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    yutaxxmic

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    yutaxxmic

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    なんちゃってオメガバースもどき。
    ファウスト(α)×あきら(Ω)
    基本はファウスト先生の一人称です。ご都合主義。お時間のあるときにゆっくりお楽しみください。

    ##ふぁ

    花の香り この世界は非常に厄介である。

     これまで、幾度となく魔法使いの死を目にしてきた。四百年近く嵐の谷に引きこもっていたからといって、引きこもる前は戦乱の世で革命軍を率いていたし、最近では面倒なことに賢者の魔法使いなどに選ばれ再び戦いの場に引き摺り出されることになった。
     一瞬にして石になる者もいれば、ゆっくりと変化していく者もいた。穏やかな表情を浮かべて最期を迎える者もいれば、当然苦痛に歪んだ顔で恨み言を吐く瞬間に石になる者も、様々だ。そういった瞬間を目にする度、ふと自分はどう石になるのだろうかと思いを馳せる。若い頃であれば、その瞬間さえも希望に満ちたものを想像していたのだろうが、それはとうに忘れた。なんといっても経過した月日が長すぎる。なにより、今は賢者の魔法使いなのだ。きっと、穏やかではないのだろう。
     そんな嫌な予感ほど的中するもので。自分を慕って「先生、先生」などと後をついて来ていた、まさにその日が初陣のまだ未来ある若者を庇って僕は深手を負った。血の気が引いた顔で「俺のせいだ」と呟く彼には本当に悪いことをしたと心から詫びざるを得ない。
     しかし、これでやっと解放されるのだ。この苦痛に満ちた現世から。そんな幸福感から思わず笑みが溢れてしまう。そんな僕を見て、付き添いとして残ってくれた北の魔法使い二人は同じ顔を見合わせて不気味そうにそして同情するかのような表情を浮かべている。
     ぱちぱちと身体が爆ぜる。
     一層焼け焦げたような煙の匂いが強くなる。
     いよいよだ、その瞬間がやってきたのだ。
     そう思ったのに、煙の中にふわりとした優しい花の香りを感じた気がした。その瞬間だった。僕は不思議なことに何故か生きたい、と思ってしまった。



