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    八華✺⋆*

    TRI葬台/牧台
    基本的にえっちなやつしかない

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    八華✺⋆*

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    よだつかDom/Sub②
    微々たるエロ

    午前二時、思案の外2 夜鷹と話した日の翌日は朝から雨が降っていた。
     工事は中止で、交通整理の仕事もオフになった。「今日は司くんがいるのね」と嬉しそうに顔を綻ばせる羊が皿の端にそれとなく避けた茹で野菜を見逃さず、小言を言うとしおしおと萎えながら口に運ぶ姿に苦笑する。
     そう、雨だから。
     あの人だって来ないに決まっている。
     昨夜、司が逃げるように彼の声を振り切ったあとも、夜鷹はじっと暗がりの中で佇んでいた。もしかしたら、終わるのを待っていたのかもしれない。彼の目を避けて裏手から帰ったので、いつまでいたのかはわからないけれど。
     



    *




     司が自身のダイナミクスを知ったのは20歳のときだ。
     身体的な性別に加えて、ホルモンによる本能的欲求の違いによってヒトは三種の性に分かれる。支配欲の強いDom、従属欲求の高いSub、そのどちらにも当て嵌まらないNormal。
     現在世界において一般的であるのはNormalであり、現在DomやSubを発露するのは稀なことだった。そしてそのどちらかの性を持っていても隠している者が大半だ。DomやSubがもつ欲求は程度の差こそあれ取り扱いが難しい。故に本人が日常生活を送ることが困難であり、またその困難さをダイナミクスに左右されない人間はその困難さを知ることができない。差別や偏見が罷り通っていたのは大昔の話だが、DomやSubは己の第二の性を隠し生きやすさを選ぶ。
     18歳の誕生日を迎えるとダイナミクスの検査を受けるが、おしなべてNormalの通知が来たと同級生たちが騒いでいたのを覚えている。当時、司のダイナミクスは「備考付きNormal」だった。検査で不明な点があるので一年ごとに受けるよう医師に言われ、「まぁ、再検査してもきっとNormalしか出ないけどね」と苦笑された。そんなものかと拍子抜けしたくらいだ。
     しかし2回目の検査結果はまさかのSub。件の医師が「出ちゃったねぇ〜」と今度はからっと笑ったが冗談じゃない。Subについて学校の授業で習った少しの知識しかなかった司は大いに焦った。
     何しろ、その頃の司は熱望していたフィギュアスケートの道がようやく開けてきた大事な時期にいた。志していたシングルの選手ではなかったけれど、アイスダンスという場を掴んで死に物狂いでスケートにしがみついていたのだ。調べれば調べるほど不安になる司に、医師からの「あなたの欲求はそんなに強い方ではないから、抑制剤でコントロールができますよ」という天の声に縋りついた。薬代は国からの補助があるものの痛い出費だったが、スケートに支障が出ることだけは避けたかったから。
     けれど医者の言った通りにはならなかった。司のダイナミクスは不規則で、薬を使ってもコントロールするのは難しかった。
     パートナーを作ってはどうかと提案されて、プレイをしてみたこともある。
     ざっくり総括して苦い経験だった。ここ数年、誰にも話せないことだけがどんどん心の奥に積み上がっていく。
     司は、Domの誰かを支配したいというぎらついた欲が嫌いだ。
     誰かの手によって充足を得たいという己の欲が嫌いだ。


     ──でも。

     あの人は、もしかして。


     *

     
    「あれ、司くんどこにいくの?」
     玄関でスニーカーを履いているところで加護に声を掛けられた。
    「バイト中止になったんじゃないのかい」
    「昨日、現場に忘れ物しちゃって」
    「こんな時間に? まだ結構降ってるよ」
     車出そうか、と言ってくれるのを羊が寝ているから家にいてくださいと断って司は家を出た。ビニール傘を不規則に雨音が叩く。
     忘れ物なんてしてないけれど、そんな小さな嘘まで吐いて何をしているんだろう。
     雨の中、今日は誰もいない工事現場にわざわざあの人がいるわけもない。
     そもそもいたところで、どうすると言うのか。氷の上で打ち勝たなければならない相手だ。今自分は、彼に応えられる言葉を他に持ち得ていない。

    『きみのことが気になる理由を知りたかった』
    『Subだろう?』
     
     夜空の下に立つ、あの人が自分を見る眸を思い出すと胸がぎゅうっと絞られるように痛む。近付いてはいけないと理性がつぶやく一方で、いてもたってもいられなくて。
     知るのは怖い。
     知られて失望されるのは、もっと怖い。
     
     水溜まりを弾く、靴のつま先が濡れる。腹の底に燻った焦燥に追い立てられて傘を畳んで走った。
     滲む街の光を跳ね返す路の先には、覆い尽くすような昏い空が広がっている。




