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    gt_810s2

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    5.昼休み残り五分で「晋助、お前最近よく学校に来るようになったな」
     投げ出した足の前に見えるエナメル素材のミッドソールが目立つ黒地にライトブルーの紐が映えたスニーカーは、校則違反もいいところ、風紀委員が校門に立ち服装検査を行っている日であれば真っ先に目をつけられるはずなのだが、この友人がそういう類で腕引かれているところを見たことがない。指摘を受けたことはあるだろうが、どういうわけかのらりくらりと交わしてしまう、考えれば妙な奴だった。
     手に持つのはビニール袋、中には油交じりの熱気を漏らす紙袋。もう三日連続で昼食に選んだファストフードの匂いが、最近ほどよく健康的な食材で満たされていた胃を擽ってなんだか毒気を浴びたような心地になる。昔は面倒で栄養補助食品か適当に目についたものを口にしていたから、こういう時に分け与えられてハンバーガーやポテトを食べたこともある。こういった類の食べ物の不思議は、体に害だと思っていながら手を伸ばしたくなるから不思議だ。
    「布団から抜ける気配で起こされて、寝惚けたまま飯を食って気付いたらヘルメットを被せられてる」
    「は? なんだ、最近は迎えでも来るのか」
    「……まあ、そんなとこだ」
     はじめから伝えるつもりのなかった朝の光景が、言葉足らずと想像力でどうやら歪んで届いたようだ。訂正するほうが俺の矜持を傷つけることはわかりきっていたから否定もしない。
     隣に腰掛けるとレタスとトマトに卵とハンバーグが挟まったハンバーガーに齧り付いた。喧騒を避けるため出てきた屋上の静寂に食事の音だけが置かれる。あとは遠くから恐らく生徒たちの話し声、近所を通る自動車が放つエンジン音。目蓋には陽射し、頬には風がぶつかって髪の毛をぱたぱたと暴れさせた。
     曲げた膝の上で組んだ両腕に額を乗せて視界を塞ぐ。塞いだ両瞼に映るのは、必ず男の顔だった。ここ数日はずっとそうだ。何をしても、していなくても、簡単に俺の日常を埋めた男の姿が目に焼き付いて離れない。間抜けな強請り顔、怠そうに煙草を咥えた歯、寝る前にシーツを伸ばす手の甲、白衣から浮いた背中の骨、何もかも、特別なものではないというのに。
    「どういう心境の変化かと思ったが、なんだ、なんてことはない恋患いか」
    「そう見えたんならそのサングラスを今すぐ度入りの眼鏡に変えて貰うんだな。必要なら付き合うぜ」
    「違ったか。ここ最近は通りの先にあるコンビニの駐車場でスクーターから降りて登校して来てると思ったが」
     睨みつけるもひとつも怯む様子のない友は、鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌で最後の一口を頬張った。あろうことかシェイクが入ったカップを取り出すと『どうだ、一口』と続け、普段溜まり場で食事をとる男がわざわざこの屋上にやってきた意図に気付いて辟易した。察しが良すぎるのも考えものだ。
    「腹壊す」
    「はは、そうだったな」
     溜息交じりに投げた答えは予想通りだったようで、万斉は言い切る前にストローを口に運んだ。

    ******************

     壊れた掃除用具入れから出てきた箒の柄を踏み越えて階段を降りると、昼休み残り五分の廊下は騒がしかった。ワックスが塗られた床を上履きで鳴らして帰ってくる運動部たち、次に控えた授業のために音楽室へ向かう三人組、教室の前で限界まで会話を楽しもうと居座るクラスメイト。その中に窓に背中を預けた担任もいた。女生徒に混じって男もちらほら、珍しく困ったような顔をして詰め寄られている。
    「ねえ先生! 誰なの、いい人って!」
    「教えてくれたっていいじゃないですか。そんな高そうな指輪、よっぽどの相手なんでしょう?」
    「あーあーうるせえうるせえ! お前らには関係ねェだろ、俺だっていい歳なんだからそういう相手の一人やふた……り……?」
     教え子から逃れようと身を捩らせて移った視線が俺を捉えると、煙草代わりに咥えていた飴の棒が口から落ちた。口の中で砂糖のかたまりを溶かし切ったから潰れてぐちゃぐちゃになったそれについた唾液が床に落ちると同時に見えて、すぐ傍にいた男子生徒は顔を顰めて男に文句を言う。細かいことを言うなと反論するその会話がチャイムに掻き消されて、ロッカーへと戻った。鍵を駆けていないスチール製の戸を開きほとんど中身が入っていない鞄を掴む。一瞬だけ躊躇いが胸を過った気がしたが、唾と一緒に飲み込んでやった。
     ポケットの中に入った合鍵を握ると手のひらが痛んで、どうしてか息が苦しくて仕方なかった。空いた手ではスマホを操作してずっと使っていなかったSNSを動かす。頭の中では何度も聞いた単語が反芻する。指輪を贈るほどに想う相手が男にいるのなら、どうして俺を買うだなんて宣ったのか。
     教師が生徒を指導するのが目的なら、あんな風にしなければよかった。目を閉じたところで眠れなかった夜に安眠させて、食べる気がしなかった食事を欲しいと思うまでに与えて、寒いと思う前にあたたかい風呂を用意して、男が運転するスクーターの後ろでなら気乗りしない登校も悪くないだなんて思わせないでくれればよかったのに。
    『歌舞伎町〇×ビル前 ホテル代込み一万 DMから』
     叫び出したくなるような感情が怒りなのか憎しみなのかわからなかった。怒りが足の裏に現れて校庭の砂を鳴らす。重たい腹が喉を締めようとしてくる。
     気付けば通い慣れた男の家に辿り着き、合い鍵をさす瞬間に通知音が鳴った。脳裏に浮かぶ男の姿を振り払い、ぐにゃぐにゃと迷いが歪める思考をどうにか正して返事を送る。
     充電ケーブル、買い忘れた時のための下着を鞄に詰め込んで、歯ブラシはゴミ箱の中に投げ捨てた。手足を動かすほどに心臓がうるさくなって酸素が足りなくなる。乱暴にドアを閉めた俺をたまたま遭遇した隣人が不審そうに見つめていた。戸締りを済ませて占めた鍵は郵便受けの中に突っ込んで、階段を駆け下りた。来るはずもない男に見つかってしまうような気がして、一言、行くなと言われれば、決意が戻ってしまうような予感がして。
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