     新しい賢者を迎え、次の厄災に向けて魔法舎で共同生活を行うといういかにも魔法使いらしからぬことが決まってから数日が経った頃だった。突然、南の国の魔法使いとして召喚されたフィガロが胡散臭い笑みを浮かべながら若い魔法使いを対象に検査をすると言い出した。
    「は?僕は若い魔法使いの部類に入らないだろう」
    そもそもこの男とあまり関わりたくなかった僕は検査を拒否しようとした。おそらく目の前の男も僕の本心は分かっているはずなのに、それを無視して軽い口調で僕の疑問に律儀に答える。
    「残念。ファウスト、君も今回は若い側に入ってしまうんだ。なんといってもここ五百年くらいの間に出てきた新しい性別についてだからね」
    新しい性別、という言葉でようやく頭の中で知識と検査が結びつく。一度か二度は話を聞いたことはあった気がする。だがそれはもう遥か昔のことで、他人と距離を置いた生活を長く続けていたせいか、すっかり忘れてしまっていた。今の研究ではどこまで解明されているかすら理解していなかった。果たして西の知恵者のお眼鏡に適うような話題だったのだろうか。
     だが、この事象に興味を抱いたのは幸か不幸か西の才ではなく、北の冷酷な魔法使いだったらしい。
    「南の国を開拓する上で不可欠だったんだよ、だから仕方なくさ」
    そう口にはするが、これ幸いとばかりに好き勝手に調べたのだろう。古からの知恵とありあまる程の時間を好きに使って研究を重ねたに違いない。「南の優しいお医者さん」はみんなのためを思って調査研究をしている尊い魔法使いなんですよ、そんな顔をして何も知らない人間が実験台になったのではないかと思うと反吐が出るようだった。そんな思いが外に出てしまっていたのか、フィガロは弁明するように言葉を続ける。
    「俺は調査をしただけだよ。実験なんてしていないから安心して。そもそも、調べたくても数が少ないんだ。見つけられたら丁重に扱ったに決まっているだろう」
    既に言葉の選択が怪しい、とさえ思えてくる。
    「とにかく、これから集団生活をしていくんだよ。運悪くこの魔法舎で事故が起きるなんてことがあったら笑えないだろう?もちろん、結果については公表するつもりはないよ。この魔法舎に常駐している主治医として俺がちゃんと管理するから安心して」
    思わず僕は「事故って」と反応してしまう。
    「だって片方が望まなければ悲劇だろう?」
    弁明するつもりもないのか、もしかすると自分の表現のどこが悪いのかも分かっていないのだろう。「優しい」を自称するこの男のことがやっぱり苦手だ、と僕は思った。
    「まあ、百年単位で俺も研究しているけれど、本当に個体数が少ないんだ。辛うじて性別を分類することができるってところまでしか分かってないよ」
    「使えないな、お前」
    「酷いな、一応これでもお前のお師匠さんなんだけどね」
    僕はじとりと男を睨め付ける。怖がることもなく男はそれを無視する。
    「『雄の性別』は強力な生殖能力を持っている。『雌の性別』は男女関係なく子を成すことができ、雄を見つければ本能的に子を成そうとする上、雄との間でそういうコトをすればほぼ確実に子を成せる。つまり、方向性は違えど生殖能力に長けた性別であるってことだね」
    そこで一旦言葉を区切って肩を竦める。
    「子どもが産まれることはとてもおめでたいことだよ。でも、そこに本人の意思はない。本能だけなんだ。だから好きだとか嫌いだとかは関係なくなってしまう。それって可哀想なことじゃない?」
    誰が、ということはフィガロは名言しなかった。好きに解釈していいということなのだろう。だから、僕も反応はしなかった。居心地が悪い。問題はないの証拠を手に入れてさっさとこの男が目の前から消えてくれることを願った。
    「まあ、魔法舎全員がどちらの性別でもなければ余計な心配もいらないんだから、ファウストも協力してよ」
    言い終えると男は僕の項に手をかざすと素早く呪文を唱える。すると小さな声で「おや、」と呟いた。
    「ファウスト、君の結果は圧倒的に雄の性別だ。しかもまだ成り立てじゃないか」
    嘘だろ、と思わず呟く。魔法使いとして生まれたことだけでもうんざりしていたのに、ここに来てさらに自分になにか特別な属性が付与されるとは思わなかった。
     だが。ふと考える。こんな検査をするまで特段不都合はなかったのである。それならばなにも心配はないのではないか、と。大体、雄の性別がどんなものなのかもよく分かっていなかった。フィガロの簡単な説明だけではどうにも腑に落ちない。
    「ファウストはこれまで生きてきた中で、君の目の前で性的に錯乱状態に陥った人を見たことはある?」
    「そんな奴、いる訳が……」
    反射的に否定しそうになるが、途中で言葉が止まってしまう。これまでの人生の殆どを引きこもって過ごしてきたが、たしかにそれらしい話を記憶している、二度ほど。もしかするともっとあったのかもしれないが、その二回は特に印象に残っていた。
     一度目は幼い頃だ。その当時、耳にした時には当然言葉の意味など理解できていなかった。たしかあれは近所の人が話していたのではないだろうか。「男が妊娠したらしい」「魔法使いなんじゃないか?」「いや、ちゃんと人間らしい」「なら魔法使いの仕業だろう。全く、あいつらは悪趣味だ」忌々しげに交わされるやりとりから分かったことは、自分が魔法使いであることは絶対に知られてはならないということくらいだったか。
     その後にもたしか、一度だけ。革命軍に身を置いていたとき、突然色に狂った者がいた。「ファウスト様、俺を抱いてください」そう口にしながら下半身に縋りついてきた者がいた。嗅いだことのないような強すぎる花の香りは最早悪臭ともいえるものだったことを思い出す。その時の僕は恐怖に動けずにいたが、服を剥がされてしまう前に近くにいた仲間たちに引き離され、何事も起きずに終わったのだ。突然のことに呆然とする僕を他所にアイツは銀の髪を揺らしながら愉快そうに言ったっけ。
    「ファウスト、君は前々から思っていたが人を惹きつけ導く才覚がある。だからもしかすると『雄の性別』かもしれないな」
    「『雄の性別』?僕はどう見たって男だろう」
    「最近、とはいっても百年くらい前ではあるけれど、まあとにかく最近見つかった新しい性別、というやつだよ。ちなみに、この辺りでしか産まれないらしいのだけれどね。男女と混合しないように雄と雌と付けているらしいが、雌の性別の者は男女関係なく雄の性別を見ると孕みたくなるらしい。俺たちにしてみれば女でも、雄の性別であれば男に子供を産ませることができると聞いたよ」
    その後の彼の行方は具体的には知らなかった。狂ったまま故郷に戻されたとぼんやり耳にした気もしたが、当時の僕はとにかく目の前の革命のことで必死であったからだ。だが、とも思う。自分の目の前で発狂した人間のことを、今の自分ならまだしも当時の自分が放っておくことができたのだろうかと疑問が浮かぶ。だが、現に僕は彼の行方を知らなかった。今にして思えば、そういった色恋に抵抗を抱いていた僕に対してアイツが気を回して内々に片付け、僕には他に気を外らせるように仕向けていたのだろうと思う。
     そこまで思い出して深いため息をついてしまう。それを正確に捉えた目の前の医者は目を細め「それはいつのこと?」と問いかける。
    「あなたと出会う少し前くらいの話だ。日が浅い、というあなたの発言とは食い違う」
    「さすが、冷静だね」
    「まだ自分のこととして認識していないだけだ」
    「そうなると、やっぱり今回召喚された魔法使いのなかにいるっていうことかな」
    フィガロはその可能性を口にすると、途端にぴりぴりとした雰囲気をまといだす。当然だ、今回はそうならないようにするための検査で、想定したなかでも最悪の部類の結果が出たのだから。
    「フィガロ、僕も普通の人間と同じ扱いで構わない」
    「どうしてそう言い切れる?」
    「そんな衝動、この人生で一度もなかったからだ。それに、四百年近くも引きこもっていれば生殖本能なんてとっくに枯れているよ」
    僕はその意見を譲る気はなかった。本当に、雄の性別だなんてただの厄介なだけだろう。面倒なことに巻き込まれたくはなかった。
     だが、そんな僕の考えを見透かしたようにフィガロは緩く首を振る。
    「さっきも言ったように、君はまだ雄の性別に目覚めてから日が浅いんだよ。もちろん、本来の気質として淡白な方なのかもしれないけれど、枯れていたからじゃない、まだ覚醒していなかったという影響もあるよ」
    そうは言われても、と納得など出来ずに反論を考えてしまう。もともと性的な物事に関心は薄い方だった。若い頃ならまだしも、四百年以上もそれを貫いてきたのだ。雄の性別に覚醒したからといって今更色欲に溺れる自分を想像することができなかったし、何よりもいつそんなものになったというのだ。最近なったと言われても、今までと何ら変わらないように思える脚を、手を、身体を見る。自分自身のことが全く分からなくなっていた。そんな中で憎たらしいことに、よりによってフィガロの方が僕自身よりも僕に詳しいらしいときている。正直、受け入れ難いが今のところこの男に縋るしかなかった。話を聞く、という意思表示をするように椅子に座り直すと、フィガロは満足そうに「いい子だね」と微笑みを浮かべながら言葉を続けた。
    「さっきも言ったように、そもそも個体数が少ない理由のひとつとして覚醒しないまま一生を終えることも多いからだと考えている。」
    「覚醒する条件はあるのか?」
    確定した訳ではないけれど、とフィガロは肩をすくめる。僕が興味を示したことで魔法舎のなかにもう一人、同じような新しい性別の人物がいるかもしれないという焦りから多少は冷静になってくれたらしい。北の魔法使いらしい、どこか身体の奥底が冷えるような冷たい視線から多少は柔らかいものへと変わっていた。
    「人による個体差はあるさ。身体が成熟したとき、自分と相性のいい相手と出会ったとき。俺は後者の可能性を推しているんだけれど」
    「その、相性のいい相手と出会ったときの合図みたいなものはあるのか?」
    フィガロは思い出すように視線を空中に泳がせる。
    「俺が聞き取り調査をした結果だと、身体に電流が走って絶対に相手を逃したくない、と思うらしい」
    「ふん、それなら僕は違う。そんな感覚、感じたことは無いよ」
    フィガロはだろうね、と小さく頷いたあと、それから、と続けた。
    「心が安らぐような花の香りがするらしい」
    思わず少しだけ、目を見開いた自覚はあった。それに対してフィガロは目を細める。それはいつ、と静かに問いかける。
    「……僕が先日の厄災の怪我で死にかけたときだ」
    「えっ、俺その話聞いてないんだけれど」
    「話してないからな」
    「その話についてはまた後で検査をさせてもらうからね。それで、その場にいたのは?」
    あの時は意識が朦朧としていた。もう少しでこのどうしようもない人生から解放されるのだと喜びにさえ満ちていたのに、突然湧き起こった、まだ生きたいという強い意志。自分のなかでそんな感情が生まれる瞬間があるとは思わなかったことを今でも覚えていた。その時、その場にいた初対面の人間は。はたと思いつく。心当たりに思いついてしまった。誤魔化すこともできたのに、つい口を突いて出てしまう。考えると胸の奥がじんわりと優しい温もりで包まれるような、あの子のことを。
    「賢者だ」
    ぴく、とフィガロが反応する。即座に呪文が唱えられ、次の瞬間には目の前にぼんやりとした賢者が佇んでいた。
    「……あれっ?フィガロ……に、ファウスト。俺どうしてこんなところに」
    「ごめんね、賢者様」
    フィガロが先刻僕にしたように賢者の頸に手を添えて呪文を唱えようとした、が。その手を思わずと言ったように賢者が振り払った。その反応にフィガロも僕も驚いていたが、賢者自身もどこか驚いたような、そして怯えたような表情をしていた。
    「……あ、あの、すいません。俺、ここだめなんです……」
    「どうして?」
    優しい声音で賢者に続きを促す。優しくはあるのに、言わずに逃げる事は許さない、そんな威圧感のある問い方だった。
    「……それ、は……」
    「言いたくない?」
    言い淀む賢者にフィガロは首を傾げて優しく問いかける。賢者はこくりと小さく頷いた。それを確認したフィガロは視線をファウストへ向けて「賢者様を抱きしめてあげて」と指示を出す。訳が分からずに困惑していると、いいから、と有無を言わせない言い方に変わった。
     恐る恐るファウストが賢者を抱き締めると、彼も始めは意図が分からず怪訝そうにしていたが、ふと気がついたようにファウストの首筋に鼻を埋め、深く深呼吸をした。すると強張っていた身体がゆっくりと柔らかくなっていく。そんな変化が理解できず、ファウストが疑問符を浮かべているとフィガロが改めて「どうして?」と訊ねた。同じことを聞いても賢者の答えは変わらないだろうに、そうファウストは思っていたが、今度の結果は違ったのだった。
    「俺、Ωなんです」
    「おめが?」
    耳慣れない言葉に二人の魔法使いは首を傾げた。
    「ええと、俺のいた世界には男女以外にも性別があって、一定の年齢になるとみんなが検査を受けて、α、β、Ωの三種類の性別に分けられます」
    「この世界とも少し似ているね。もしかすると、賢者様の世界の方が研究が進んでいてちゃんと分類ができているのかもしれないな。……それで?」
    似ている、という一言に賢者の動揺が直接ファウストの身体に伝わってくる。この抱擁にもなにか意味があるのだろうか、ファウストがそう考えていると、身体に回された賢者の手がファウストの服を握りしめる。
    「それで、俺はその中でも子どもを産む方の性別、Ωに分類されています」
    「賢者様は男の子だけれど、赤ちゃんを産めるんだね」
    フィガロの言い換えに賢者は小さく頷いてみせる。
    「ということは、ここの世界で言う『雌の性別』が賢者様なんだ」
    「とはいっても、βとの子は確率は低いんです。ただ、αとだと……」
    「ほぼ確実?」
    これにも賢者は小さく頷いた。
    「あと、俺は発情期になると一週間身動きが取れなくなります」
    「一週間も?それは……」
    ここでようやくフィガロの表情が痛ましいものを見るものへと変わった。
    「対策はなにかあるのかな。俺たちの世界では正気を失った、と思われてしまいがちなんだ」
    「薬で抑えています。俺もΩなので発情期以外のときでもある程度の量は持ち歩いているので……」
    フィガロは「今持ってる?じゃあ見せて」と求め、賢者はポケットの中から見慣れない形のものを取り出してフィガロに渡した。「これ以外にも鞄にまだ入っていますが、いつかは無くなってしまいます」と不安そうにつぶやいた。
    「複製できればいいんだけれど、残念ながらこの世界の技術力では解析も難しいな。もし、薬がなくなったら賢者様はどうする?」
    「一週間、部屋に引きこもることになります」
    申し訳なさそうに賢者が呟く。
    「それ以外には?」
    「……αに頸を噛んでもらって、番い契約を結べば、αの力で緩和してもらうことはできます」
    だってさ、という視線をフィガロはファウストへと向ける。ファウストはその視線を受け、そのまま腕の中の賢者へと向けた。ファウストの位置からでは賢者の頸を見ることはできない。だが、先ほどの怯えようとなにか関係があるのだろうか。
    「賢者、君はさっき頸を噛んでもらえば、と言っていたけれど、相手は?」
    晶は小さく首を横に振る。それから「触らないでくださいね」と念押ししてから腕の中でもぞもぞと動き、綺麗な頸を見せてくれた。そこを目にした途端、ぞくりとした何かが沸き起こってくるようだった。口付けたい、噛みつきたい、跡をつけたい。そんな欲求が溢れてくるようで、思わず視線を逸らす。未知の感覚に戸惑う。彼は僕を信用して曝け出してくれているのだから、それを裏切るようなことはできなかった。そんな僕の葛藤を知ってか知らずか、彼はぽつりと呟くように話しだした。
    「俺のいた世界に伝わるお伽噺みたいな言い伝えがあるんです」
    フィガロが繰り返す。お伽噺?どんな?と。
    「運命の番、といって遺伝子的に……相性がぴったりな相手がいるそうなんです」
    突然その話を始めた意図が分からず、僕はフィガロと目を合わせる。
    「この世界ではあまり聞いたことのない話だな……」
    「近くにいるだけで発情期を誘発したりだとか、気分や体調が上向きになるだとか。言い伝えなので色々ありますよ」
    「会ったことは?」
    フィガロの問いに晶はちらりとこちらを見てから言葉を続ける。
    「大抵の人は、運命に会えないまま普通に恋愛をして一生を終えます。たぶん、俺もそうだと思ってました」
    晶の答えにフィガロはにんまりと笑みを深くした。それを見て、僕はなんだか嫌な気配を感じ取っていた。
    「ねえ、賢者さま。初めてファウストを見た時、どう思った?」
    「こんなに美しい人は見たことがないと、思って……絶対に、死んでほしくない、起きて俺と話してほしいって思いました」
    「ファウストは?」
    「さっきも言ったが、僕は正気じゃなかったよ」
    「正気じゃないって?」
    「僕は死にかけていたんだ。やっと死ねると思っていたのに、……花の香りを嗅いだ瞬間、生きたいと、思った」
    そこまで聞いたフィガロがにこりと笑みを浮かべる。お互いに執着しているんだね、とまとめられてしまうと確かにそんな気がしてくる。実際にそうなのか、それともフィガロの話術が、雰囲気がそうさせるのかは定かではないが。だが、それ以上に凶悪なことをこの男が口にするとは僕は思ってもみなかった。この男は僕に魔法舎に留まるように呪いをかけただけでなく、真木晶という男を見捨てられないようにも呪いをかけるというのか。
    「お前が賢者様、いや真木晶をこの世界に呼び寄せたんじゃないか?」
    そう言われても、僕は呟いた。そんな一人の人生を狂わせた責任が僕にあるような言い方をされても、正直、困る。
    「責任を取った方がいいんじゃない?」
    駄目押しとばかりにフィガロは言葉を続ける。そうは言っても、どうやって。いや、先ずはそんな相手として僕が選ばれた彼の不運に同情すべきか。
    「呪い屋の僕なんかとそんな関係だなんて、君も災難だな」
    自嘲するように言えば、晶は勢いよく否定する。
    「僕は呪い屋なんだよ、忌み嫌われるような僕と一緒にいるだけで君はどんな後ろ指をさされることになるのかも解らないのに」
    怖気付いて僕に近寄らなければいい。もしフィガロがこのまま魔法舎内の若い魔法使いの検査を続けて、僕以外に雄の性がいるようだったらそちらに相手をしてもらえばいい。少なくとも呪い屋の僕よりはその魔法使いの方が幸せにしてくれるだろう。僕は諦めることに関しては得意だった。この芽生え始めている執着心だって、時間がなんとかしてくれると思っていた。なのに、晶はそうではなかったらしい。
    「ファウスト、フィガロも。お二人は俺がどこから来たか知っていますか?」
    魔法使いの賢者は異世界からやってくる。果たしてそれが同じ時空から、次元から、世界からやってくるのかは分からないが、とにかくそう言い伝えられて代々やってきていた。今更そんなことを問われても、そういうものだとしか認識してはいない。具体的に、と言われても他にどんな世界があるのかも分からなかった。
    「それが俺の評価です。良いも悪いもなにもない。ファウストは自分と居れば評判が落ちると言いますが、俺には落ちるような評判もないんです」
    だから、これから俺の評価は俺が作っていきます。みんなに信頼されるような評価を。そう言い切る瞳は先程までの迷子の子どものような頼りなさはすっかり消えていた。
    「……負の評価からのスタートになる可能性だってあるだろう」
    僕が思わずため息を吐きながら指摘すると、晶は考えていなかった、とでも言うように目を見開いた。その後、やはり首を横に振る。
    「でも、ファウストはいい人ですよ」
    「まだ出会って数日しか経っていないのにどうしてそう言い切れるの」
    僕の問いかけに待ってました、と言わんばかりに彼は笑みを浮かべる。
    「だって、ヒースクリフが必死になる人ですから」
    「ヒースが?」
    晶は自分がこの世界に召喚された晩の話を始めた。魔法管理大臣が連れてきた騎士たちを倒し、自分を連れ出してくれた初対面のヒースクリフの活躍。その必死な理由がファウストを助けたいからという一途なものだったこと。
    「きっと怖かったと思うんです。でも、貴方のためにヒースクリフは頑張ってくれた。そこまでしてくれる人がいる人のことを、俺は疑うことはできません」
    カッコよかったなあ、そうヒースクリフを評価して彼は話し終えた。そこまで言われてしまうと僕もこれ以上は否定できなかった。
    「……ここは、ヒースの顔を立てるとしようか」
    「さて、話はまとまったようだね」
    静観していたらしいフィガロが一つ手を叩いて自分に注目を集める。
    「ファウスト、君は圧倒的に理性的な人物だ」
    意図がわからない僕らを置いて、フィガロは話を続けた。
    「時々、誰もが予想もしなかったことをすることもあるが、それは予想できなかっただけで、君にしか見えていなかった最善策だったというだけだろう?」
    そんな風に評価されるようなことをしているつもりはなかった。なのに、フィガロは無視して続ける。
    「君は全てを俯瞰し、計算して動くことができる。それで革命軍はあそこまで昇り詰めた」
    「だが、最後はあなたも知っての通りだ。僕は言うほどの男じゃない」
    フィガロは肩をすくめる。あいつの中では結論はもう決まっているようだった。僕の反応なんか気にしない。それは四百年が経っても変わらないらしい。
    「まあ、結果はどうであれ俺としては君が適任だと思っているよ」
    なんの、と僕はフィガロに問いかける。一方で晶は頬を赤く染めていた。
    「理性を無くした賢者様が苦しんでいたら、手助けをしてあげて」
    「手助け?」
    フィガロは相変わらず肝心なことは言わない。その時にになれば分かるよ、なんて適当なことを言って誤魔化す、良い加減な魔法使いなんだ。きっと魔法使いの悪評の一端はこいつが担っているに違いない。
     そんなことを考えながら、どうやら僕は真木晶の「運命」とやらで決まったらしいが、どうしても譲れないことがあった。晶にとっては残酷なことかもしれないが、彼のためを思えば一番いい決断だと、その時の僕は自信を持っていたし、そうあるべきだと信じてさえいた。
     そして、その日の間にフィガロの検査は終わった。分かったことといえば、晶と番うことのできる雄の性として覚醒しているのは僕だけだったということだった。
     翌日の食堂にて。晶の服装の変化に目敏く気づいたのは、衣服を作るのが好きだと言う西の国の魔法使い・クロエだった。
    「わあー!賢者さま、素敵なチョーカーを付けているね!」
    目をきらきら輝かせながら晶の周りをぐるぐる回って色々な角度から眺めている。
    「これ、どこで手に入れたの?」
    晶はその問いにどう答えたものか、と困惑したように隣にいる僕に視線を向ける。
    「オズとフィガロが賢者の身を案じて贈ったものだよ」
    「へえ!道理で二人の魔力を感じるはずだよ!」
    嘘は何も言っていなかった。そして二人の名前を出したのも、二人が魔力で編んだものなのだからいずれ明らかになることだった。妙な隠し立てをするよりは一部を明らかにして満足してもらった方が都合が良かった。そしてそれは功を奏したらしい。その後も複数人の魔法使いがチョーカーを褒め─中には、というよりは北の魔法使いの三人は忌々しそうな反応をしめしたり、対抗意識からか自分が作り出した禍々しいものと交換するように迫っていたが─それ以上は深入りしなかった。



