眠り また今日も悪い夢を見る。
自由の効かないこの体が、底無しの赤い沼で、終わりなく沈んでいく。
何かが刺さっては抜けずに、いつまでも自分を痛めつけた。
魈は自分の呻き声で目が覚める。大きな木の根の間に体を埋める様に眠っていたが、今日の寝床は良くなかったようだ。
「魘されていたな」
そう傍らから声をかけられ、すぐにそちらに顔を向ける。
「帝君」
そう声を発した相手の名を呼びながら、無様な体勢のままの自分の体をさっと起こして、片膝をついてその相手を見上げた。こんなに傍に寄られて、眠り続けていられる程に耄碌はしていないつもりだった。きっとこの方は気配を消して忍び寄ったのだろうと、魈はこの状況を理解しようと思考を巡らせる。ではいつからここに、そんな疑問も浮かぶが、それを考えるのは止めておこうとその思考を切り離した。
「如何なされましたか」
そう魈が問うと、帝君は右手の平を見せた。一先ず待てということだろうと魈は理解する。
「お前が魘されていた場合、俺はお前を起こしてやった方が良いものか」
何故そんなことを言うのだろうか。
「それを我は望みませぬ。何より、そのようなことで帝君の手を煩わせるなど、あってはなりません」
この悪い夢も自分の一部と思っている。それは受け切るべきものであると考えていた。けれどいつか、この悪い夢が、良い夢になることを夢見ていた。
「覚えておこう」
帝君は微かに笑う。
何故笑うのかも分からず、何の為に覚えておくのかも分からず、ただその言葉に頭を垂れる。
「魈、お前に伝えておきたいことがある」
「な、何でしょうか」
そのように改まって言葉を伝えられたことが未だかつてなく、思わず口から出た言葉は乾いて滑りが悪かった。
「近々、俺は死ぬ」
「は?」
そう魈が目を丸くすると、帝君は堪らずといった様子で口元を手で隠した。笑っているのだろう。
「岩神帝君は死ぬ。そして俺は岩神ではなくなり、ただ凡人になる。名前は鍾離」
「おっしゃっている意図を、理解できません……」
「お前が理解できずとも、事は進む」
帝君は手の平を上に向ける。その言葉と仕草に、それ以上の質問は不敬であると、ただ今はその言葉だけを受け取ることにした。
「承知しました」
そう言ってまた頭を垂れる。
「魈、立ち上がってくれないか」
「はい」
その命にすぐに体を動かす。
「良い夢を」
そうして立ち上がった魈の額に、帝君の人差し指と中指の二本が撫でるように走る。そしてそのまま帝君の姿も消えた。
帝君が言った通りに数日後、岩神帝君は死んだ。
そして凡人の鍾離という男が魈の前に現れる。
また今日も悪い夢を見る。
自由の効かないこの体が、底無しの赤い沼で、終わりなく沈んでいく。
何かが刺さっては抜けずに、いつまでも自分を痛めつけた。
自由を奪われて身動きも取れず、ただただ痛みを耐える。
きつく縛られながらも、その中で体はもがいて動く。
それは柔らかな布で、もがけばもがくだけ、自分を包んだ。
包まれて温かく、いつの間にか痛みは消える。
魈はその熱で目が覚める。柔らかな布の上で体を埋める様に眠っていたが、自分の体が埋まるよりも更に包まれていることに気付く。
「魘されていたな」
そう傍らから声をかけられ、すぐにそちらに顔を向ける。
「鍾離様」
魈は自分の体がすっかり鍾離の腕に抱かれているのに気付くと、慌てて身を捩らせた。鍾離の腕をまるで枕のように頭の下に敷いていたのだった。
「このような姿……申し訳ありません」
「魘されていたが、起こしてはいけないと前にお前に言われたからな。ずっと抱いて、お前を見ていた」
そのような気配に自分が気付けず眠り続けていられる程に耄碌していないつもりだった。きっとこの方は気配を消して忍び寄ったのだろうと、魈はこの状況を理解しようと思考を巡らせる。けれど、それにしてもこうして体に触れられて起きぬ程気配は消せるものではない。きっと自分はこの方に耄碌しているのだろうと思った。
「悪い夢を見たのか」
「温かな夢を見ました」
そう魈が言うと、鍾離は微かに笑う。
「まだ夜は長い。もう一度眠りにつこう」
そう言って額に熱を分け与えられる。
「魈、良い夢を」