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    gt_810s2

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    「で、どういうつもりだ」
    「何がだ」
    「は? お前なあ、人に何も言わずに一週間以上トンズラかましておいて、何がはねえだろ」
     朝食を片したテーブルの上に置かれた銀時の指が忙しなく動く。万斉は席を外すと言って出て行った。夕方には戻ると言ったが、それまでもまだ数時間ある。この家の合鍵を俺は持っていないから、何かあっても逃げ出すことは出来ない。何日も世話になっておいて、俺の都合で鍵を開け放して留守にするのは気が引けた。
     問い詰めるつもりでやってきた銀時は、俺の態度を見て拍子抜けしたようだった。沈黙を貫くつもりはない。折を見て別れ話をするつもりではいた。実際に銀時の顔を見ても、涙の一つも出ない。焦って掌に滲む汗もない。驚くほどに冷静だった。
    「悪かったな」
    「いいけど、いつ帰ってくんだよ」
    「帰らない」
    「は?」
    「帰らない。明日、父親のところへ行ってくる。そうしたら一人暮らしを始める。……荷物はお前のいない時に取りに行くつもりだった」
     開いた口が塞がらない、鳩が豆鉄砲を食ったよう、銀時はそういう顔を俺に向けた。時が止まったように沈黙が流れて、俺は戸棚からグラスを二つ取り出して水を注いだ。この家には銀時の愛飲するいちご牛乳も俺がよく飲むコーヒーもない。もう二度と、それがある場所でこいつと会うことはない。
    「お前、何を見た」
     グラスを置く手に力が入って、質量がそのまま音を立てた。動揺を響かせたグラスに銀時は目もくれず、唇を結んだままに、俺を見つめていた。こんな目を向けられたことがある。小学生の時の、俺の記憶だ。そして、前世の俺が持つ幼年の記憶でもある。どちらでも、この男は俺が何かを穿って見たり軽視したりする度、こういう視線を向けてきた。それも心からでなく、諦めを隠すためにそうした時だけだ。欲しいと願っても手に入らないものを追いかけるのが上手くなかった。例えば個数の限られた飴玉だとか、リレーの選手に立候補する権利だとか、抱いた興味を表に出さずに知らない顔をしている方が楽なことを、こいつはどうしてか勝手に見抜いていた。時には、押し付けられた過ちをいちいち説明するのが面倒で黙っている俺や、泣かれるのが嫌だから隠した真実にも、気付いていることがあった。直接言ってこないから確かではないが、たぶん、そういうことが多かった。
    「何も見ちゃいねえ」
    「なら、どうしてそんな顔してんだ」
     脳内に警鐘が鳴り響く。この目は、危険だ。
     一度もそれに負けたことはなかった。だが、それはどこかでこいつが気付いていることを理解していたからだ。何を口にしようと、何をしようと、この男はどうせ俺の意図を解っている。俺を理解した上で否定されるのと、理解もされずに否定されるのでは、全く違う。ある種安心感とも呼べるそれは、信頼と言うのだろうか。
     俺の言葉を聞いて、胡椒を丸呑みしたかのように非難する人間も、賞賛する人間も、好きではなかった。だが後者には責任を持たなければならないと思っていたし、必要だと思った人間に対しては理解させるような言葉を選んだ。そうして生きてきた。だがこの男は、何がなくとも勝手に俺の心を察してしまうのだ。恐らく俺が今手を放そうとしている理由も、全て。だから銀時相手に口先だけの言い訳は通用しない。お前には関係ない、も、もうお前のことは好きじゃない、も、恐らく機能しない。
     こいつはもっともらしい言葉を考える時間さえも、俺に与えるつもりはないらしい。立ち上がり、グラスを置いたまま動けないでいた俺を数センチ上から見下ろし、視線で捕獲した。
    「なあ、高杉」
    「お前と俺は一緒にいるべきじゃない」
     銀時の瞳の奥が濁った。怒りも絶望も、受け止める覚悟は出来ていた。こいつは俺を簡単に忘れられるような男じゃない。知っている。だが今は前世のように、宿命に囚われて生きる必要はない。坂田銀時という男が、単に幸せになれる世界だ。そこに俺はいるべきではないのだ。因縁も何もない、本気で心からこいつを求め、俺なんぞのように執着だけで縛るような男ではなく、共に生き、幸せにしてくれるような相手が必ずいる。寧ろこの男の周りにはきっと、そういう人間が溢れている。
     背を向けようとすると、いきなり腕を掴まれた。離れようとした体は銀時の腕の中に収められ、無理矢理あげさせられた唇が銀時のものに触れあいそうになる。だが寸でのところで、離れた。身構えた体の力が抜けて、今度は俺が拍子抜けた顔で銀時を見つめる番がきた。銀時は笑っていた。涙を堪え、顔を上げ、口角を持ち上げ、穏やかな視線を俺に向けて。昼日中だというのに、その瞳が夕焼けに照らされたように錯覚した。正確に言えば、過去に見た光景が重なった。俺はこの笑顔を知っている。何かを失おうとしながらも、最後に泣きっ面を見せないために笑う、その表情を。
    「邪魔したな。……帰るわ」
     銀時の反応は、俺の予想とは大きく異なった。銀時が自分の意思で帰っていくことを俺は望んでいたはずだというのに、指先が酷く冷えた。引いていった血が汗となって全て噴き出したかのように手の平を湿らせ、床がなくなったかのように平衡感覚を失った。地に足が着いた心地がしないのに、体は縫い付けられたかのように動かなかった。扉が閉まる音を聞きながら、俺は瞳に焼き付いた銀時の笑顔を見つめていた。
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