     賢者の魔法使いとして。異なる賢者から召喚され、何十回も厄災を撃退することに尽力し、なにより四百年も生きているというのに、あんなを話を聞かされてしまえば妙に意識してしまうのも仕方ないのかもしれない。
     ファウストはあの日から妙に晶のことを意識してしまっていた。あの子が自分の運命だって?まだ子どもじゃないか。きっと、彼に知られてしまうと「成人しています」と臍を曲げてしまうであろうことを延々と考えては一人唸る日々だった。
     今も、晶は魔法舎の中庭で他の賢者の魔法使いと楽しそうに話している。話し声と笑い声。それから、時々聞こえてくるあの子の驚いたような声。腹の底がもやもやとする気分は初めてだった。
    「なーにを見てんだ、せーんせ」
    ファウストが返事をする前に「これ食う?」そう言いながら皿を差し出したネロを見上げる。
    「……いや、別に」
    ふい、と視線を外してからネロが差し出した皿の上のものをひとつひょいとつまむ。さく、と軽快な音ともに柔らかい甘さが口の中に広がり消えてしまう。おいしい、と口を突いて出てきた感想にネロは得意げに笑いながら「だろー?」と言い、自分もひとつつまんで口の中に放り込む。
    「それで、先生。賢者さんを見てどうしたんだ」
    「……賢者を見ていたわけでは……」
    「先生知らないだろ、あんた嘘を吐くときに指をいじるんだぜ」
    「は?そんなわけ……」
    思わず自分の指先を見る。さっき、返事をしたときに自分の指はどこにあった?思い出せない。するとネロがべ、と舌を出して平然と宣った。
    「まあ、嘘なんだけど」
    「……きみ……!」
    「あはは、あんま怒んなよ、せんせ。俺も悪かったって」
    お詫びにもうひとつ。あーん。ネロが差し出したお菓子を思わずそのまま食いついて食べてしまう。なんだか餌付けをされているようで居心地が悪い。そんなもやもやとした気持ちを抱えながら口の中のものを飲み込むと、ネロが「あ」と声を出した。なに、と問いかけるとネロがにやにやとした笑みを浮かべる。
    「いや、今賢者さんが俺たちのこと見てたんだよ」
    「それがなに」
    「いや、なにも?」
    賢者さんも大変だな、そう言いながらファウストはネロに背中を叩かれる。どういう意味だ、そう去っていく背中に投げかけるも、ネロは気にしていないのかひらひらと背中越しに手を振るだけだった。
     その後は晶の方から何かを話しかけてくることは無かった。むしろ、避けられているような気さえする。
     呪い屋だなんだと人を避け続けていたとはいえ、僕のことをいい香りがするだの、綺麗だのと言っておきながら結局はこうだ。ファウストは内心毒づきながらいつも通り、このまま離れてしまおうと思った。だが、どうしても勘違いをされているような気がしてならない。その辺りをはっきりさせておきたかった。
     その機会はすぐにやってきた。夜の廊下で正面から歩いてきた晶がファウストの顔を見るなり「しまった」なんて表情をしてから踵を返したのだ。この姿にさすがのファウストも苛立った。廊下は走ってはいけません、そんな標語を連想させるように晶は早足で立ち去ろうとする。だからファウストはその背中目指して走り、手首を取った瞬間に呪文を唱えた。
    「サティルクナート・ムルクリード」
    「ず、ずるいっ……!」
    晶の非難の声を無視して、場所をファウストの部屋へと強制的に変えさせた。
    「君こそなんなんだ、やっぱり僕のことが嫌になったんだろう?」
    「違います!ファウストのためじゃないですか……!」
    「僕のため?」
    ほら、やっぱり。この子は決定的になにかを勘違いしている。
    「どうして」
    目を細めて詰問すると、晶は可哀想なくらいに萎縮してみせた。そんな姿を見たい訳ではなかったのに。
    「ふぁ……ファウストにはちゃんと好きな人がいるのに、俺なんかに運命だって言われて、本当は困っていたんでしょう」
    「僕は恋愛という意味で好きになる予定になるのは一人しかいないし、別に君から運命と言われて困ってもいないよ」
    安心させようと賢者の指先を取って絡める。こんな手の繋ぎ方、したこともないのに簡単にできた。
    「……ネロは?」
    「どうしてここでネロが出てくるの?」
    今度はできるだけ優しく声をかけてみる。彼が安心するように。僕の気持ちが伝わるように。
    「この間、楽しそうになにか食べさせてもらっていたじゃないですか」
    思わず「ああ……」という声が漏れてしまう。ネロが言っていたのはこのことか。
    「あれは美味しいお菓子を差し出されたからつい食べてしまっただけだよ」
    本当に?晶が困ったように目を覗き込む。返事の代わりに「君は本当に僕のことが好き?」と訊ねてみた。晶は気持ちを強く表すようにこくこくと頷いてみせる。
    「俺、貴方と出会ったばかりでおかしいかもしれないですけど、どうしようもなく惹かれてたまらないんです。貴方のことをもっと知りた……」
    一生懸命紡がれていく晶の言葉に突然現れた愛おしさで胸がいっぱいになる。その愛しさでどうにかなってしまった僕はたまらず晶の唇に自分の唇を押し当てた。
    「……ファウスト、これ、」
    「もう一回するよ」
    返事を聞く前に、今度はちゃんとキスだと分かるように口付けた。晶の空いている手が僕の腕に縋るようにしがみつく。少し離すと晶は「もっと」と強請るから、その日の晩はとにかく二人が満足するまでキスをしあうことにした。
     その日を境に距離感が変化したという自覚はあった。だから、そんな僕らを見たネロに揶揄われても特に気にはならなかった。晶は少し恥ずかしそうにしていたけれど、それすらも可愛らしかったし、あまり可愛い姿を見られたくなかったので少し身体をずらしてネロに見えないようにしたら、ネロの笑みがもっと深くなったのは気のせいだろう。
     そうやって僕らはゆっくりと距離を縮めていった。だが、一度縮まった距離はもっと相手のことを知りたいという二人の貪欲さである習慣を作ることにした。お互いが魔法舎にいる夜は、なるべく二人で過ごそうというものだった。
     部屋に引きこもって魔術の本を読んでいると控えめなノックの音が聞こえてくる。そろそろあの子が来る頃か。入るように伝えると流石に扉の隙間から身を滑り込ませて晶が入ってきた。
    「忙しかったですか?」
    おずおずと問いかけるあの子を椅子に座ったまま手招きし、近づいてきた彼の手を取って「僕も会いたかったところだよ」と言いながら軽く引き寄せる。すると彼も僕が何をしたいのか察して少し屈んでくれる。挨拶代わりのキスもお互いに随分慣れてきて、照れることなく交わせるようになっていた。ただ、まだ慣れていない頃の初々しい晶の反応も愛らしかったので、その点では残念ではあるが。
     この夜の密会のおかげでお互いのことを少しずつ理解できるようになってきたと思う。好みや嫌いなこと、興味のあることなどなど、たくさん話してきた。そんな時間がとても楽しくて、少しの後ろめたさも感じるようになっていた。
     そんなある日。東の国で集まって訓練をした後のことだった。ヒースクリフが静かに近づいてきて、なにか言いたそうにしている。僕の方から問いかけると、彼は決意したように顔を上げた。その瞳はきらきらと輝いていて、ただでさえ美しく整えられた顔をより引き立てていた。
    「俺、あの賢者様が来てくれて本当によかったと思っています」
    どうしてその話を僕にするのかが分からず「それなら本人に言えば?」とサングラスを直しながら言うと、彼は僕の手をとって身を乗り出してさらに続けた。
    「俺、ファウスト先生には絶対に幸せになってもらいたいと思っていたんです!」
    あまりの力の入りよう、そして突拍子もない発言に言葉が出てこない。僕の幸せ?それが晶とどんな関係があるのだろう。
    「今の賢者様が来てから、ファウスト先生の表情が柔らかくなった気がするんです。笑顔が増えたというか、雰囲気が柔らかくなったというか。それが俺には凄く嬉しくて」
    確かに、あの子が来てから生活が一変した。そもそも、嵐の谷での引きこもり生活ではなく、人が常にいる魔法舎での生活に変わったことも大きいだろう。始めはどうなることかと思っていたが、あの子が近くにいると思えるだけでも次の日目覚めることが楽しくてならない。そんな気持ち、いつ以来だろうか。記憶にないほど遠くか、そもそもそんな経験がないのか。これが幸せな状態というのだろうか。正直、自分が幸せになってもいいのかどうかさえ疑問だったが、あの子が楽しく過ごすことができ、ヒースクリフが喜んでくれるというのなら一概に悪いことではないのだろう。自分をそう納得させると、自然と笑みが浮かべられるようだった。
    「ああ、幸せだよ。ありがとう、ヒース」
    感謝の気持ちさえも自然と口を突いて出てきてくれたのだ。なるほど、確かに今の僕は幸せなのかもしれない。



