如月32月15日
出かけたついでに少し寄っていこうよと足を伸ばすうちに気が付けば観光客に紛れていた。
「近いと意外と来ねぇんだよな」
「近所ってわけでもないしね」
少し名の知れた寺院だとか、周辺に広がる公園だとか名所旧跡。街の片隅に残されたそれを思いつくままに巡っていく。
それを見てどうと感じる興味も知識もないのだけれど、何かチェックポイントのように探し歩くのは楽しい。この時期、昼間の太陽は優しいし歩いているうちに身体が暖まって僕はいつになく活動的な気分だった。
「ねぇ何かやってる」
「牡丹園……ああ、そんな時期か」
「入って行こうか」
有料の区画とそうでない区画、木の塀で区切られた中は少しだけ空気が違っていた。物見遊山にしろ幾ばくかの興味がある者だけが足を踏み入れる、その差だ。
「花を見る趣味なんてあったんだな」
「いいや。君がいたら悪くないと思って」
六は別に花が好きだとは言わないけど、愛で方を知っている人だから。些細な色の違いや枝ぶりの妙を目に留めて気に入ったものの前で時々じっと見ている。根が芸術家なんだ。
僕はそれに頷くだけ。
途中、園内のベンチで休憩して、帰り道には遠回りをして知らない道を歩いた。
「すごい坂だ。ねぇ下りてみよう」
「どこに出るか知らねぇぞ」
「いいのさ!」
僕はこういうのが好きだよ。
2月16日
六がため息を吐くのは珍しい。彼の精神は概ね健康で僕と違って塞ぐことが殆どない。だけども別に無敵というわけでなし。
彼の指が、視線が、捉えるのは畳や柱に残ったちょっとした傷だ。それはこの家に猫が這入りこんでいた名残だ。
その通い猫は野良の顔をして遠慮なく家の中に上がってきた。どんなに寒い日でも庭より内へ上げないことを徹底している六がそいつには折れさせられたのだ。人の家に上がり込んでいながら、そいつは自由だった。叩き出されるほどの悪さはしないが、不可抗力の傷痕ぐらいは残していく、頭のいい客だった。
それがどうも、近所の人の話によると死んだらしい。僕達はその姿を見ていないので、このところ来ていなかったと思うばかりで確信する術がない。どこにでもいるような猫だった。
「……やっぱり家に上げたのは失敗だったな」
「いいんじゃない? 彼はとてもくつろいでいたよ。きっと満足していたさ」
六は僕の顔を見た。
何もと言えない困った顔をしていて、可哀相だと思った。
2月17日
買い物のおまけにくじ引きが出来るよと言われて、六とアイコンタクトをして僕が引いた。
商店街とかショッピングセンターとかそういう催しじゃない、個人のお店のささやかなくじ引きだ。商品が何かだとかも書いていない。聞けば教えてくれるのだろうけど。
折りたたんだだけの紙片はハズレ、残念賞の飴がひとつ差し出された。
「ねぇ、もう少し買ったらもう一度ひかせてくれるかい?」
店主はにこやかに頷いた。今の買い物と端数を合わせてくれるらしい。それじゃあ、と適当に気になったものをレジに持っていく。そしてもう一回、ハズレ。
「ヒヒッ……残念だ」
六は変な顔で僕を見た。
「何か欲しいものでもあったのかよ」
「ううん。でも当たりそうな気がして」
君の分だよ、と言って僕は六の掌に二つ目の飴を落とした。フィルムを剥いて口の中へ運ぶ。ころころ転がして帰った。
2月18日
「誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう」
特に何事もない。これだけだ。
プレゼントは貰った。ケーキも買っててくれた。彼が柄にもなく慎重にケーキの箱を持って帰ってきた様子を考えて可愛く思った。
六が僕に何かをくれるのはいつものことで、何も特別じゃない。それは全部が嬉しいから、僕の生まれた日とかあまり関係がないし、その日付だって僕みたいな長生きにとってはすごく曖昧でしかないと彼だって知っている。
ひとつ、こそばゆく嬉しいのは、多分気付いていないのだろうけど、今日は君の手がしきりに僕を捕まえる。
2月19日
鏡を見て、青い肌に化粧の青を重ねて伸ばしながらふと、見られている、と気が付いた。鏡越し、視線が合うと目を逸らすどころか踵を返して逃げていく。
「見ないの?」
振り返って背中に声を掛けた。
「悪ぃだろ」
「いいんだよ? 気になるなら見てて」
六はこれで古風なところがあるから、女の人がちょっと口紅を直すところだって目を逸らして見ない。その相手が業界人で、人前で化粧をされることに慣れていたとしても、だ。
そんな六は口ではこう言いながら僕が化粧をするのを時々盗み見ている。知っているんだ。僕は男だから部屋に引っ込んで淑やかにやったりしないし、堂々と見られたって気にしないのに。
それに僕はこの間彼の化粧するのをじっと見ていた末に手を出したのだけれど。
「そうだ、君も僕を描いてみるかい」
今日は少し街に出るだけで何の都合もない。
「化粧なんか分かんねぇよ」
「君のいつもので構わないからさ」
僕の顔は化粧映えするとプロのメイクさんのお墨付きだ。好きにしたまえと呼びつけて、六の好みにしてもらった。
2月20日
ユーリから連絡がきた。たまには城に帰って来いとのことだ。
彼の言うことはもっともで、このところ僕達Deuilはゆるやかな休暇……たまに外せない仕事を入れる以外はリフレッシュ期間なのだけれど、二月はそれなりにイベント事があった。具体的にはバレンタインと僕の誕生日。ファンにとっては僕らが休暇中でも好意を気軽に伝えられる機会だ。ファンレターとプレゼントが城に届いているし、アッシュは僕の誕生日ディナーを作りたがっている、と。
実家があるってこんな感じ?
