声だと気づくのに、彼はすこしの時間を要した。
    「あいつの目にはなにが映ってんのかね、俺ァ知らねェ」
     けどよ、そう云い、男はなにかふりきるものがあるように肩をすくめる。それに重なるようにして、原に銀の波が立つ。
    「なあ犬坂」
     名を呼ばれ、相手を見る。男のまなざしは剛毅で、それにざわりと胸が騒ぐ。その由が何であるかを探るまえに、強い声が草原を割った。
    「あんた、あいつが怖ェだろう」
     一瞬の沈黙ののち、彼はまた口元をあげた。それが相手に笑みのように見えればいい、そんなことをふと思う。
    「私が」
     云いかけた言葉は、しかし男が首をふるのにないものとされた。いっそ傍若無人ともするそぶり、その意図を汲むべきかと、彼はかすかに目をすがめる。
     聞いちゃァいねえよ、という声とともに、相手は軽く面を伏せる。草地に佇むその姿は、いつにもましてとらえどころがない。その目の色さえ見せぬまま、ただ声だけがあたりに響いた。
    「怖ェから、だから避けるんだろう。義兄弟、里見の八犬士、伏姫の申し子、…どれだってあんたには、ほんたァ塵ほどの興味もないんだろう。それをお綺麗な外身につっこんでごまかして押し隠して、それでにっこり笑ってりゃ済むと思ってんだろう。…ま、俺はそこんとこがひっかかるんだし、ほかにも親兵衛あたりァ聡いから気づいてるかもしれん。けど、あんたは、それを知ってる奴のことは怖くないんだ」
     ふと静けさがその場に落ちる。喉を鳴らす、男はなにかをあぐねるようにして立っていた。それからふたたび、言葉が切れ切れに落ちていく。
    「あんたを脅かすのは、」
     そう聞こえた。見やる、そのさき男が顔をあげる。そして云った。
    「いいこと教えてやるよ。つってもこりゃぁ俺じゃあねえ、小文吾がほざいてたたわごとだ。…親は親、毛野さんは毛野さん、見たこともねぇ父のためにひと死になんて望む法はねぇ、いっそ仇討ちなんぞやめちまって、自分のために生きりゃあいいのに」
     だとよ、そう締めくくり、男はちらりとこちらに視線を投げた。その値踏みするようなそぶり、それに向かって云った。
    「それでは私の生きる意味がありますまい」
     男はそれに笑みを深くする。俺もそう思うよ、そう云った。
    「でもあの阿呆の目には、違うあんたが見えてんだろ。仇討ちなんてしなくたって生きていける、あんたの姿とか」
     ざわりと胸が鳴った。さきほどよりも激しい感情、おのがことながらそれに驚き、目をみはる。悟られじと面を伏せる、しかし見透かすように声がすと耳を刺した。
    「そんであんたは、その違うあんたが怖いんだ。違うあんたを見つけちまう、小文吾が怖いんだ。いまのあんたを全部否定して、うそだなんて決めつけるくせに、それでもあんたをすきだなんて云いきっちまう小文吾のばかが怖くてしょうがねえんだ」
     見やる、そのさき男は笑っている。けれどもその目に愉悦の色はないことを、彼はまた知った。ただ淡々と事実を述べる、その口つきさえもが厭わしいようなのに、おぼえずちいさく息をつく。
     敏にその気配を察したか、男はひょいと肩をすくめた。
    「べらべら喋ったら喉かわいたな。俺は戻るよ」
    じゃあな、と、云いさしたまま相手は踵を返す。広い背中が草の間に呑みこまれていくのを、彼は黙って見つめた。気づかず、心のうちをさらしてしまった。そのことが澱のように身のうちに沈む。なにを云われようと、なにをされようと、心は殺すそのすべを、身につけていたつもりでその傲慢に座していた。その甘さが原因か。それとも、そう呟くのに、けれどももはや答えるものはその場になかった。
     ただ風が吹き、月の光が散っていく。
     眉根を寄せる。伏せたおもざしに、映るのはただ緑の草地ばかり。
     知っていたのだ。呟く。ほんとうは、とうの昔に知っていた。わかっていた。それをごまかして、気づかないふりをして、捨てたつもりになっていた。避けて、相手を見ないようにして、それでも、…耳に残る声は、いつであれ、ひとりのものでしかなかったということを。
     毛野さんはきれいだなあ。木訥としたその声。
     笑う。声は響き、けれどどこか滑稽なまでに悲哀の色をふくんで消えた。
     そう、とうに知っていた。後生の縁でもなく、仇敵でもなく、ただ自分の意思で滅してやりたいと望むのは、それはおそらくただひとりなのだと。…そんなことは、ほんとうに、とっくの昔に知っていた。
     かすかに息をつき、踵をめぐらす。夜露をふくみはじめた草が、しんなりとしてやわらかく足元を包んだ。見あげた空には、濃藍のうちしらじらとしてひと筋の線が輝いていた。
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