     晶がこの世界へ来てから一月が経とうとしていた。そして、とうとう晶の発情期がやってきてしまった。
     彼はいつ帰ることができるか分からないから、と薬の使用量に細心の注意を払って服薬すると言っていた。フィガロもそれには同意していた。基本は一番酷い発作の時に一錠だけ。あとは僕やフィガロが張った結界で守られている部屋で一人過ごす。その予定で進められるはずだった。なのに、いざあの子の発情期が始まった晩。僕が夕食の席についているとフィガロは怪訝そうな表情を浮かべて近づいてくる。
    「ファウスト、どうして賢者様と一緒にいないの」
    「僕が近くにいたところでできることはなにもないよ」
    「そうかな。俺は試してみないと分からないと思うけど」
    そう言い終えるか終わらないかの内にあの憎たらしい魔法使いは呪文を唱え、気がつくと僕は意図が晶の部屋にいた。思わず悪態を吐きそうになるが、あの子にそんな姿を見せたくなかった。
     部屋の中は柔らかい花の香りで「充満」していた。むせ返るような強い匂いのはずなのに、彼の人柄なのかそれとも本当に相性がいいからなのか明らかではないが、とにかく僕には優しく包み込むような不愉快でない香りだった。その空気を吸い込み、ぼんやりとしていると弱々しい、今にも空気と混ざり合って消えてしまいそうな声で呼ばれた気がした。どんなに好ましい香りだったとしても、判断能力を奪うものなのか、とどこか冷静な僕が分析をする。
     ベッドの方へ目を向ける。潤んだ二つの瞳がこちらを見つめているようだった。
    「ど、どうしてここに、」
    「フィガロに送り込まれたんだ」
    驚かせて悪かった、そう謝罪を口にしてから、近づいてもいいかを訊ねた。答え如何によっては扉から出て、改めて結界を張るつもりだった。晶は少し迷ったように目を彷徨わせている。晶は「抱いてくれ」と言わないし、いきなり襲いかかってくることもしなかった。ただ、胸を上下させ、自分の荒くなった呼吸を聞きながらじっと耐えているようだった。だから、どうすれば良いか分からない。それに大切な晶の願いはできるだけ叶えてやりたい、そんな思いが強かった。
    「君がなにを望んでも僕は迷惑に思わないよ」
    できれば傍にいたかった。よく分からないから、と部屋に近付かないつもりでいたが、実際に彼の様子を見てしまうとそんな甘い考えは一瞬にして消え去っていた。
     少しずるいかな、と思いながら自分の希望を通すために彼の手を緩く握る。しっとりと汗で湿った手は温かかった。「ね、晶」君のことが大切だ、愛おしいんだ、そんな気持ちを精一杯込めて名前を呼べば、彼の身体がびくりと跳ねる。晶も僕の名前を小さな声で呼んでくれる。そして、手が強く握り返された。
    「あの、おれのこと……だきしめて、ください」
    「それだけでいいの?」
    力なく晶が頷いたのを確認して、僕は呪文を唱えて寝巻きに着替えると、彼の横たわるベッドの空いている部分に身体を滑り込ませ、熱い彼の身体を両手で、足で、身体全体を使って抱きしめた。
     この夜を越えてから、僕らの夜の密会はただ座って話すものから膝枕をしたり、抱きしめあって寝転がったりと身体的接触を伴うものへと変化することになった。



