アオキとアオイが宝食堂で食べながらバトルしたい話をするだけ 冒険をしていてお腹が空いた時は、持ち歩いている具材を使ってサンドウィッチを作って食べることにしている。ママやペパー先輩が作ったサンドウィッチのおいしさには到底敵わないが、それでもわたしのポケモン達は一生懸命食べてくれる。しかし毎日サンドウィッチを食べていると、近頃無性に食べたくなる料理があった。あったかくて噛めば噛むほど甘くて、お腹がいっぱいになるあの食べ物。
(おにぎり、食べたいな……また宝食堂で食べていこう)
そう決めたわたしは早速タクシーを呼んで、チャンプルタウンに直行した。
夜の宝食堂は独特の雰囲気がある。パルデア地方の中でも珍しい作りの建物で、入り口の大きな看板は迫力があるし並んだ提灯が灯って周辺を温かい色合いに見せていた。入り口の扉を開けて暖簾をくぐると、すっかりお馴染みになった景色と漂う醤油の匂いに迎えられた。
「いらっしゃいませ。カウンターにどうぞ」
店員さんとは顔馴染みになり、人数も聞かれずに笑顔で誘導される。初めてここで食べた時もカウンター席だった。ジムリーダーのアオキさんと戦った後に一緒におにぎりを食べた。食堂の中でポケモン勝負をするなんて、と最初は驚いたが今思い返してもとても面白い場所だと思う。ここならご飯を食べながらポケモン勝負を観戦出来るのだと思うと、むしろ観る側になってみたいぐらいだった。
「すみません、今日はからしむすびを一つお願いします」
カウンター席に座り、メニューも見ずに早速女将さんに料理を頼む。女将さんは明るく返事をしてくれた。今はゴーヤーチャンプルーを炒めていたのだろうか、ゴーヤの緑色がフライパンの中で鮮やかに輝いている。その美味しそうな様子は見ているだけでお腹が空いてくるものだった。
「……それも食べてみてはいかがでしょうか?」
不意に隣から声をかけられてようやくその存在を認識する。かといって驚くことは何もない。彼にとってこの宝食堂は行きつけの店でありジムバトルの会場だから、いつ何時居たとしてもおかしくない。毎回会えるというわけではないが、自然と鉢合わせていた。
「わたしまだ食べたことないんですよね、ゴーヤーチャンプルー」
「少々ゴーヤの苦味はありますが、うまいですよ。からしむすびがいけるのならいけると思います」
彼は湯呑みに入ったほうじ茶を静かに啜る。黒く太い眉が僅かに和らぐ。水色のネクタイは相変わらず雲の柄で、シャツはくたびれた趣のあるグレーだ。彼──アオキさんは今日も黒いスーツを着てあの日と同じように座っていた。
「アオキさんは、これからジムテストがあるんですか?」
「いえ、本日は終了しました。ここでずっと食べながら待っていましたが、皆さん間違えた注文の料理を食べるので精一杯だったようです」
秘密のメニューを当てるジムテストで注文を失敗した場合も頼んだメニューは食べるのが鉄則らしい。わたしも一度間違えたのでおにぎりを三人前食べるところだったが、手持ちのポケモンたちと分け合って事なきを得た。何度も間違えていたら胃袋がどうなるか……想像に容易い。
「あはは、それじゃアオキさんもお腹がいっぱいですね」
「それが、先程面倒な業務を連続でこなして腹減ったとこです。あと二回はおかわりが必要ですね」
一体一日に何食食べているのか、聞くのも憚られるほどの大食漢っぷりを目の当たりにしながらもアオキさんの細い体躯と横顔を見ているととても信じられなくなる。実はかなり運動をしていたりするのだろうか。
「あなたをよくここでお見かけしますが、あなたもこの宝食堂が気に入ったのでしょうか?」
「はい! 何だか時々すごくおにぎりが食べたくなっちゃって。あの時アオキさんと食べたおにぎりがおいしかったからですかね」
「そうですか。それは良かった」
頷いたアオキさんが少し微笑んだような気がした。彼はかけそばを頼んだようで、大量に盛られた刻みネギをかき混ぜながら音を立てて食べていく。すぐに食べられていく様は見事で、いつも颯爽と去る姿に重なった。
「……アオキさんって、とてもおいしそうに食べますよね」
「実際うまいんですよ、ここのものは全部」
「アオキさんが食べる姿を見ながらここで戦えたら楽しいだろうなあ、って思ったりします!」
「宝食堂を試合会場としてお貸しするという話なら、ご遠慮願いたいですね」