プレゼントや手紙は転送してもらえるけれど、アッシュの出来立ては向こうで食べなくちゃね。
「六も来るかい?」
「いいや、遠慮しとく。お前ぇんとこ行くと帰れなくなりそう」
「ふふ。それは否定しない」
メルヘン王国は不思議なところだからねぇ。そしてユーリ城は居心地がいい。きっと彼を帰さないだろう。何せ、僕たちは妖怪なのだから平和に取って食ってしまうとも。
だから僕は六の家にいるのかな。人間の彼と透明人間の僕で人間っぽい暮らしをやって、生きてる。それはとても僕のお気に入りなんだ。
だけどユーリやアッシュのことだって大切だ。今の僕は大事なものを沢山持っている。それが嬉しくて、そっと息を吐いた。
「それじゃちょっと行って帰ってこようかな」
「ゆっくりしてこい。遠いんだから」
「んー。僕基準じゃもう、大したことないさ」
鉄の翼でひとっ飛び。船旅で何か月も、死に別れを覚悟してってわけじゃない。今で良かったな。未来はもっと速くなっているだろうか。
僕は手元の携帯端末で飛行機のチケットを探し始めた。
2月21日
僕は割と空港というものが好きだ。ひとはここに必然性なく留まることがないのに、留まるだけの設備を備えている。それが少し面白い。
一方、六はあまり空港に来たことがない。彼は殆ど日本を出ないし、国内の長距離移動も陸路が中心だからだ。
「わざわざお見送りなんて悪いねぇ」
「暇だったしたまにはな」
僕についておいで、と目星を付けていた店へ連れて行く。空港にあるレストランはある意味観光客向けとでも言おうか、街で見掛けるチェーン店でも素材やメニューを変えてとっておきを出していたりする。そのうち六も、と思っていたところはいくつでもあった。
「む。美味い」
「でしょう?」
混み具合を考えて入ったのは牛かつの定食を出す店だ。揚げたてのサクサクの衣に瑞々しいキャベツが嬉しい。昼間だけど一合だけお酒を頼んで分け合う。
「何時の便だ?」
「食べ終わって少しゆっくりして丁度いいくらいかな。そうだ、展望エリアがあるから後で連れて行ってあげる。そこから見送りしてよ」
ああ、でもまだ寒いかな。確か吹き曝しだったからそれは可哀相だ。
「行ってみて考えるか」
「うん、それがいい」
僕のいない間に風邪なんかひかないでおくれよ。
2月22日
帰省ってこんなに疲れるものだっけと思いながら、僕はユーリ城の自室のベッドで天井を仰いだ。部屋はアッシュが掃除してくれていたみたいで、しばらく留守にしていたのに埃っぽいことなんてなくて快適だ。
城に帰った僕を待っていたのは何日か遅れの誕生日パーティー。お祝いの気持ちはありつつご馳走料理を作りたいアッシュの熱意は大変なものだった。少し食べすぎたかもしれない。食べきれなかった分が明日の朝と昼と夜に出てくる予定だし、彼なら何かしらリメイク料理だって考えているだろう。
僕には届いたチョコレートだとか誕生日プレゼントだとかまだまだあるのに。ファンレターはいつ読もう? 楽しみだ、なぁ。
とりあえず報告がてら、携帯端末で六に写真を送り付ける。ご馳走ディナーにケーキに貰ったプレゼントの山!
返ってきたメッセージは「誕生日おめでとう」。間違っちゃいないんだけど、君には当日祝ってもらったじゃないか。もしかして妬いているのかい、それとも寂しいのかい。
聞いたって教えてくれないだろうから顔が見たいと思った。だけど僕が目の前にいたんなら六は優しい顔をしてるだろう。
「帰ったらまたお祝いしてくれる?」
通知音が鳴る。「来年な」。うん、いい返事だ。