空閑汐♂デイリー【Memories】12 安静を命じられたベッドの上で、嫌な考えだけが巡る。医者が言うには後数週間はこの軌道ステーションで過ごし、そこから先は地球の病院で本格的な治療をするらしい。大した娯楽もない医療センターのベッドで日がな一日天井を見つめ続ける空閑は、何度目かもわからないため息を吐き出した。
学院は勝手に退学させられて、それだけはどうしても許せなかった空閑は一方的に家族との縁を切った。地球に帰っても、帰る場所すらない。
「……あれは悪手だったなぁ」
普段の空閑であれば、話半分に聞き流して当面の寝床を確保するくらいはしていただろう。けれど、幼い頃からの夢に手が届く直前で勝手に終止符を打たれてしまった事だけは、どうしても笑って流す事はできなかったのだ。
痛み止めが効いているのか、肩に痛みはない。けれど左腕を上げようとしても空閑のイメージ通りの動き方はしない。多分、関節ごといかれてしまった。リハビリでどれだけ回復が見込めるのか、空閑には見当を付けることすらできない。
それでも、片腕が使えないと言うのは具合が悪い。この先どんな道を選ぶにしても、片腕が使えないとなると選択肢はひどく狭くなるのだろう。それだけは今の空閑にも分かっていた。
――お前が死ぬなんて事が起きたら、俺もすぐ死んでやるからな。
空閑の耳にこびり付いて離れない汐見の声が過ぎる。それは切羽詰まった叫びなんてものではなく、ただ事実を告げるような冷静さで紡がれた囁きだった。きっとそれが、汐見の本心なのだろうとも思う。
けれどそれは、空閑にとって自身の死よりも恐ろしい事だと感じていた。空閑は汐見を道連れにする事なんて、決して望んではいない。あの瞬間、汐見を庇おうと銃口の前に己の身を晒した事に後悔なんてしていないし、その身を盾にした瞬間に汐見が空閑の身体ごと床へと飛び込まなければきっと空閑は急所を射抜かれて今こうして思考を巡らせる事すら出来なくなっていただろう。
そうして思い出すのは、空閑の目覚めを待っていた汐見の姿だった。
空閑が眠り続けた四日間、彼はずっと空閑の隣に居たという。目覚めた空閑がそれを知り――予定から少しだけ後ろ倒しとなっていたらしい訓練がはじまっている事を知った空閑が慌てて汐見を訓練場へ行くように説き伏せるまでの五日間もの間、ずっと。
訓練が詰まっているのか、それから今日に至るまで汐見は空閑の元へと姿を現す事はなくて。最後に見た汐見の姿は、泣き腫らした顔で空閑の手を握りしめて苦しげに何度も謝罪の言葉を口にしていた。それが空閑から見て、とても危うい存在に見えてしまったのだ。
――アマネに執着して、絡め落として、俺が居ないとダメになってと願って。一人でどこにでも行ける彼の翼を奪ったのは、俺だ。
これは罰なのかもしれない、と空閑は小さく嘲う。高潔で一人進む清廉な男に執着して、腕の中に閉じ込めてしまった罰なのだろう。そしてその罰は、自分一人で負うべきだ。
「――ヒロミ、」
ゆっくりと開けられたドアから顔を見せたのは、汐見だった。気遣わしげな声で、いつもは自信に満ちた勝ち気な表情は見る影もなくまるで迷子の子供のように所在なさげにドアの前で立ち尽くす汐見は細い声で言葉を重ねた。
「……退学の話を、聞いた。全部、俺のせいだよな」
震える声で紡がれる言葉に、息を呑んだ。空閑はこの瞬間まで、汐見のせいだなんて一瞬ですら思ってはいない。そして、汐見はそんな空閑の考えを一瞬たりとも考えてはいなかったのだろう。
「罪滅ぼしになるかは分からんが、俺も――」
「アマネ!」
彼の口からこれ以上の言葉は聞きたくなかった。ドロドロとした感情が、そのまま絡め落としてしまえばいいと囁く。しかし、そうして閉じた世界で二人で暮らしても、きっとお互い幸せにはなれないという事だけは解っていた。
だからこそ空閑は、汐見の名を叫び――汐見が紡ごうとした言葉を封じたのだ。
――もう、いいじゃないか。この七年半、幸せだっただろう?
自分に言い聞かせ、空閑は汐見を安心させる為だけに柔らかな笑みを浮かべて見せる。
――翼を、返そう。アマネが一人でも、俺以外の誰かと一緒でも、どこまでも飛んでいけるように。
「アマネ、別れよっか」
汐見が息を呑む音が、妙に大きく聞こえた。
「……それは、もう決めた事なのか」
ひどく硬い声で、汐見はポツリと溢す。その言葉に「そうだね。俺の頑固さは、アマネがよく分かってるでしょう?」と笑って見せれば、彼は眉を寄せ、堪えるように息を詰める。
彼と一緒に墜ちていく事だけは、したくない。それは空閑に残された最後の矜持であり、望みだった。
空閑にとって初恋とも言えた汐見との青春は、夏が去る頃のような寂しさと共に幕を閉じたのだ。