A Form of Accepting Love❖ ❖ ❖ ❖ ❖
小さな村で迫害を受けてきた痩せぎすな墓守の男と、没落し自分を失った囚人の私。
おおよそ生きている中では出逢わなかったであろう二人が、荘園という奇妙な箱庭で邂逅を果たし、何の因果か恋仲にまで発展したのは此処では珍しい話ではないようだ。
人の好意的な感情や恋愛沙汰に酷く疎い私達は、付かず離れずの距離を保ちつつ、今日まで恋人としての関係を続けられている。
そんな私を含むサバイバー陣営の者達が生活を送る居館にて、すれ違う女性陣の浮足立った様子に「はて」と思考を巡らせる。
足を運んだ食堂から漂ってくる仄かなカカオの香りに「ああ、今日はバレンタインの日だったな」とふと思い出した。
私や恋人のアンドルーが此処に来る以前から、毎年バレンタイン等のイベント事がある日はご馳走やお菓子を作ったり、贈り物を贈ったりと思い思いの一日を過ごしているようだった。
そうと決まれば、さて、今年はどんな風に彼と一日を過ごそうかと過去の記憶を掘り起こしてみる。
一年目のバレンタイン。
ただ消費していく日々の一つに過ぎなかった私は何時ものように過集中に陥り、だがしかし、アンドルーは私と同じ感覚ではなかったようだった。
漸く私の意識が戻った頃には時計の針は朝日が昇る刻を示しており、傍にあった乱雑に積まれている設計図の頂上には、不格好なチョコチップクッキーが可愛くラッピングされて鎮座していた。
すっかりへそを曲げ自室に籠もってしまった彼の心の内を、後になってウッズさんから聞いた時は柄にもなく肝を冷やした思いだった。
賢明な弁解と、構ってやれなかった分を存分に甘やかす時間に費やした事によって、どうにか事なきを得た記憶は今となってはこそばゆい思い出だ。
二年目のバレンタイン。
二度と過ちを犯すまいと並ぶ品物の数々を眺めること数分(不思議な事に、イベント事のある期間はナイチンゲールが専用の店を開くようになっているようだった)、アンドルーが常日頃大切に扱っている花に良く似た物が目に留まった。
砂糖漬けにされている紫の花弁は、一口含むと上品な香りとほのかな甘みがふわりと広がる。これなら彼の口にも合うかもしれないと、簡易的なラッピングを施してもらい、私の訪問を待っているであろう彼の自室へと足を運んだ。
恋仲になって初めて贈り物を交換するというイベントを果たした彼は、はにかみながらも喜色を隠せずに「僕なんかが、こんなに素敵な物を貰ってもいいのか…?」と猫背を更に丸くさせながら上目でお伺いを立ててきた。
あまりにもいじらしく愛らしいその姿に、きゅうと胸が締め付けられる気持ちになりながらも、穏やかな笑みを浮かべて肯定の意を示した。
彼からの贈り物は、ラム酒入りのチョコレートブラウニーだった。バーボンさんから作り方を教わり、一人で作り上げたものらしい。
暖かい心のこもった贈り物に頬が緩み、その日は二人でひっそりと甘さを堪能したのだった。
そして、三年目のバレンタイン。
この日の贈り物は、アイリスと鳥の飴細工があしらわれたチョコレートケーキ。彼からの贈り物は、歯車を模した花のチョコレートが飾られたカップケーキだ。
今年は贈り物に加えてアンドルーのしたい事も叶えてあげようと、自室で本を読んでいた彼を訪ねた。
私の提案に彼は読書用の眼鏡を外し、小さく見開いた目でこちらに視線を送り思案する。
数分の後に、彼はぽつり「海が見たい」と言葉を紡いだ。
荘園に訪れるまで日の下を歩く事の出来なかった彼の、小さな小さな願い。
何時もの景色でも良ければと、特別に開放されている湖景村へと二人で足を運んだ。
