酒席 瘴奸が小笠原郎党になり、少し経った頃。親睦のためにと守護館に招かれ、ささやかな宴会が催された。宴会といっても招かれたのは瘴奸と副将の赤沢常興、その弟と他数名。そして同盟相手という市河助房だった。
宴会といえば略奪後の乱痴気騒ぎだった瘴奸からすれば、小笠原郎党たちはあまりにお行儀が良く、少々居心地が悪いものだった。その中でも貞宗は正座をして背筋を伸ばし、飲んでも酔っている風もなく、近くにいる市河と話をしている。退屈さを感じる瘴奸は早く宴会が終わらないかと思っていた。あるいは、酒席らしい混乱が欲しいという思いが心の底にはあったかもしれない。
すると市河の酔った声が響いた。
「貞宗殿はぁ、俺のことどう思ってるんですかぁ?」
市河の手は貞宗の膝の上に乗せられ、顔は肩に擦り寄っていた。酒は強くないのか顔は赤らんでいる。この補佐殿は絡み酒かと瘴奸は思った。
「うむ、頼もしいと思っておるぞ」
答える貞宗は寄りかかってくる市河の肩を支えるように腕を回していた。密着した二人はさながら夫婦のような馴染み具合だ。瘴奸は驚きのあまり手に持った杯が止まる。まさかこの二人は、と邪推しながら目を逸せた。しかし周りはそんな二人を気にする風もなく、酒を飲み話に花を咲かせていた。ということは、二人の関係は周知の事実なのだろう。
瘴奸も方々を流れてきたので衆道を目にしたこともあった。年長者が下のものを心身共に寵愛することも珍しくない。しかし、こうも見せつけられると目のやり場に困ってしまう。市河の甘えるような仕草がどうしても見えてしまい、瘴奸はその度に眉をしかめた。
すると瘴奸の横に赤沢新三郎がやってきた。酒を注がれて会釈をすると、新三郎は蛇のように笑って瘴奸に耳打ちした。
「あれであの二人、念友じゃないんだぜ」
瘴奸はさらに驚き、つい目が貞宗と市河を見てしまう。あれで男色のちぎりを結んでいないならば、あの近さは何なのだ。真偽を尋ねたくても新三郎は瘴奸の驚きを酒の肴にしたように、舐めるような笑みを残して行ってしまう。それを兄の常興が嗜めるように見ていた。新三郎の言葉は事実なのか、それとも新入りである瘴奸を揶揄うものなのかはかりかねる。その間も市河は甘い言葉を吐きながら貞宗にしなだれかかっていた。貞宗もそれを許している。どう見ても懇ろな関係にしか見えない。
瘴奸はできるだけ二人を見ないように酒を飲んだ。寧ろこれは酔いが見せた幻だと思おうと、いつもよりも余計に飲んでいく。
すると背後に気配を感じた。振り向くより先に酒が注がれる。また新三郎かと思ったら、横に来たのは貞宗であった。
「楽しんでおるか、瘴奸」
頬と頬が触れ合いそうな近さに心臓が跳ねる。しかしそれは驚きというよりも、妙な心の浮き立ちであった。色っぽい女に流し目で見られても、これほど心が揺れはしない。瘴奸は咄嗟に身を引いた。だがそれを見越したように肩に手を置かれる。貞宗と目が合った。
「逃げるでない。そちと飲みたいのだ」
穏やかでありながら力強い言葉と、深く澄んだ瞳に心が惹かれる。なるほど。これほど近くに寄られては手を出してしまいたくなる。
「どうした、飲み過ぎたか」
貞宗の手が瘴奸の頬に触れた。その手が心地良く、思わず掴んでしまう。勢いのままその身を引き寄せると、貞宗との間に割り込む手があった。市河だ。
「そこまで」
市河の声は全く酔っていなかった。市河は貞宗を瘴奸から引き剥がす。
「酔いすぎですよ貞宗殿」
「儂は酔っておらん」
「はいはい、お水飲みましょうね」
貞宗は一見酔っているようには見えないが、実はかなり酔っていたらしく、逆に酔っているように見えていた市河は正気だった。貞宗は赤沢兄弟によって別室へと連れていかれ、宴会は自然とお開きになる。
「酔った貞宗殿には困ったものだ」
市河は言いながらも耳を澄ませているようで、きっと別室へと行った貞宗の音を聞いているのだろう。しかし目が牽制するように瘴奸を見ていた。いや、最初から牽制されていたのだと瘴奸は思う。あの酔い潰れたような素振りも、甘えた仕草も、すべて瘴奸の注意を引き、貞宗には手を出すなと言外に意味を含ませていたのだ。
だが瘴奸からしてみれば、不意に欲望を引き摺り出されたようなものだ。市河がそれほど欲するものを奪いたいと心が疼く。酒の力も借りてその欲求は急激に膨れ上がった。
「市河殿は酔い足りないのでは?」
瘴奸は立ち上がるが、酔った足がふらつくままに市河に寄りかかり、そのまま押し倒した。さすがに驚いた顔をした市河に瘴奸は興奮を覚える。
すると頬を張られた。手加減が一切ない張り手に視界がぶれる。
「貴様も飲み過ぎだ」
ついでとばかりに蹴り飛ばされて卓に背が当たる。酒壺が倒れて割れる音がした。口の中が切れたのか血の味がして、瘴奸はそれを口の中に残る酒の味と混ぜる。懐かしい味にさらに酔いが回った。ぼやける視界の中で市河がこちらを睨んでいる。
「楽しい酒席でしたな」
市河から返事はない。そのまま貞宗を追って部屋を出ていってしまう。瘴奸は割れた酒壺へと手を伸ばして、そこに残った酒を舐めた。