【捜査備品とチョコレート】 殆ど男しかいない職場のバレンタインなんてあってないようなものだ。
いや、同性が好きな者はドギマギするだろうが、どちらかと言うと公安部のフロアの雰囲気はギスギス、イライラしている。
中にはパートナーがいる者もいるのだが、そのパートナーに仕事で会うことが叶わなければイラつきもするだろう。
せっかくのバレンタイン。恋人たちの日。
別の日に埋め合わせすればいいと思いもするが、やはりイベント当日というものは大切なものなのだ。
そんなバレンタインが今週末にある。金曜日だ。普通の仕事に就いている土日が休みの者ならば、金曜日がバレンタインだなんて浮かれても仕方の無いことだろう。だって翌日翌々日は休みで、めいいっぱいパートナーとの時間を過ごせるのだから。
が、ここは警視庁公安部。土日が休みだなんて確約はないし、休みであっても呼び出されることなんてざらにあるのだ。
新人以外、もうイベント当日に期待を寄せる者はいない。
浮ついた気持ちなんて持つだけ無駄。皆死んだ目でキーボードをタイピングし、電話をかけ、現場に向かう。それがここの当たり前だ。
そんな中で浮かれている男が一人。まあ、僕なのだが。僕には恋人はいない。でも、好きな人がいる。その人は僕の上司で潜入捜査官なのだが、月に数回その僕の想い人である降谷さんと情報や物のやり取りをしているのだ。
そしてバレンタインの翌日である二月十五日に、なんと降谷さんのセーフハウスで捜査備品を渡す予定になっている。
イベント当日というのはもちろん大事だが、その近い日に好きな人に会えるというのはとても嬉しいことなのだ。
だから僕は決意した。何がなんでも降谷さんにチョコレートを渡すと。いや、普通に渡すだけだとなんか気を遣われそうだから、一緒に食べるのがいいだろう。
そうして善は急げと負担にならない程度の四粒入りのチョコレートを購入して当日を待った。
他の者ならば会う予定を決めても反故にしてしまうだろうが、なんてったって僕が降谷さんに会うのは仕事なので反故になんてならない。
……職権乱用かもしれないと少し罪悪感はあるものの、少しチョコレートを摘むくらいは許されたい。
そして迎えた二月十五日。
僕は捜査備品とチョコレートを持ったことを確認し、夕方降谷さんのセーフハウスへ向かった。橙色に染った空はどことなく僕の心の中を表しているようだった。
出迎えてくれた降谷さんとワンちゃんに挨拶をして、まずは降谷さんに捜査備品を確認してもらう。そして僕はタイミングを見計らって用意していたチョコレートを取り出した。
「ふ、降谷さん。良ければ一緒にチョコレートを食べませんか? 実は美味しいのが手に入りまして」
いそいそとラッピングを解いて紙箱を取り出すとその蓋を開ける。生チョコが四つ入ったそれはシンプルだが、美味しいと評判の店の物だ。
「美味しそうだな。本当に貰ってもいいのか?」
「勿論です!」
むしろ全部貴方に食べてもらいたいくらいです! なんてことは言える訳もなく、勝手知ったる台所から爪楊枝を二本拝借して、そのうちの一本を降谷さんに渡す。
口に入れれば滑らかな舌触りで蕩けていく。降谷さんも美味しいチョコにふわりと顔をほころばせて「美味いな」と言った。
「ここのチョコ美味しいんですけど、何故か生チョコはバレンタインにしか出してくれなくて、毎年楽しみにしてるんですよ」
降谷さんは興味深そうに僕の話を聞くと感心したように相槌を打ってくれる。
「そうなのか。でもそんな貴重なチョコを僕が貰ってしまっていいのか?」
「勿論です! いつもお世話になってますし……、それに、降谷さんにも食べて貰いたくて」
ちょっと照れながらそう言えば、降谷さんはフフっと笑って礼を言うと、二つ目の生チョコも食べてくれた。
降谷さんが僕が持って行ったチョコを食べてくれたことで有頂天になった僕は、ルンルンと軽い足取りで家路に着いた。コートとジャケットを脱いでネクタイをゆるめる。そうしてコンビニで買ってきた弁当を食べて風呂に入って床に着いたのだった。
翌日。
「えっ!?」
昨日と同じスーツを着て何となくポンポンとスーツを叩くと、ポケットに固いものがあった。何か入れたっけ? と思いつつ取り出してみると、見事なラッピングを施された、どこからどう見ても立派なチョコレートの箱が出てきた。
いつから入ってたんだ? と戸惑いながらも添えられたカードを見てみると、降谷さんの字で『良かったら食べてくれ。追伸、ご馳走様』とか書かれている。
「ふ、ふふふるふる降谷さんからのチョコォ!?」
カッと顔に熱が集まるのがわかる。な、ななななんで降谷さんが僕なんかにチョコを!? ……あ、日頃の労いだ!(察し)
ふぅ危ない。危うく変な勘違いをするところだった。危ない危ない。
そう思いながらも、僕は大事に冷蔵庫に降谷さんからのチョコを入れて、その夜に美味しくいただいた。ブランデーで香り付けされたチョコはとても美味しくて、どこのメーカーだろう? とメーカー名や原材料名が書かれたシールを探すも、箱にも包装紙にもそれは貼られていなかった。
「ま、まままさか……手作り?」
ごきゅり。
まさかの好きな人からの手作りチョコレートにドギマギと心臓が早鐘を打ち、残りのチョコをいい意味で中々食べられなかったのは言うまでもない。