どういう仕組か、此処では今までと比べて陽の光はアンドルーに悪影響を及ぼさないようだ。
寄せては返す波の音に耳を傾けながら、隣を歩く彼の横顔を眺める。
分厚い雲の隙間から差す光に照らされた海面のきらめきが、彼の赤い瞳に反射してきらきらと輝いているように見えた。
此処にはいない筈の、翔び立つ鳥達の影が水平線の向こうにぼんやりと見える。彼の目にも映っているのか否か、遠くを眺めるその瞳には憧憬を抱いているような、それでいて寂しさを覚えているような気さえした。
歩みを止めた彼が、ゆっくりと私の方に向き直る。足裏に感じる柔らかな砂の感触を踏みしめながら、彼は小さく「ありがとう」と礼を言った。
「礼を言われるような大層な事はしていないよ。私が君の喜ぶ顔を見たくてやっている事なんだから」
「うん、でも、それでも、ルカにお礼を言いたかったんだ。僕の欲しかったもの、やりたかったこと…ここに来てから、辛いことももちろんあったけど、それでも…悔いなんて残らないくらい、ルカから沢山のものを貰ってきたから」
小さな違和感を覚えるその言葉に、心が燻る思いでアンドルーを見遣る。
私に向けられる赤い視線は、水平線を渡る鳥達に向けられたそれと同じ色をしていた。
ぽつぽつと溢れていく彼の言葉を一つも余さず拾い上げたいのに、心の奥底でそれを酷く拒絶する自分がいる。
「…今日、アイリスの花と鳥の贈り物、ルカがくれただろ。僕、もし願いが叶うなら、鳥になりたいんだ…鳥になったら此処を出て、青空の下で自由に飛び回って、死んだらイチハツの花の下で永遠の眠りにつきたい」
「…なぁ、そんな、死んだらなんて…寂しい事…」
「…ルカとはさ、此処を出たら離れ離れになっちゃうだろ?そうしたら、僕は鳥になって、お前に伝えに行くから…その時になったら、僕の墓の前に来てほしいんだ。可憐な紫の花がたくさん、きっと咲いているだろうから」
「……冗、談でも、そういう事は、言わないでおくれ」
「冗談なもんか」
そう告げる目の前のアンドルーの表情があまりにも穏やかで、思わず彼の腕を引いて抱き締めた。
彼はそれでも困惑するばかりで、困ったように笑いながら「なんだよ」と悪態をつくのだ。
ごわつくコートの下の、その痩躯を確かめるように抱き締める。そうでもしないと、彼がすぐにでも飛び去ってしまいそうな程に儚く見えた。
「…いなくならないで、私よりも先に死ぬのは許さない。誰かを好きだと、愛していると思うだなんて…こんなに人間らしい感情に振り回されるのは初めてなんだ。今までずっと私に寄り添ってくれた君を、君が信じる神の手によって奪われるのは我慢ならない…ッ」
「だから、どうか…」と、強く強く、薄い背中に縋るように掻き抱いて。それでも口を閉ざし、優しく宥めるかのように、アンドルーの腕が自身の背中に回される。
幼子の癇癪のように駄々を捏ねる私とは裏腹に、穏やかに私の言葉を聞き入れる彼の大人としての一面が今は憎らしい。
隙間なく触れ合っている部分から、とくとくと生きている音が聞こえてくる。彼は、今私の腕の中に大人しく囚われているアンドルーは、確かに生きているその音を私よりも先に潰えさせようと言うのだ。
私にも勝ち得ない、何よりも愛する信仰の名の元に還す為に。
たまらなくなって、私は彼の唇に自分のそれを重ねて深く口づけた。銀の糸が二人の間を伝って千切れる。
突然のくちづけに僅かばかりの驚いた表情を見せたアンドルーはしかし、困ったような笑みを私に向けるばかりであった。
fin.
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