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    gt_810s2

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    gt_810s2

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     項垂れた背中に追いつくのは容易かった。食堂の扉を抜けて廊下を進むのは、銀時一人だったからだ。思案に余って唇と眉を曲げた辰馬に一言「悪い」と告げると、安心したように「はよう仲直りせい」と返ってきた。速足で距離を詰めて、腕を掴んだが銀時の足が止まることはなかった。力を込めると、それ以上の強さで前へと引っ張られる。引き留める言葉を続ける資格は俺にない。本来俺は申し訳なさそうに謝るか話を聞けとその名を繰り返し呼ぶべきなのだろう。だが、俺は間違ったことをしたと思っていない。俺は銀時の荷になるのがごめんなのだ。それなのにこいつが何故こんな顔をする。顔が見えなくてもわかる泣きっ面になる。銀時の歩みは止まらない。それどころか徐々に早くなっていく。勢いにつられて足がもつれそうになった煩わしさが、銀時に対する苛立ちを生む。
    「……何が気に食わねえ」
    「本気で言ってんならお前には中二病じゃなくて独善の王の称号をやるぜ」
    「セフレのつもりじゃなかったのか、お前が本気になる前に俺は……」
    「お前、俺がそれだけのためにお前のこと抱いてたと思ってんの」
     銀時が立ち止まった。勢いを落とせなかったせいで急に振り向いた銀時にぶつかって、酷く冷たい紅い瞳に射抜かれた。怯みかけた唇を動かす。声は震えなかった。
    「お前はもう、俺から解放されていい」
    「…………高杉、歯ァ食い縛れ」
    「あ? ッ……! っは、が……」
     胸倉を掴まれた、と認識した瞬間には頬に重たい一撃が飛んできていた。ガキの頃は精々よろめく程度だったが、成人した銀時の一発は、いとも簡単に俺に尻もちをつかせた。どうして、と言う前にしゃがみこんだ銀時がもう一度俺の襟を握って、もう片方の拳を振り上げる。阻むための右手を俺が持ち上げる前に、銀時の耳の横で硬く握りしめられた拳が震え、落ちた。襟を掴まれて食い込んだ布が首を絞めつける。その力だけは弱くなることはなかった。俺を見る銀時は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。心臓から火が噴き出したように全身が熱を持ち、俺は銀時の胸倉を掴み返していた。
    「銀時てめえ、何が気に食わねえ。ムカつくなら殴りゃいいだろ! らしくもねえ」
    「うるせえなあ! お前こそ殴り返してこいよ、変な気使われてんのがわかってこっちだって調子狂うんだよ!」
    「成人してまでこんなとこで殴り合う奴があるか馬鹿! 俺ァてめえが納得いかねえってんなら殴られてやるって言ってんだ」
    「はあ!? 誰が殴られろっつったよ、俺はお前が!! ……お前、が」
     銀時の声が、まるで指揮者にそう指示されたかのように徐々に小さくなっていく。絞り出すように紡がれた言葉に、視界が揺らんだ。
    「ずっと好きだった奴とやっと付き合えたのに理由も告げずに振られたら、誰だってムカつくだろ……」
    「は…………?」
    「わかんねえ顔しやがって。……あのなあ、高杉。お前は自分で思ってるよりも俺の気持ちがわかっちゃいねえよ」
     心臓を押されたような気がして、銀時の胸元を掴んでいた手を解いた。銀時はぶつぶつと言葉を続けている。冷や水を頭から被せられたような衝撃。体は覚束なくて、熱が抜けない。己の体の所在がわからない。だが銀時の言葉を飲み込もうとする脳は支障なく動いていた。
     体を重ねたのは、ただの気紛れだと思っていた。あの日俺たちは酔っていたのだ。その後何度か二人で出かけることもあったが、そこに特別な感情などなかった。なかった、はずだ。
    「変わらなかったろう。俺たちは……あの日から、何も」
    「あぁ、変わってねえよ。お前はムカつく奴で、幼馴染で、一生負けたくない相手で、人の話を聞かない、馬鹿だよ。……だけどな、好きになっちまったんだよ、お前を。俺は、ずっと」
