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    gt_810s2

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     ほかほか、ふかふか、かぶりつくと甘みが口に広がって、足先までじんわりあったかくなっていく。まだ九月だというのに木枯らしが吹いているんじゃないかと勘違いするぐらいに冷えていた。咀嚼すると芋の甘さが染みわたる。手元の紙をしっかり握ってそのあたたかさを逃さないように、寒さに負けないように。
     一歩、がぶり、もう二歩、がぶり、むしゃむしゃ、もう三歩。
     満たされた腹は緊張した筋肉を解いてくれた。くしゃくしゃに丸めた包み紙をポケットの中に突っ込んで、目の前のマンションを見上げる。いち、にい、さん、しい、ご、六階。下から六番目のどこかに高杉が住んでいる。毎日毎日、ちょっと目を離した隙に逃げられちまうからここに来るほかなかった。
     こぎれいなエントランスを越えてエレベーターに乗り込み、六のボタンを押す。ホールに鏡が付いている。誰かが作る夕飯の、ほわんと美味そうな匂いが鼻を擽った。
     チャイムを鳴らして扉が開くのをじっと待つ。グレーに塗装された鋼板を眺めるが、扉は開かない。表札の下についたインターホンのスピーカーも眠ったまま。もう一度ボタンを押した。やはり出てこない。逆に言ったらあいつの親もいないということだ。ならばと何度もボタンを押す。
     ピーンポーン、ピーンポーン、ピーン、ピー、ピー、ピー、ピーンポーン。
     間の抜けた音を不愉快なリズムに変えて呼びかける。すると向こうからバタバタと足音が聞こえて、勢いよく扉が開いた。あと一歩動くのが遅かったらつま先をぶつけているところだ。
    「よお、チビの癖にサボりとは生意気だな」
    「……何しにきた」
     明らかに歓迎されていない。綺麗に揃えられた靴を散らして裸足のまんま扉を開けた高杉の顔を正面から見るのは久しぶりだった。
    「どうしたもこうしたも、お前が来ねえから心配してんだよ。松陽が」
    「もう行かねえよ」
    「はあ? なんで」
     答える代わりに閉められそうになった扉の隙間に体を割り込ませた。背中にぶつかる重たい板がぐりぐりと骨を押すが気にしない。左肩を押して俺を追い出そうと高杉が力を込める。押し合いが続いて睨み合った。暫くしてやっと、ぐいぐいと暴れていた腕がぴたりととまる。
    「確かにこの身体は無理が効かねえ、それを誤魔化すつもりはない。……だが、だからって、気色悪い気遣いされんのは腹が立つ」
    「気色悪いってなんだよ、あのなあ」
    「うるせえッ……俺は、お前と……」
     叫ぶと同時に胸倉を掴まれた。指が服に食い込んで、シャツの襟が首をギリギリと締め付ける。指先から高杉の怒りが伝わってきて、言葉を継ごうとする唇がかたまる。ぱく、ぱく、と動くだけ。何かを言おうと動かしてもうまくいかない。代わりに高杉が声をあげた。
    「やっと本気を出せる相手に会えたと思ったんだ! それをなんだ、たかが一回倒れたくらいでヘラヘラ気遣いやがって! うざってえんだよ、この野郎!」
    「んなこと言われなきゃわかんねえだろうが! なんだよ、勝手に拗ねやがって」
     謝罪を口にしようと試みていた唇は勝手に反論して、両手は負けじと高杉の襟を掴んだ。
    「拗ねてなんかねえ、ただムカつくだけだ」
    「一緒だろ、逃げてんだよお前は!」
    「逃げてなんか……ッ」
     髪の毛を引っ張られて、引っ張り返して、頬を抓って、抓られ返す。次々に言葉が口から出てきた。限界まで無理するから心配されるんだ、もっと早く頼れ、どこから駄目なのかちゃんと言え、きついならきついって言え、やせ我慢すんな。高杉も合間合間に言い返す。いちいち怖がってたら何も出来ない、手助けなんていらない、駄目になっても別にいい、俺が大丈夫って言ってんだから大丈夫だ。それにムカついて、また手が出て、脚が出て、気付いたら玄関に二人で倒れ込んでもみ合っていた。はあはあと息が荒くなって、暴れたせいで汗がびっしょり出ている。フローリングの床が痛い。何を言ってもひとつも首を振ろうとしない高杉が悔しくて、腹がたって、もどかしくて。なにより、頼る相手になれない自分自身に、松陽みたいにこいつを叱りきれない俺自身に、大人になれないクソガキに。
    「もう俺の前で倒れたりすんなよ、馬鹿、馬鹿野郎ッ! 教えろ、お前がどうしたらやべえのか、わかったら俺だってもっと、何も考えないで喧嘩出来んだ、わかんねえから止まっちまうんだよ! この頑固者! 意地っ張り! チビのくせに強がってんじゃねえ!」
    「お前だって大して変わんねえだろ、余計なお世話なんだよ! 俺がいつどこで倒れようと俺の勝手だ!」
    「ふざっけんな、いい加減にしろ! いいか、絶対、絶対に許さねえ! どんなことをしてもとめてやる、お前が倒れるまで無理するってんなら、ぜってえ、ぜってえに何があっても布団にぶち込んでやる! 抵抗すんなら殴ってでもな!」
    「殴るって、俺のことどうしたいんだよ!」
    「もう二度とあんな風なの、俺は御免なんだよ! お前がどう思ってようと、俺との喧嘩で、ぶっ倒れて、俺には何も出来ない……すげえムカつく。気に食わねえ、だから……だからぜってえ、もう、俺の前で倒れさせたりなんかしない」
     驚くほどに語気が弱くなる。絞り出した言葉がぽつぽつと零れた。肩を上下させて、二人で困ったように顔を見合わせた。気まずい空気が漂ってずっしりとかかる。それから自分が言ったことを噛み締めて、呑み込んだ。トカゲが壁をのぼるみたいな速さで熱がてっぺんまで駆け上がる。
     耐えられなくて、汗で滑る手のひらを握り締めて立ち上がった。暴れたせいですぐ脇にある靴棚の上に飾られていた写真たてが倒れている。靴は散らばって、玄関マットが段差からずり落ちていた。
    「覚悟しろよ、高杉。……どんなに嫌われたって、憎まれたって、お前のこと絶対に護ってやる。俺は絶対、放っといてなんかやらない。だから……明日も来いよ、喧嘩相手がいなきゃ、つまんねえんだよ」
     決意を込めて呟いた。高杉はぽかんとして俺を見ている。そりゃあそうだ、あいつの言うことなんて一つも聞いていない。俺がボロボロにしているのに、倒れさせないなんておかしな話だ。無理をさせたのも、過保護にしたのも俺だっていうのに。