     晶にとって特に用事のない日であった。もといた世界でも晶の休日は家の作業をしたり、本を読んだりで基本は家で過ごすことが多かった。外へ出る用事といえば食料を買いにスーパーへ行くくらいで、あとは猫ばあさんのところで猫を堪能させてもらっていたことくらいしか思い浮かばない。
     そんな晶が慣れない異世界に召喚されてしまえば、この世界にどんな娯楽があるのかも分からないうえ、土地勘もないので不用意に出ることが憚られ、自然と「恋人」と同じように引きこもりがちであった。
     だが、引きこもりがちな性分とはいえ、この世界に対する興味はあった。機会さえあれば任務以外でも外へ出たいと願っていた。
     そんなチャンスがやってきたのがまさにこの日であった。西の国と中央の国は任務で出払っていた。東の国は訓練するにはいい日和だと魔法舎近くの森へ出ていた。北の国はよく分からない。南の国はレノックスが羊の世話、フローレス兄弟は自然観察と行って朝早くから箒でどこかへ出かけてしまったらしい。
     必然的に身体が空いているのが賢者とフィガロの二人だけだった。そんな折にフィガロの方から「賢者様はどこか行きたいところはあるの?」と誘いが掛けられたのだ。「もちろん、ファウストに許可は取っているから安心してね」と抜け目ない南の国の優しいお医者さん魔法使いはウィンクをしながら教えてくれた。「ファウストの許可」その響きだけでも晶はいかにも恋人です、といった実感が改めて湧いてくるようで落ち着きがなくなってしまう。そして、安心して中央の市場へ行ってみたいことを伝えると、いつも頑張ってくれている賢者様のために、欲しいものがあったら買ってあげるね、とまで言ってくれたのだ。
    「気持ちはありがたいですが、自分で買わないと意味がないので……」
    「もしかしてファウストへのプレゼント?」
    からかうようにフィガロが正解を口にすると、晶は途端に頬を赤く染めた。あの子の大切な人が贈ろうとしているプレゼント。これからもそれが続くと良い。そんな願いがあるのだから、軽率にからかうべきではなかったと内心反省したフィガロは「良いものを探そうね」と励ますように言うと、途端に輝く笑顔を浮かべて晶はいい返事をするのだ。一時でも「籠絡してやろう」と企んだことのあるフィガロにしてみれば、そんな笑顔を引き出せたのが自分ではなかったことが少しつまらなかったが、それを上回る喜びを感じることができたので、自分も変わったなと笑みをこぼした。
     そして今。ファウストへのプレゼントを選ぶことに夢中になっていた晶は、隣にフィガロがいないことに気が付き、少しの焦りを感じていた。行きは彼の箒に乗せてもらったのだ。景色を眺めて楽しみはしたが、地上から帰るとなると一人では心細い。不用意に移動するのも良くないとは思いつつも、初めての土地、見慣れない言葉。連絡を取る手段もないとくれば不安で仕方がなかった。
     どうしよう、そう思っているときに、背後から声をかけられた。嗄れた声にこの世界での顔見知りでないことは確実に思いながら振り向くと、そこにはいかにも魔法使いといった風情の老人が一人立っていた。
    「お困りのようですね」
    確かに晶は困っていた。だが、見知らぬ人にそれを伝えていいものかどうか。これまでは心強い魔法使いたちに囲まれて生活していたが、一人になった途端に自分が如何に無力かを思い知らされるようで、幼い子どもになった気分で、昔むかしに親から言い聞かせられた言葉を思い出す。答えに困っていると「よいよい」と老人は答えを遮り、晶のことをじっと見つめた。
    「貴方は『花の性』なのですね。なんと珍しい……」
    「花の性?」
    思わず反応をしてしまった時だった。足元から猫の鳴き声がひとつ聞こえてきた。視線をそちらへ向けると、晶は猫の名前を言いそうになるが、あえてこの姿で出てきたことに意味があるのかもしれない、と考え「探したんだぞ〜」なんて小芝居をひとつうちながら足元の猫を抱え、老人から距離を取ることに成功した。
     どのくらい歩いたのだろうか。いくつかの通りを超えた先の路地へ入ると、抱えていた猫が「もういいよ」と冷静に告げたのを合図に下へ下ろしてやると、瞬きをしている内に猫は消え、そこには代わりにフィガロが立っていた。
    「よく気がついたね、偉いよ賢者さま」
    頭をわしわしと撫でられ、少し誇らしい気持ちになる。
    「さて、そろそろ魔法舎に帰ろうか。買い物の続きは後日、ファウストと行くといい。それから賢者さまはこれから暫く不用意に一人きりで外へ出ないようにしてね」
    フィガロがウィンク付きでそう説明した後、晶の手を取ると呪文を唱えて場所を移した。まるで何かから逃げているようだ、と晶は感じていた。



