モブ視点バレンタイン姜庶会社の最寄り駅に直結しているデパートの地下食品売り場、その一角のスイーツコーナーの散策はもう2週目に突入している。
両側に並ぶ店は水色のハート型のポップで彩られ、先月ほどではないにしてもメーカー各社が顧客の購買意欲をそそろうと各社しのぎを削っている。「ホワイトデー」という菓子メーカーの策略にまんまとハマってこの場所に来ているのは、決して先月のバレンタインデーに高級ブランドのチョコを受け取ったからではない。
課の女性陣が一目で義理と分かるチョコでお馴染みのブラックサンダーを配っていたので、男性陣が金を出し合ってそのお返しを買おうということになったのだ。
「はい、これ集金した金だから、来週までに何か買っておいてくれ。」
小銭の入った封筒を迷わず自分に押し付けて、上司はそう言った。
「何で自分が…?」
思わず不満そうな声が出てしまう。はっきり言って買い出しなんて面倒だし、重たい小銭を押し付けられるのもかったるい。
「お前は若いし、独身だから暇だろう?」
こういう時、割を食うのはいつだって独身者なのは何なんだと抗議したくもなる。それに若い独身の社員なら姜維君だってそうだろう、と言いかけて思わず言葉を飲み込んだ。
バレンタインデーで本命の高級チョコを貰いまくっていたイケメン君をここで引き合いに出してしまうと、余計に虚しさがこみ上げる。そう思い至って無言で重たい封筒を受け取り、仕事帰りにデパートにやって来たという訳だ。
いくら義理チョコへのお返しと言えどもやはり女子から「すごーい!センスあるー!」と言われたいのが男心で、さまざまな店のチョコやらクッキーやらを吟味しているうちに気付けば同じ通路を何往復もして、やっと決めた店の前で立ち止まった時にはもう足が痛くなっていた。
イタリアだかフランスだかのブランドが、国内で初めて出店した店舗らしい。正直店名のアルファベットは何と読むか分からないが、女子が好きそうなかわいらしいデザインのパッケージが目を惹くし、今ならホワイトデー限定の商品も発売されている。
目当ての限定商品を注文し、カウンターの向こうで店員が袋詰めしている間、ショーケースに並べられた菓子の値札に目をやった。花柄の箱に詰め込まれた菓子一つ当たりの値段を計算し、30円の駄菓子がこうなって帰って来るなら、バレンタインはなんてローリスクハイリターンなのだと思う。
店員の差し出したコイントレーに、封筒からじゃらじゃらと小銭を出した時は驚いた顔をされたが、とにかく自分の使命は完了した。
「すみません、これ頂けますか。」
清々しい気持ちで商品の入った紙袋を受け取っていると、隣から声がした。
その声に聞き覚えがある気がしてふと顔を向けると。
「あれ、姜維君?」
「あ、こんばんは!お疲れ様です!」
きっとこの時間だから残業帰りだろうに、彼は疲れた様子も見せず礼儀正しく頭を下げる。こういうところがきっとモテる秘訣なんだよなぁ。
「どうしたの?…もしかしてホワイトデーの?」
「えぇ、沢山頂いたものですから、全員に返すのも大変なんですが。」
そう言って苦笑する。他の人が言えば嫌味になりそうな台詞なのに、彼が言うと全く嫌味に感じないから不思議だ。きっと自分が完全に敗北を認めているからだろう。
おいくつ必要ですか、という店員の問いに「20個お願いします」の答えに飛び上がりそうになる。店員も少し困ったように、在庫を確認すると言ってカウンターの奥に引っ込んでしまった。
確かにバレンタインの様子からして、姜維君がそれくらいの数を受け取っていてもおかしくは無いかもしれない。しかし──小ぶりの箱とは言えその辺のスーパーに売っているものの数倍値が張る菓子を、20個も買わなければならないなんて、本当にモテる男は大変だと思わずため息をついた。
「──すみません、これ、課内の女性に配るやつですよね。」