    *****

     大口を叩いて家路についたことを、俺は翌朝に後悔することになる。高杉がノートにびっしりと体質について書いて来た。どういう運動が駄目なのか、どこまで耐えられるのか、倒れたら何をすればいいのか、限界が来る前にどういう状態になるのか、下手くそな字ではじまって、徐々に整った文字で書き連ねてあった。きっとそれは高杉が戦ってきたことの記録で、いくつか二重線で潰されているものもあった。水泳、徒競走、ドッジボール。はじめは出来ないものとして書かれていたのに、距離が延び、時間が延びていったことがわかった。
     恐らく高杉はこういう出来なかったものが出来るようになるのを繰り返してきたのだ。俺はそれを知らなかった。だがきっと高杉も、俺の悔しさを知らなかった。高杉ははじめて会った時みたいな意思の強い瞳を光らせて俺を見た。
    「もう倒れさせねえんだろ? なら、こんぐらい覚えられるよな」
     挑発するような視線で、にっと笑った。どうやら俺はとんでもないことを言っちまったらしい。その後俺は一年以上をかけて、高杉の常備薬から脈拍、呼吸音ひとつまでを把握させられることになった。音を上げようとしたら煽られて、簡単に乗せられた。その甲斐あって高杉をどう制御すりゃいいのかも理解出来るようになった。
     上級生に売られた喧嘩を買うんなら俺が割って入れば余裕で勝てる。高杉もそれに関しては拒絶しなくなった。いきなり走ったり体温を下げたりするようなことはさせない、意地になっていたらしい寒い日の水泳も高杉は渋々だが見学するようになった。検査の前日に居残り稽古をさせないとか、ほかにもいろいろ。
     そうやってひとつずつ妥協点を増やしていって、高杉はほとんど無茶をしなくなった。だから絶対に高杉から離れられなくなって、高杉に気がある女子に睨まれることは成長と共に増えた。そういう腐れ縁は気付いたら数年の間解けることなく、俺たちは高校生になった。剣道部の主将と副主将。集団下校の登校班が同じクラスメイトからはじまって、高二の終わりに俺たちの関係はそういう風に変わった。ほかは、なにも変わりなく。
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