ここでまた戦いたいという性懲りも無い願いを見透かされてバツが悪くなりながらも、アオキさんはそう満更でもないように食べながら受け答えをしていた。
「元々自分が無理を言って宝食堂の方々に協力してもらっているので自分に責任がありますし、ジムテストも出来れば内密に行いたいので。それに、あなたが自分以外の誰かとここで戦うのは……正直言って見ていたくない」
それは、わたしの試合に興味が無いというのとは別の意味らしかった。仕事で使う場所だから勝手に子供が遊んではいけないという意味とも少し違う気がする。とにかく、気軽にネモやオモダカさんに頼んで戦っていい場所ではないのはわかった。
「わかりました。わたしも、ほんとうはアオキさんともっと戦いたいんですが……」
「……アオイさん」
彼と一文字違うわたしの名前。決して大きくはないその声が、ガヤガヤと賑やかな宝食堂の中でもはっきりと聞こえる。
「確かに自分はよく腹が減りますが、これ以上敗北を味わうのは勘弁して頂きたいもので。あなたに食らわせられるぐらいの空元気があれば良いのですが」
困ったような苦しいような、よくわからない表情で見つめられてわたしは言葉に詰まった。アオキさんは確かに強い。わたしに負けはしても、まだ本気を出していないのではと思うほどに。だから何度も戦った者としては、また彼と熱い勝負がしたいと願ってしまうのも無理はない。
「……あの、アオキさんの空元気だったらわたし、何杯でもおかわりできちゃいますよ!」
ここは元気が出るように明るく励ますのが一番だと思ったわたしは、何とかアオキさん風に言ってみようとしたもののあまり意味が良くない感じに言ってしまった。生意気だと思われたかと心配になりつつアオキさんを見ると、アオキさんは肩を落として目を細めていた。完全に気落ちしてるポーズだ。
「ああっ、あの、アオキさん! 違うんです! また良い勝負が出来ますって意味で決して技が効かないとかそういう意味では……」
アオキさんはまだ無言のままだ。とうとう怒らせてしまったのだろうか。思えば、チャンピオンになれたからと言って生意気な振る舞いをし続けてしまったのかもしれない。宝食堂を自分のもののように扱ったり、試合に口出ししたり。アオキさんはお仕事でジムをやっているのに、わたしはなんて自分勝手なのだろう。失望されても仕方ない。
「………………あなたは、刺激が強すぎる」
長くため息を吐いたアオキさんは、眉間を押さえた。とっくにかけそば二杯目を食べ終えているのに、今にも倒れそうな風情だ。
「だ、大丈夫ですか? その、お仕事終わりなのにすみません……」
「いえ……仕事ではないので雑談は問題ありません。ただ……また腹が減りそうだというだけで」
そう言って三杯目のかけそばを注文したアオキさんの姿を見て、わたしは彼の謎の食欲と胃袋をふしぎに思うのに夢中で先程の申し訳なさは吹き飛んでいた。それに、わたしもかなりお腹が空いていた。
「では、わたしもいただきます!」
出来上がったからしむすびを頬張り追加で頼んだゴーヤーチャンプルーも食べる。からしの仄かな辛みとゴーヤの瑞々しい苦みが絶妙においしい。サンドウィッチのバターのコクや玉ネギのフレッシュさとは違った癖になる味わいがある。
一生懸命二個目のからしむすびを頬張っていると、隣のアオキさんが三杯目を食べ終わったのにも関わらずこちらを見ていた。食べ終われば即帰っているアオキさんが、珍しい。やっぱり何か私に言っておかなければならないことがあるのだろうか。頑張ってゴーヤーチャンプルーも食べ終えて十分においしさを堪能した後にわたしとアオキさんはレジへと向かう。アオキさんは店員さんと話をしている。何だろう、わたしもアオキさんと話す前にお会計をしなくちゃ……とそわそわしながら待つ。程なくしてアオキさんは振り返った。
「お代は結構ですよ、払っておきましたから。では、また今度」
なんて事ない調子で告げたアオキさんは、それ以上何も言わずに暖簾をくぐって出ていった。その間、わたしは何も言えずに立ち尽くしていた。話があったわけではないのか。ただわたしの分まで払うためだけに? それならそうと言ってくれれば、いや、でもわたしも確認したわけじゃないし……と心の中でぐるぐる考えていたわたしは、とりあえず一言だけ叫ばずにはいられなかった。
「……お礼ぐらい言わせてくださいよー!!」
その時のわたしは、アオキさんが「さようなら」ではなく「また今度」と言ったことに気づくことはなかった。
-END-