     フィガロと市場へ行ってきたんです、そう楽しそうに見たもの、可愛かったもの、猫グッズの情報をひとしきり語った晶は、満足したのかそれとも急に疲れが出たのか、気がつくと僕の膝の上で寝息を立てていた。
     柔らかい彼の黒髪を手のひらで撫でると、嬉しそうにもぞもぞと動く。このまま喉でも鳴らすのではないかと思うくらい、どことなく猫のように思われた。
     指で髪を梳き、耳たぶを軽く擽ってやると嫌でも賢者の首を、頸を保護するものが視界に入ってしまう。
     ファウストは腕の中で眠る晶のチョーカーをかり、と戯れるように爪で引っ掻く。すると彼の行動を戒めるように些か強めの電流が走った。
    「流石はあの二人が封印しただけあって、硬いな……」
    ファウストの脳裏に二人の魔法使いの影が浮かぶ。一人は世界最強と言われる魔法使い。もう一人はその兄弟子であり、ファウストにとっての師匠であった。一人でも十分な魔力量を誇る二人の魔法使いがこうも入念に固めるのはファウストの意志だった。
     お互いが運命だと分かった─いや、突きつけられたその日。僕は一つの譲れないことを口にしていた。
    「賢者と番になるつもりはない」
    その一言を口にしたときの晶の表情は覚えていなかった。いや、見ることができなかった。怖かったのだ。必死に意識を目の前のフィガロへ向けていたことは覚えている。男は無表情でファウストの決断を聞いていた。摯実な表情とも、軽蔑した表情とも、とにかくどうとでも取れる表情だった。フィガロがなにも言わないのを続きを促しているのだと解釈して言葉を続ける。軽蔑されたくはない、そんな心がどこかにあったのだろうか。口をついて出てくる言葉がどれも言い訳がましく思えてならなかった。
    「ここで番になったところで、元の世界に戻ったらどうする?ここでの契約がなかったことにならない可能性だってある」
    「そこはファウストが賢者様の世界まで追いかけていくとか言おうよ」
    「不確かな根拠を元に危険は冒せない」
    フィガロは肩をすくめる。まあ、確かにそうだよね、お前の言うことは正しいよ。そう口にしてから視線を隣へ移動させ、晶の考えを尋ねる。俺も同じ意見です。か細い声だった。ファウストは自分で言い出したことなのに、実際にその返事を聞くと傷ついていた。やはり、元の世界に戻りたいのだな。それもそうだろう、と彼の身の上を案じて理解したつもりになる。
     すぐに下した結論ではあったが、この子の将来を考えれば最善なものを導き出せたと思いたかった。だから何度も、解散した後の自室へ戻ってからも自分に言い聞かせた。これは正しい判断だった、と。
     晶の世界では無理やり番にさせられないようにするための対策として首を保護するという方法が一般的らしかった。ではそれに則ろう、大丈夫、悪いようにはしないからなんてフィガロは準備を請け負ったが、まさか弟弟子が魔法を使える朝になるまで待って、それから封印の呪文を共に施すとは思ってもみなかった。
     ファウストは晶の首に巻かれたチョーカーから意識を晶自身へと向ける。ぐっすりと安心しきったように眠っている。時折ファウストへと身を擦り寄せる姿からはどうしたって自分へ向けた愛おしさや好意を感じざるを得なかった。なのにどうして、君はこれを辞めませんか、と嫌がらないのだろう。ファウストはあの日から何度心の中で問いかけたか分からない疑問を呟く。しかし、そもそもそれは自分が言い出したことなのだ。でも、あの時はまさかここまで恋焦がれる相手になるとは思ってもみなかった。
     自分の思いを吐き出すように深く深く息を吐き出す。
    「君がこうして安心して僕に身を預けてくれるのはあの二人のおかげだが……やはり、面白くはないな」
    拗ねたような声が出てしまっただろうか。そんな言葉をこの子が聞いたらどんな反応をするのだろう。それを考えるだけでも楽しく、心が満たされるようだった。



    「なあ、ここ最近、依頼が多すぎないか?」
    東の国の少し外れた位置にある小さな村からの依頼を済ませて帰ってきたばかりのシノは、目の前に差し出された新しい依頼書を見て思わず、と言った風に愚痴をこぼした。そんなシノの隣に立っていたヒースクリフは小さな声でシノを叱責したあと、眉を下げながら依頼書を受け取って小さな溜息を吐く。
    「領民からの依頼ともなれば喜んで向かうべきだということは理解しているのですが……」
    ヒースクリフの視線の先はきっと地名なんだろうな、と晶は心の中で予想する。この依頼書がクックロビンから渡されたとき、偶然近くを通りかかったネロに依頼書を見せていたのだ。すると彼はしかめ面をして「こんな辺鄙なところから、どうやってこれが届いたんだよ」というお墨付きを貰っていた曰く付きのものであったからだ。
     ヒースクリフの美しい瞳が紙面を滑らかに撫でていくと次第に眉間に刻まれた皺が深くなっていく。すると自然と晶の身も申し訳なさから小さくなっていくようだった。そんな主人の様子にシノは「おい、ファウストとネロはどうした。あいつらに行ってもらおう」と提案する。しかしヒースクリフは小さく首を振って「この程度なら先生たちの手を煩わせる訳にも行かないよ、行こう、シノ」と諦めたように呟きながらシノのマントを引っ張って再び魔法舎を出て行こうとする。
     そんな背中に晶は慌てて声を投げかけ、足を止めてもらう。
    「あの、せめてネロが作ってくれたご飯を食べてからにしてはどうでしょう……?お二人が帰ってくるのに合わせて作っておいてくれたんですよ」
    晶の言葉に若い二人は目を合わせると「ありがたく頂戴します」と多少の元気は見せたものの、その足取りは重苦しいものだった。
     この二人の若い魔法使いが貧乏くじを引き続けているという訳ではないのだった。晶は二人の足を食堂に向けさせてから自分は図書室へ向かった。扉を開ける。先程まで作業をしていた机を恐る恐る見るも、親切な妖精さんが代わりに仕事をしておいてくれたなんて奇跡は起こる訳もなく。図書室を出た直前となんら変わらない紙の山がそこにはあった。
     その紙の正体は魔法使いたちが済ませてくれた依頼についての報告書と、まだ片付いていない報告書の山である。ある程度の広さを確保しなければ整理できないほどに増えてしまった山をみた双子が「図書室を使うとよい!」とすすめてくれたおかげで晶は図書室に篭りがちになってしまっていたのだ。
     それほどまでに、魔法舎に届けられる依頼の数は多くなっていた。だが、どれも軽微なものではあるのだがやや距離のあるものがひっきりなしに届くのである。そのためか最近は国ごとに行動をするというよりも、二人一組で依頼を済ませては次の依頼へ向かうという繰り返しになっていた。
     そんな忙しない魔法使いたちの様子を、見守るしかない晶は不安な眼差しで見送るしかなかった。だからこそ、南の国のように全員で行こうという提案を耳にすると、普段よりも安心して送り出すことができるのだった。
    「うーん、依頼内容自体はルチルとミチルで十分だと思うんだけれど」
    「場所が……遠いですね……」
    南の国の年長者の二人が渋い顔をして唸ってしまう。二人の会話を聞けば確実に「私・僕たちだけで大丈夫ですよ!」と強引に二人だけで行ってしまいそうな兄弟であることを理解している二人はあえて当事者二人を外して相談をしていた。
    「俺がルチルかミチルと共に行きましょうか」
    「そうしたいのは山々なんだけれど、この事象は少し珍しいから二人に経験させてあげたいんだ」
    「なら、解説をするためにもフィガロ先生が……」
    「……いや、やっぱりレノックス、俺たち二人もついていこう。途中で他の依頼も片付けて仕舞えば一石二鳥だろう?」
    そんな先生役の一声で四人で向かうことが決まったのが一昨日で、昨日魔法舎を後にしていた。まだまだ当分帰ることはないのだろうと晶は四人に思いを馳せる。
     それと対極なのは北の国だった。
     いつも通り、非協力的だった彼らは晶がなんとか宥めすかすことで向かってはくれていた。そのため、晶の負担もかなり大きくなっていたのだが、それはまだまだ序の口だった。
     あまりの依頼の数に静かに怒っていたらしいミスラが「もういっそ何もできない人間なんて滅ぼしましょうか」と口にしたのを皮切りにオーエンとブラッドリーは当然のように乗り気な反応を見せる。「そんなことをしたらだめですよ!」と晶が必死に止めるも、どうやって滅ぼそうかと楽しそうに相談を初めてしまった三人を持て余し、多少は理解のある双子に助けを求めようとしたがこの二人も疲労が限界まできてしまっているようで、猫を被る気力もなくなっているようだった。
     結局、おろおろと晶が困惑していたところにオズが通りかかり、魔道具である杖で床を一突きした瞬間、相対的に若いことになる北の魔法使いたちは舌打ちしながら逃げるように新たな依頼へ旅立っていくのだった。