     耳の中に音が響くほどに心臓が騒いでいる。俺を見つめる銀時の瞳の中が潤んだ。廊下を染める夕焼けの光がその中で煌いて、それが向けられた熱なのだとわかる。見覚えがあった。俺はこの熱を、知っている。俺の名を呼び、俺の肌に触れ、俺の隣に立つ銀時が放つ、熱を、何度も感じていた。
     呑み込んだ唾が悔悟へと変わってのたうち回る。前世で銀時が俺に執着したのは、俺しかこの男のことを理解出来なかったからだと思っていた。罪を共にし、剣先を向け合い、行き場のない苦しみを理解し合った。銀時には俺しかいなかった。俺だってそうだ。俺には銀時しかいなかった。体を重ねた時も、恋情だとか生易しい感情からくる性欲の交わりのつもりはなかった。平穏の中にいても尚、惹かれ合う、必然的な魂の結びつきですらあった。だがそれがない今、たまたま近くにいただけの俺たちを結ぶものは何もない。俺も、銀時も、ただずっとそばにいたという執着だけで、恋愛ごっこを始めようとしていただけだ。俺たちが俺たちでなければならない理由は何もない。銀時が俺だけを願う理由も、何一つ。
    「高杉、お前が何を思ってあの日泣いたのか、俺は知らねえよ。話せとも言わねえ。俺に言われて話すぐらいなら、お前はとっくにべらべら喋ってんだろ。……だけどよ、勝手に終わらせんじゃねえよ。終わりてえなら、終わらせてやろうとも思ったよ。だがよ、だけどよ、高杉。……俺は、お前を諦めることなんか出来ねえよ」
     銀時が俺を求めている。ただの、俺を。白夜叉と共に戦った鬼兵隊総督、松下村塾で共に学んだ相弟子、共に師を取り戻すため戦った友。銀時にとって俺はどれでもない。どれでもない俺は、前世のように銀時から何かを奪おうとしたこともないが、与えたものも一つとしてなかった。
    「何に怯えてんだ、高杉」
    「怯えてなんかいねえよ」
    「あるだろ。……何年見てきたと思ってんだよ、何年、お前のこと好きだったと思ってんだよ」
     セフレにしようとはいい度胸だと言って恋人になったのは、ただ気に食わなかっただけだった。子供の頃から、意識の外にやろうとしても出来ないような男だった。だがあの夢を見た日、きっとそれは前世から続く俺の一方的な執着だと理解したのだ。
     前世の俺は確かに銀時のことを愛していた。だが今の俺が持つのは、恋とも愛ともつかない執着の残滓なのではなかったのか。銀時のことを恋愛対象として見たことはただの一度もなかった。だが俺は家を出た日に銀時のもとへ向かった。体を重ねた日、受け入れることは苦じゃなかった。俺の意思が介在していないかのように、自然なことだった。だから、こんな未練は、もうこいつに向けられるべきじゃない。
    「高杉、お前が本気で俺に飽きたなら俺はとめねえよ。……解放されるだとか、訳わかんねえ気遣って、俺のためみたいに言うな。お前が俺から離れんのが、俺にとっちゃ、一番、最悪だ」
     何も言葉を返すことが出来なかった。ただ、体の中が熱く、火照っていた。銀時を手放そうとしたことを今更実感し、今更になって喪失感が心中で蠢く。力の入らない指が、銀時の腕を震えたまま握った。動けずにいる俺の手を銀時は振り払わなかった。
    「…………帰るぞ」
     俺も握られた手を振り払えなかった。紐で括られたように、その熱から手を放すことが出来なかった。どうして銀時が俺を望んでいるのかわからなかった。
     もう帰らないと決めていたはずの部屋は俺が出て行った日と何も変わらないままで、それを喜んでいる俺自身も、入れないでいた俺の頭を撫でて手を引いた銀時のことも、わからなかった。
     ただ一つようやく気付いたことは、俺がこの男のもとに来たのは未練なんかではなかったということだ。あの日受け入れたこいつの欲も、向けられる熱も、共に生きることも、恐らく俺が自ら望んだことだった。だがわからなかった。俺がこいつに惹かれても、こいつが俺に惹かれる理由なんて一つもないのに。もうこいつは、俺に執着なんかしなくていいはずなのに。
     何事もなかったかのように食事をとり、風呂に入り、夜が来て、それぞれの部屋で眠った。同じ家にいながら部屋を分けたのは、この日がはじめてだった。そんなことも気付かずにいた。俺はきっと、はじめから銀時と離れたくなどなかったのだ。
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