だから、おやすみ。❖ ❖ ❖ ❖ ❖
まだ小さな子供だった頃、僕はよく体を壊しては母さんを困らせていた。
体質のせいか少しの不調でもすぐに熱を出して、ブランケットに包まっては無性に襲いくる寂しさに震えながら眠る事が多かった。
そんな時、母さんはきまってミルク粥とホットレモネードを作ってくれていた。
やわらかなミルクの香りに目を覚ます僕を見て、母さんはブランケットごとふわりと抱き上げると、大きな手の平で僕の額を優しく撫でてくれるのだ。
『パスト、私の愛おしい子。寂しい事はなにもないわ。母さんがずっと、傍で見守っているから…』
撫でてくれる手の平の冷たさと、あたたかな母さんの声が心にじんわりと沁み込んで、幼い僕はそのまま深い眠りに就いた。
(冷たい…きもちいい…)
頬を優しく撫ぜる大きな手の平が心地良くて、子供の頃に母さんがつきっきりで看病をしてくれていた事を思い出した。
甘えるようにその手の平に、すり、と頬を寄せれば、ふっと息を吐いて柔らかく笑むような音が聞こえてくる。
汗で張り付く髪をかき分けるように撫でられる感触に、ふわりと浮き上がる意識。
ゆっくりと開くまぶたの隙間から、ぼんやりと暖かな光が差し込んで反射的に瞬きをしてしまう。
くすくすと小さく聞こえてくる笑い声は少しだけ掠れていて、でも、とても落ち着く音をしている。
薄暗い部屋の中でオレンジ色の仄かな光に照らされた彼が、少しだけかがんで僕の頬にひとつキスをした。
「る、か…?」
「…おはよう、パスト。具合はどうだい?」
僕の額からずり落ちそうになったタオルをそっと外して、ルカが優しく問いかけてくる。
寝起きと、ぽかぽかと熱い頭のせいでぼうっとする思考の中、「どうしてここにいるの?」とか「ずっと僕のことを撫でてくれていたの?」とか、何か返事を返そうとするけど、さっきまでだんまりだった僕の喉はそう簡単に開いてくれず。
起き上がりざまに「けほ」と乾いた咳をひとつ落とせば、目の前の彼は綺麗な眉を心配そうに下げて、やんわりと背中を支えてくれた。
「…ああ、あまり急に動かない方がいい。まだ熱も引いていないようだし……ミルク粥を作ったんだが、どうだろう…食べられるかな?」
「薬も飲まないといけないし、温めてくるよ」
そう告げてキッチンへ向かおうとするルカをぼんやりと見ていると、なんだか無性に寂しさが押し寄せてきて。
ひらりと舞う彼のシャツの裾を無意識に、きゅ、と握っていた。
「…パスト?」
「…か、ないで………いかないで、ここ、に、いて…ほしぃ…」
尻すぼみになる言葉。熱が上がったのかさっきよりもぽかぽかと熱く感じる頬に気付かれないようにそっぽを向いて、握ったままの裾を少しだけ引っ張ってみる。
そんな僕を見ていたルカは驚いていた表情から困ったように頬を弛ませて、かたり、と傍の椅子に腰を掛けた。
「いいよ、君が安心してぐっすりと眠れるまで…いや、眠っても、私が傍で見守っていてあげるから」
「ん…」
「喉が乾いただろう?食事は後で良いとして、水くらいは飲んでおくれ」
グラスに新しく注がれた水を飲ませてもらって、僕はまたベッドに身体を横たわらせる。
このまま目を閉じて眠るのもなんだか寂しいと感じた僕は、かけられたブランケットの隙間から手を出して、ルカをじっと見つめた。
「どうしたんだい?」
「………そ、その、…ッ、手…にぎってて、ほしい……だめ…?」
「…だめなんかじゃないさ」
ルカの大きな手が僕の手をきゅうと握ってくれて、それだけで安心して深く眠れそうになる僕は「単純だなぁ」なんて思いながら。
彼と僕のちぐはぐな息遣いと、手の平からじんわりと伝わる彼からの暖かな愛に、僕の意識はゆっくりと落ちていった。
おわり
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