     こんな調子でどの国の魔法使いたちも忙しそうにしている最中でのことだった。西の国の要人から「真木晶さまへ」と名指しで招待状が届いたのは。
     賢者もこの世界の文字の読み書きの練習をしているが、崩した草書体で書かれている文字はまだ読めないらしく、偶然居合わせた──というのも、次の依頼は向かおうとしたところ、ヒースクリフに「先生は病み上がりなのですし、なによりも賢者様と共に過ごしたいですよね」ときらきらした目で言われてしまい、どうしてそこに賢者が出てくるんだ、と反論したものの「俺も北の魔法使いに絡まれるよりは子守していた方が楽」というネロに押し切られていた──僕のところに読んでほしい、と賢者が手紙を持ってきたことから始まる。
     具体的な差出人は現在の西の国における研究分野の中心人物で国政にも関わっている貴族らしかった。どんな人物なのかは西の国のことには明るくない僕よりも、シャイロックやラスティカに聞けば教えてくれたのかもしれないが、他の魔法使いたちと同様に彼らもまた細かな任務に追われていて魔法舎を空けていた。賢者は二人のうち一人だけでも構わないから、戻ってくるのを待ってからと考えていたようだが、そうこちらの都合ばかりを聞いてくれる気はないようで、むしろ、こちらを支配するかのような物言いだった。それに気づいた僕は途中で音読を止め、眉間に皺を寄せて続きを一人で読んでしまう。片手で眼鏡の左右の智を抑えて眼鏡の位置を直した後、溜息を吐いてからもう一度読み返す。指先で唇に触れてから小さく唸り、「賢者」となるべく感情を込めない声で呼びかける。
    「僕は君をここへ送り出すことに強く反対する」
     文書の中身は決して対等なものではなく、明らかに賢者を服従させようというものだった。世界を救うことを目的として集まった魔法使いたちであるが、中央の国に本拠地を置いている以上は中央の国の管理下に置かれている立場だった。だから、ある意味西の国がこういった態度で出るのであれば、外交問題にも発展しそうな内容である。血の気の多い者が上に立っていれば確実に宣戦布告とみなして問題に発展していたであろう。しかし、現在の中央の国の指揮を執るのは争いを好まないアーサー王子と、とにかく魔法使いを敵視しているヴィンセント王弟殿下である。何かの間違いではないか、と自ら乗り込むか、こちらに不利であると察すればさっさと賢者を差し出しそうな二人に相談したところで事態が好転するとは思えなかった。つまり、そんな状況を見越したうえで送りつけた、こちらを舐めている内容の文書といえるものだった。
     少なくとも賢者の魔法使いたちは形はどうであれ晶に対して対等な関係を尊重して守っている。とにかく大切な存在なのだ。それがこのように軽んじられては腑の煮え繰り返るほどの怒りは禁じ得ない。
     だが、人一倍責任感の強い晶である。他国からの呼び出しともなれば代表者として向かわなければならないと思い込んでしまっている。こんな無礼な奴なんか、尊重する必要ないのに。
     だから、僕が折れることにした。どうしても乗り気にはなれなかったが、彼を一人行かせるよりはマシだと自分に言い聞かせ、自分も同行することを申し出た。
    「でも、一人で来るようにとあるんですよね?」
    「君は平和ボケをしているのか?もし君の身になにかあったらと思うと僕は気が気でならない。だから、頼む、僕を連れて行ってくれ」
    懇願されてしまうと、晶も強くは断れないようだった。では、よろしくお願いします─晶がそう一言口にした時、僕は安心したが、晶に気づかれないように細工を施しておくことにした。



    「全く、賢者が一人で来ることを望んだはずだが、任務にも行かないで怠慢な魔法使いがついてくるなんてな」
    苦々しくそう口にするのは西の国の魔法使いであり、晶を呼び出した張本人だった。謁見の場に選ばれたのは彼が所有する城で、部屋には沢山の白い花が咲いている。その花たちを見てファウストは思わず舌打ちをする。賢者を守らなければならないのに今がぼんやりしてくるようだった。今すぐにでも焼き払いたいが、そんなことは当然許してはくれないのだろう。
     流石は西の国の技術を推進している人物なだけある。普通の花よりも異様に効きが良いようだった。
     僕はどこかぼんやりする頭で、遠くから聞こえるような男の声に必死に耳を傾けた。
    「お前たち賢者の魔法使いがしくじったせいで世界がこうなったんだろう?自分達の後始末をさせてもらっている立場だろうが」
    口振りからはまるで人間を装っているようだが、僕には明らかに魔法使いであることが分かっていた。ネロのように人間に紛れることで生きている魔法使いもいる、そう解釈できる。同じ魔法使いだというのに男は憎たらしいほどに生き生きと話している。あんな花を用意するくらいだ、当然対策は立てているのだろう。
     しかし、任務の数の多さを早速指摘されたことに妙な引っ掛かりを覚えていた。回らない頭を必死に動かして考える。なぜそのことを知っているのか。あくまでも任務を集め、魔法舎に届けているのはクックロビンのはずだった。他の役人たちはそもそも魔法舎に近づくことすら忌み嫌う。しかし、魔法管理省内でなら、個々の依頼が届くのを他の職員が目にしていてもおかしくはないが、相当数が集まってきていることまでは相当注意していないと、わかっていないはずだった。それを知っているということは魔法管理省にモグラがいるのか、はたまた依頼数の増加を企んだのがこの人物だからなのか。どっちみち、この状況を奴が知っていること事態が自分達に不利であることは変わらなかった。
    「単刀直入に言おう。賢者、お前は西の国へ来い。ああ、他の魔法使いたちは必要ない、お前だけで十分だ」
    「なにが目的だ」
    自然と声が低くなる。不穏な雰囲気に僕は晶を自分の背後に隠す。そんな様子を観て西の国の魔法使いは鼻で笑う。
    「我々は『花の性』を探していたのだよ。優秀な子を孕むという伝説がある、花の性をね」
    なぜそれを知っているのか、僕が警戒すると晶は小さな声で「あ、」と呟いた。なにか心当たりがあるらしい。
    「この間、フィガロと一緒に中央の国の市場へ行った時も同じことを言っている人がいたんです」
    僕は成程、と合点がいく。そのときに調べられてしまったのだろう、と。
    「我々はこの性別について詳しく調査をしたかった。なのに、何処かの不遜な魔法使いが片っ端から連れ去っていったのだよ。お前は知っているか?五百年ほど前、今でいう中央の国の田舎でこの特殊な性別が突如現れたんだ。我々は西の国にもそういった者がいないか必死に探したよ。だが、いなかった。中央の国でしかその性別は生まれないらしい。だから中央の国から連れてこうようと考えたが、荒らし回ったヤツがいたんだ。自分を守れるものは中央に留まるか、北の国へ。隠れることがうまければ東へ。どちらでもないひ弱なやつらはその魔法使いが隠しやがったんだ」
    「もしかして、フィガロですかね」
    「ああ、その可能性が高いな」
    ひそひそと僕らが話をしていることが気に食わないらしい。突如男の怒りが増したことを察する。
    「だが、お前がここにきた。どんなに長生きをしている魔法使いといえども、賢者には手出しができないだろうと踏んだんだが、その通りだった!使えない魔法使いを連れてきてはいるが、ここまでやってきてくれたことを感謝しよう」
    勝ち誇ったように高笑いをするが、その声すら頭に響いて辛い。どうせ満たされるなら、こんな奴の声ではなく、晶の声が良かった。
    「お前を使って花の性のメカニズムを研究し、その研究の副産物としてお前が産み落とした優秀な子どもたちを各国の有力貴族、王族と結婚させる。そして西の国の思うがままに世界を纏め上げる。今でこそ中央の国が幅を利かせているが、そんな時代もこれで終わりだ」
    聞くに堪えない、そう思った。手探りで晶の手を見つけ、強く握りしめると彼もそれに答えるように握り返してくれる。
    「どこの馬の骨ともわからない奴に賢者を渡すくらいなら、僕が賢者を幸せにする」
    賢者にだけ聞こえる声で、新しい決意を口にする。彼だけが聞いてくれればそれで良かった。前にした決意を撤回するようで居心地が悪いが、彼はどんな反応だろうか。僕なんかにいざそんなことを言われたら嫌だろうか。今度こそ、ちゃんとあの子の反応を受け止めようと横目で表情を伺う。ばちりと視線が合う。その後、幸せそうな笑みを浮かべて頷いてくれた。
    「お前はそこそこ長命で力のある魔法使いのようだから、なかなかいい石を得られそうだ」
    だが、どうやってここを抜け出す?この子一人を逃すくらいなら何とか好機は作れるかもしれない。
    「西の国の人間は芸術を愛するが、私のようなものは天秤に掛けて実利を取ることもできる。お前たちの話は戯曲にでもしてやろう」
    ああ、鬱陶しい。少し黙ってくれないか。思うように考えられなくて苛々する。そう思った時だった。
    「アルシム」
    「ポッシデオ」
    目の前で時空の扉が開き、同時に飛び出してきた炎で白い花だけを燃やしていく。
    「おまえ、まさか北の国の……!」
    「漸くお目にかかれましたね」
    ぞろぞろと目の前に魔法使いたちが現れる。まるで二人を庇い、隠すように立ちはだかっている。一人が退き、こちらへ近付いて跪く。僕の背中を優しい手つきで撫で、問いかける声で誰なのかを理解した。
    「ファウスト、大丈夫か?」
    「……アーサー、君まで」
    「私だけではないさ、ヒースクリフも来ている」
    す、と美しい所作で示した先には教え子の背中が見えた。今はフィガロに抑えられているが、それがなければ今にも掴みかからんばかりの勢いだった。
    「ファウスト先生をこんな目に合わせるなんて……絶対に許さない」
    「ファウスト、お前が早く知らせてくれたから間に合って良かったよ」
    フィガロが肩越しにひらひらと手を振って見せる。隣のオズはアーサーを庇うように位置を調整する。シャイロックは相当苛立っているようで、パイプの煙を肺いっぱいに吸い込んでから落ち着かせるようにゆっくりと息を吐き出した。
    「お前はここでも私の邪魔をするというのか」
    「その通り。でも、まあ貴方が俺を恨むように俺は俺で貴方を恨んでいますからね。全く、貴方が実験動物のように扱おうとするので、片っ端から保護していかなくちゃいけなかったんだから」
    「やっぱりお前の仕業だったのか!」
    「でも、貴方のおかげで俺はみんなから『優しいフィガロ先生』って褒められたので感謝もしていますよ」
    フィガロは呪文を唱えなかった。にも関わらず、西の国の貴族の膝は地に着けられた。直前に歪な音が聞こえていたから、もしかすると骨が折れたのかも知れなかった。
    「俺としてはこのまま処分しても構わないんだけれど、若い魔法使いもいて可哀想だからね、特別に話し合いで解決してあげようか」
    「いつからそんなに甘い魔法使いになったんだ、フィガロ・ガルシア」
    「俺はお前とは違って意味のある時間を生きてきたってわけだよ」
    くすくす笑いながら告げるフィガロは完全に北の魔法使いとしての風格が滲み出ていた。
    「大体、お前を石にしたところで食べたくなんかないし」
    「俺は食べますよ、原料はこだわらないので」
    横から口を挟んだミスラが「だから、石にしてもいいですか?」と尋ねてたが、フィガロは皮肉だから、と半ば呆れたように押しとどめる。
    「とりあえず、こちらに都合のいい話……とは言っても、事実だね。完全に被害者側だ。事実を流させてもらう」
    「誰が魔法使いの言うことなんて聞くと思うんだ」
    フィガロは「おや、」という表情をしてから顔を歪ませた。お前は肝心なことを理解できていない似非貴族だな、あいつの心の声が手に取るように理解できた。それは、僕も同じ気持ちだったから。
    「そうだね、俺のような魔法使いの言うことなら誰も信じないかもしれない。でも、ここには東の国の貴族の御子息様や中央の国の王位継承権第一位保持者がいるんだ。たとえ魔法使いだとしても彼らの発言は決して軽んじられることはないんじゃないかな」
    紹介された二人がわざとらしいほどに恭しく頭を下げて挨拶をする。それで自分の敗北を悟ったのか、これ以上魔法使いはなにも言わなかった。