     誰もいない工事現場は不気味なほど静かで、ぽつんと立つ街灯だけがまだ小雨の降り頻る道路を照らしていた。
     車のライトが流れるように通り過ぎる中、司は夜鷹と話した植え込みのところまでゆっくり歩いた。縁に腰掛けて、上がった呼吸を落ち着かせる。徐々に緩やかになっていく鼓動を感じながら、吸って吐いてを繰り返す。
     春先とはいえ雨にぐっしょり濡れれば体温を奪われる。が、今はその冷たさが有り難かった。
     そうだ、バカなことを考えるもんじゃない。
     冷静になれ。正体不明な欲求なんて、雨と一緒に流れてしまえ。
     ただの気紛れで構ってきただけ、そんなことに振り回されていては自分を見失う。
     わかっている。わかっていたのに。
    「…………忘れられるわけ、ないんだよな……」

     
    「──何が?」

     じゃり、と足もとの悪い路面を踏みしめる音がして。
     見上げれば、夜よりももっと黒い影を纏った男がそこにいた。
     右手に持った傘を頭上に差し掛けられ、遮られる視界。
     言葉を失って見上げたままの司を、夜鷹は観察するように目を細めて眺める。呆れているようだが、不機嫌そうではなかった。かすかに動いた表情につい気を取られる。
     見間違いか 
    「今日は休みじゃなかった?」
     問われて、早速答えに窮する。加護に言ったように、忘れ物を──と口を開きかけたが、今さら取り繕う必要はない気もした。
    「……あなたが、いるんじゃないかと」
     まっすぐに見つめ返すと、夜鷹は口を引き結んで押し黙った。だったら何をしに来たのかとさらに訊かれれば困るが、夜鷹は司の言いたいことをすべてさらりと飲み込んだかのような顔をして「僕はきみがいるんじゃないかと思って来たよ」と言った。見透かされているようで面映い。
     そのうちじぃっと見つめてくる視線に耐えられなくなって、司はわざわざ聞きたくもないことを口にした。
    「おれが、Subだからですか」
     声に出すと自分で思ったよりも不満気でしまったと思った。夜鷹を前にすると感情の方が先に飛び出していくみたいだ。
     しかし夜鷹はそんな物言いにも眉を顰めることはなく、鋭い眸を少し伏せて睫毛の影を落とした。
    「……いや、それは最初からわかっていた」
     
     ────え?
     最初から?

     ……って、ドコから?