自分のため息を買い出し担当にされたことへの嘆きと捉えたのか、姜維君は申し訳なさそうに自分の持つ紙袋に視線を落とす。イケメンがこちらを向いてうなだれるものだから、道行く女性がちらちらとこちらに非難の目を向けてくる。…いやそれはただの被害妄想かもしれないが、とにかく姜維君に謝られるとこちらまで申し訳ない気持ちになってしまう。
「大丈夫だよ、久しぶりにデパートを歩いて楽しかったし。この店選ぶなんて姜維君もセンスが良いね!ここ人気店だって知ってた?」
自分が売り場を何周もしてやっと決めた店だ。きっと姜維君もいろいろ考えてこの店にしたに違いない。
「…いえ、ちょうどエスカレーターを降りて目の前にあったので」
きょとんとする姜維君と自分の背後には確かに下りのエスカレーターが1階の中央出入口からの客を粛々と運搬している。
うん、そうだよな、姜維君は見栄なんて張る必要もないんだから、自分みたいに義理チョコへのお返し一つのために売り場を何周もするわけないよな。分かってたよ。
「えっと、けどこれでホワイトデーの買い出しは終わり?大変だね、お互い。」
労うつもりでそう言ったのだが、姜維君は浮かない表情で目を泳がせてしまう。
あぁそういえば。バレンタインの日、姜維君は想い人である徐庶さんからキットカットを貰っていたことを思い出した。それに対するお返しを、まだ決めていないのだろう。
確かに何気なく(はたから見れば全く何気なくは無かったが)渡された小さなチョコ菓子一つに気合の入った返礼を渡すのもおかしいし、かと言って姜維君としても何も返さないのは嫌なのだろう。
全く、徐庶さんもつくづく罪な男だ。
というか、あんなに露骨な態度に気付かない姜維君も大概だけれど。
店員がバックヤードから小さな箱をいくつも重ねて持ってきた。ちょうど20個在庫があったのだという。
姜維は礼を言って財布を取り出した。代金を支払うと、店員が小箱を小分け用の小さな袋と共に紙袋に詰めていく。
「あれ、姜維?」
背後から声がして、振り向くとそこには先ほどまで自分と──そしておそらく姜維君の脳裏にも浮かんでいた人物、徐庶さんがエスカレーターを降りてこちらへ歩いて来ている。
瞬間、姜維君の表情がぱぁっと明るくなる。今にも徐庶さんに駆け寄りそうな勢いだ。徐庶さんも平静を取り繕っているが口角がいつもより上がっているのが分かる。
こんなに表情に出しておいて、お互いの感情に気付かないなんて本当に奇跡としか言いようがない。
奇遇だね、などと言いながら徐庶さんはこちらに近づき、そしてカウンターの内側に山積みにされた小箱を見て表情を曇らせる。姜維君がホワイトデーの買い出しをしているということに気付いたのだろう。
しばし気まずい沈黙が流れる。そりゃ片想いしている相手のモテモテぶりを目の当たりにさせられたら、あまり良い気持ちはしないだろう。
自分、無関係なんで帰っていいっすか?という感情と、最後まで顛末を見届けたいという感情がせめぎ合い、紙袋を握る手に汗をかいてきた。このままでは取っ手が湿ってちぎれてしまう。
沈黙を破ったのは姜維君だった。
「そういえば、徐庶さんの分、まだ買ってないんです。」
「…俺の?」
「キットカットくれたじゃないですか。その、あの時の、お礼に…」
姜維君の声は、自信が無さそうに少しづつ細くなっていく。
「……あぁ、あの、キットカット、覚えててくれたんだ──ありがとう。」
思わず姜維君から目を逸らした徐庶さんは顔が真っ赤だ。流石にこんな反応されたら姜維君も気付くだろう、と思いながら彼の方を見ると、姜維君も同じように目を逸らせて顔を赤らめている。
これ、どちらかが前を向いていれば気付いたんじゃないか?などと考えながら、紙袋の取っ手が手汗でふやけてちぎれる前に、なるべく気配を消してその場を後にした。