    「まさか、魔法使いが約束をすることをこんなに盛大に祝う日が来るとは思わなかったな」
    料理をひとつひとつ並べながらネロが楽しそうに笑う。我ながら浮かれている自覚はあった。こんなに料理を作ったことがないというくらいに沢山、たくさん作った。ここにはお腹を空かせた魔法使いはたくさんいたし、もしかするとにおいをかぎつけて人間たちも来てしまうかもしれない。そうしたら一緒にあいつらの結婚式を祝ってくれるかな。一人でも多くの人に歓迎される結婚であってほしかった。他人を信じられなくなった呪い屋のためにも、異世界から突然連れてこられて寂しいはずの賢者さまのためにも。他人のために柄にもないことを想像して胸が踊るような気持ちになるとは、ネロは想像もしていなかった。こんな祝福を与えてくれたのはひとえに賢者様のおかげだろう。
     ネロは誰にともなく言ったようだが、近くでワインのボトルを早々に開けていたフィガロが楽しそうに笑って返事をした。
    「それがファウスト自身の望みなんだから、俺たちは出来うる限りに応えてあげないとね」
    二人が話している少し離れたところで、ラスティカの演奏する音色が聴こえてくる。祝福される二人を包み込むような優しいものだった。
    「だって、俺たちは彼らが結婚することに賛成なんだもの」
    「確かに、そうだな」
    ネロはそう返事をしてフィガロの肩を軽く叩く。こんな恐ろしいこと、平生ならば絶対できないことなのに。それくらい浮かれていたし、きっとフィガロも気にしないだろう。そんな確信があった。
     フィガロは一人になると、グラスに残ったワインを一気に飲み干すと、一人庭の端でそわそわ落ち着きのない様子の賢者に向かって手を振る。フィガロに気がついた賢者が手を振りかえしてくるので、彼は笑みを浮かべておいで、というジェスチャーをする。
    「さあ、賢者さま。こっちへおいで」
    てこてこと歩いてきた賢者の頭から足の先までじっくりとフィガロが検分する。
    「うん、よく似合っている。いい服を仕立ててもらったね」
    賢者ははにかんで頷く。これはクロエが特に気合を入れて仕立てた逸品だった。ねえ、俺結婚式って初めて!楽しみだなあ、ドレスを作ってもいい?と言い出し、慌てて二人で止めている姿をフィガロは思い出す。二人が決してドレスを嫌がっているわけではないことは分かっていた。きっと、クロエが全力で仕立てた服を一目見てしまえば、どうしても着たくなってしまうことが分かっていたからだ。それくらい、二人はクロエの作る服が好きだった。いざ着るとなると律儀な二人は最高に似合う姿に変身することを望むだろう。それはそれで楽しいに違いない。けれど、ファウストも、賢者様も、ありのままの本来の姿で祝われることを望んだのだった。
    「ファウストは?」
    フィガロは本来隣にいるべき人物の行方を尋ねる。
    「ファウストは、ミスラが祝ってくれようとしたんですけれど、クロエが作ってくれたベール付きの帽子を気にいっちゃって……」
    取り返そうとしているの?はい。命懸けじゃないか、フィガロはそう言ってけたけた笑い出す。
    「い、一応、レノックスも一緒に居てくれているので、大丈夫だと思います……」
    尻すぼみになっていく賢者の声にフィガロは目を細める。
    「じゃあ、俺たちの用事をさっさと片付けて、ファウストを助けに行かないとね」
    ぼんやりと佇む弟弟子の姿を見つけ、フィガロはやはりこちらにも声をかける。
    「ほら、オズも」
    オズもこの日ばかりは綺麗に着飾っていた。美しさと気品を兼ね備えた装飾類は、きっと彼が愛情をもって育てた幼い子どもの見立てだろう。弟弟子のことが、すこし、いやかなり羨ましくなってくる。
     二人の前に賢者を立たせる。少し緊張した面持ちの賢者に「寛いで」と微笑みかけると、硬い返事が返ってくる。まあ、そりゃ緊張するよね、フィガロはそう呟きながら賢者の首元に指で優しく触れた。オズも同じようにする。
     二人は特に合図をすることもなくぴたりと呼吸を合わせて呪文を唱える。重なり合った声が途切れると晶の首を覆っていたチョーカーがほろほろと崩れ落ち、消えてしまう。
    「さあ、これで君たちを遮るものは無くなったよ。好きにするといい。お幸せに、賢者様!」
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    Replies from the creator

    yutaxxmic

    MAIKING #ふぁあきくん週間 お題の「バレンタインデーの後で」になります。
    「後で」のタイトルなのによりによって当日の話で前編として投稿させていただきます。(終わらない気がしてきたため、保険です……)
    バレンタインデーの後で⚠️2023年バレンタインデーボイス
    ⚠️前編です

     俗世を離れて四百年が経っていた。
     人里離れた嵐の谷で自給自足の生活。生業として呪い屋をしていたが特に具体的な報酬を設定していた訳でも無かったため、気味悪がって成功報酬を渡そうともせず隠れるように去っていく多くの依頼主の中に、時折なにを思ったか大金を置いていく者もあった。元々浪費をするような時代を生きていた訳でも性格でもなかったため、金銭は貯まっていく一方だった。
     それがどうしたことか。
     ファウストを取り巻く状況が一変してしまったのだ。半数の賢者の魔法使いを石へと変え、ファウスト自身にも命を落としかねない重傷を与え、厄介な傷痕を残していった厄災との戦いを機に拠点を嵐の谷から魔法舎へと移し、そこでの新しい生活が始まった。そして変わったことは生活の環境だけではなかった。これまでは時折顔を合わせるヒースクリフの面倒を見るだけだったのが明確に「先生」としての役割を与えられてしまったうえに、生徒は三人に増えていたのだ。
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