    「来て」
     夜鷹は傘を司に押し付け、自分はふいっと踵を返してさっさと行ってしまい、司はその前の言葉すらどう受け取っていいのか考えていたところでポカンとなった。
     来て、と言われて傘を持たされたら追いかけねばなるまい。こちらを振り返りもしない背中にため息をつき、司は腰を上げた。離れた距離で、でも見失わないように後を追うと夜鷹は道路脇で立ち止まった。幅のある路肩に一台の車が停まっている。
     夜鷹は開錠してエンジンをかけると、追いついてきた司に助手席に乗るよう促した。高そうな革張りの内装だ。雨でびしょ濡れ状態、靴は泥だらけの自分が乗っていいものじゃない。運転席に座る夜鷹に傘を突き返すようにして丁重にご遠慮した。
     すると、夜鷹は素直に手を差し出し──傘ではなく、司の腕を掴んでぐいっと引っ張った。「ヒッ」と悲鳴を上げてしまったのはご愛嬌である。
    「乗りなさい」
     夢に見そうな迫力のある顔で脅されて、「はい……」と司はすごすごシートに潜り込んだ。肩身が狭い。
     フロントガラスに雨粒が落ちては長い曲線を描いて流れていく。夜鷹は雨だれの向こうを見つめながら何か考え込んでいるようだった。
     たったそれだけなのにやはり格好よくて横目で見てしまう。言動はアレだが近くで見るとどんな表情もとてつもなく格好いい。顔がいい。
     ところが、不意打ちで振り返ったその顔とはたと目が合う。
    「きみにだけ聞くのはアンフェアだから言うけど、僕はDomだ」
     静かな声で告げられたそれは、司にもうっすらわかっていたことだった。Subが支配的な人間に敏感であるように、Domは本能でSubを見分ける。彼が司をSubだと見抜いたのなら、それはそういうことだ。
    「でも、自分にはそういう欲求がないと思っていた。面倒だし」
    「……はぁ」
     気の抜けた返事をするしかなかったが、確かにそれは夜鷹なら有り得るだろう。氷に魅入られ、誰に見られなくとも一心に己のスケートを磨き続ける人。彼が他のものに執着を示す姿が想像つかない。
    「一度やってみたら、わかるかもしれない」
    「……え、」
     司の座るシートの縁に手をかけ、身を乗り出してくる夜鷹に思わずドア側に後退った。
     ──一度やってみたらって、
    「……俺と!?」
    「きみは声が大きいな」
     夜鷹純がさらに近づいてくる。もうこれ以上退がれない。ドアにぴったり体がくっついてしまった。
     話が飛躍し過ぎじゃないかこの人⁉︎
     頼むからもう少し段階を踏んでほしい。心臓に悪い。
    「何でそうなるんです」
    「面白そうだから?」
     首を傾げるな。可愛いフリしたって騙されない。でもそういう仕草もいちいちかっこいいなクソ!
     これは真正面から見てはいけない。詰め寄られている姿勢から何とか脱しようと顔を逸らす。
    「面白くないです。第一、俺もプレイはあんまり……」
     言いかけた一瞬、空気がキンと凍ったように張り詰めて体が固まった。ひくっと喉が震える。
     ──グレア……?
     Domがもつ特性として知ってはいたものの、初めて肌で感じる支配者のオーラに首の後ろがビリビリと粟立った。
    「"見ろ"」
    「……っ」
     伸びてきた長い指が頬に触れる。ひやりと冷たい指先に力は籠っていなかったが、司は彼の発したコマンドに逆らえない。胸が高鳴る。雨に降られて冷えていたはずの身体に熱がともる。たったこれだけで。
    「……やっぱり眩しいな。目が焼けそうだ」
     そう呟いた夜鷹の眸に──チリ、と揺れる炎の影を見た気がした。煽られるように腹の底がカッと熱くなってくる。 
    「よ、夜鷹、さん……っ、それ、やめ……っ」
     これ以上グレアを浴びたら身体に力が入らなくなりそうだった。浅くなった呼吸を震えながら必死で整える。が、夜鷹は冴え冴えとした表情で見つめ、頬にかけていた指で司の顎から首もとをゆっくり辿った。ぞわぞわとした感覚が背骨を通って腰に纏わりつく。
    「ふ……っ、」
    「これ、脱がせていい? それとも自分で脱ぐ?」
     濡れて張りつくシャツの裾を捲る手が肌の上を滑る。隆起する筋をてのひらで確かめられているようで、身体中を這うグレアの余波が何か別のものに変化しそうだった。
     ダメだ、これ以上は、
    「ほら、いけないよ。──"選んで"」 
    「──ッ、」
     びく、と体が痙攣した。さらに逸る心音が響いてくる。夜鷹の声に揺さぶられて、ぐらっと溶け出す本能との境界線。
    「……脱ぎ、ます」
     上着の袖を抜き、腕を交差させてシャツを捲り上げた。
     ──見られている。
     黙した男はようやく離れていったが、それでも触れられているのではないかと錯覚するくらいの視線を感じた。普段羞恥に思うことでもないのに、こんなこと。
     嫌悪でも、恐怖でもない。抱いたことのない感情が胸に広がる。
     これは、まさか。
    「いい子だ」
     夜鷹は相変わらず表情を動かさないが、そのひと言はぐっさりと司に止めを刺した。何だこれは、もう大声で叫んでここから消え去りたい。
    そうしなかったのは、彼の声に潜む甘さに腰が立たなくなったからだ。いやこれはグレアのせい。絶対グレアのせい。誰でもない誰かに向かって言い訳を繰り返す。
     水分を吸って重くなったシャツを脱いでしまえば、暖房の効いた車内では寒くもなかった。グレアもいつの間にか消え、夜鷹は身を捩って後部座席に手を伸ばしたかと思うと取り出したものをバサッと司の頭に被せてきた。柔らかい布地のタオル。
    …………金メダリストに頭を拭かれている……。
    この状況何なんだろう、と思いつつ意外に優しく拭いてくれる指先にじわりと満足感のようなものが湧いてきて、すぐに振り払った。
    こんな、相手の了解もなくプレイに入る男は信用してはいけない。しかも平然とグレアを使えるようなDomなど聞いたことがないのだ。
    どう考えたってろくなものじゃない。
    のに、
    「……もしかして、そのままだと冷えるから脱げってことだったんですか」
     髪を拭き終えるとそのままタオルを司の肩にかけ、夜鷹はしらっと
    「そう」
     と答えた。
    「ややこしいことしないでストレートに言ってください!」
    「だから一回やってみたいって言ったでしょ」
     この……ッ!!
     暴力はしない主義だが、夜鷹純の顔がついていなければ一発殴っている。
     わなわなと震える司にシートベルトをするよう促し、夜鷹はようやくハンドルを握った。
    「でもこれはいけそうだな。次はいろいろと試してみよう」
     次?
     次って言ったこの人!?
     アクセルを踏み、淡々と車を走らせる男の横顔をキッと睨みつける。
    「勝手に始めるのはダメですからね……!」
    「勝手じゃなければいいんだね、了解」
    「そ〜じゃなくてぇ……」
     
     助けて!!

     話にならない。
     くらくらする頭を抱え、どうかさっきのことは何かの誤りであれと司は強く願った。ひたすら不安になる要素しかないのに、なぜか満たされている感じがするのも認めたくない。
     まだ深い夜の中を走る車体に揺られながら、くったりとシートに背を沈める。
     いつのまにか、雨は上がったらしい。
     



     
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