勧誘 マトリフは城内の廊下で声をかけられた。パプニカで開かれた祝賀会は盛大で、その会場からマトリフはこっそりと抜け出していた。
「あんたか」
マトリフを呼び止めたのはパプニカ国王だった。周りに付き人もいない。日が落ちて蝋燭の灯りだけの薄暗い廊下にいるのはマトリフとパプニカ国王だけだった。
「少し話がしたいのだけれど、良いかな?」
遠くに聞こえる喧騒をさらに遠ざけるように、パプニカ国王は廊下の先を手で示した。
「聞かれたくないような話なのかよ」
もし付き人や取り巻きの大臣が聞いたら眉を顰めるようなマトリフの敬意のない言葉使いも、国王は気に留めている様子はなかった。
「まさか。改めてお礼が言いたかっただけだよ。大魔道士マトリフ」
柔和に笑いかけるこの若い国王を、マトリフは自分でも意外なほど気に入っていた。見た目こそ優男であるが、中々に強かである。
「こっちこそ色々と頼んだからな。あの洞窟も応援部隊も、おかげで助かった」
二人で廊下を歩きながら、マトリフは本題が切り出されるのを待っていた。祝賀会を抜け出してまで世間話がしたいわけではあるまい。
「ところで大魔道士」
ほらきたぞ、とマトリフは胸の内で呟く。
「お願いがあるのだよ。あなたが引き受けてくれると嬉しいのだけれど」
「聞いてみなきゃわからねえな」
簡単な頼みであったらこんな回りくどいことはしないだろう。パプニカ国王は少し困ったように笑ってから立ち止まり、親しみを込めるようにマトリフの肩に手を触れた。
「あなたを宮廷魔道士としてパプニカに迎えたい。私の相談役という席を用意した。どうだろうか」
それが破格の待遇であることくらいマトリフにも理解できた。いくら魔王を倒した勇者一行の魔法使いだからといってもあり得ない。それほどの地位に就くのは長年勤め上げた血筋のいい宮廷魔道士と決まっていた。
「ありがたい話だが、断らせてもらう」
そんな地位にいきなり飛び込んで、どんな結果になるかなんて火を見るよりも明らかだ。これまで勤めていた宮廷魔道士や大臣は黙っていないだろう。
「オレは堅っ苦しい宮仕えなんて向いてねえ」
「あなたの力が必要なんだ」
「他を当たってくれ。オレよりも上手くやる奴なんていっぱいいるだろ」
話を終わらせようとマトリフは今来た廊下を引き返した。一人の靴音が廊下に響く。
「……ヨミカイン魔導図書館だが」
国王の言葉にマトリフは思わず立ち止まった。
「ヨミカインが何者かによって破壊されてしまったことは知っているかな。兵士からの報告によれば魔王軍の仕業とか」
一瞬にしてあの戦いが脳裏を過ぎる。それと同時に燃え尽きてしまった好敵手の、最後の満足そうな顔が思い出された。マトリフは懐に入れた本に手をやる。
「オレたちがヨミカインで魔王軍と交戦になって、その時に沈めちまったんだよ」
「そうだったのか。さぞ激しい戦いだったのだろう。私たちはどうにかヨミカインを復興させられないかと考えているんだが」
国王は最初からこの手札を持っていた。ヨミカインの破壊がガンガディアによることも、マトリフとガンガディアが戦ったことも、調べ上げていたのだろう。そしてなにより、それがマトリフにとっての決定打になるとわかっていた。いったいどこまで知っているのか薄ら寒くなる。
「手を貸してくれないだろうか」
国王は品のある笑みを崩さなかった。狡獪さも王の素質の一つであることは間違いないだろう。
「何を買いかぶってるのか知らねえが、オレはあんたの力にはなれねえ」
国王は窓の外を見ていた。暗闇の中であってもここから見る景色の美しさは変わらない。
「自由に飛べるあなたが羨ましい」
その声は廊下にポツリと落ちるようだった。
この城はある意味では美しい牢獄なのだろう。国王になるべくして生まれた者は、ここからは逃げ出せない。
「……あんたが思うほど外も自由じゃねえさ」
ここで逃げたら後悔になる。言葉は固執すれば呪いとなり枷になるだろう。懐に入れた本の重みが増した気がした。
「引き受けてもいいが、一つ条件がある」
「何でも言ってくれ」
「あの洞窟が欲しい」
国王は意外そうに目を瞬かせた。その表情は国王という鎧を纏い忘れたように思える。
「そんなことで良いのか?」
「あそこが気に入ったんでな」
国王は勿論だと言ってマトリフの手を取った。細く冷たい手をマトリフは握り返す。遠い空で星がひとつ流れていった。